15


「ほら、頬を出せ。消毒してやる。あと、とげが残ってるんじゃないか? 取ってやる」

 誰もいない救護テントの中で、オスカーとセシリアは向かい合ったまま座っていた。

 オスカーは手慣れた手つきで救急箱からピンセットと消毒液、綿を取り出して治療の準備を進める。それを見ながら、セシリアはおびえていた。

「オ、オスカーって治療とかできるの?」

「知識も経験もお前よりはあると思うぞ。ほら、貸せ」

 ピンセットを持ったオスカーに顎を取られる。

 傷口がよく見えるようにと上を向かされて、セシリアは内心ドギマギしてしてしまう。

 男性に顎を取られることも、その状態で上を向くことも初めてだからだ。一見すると、キスする直前のようにも見える。

「ちょ……」

「動くなよ」

 ピンセットが伸びてきて、セシリアの頬に当たった。ひんやりと詰めたい感触に身を引きそうになったが、オスカーの手が今度は首後ろに伸びてきて、身は引けなかった。

「動くなと言ってるだろうが」

「ごめん。冷たくて」

 オスカーは真剣な表情で何度かピンセットを動かしていた。なかなかとげが捕まえられないのだろう。

 何度目かのチャレンジで頬に違和感があった。

 わずかな痛みが走る

「んっ!」

「じっとしとけ。今抜いてやる」

 何かが抜ける感覚の後に、ヒリヒリと頬が痛んだ。

「ほら、抜けたぞ」

 彼は小さなとげを自慢げに掲げてきた。

「ありがと。オスカーって器用なんだね」

「お前よりはな」

 今度は消毒をしてくれる気なのだろう、彼はセシリアの首に回していた手を外し、今度は丸めた綿と消毒液を準備しはじめた。

「よし。こっちを向け」

「お願いします!」

 セシリアは言われたとおりオスカーの方を向いたままじっとする。

 消毒液の染みる感じは苦手だが、ここは甘んじて受けるべきだろう。

 そうセシリアが覚悟を決めたにもかかわらず、オスカーは消毒液のついた綿を持ったまま固まってしまっていた。そのままじっと数秒間、セシリアの顔を見つめる。

「あ、あの……」

 セシリアは焦れたように声を上げた。

 どうして見つめられるのかわからない。消毒はどうなったのだろうか。

「消毒は……」

「お前、男だよな?」

 オスカーの何気なく発した言葉に、セシリアの心臓がはねた。

「あ、あたりまえだろ!! 俺は男だ!!」

 動揺しすぎて、いつもなら使わないだろう不自然な言葉が飛び出る。

「そうだよな。……女顔だってよく言われるだろ?」

「ま、まぁ……」

 女顔なのではなく、女なのだが、もちろんそんなことは言えない。

「まつげは長いし、輪郭も骨張ってないからそう見えるんだな。鍛えてないわけじゃなさそうなのに、不憫だな」

 疑ったというわけではなく、彼はセシリアの女顔を不憫に思ってくれただけのようだった。

 オスカーはもう一度丸綿に消毒液をつけるとセシリアの頬を撫でた。

 消毒液独特のアルコールの匂いが、つんと鼻腔を刺激する。液が染みて頬が引きつったような痛みに襲われた。

「いつつ……」

「こういう小さい怪我は痛いからな」

「紙で手を切ったときも痛いもんね」

「あれは俺も嫌いだな……」

 オスカーはふっと笑う。

 あの・・オスカーと普通に話せている事実に、セシリアは少し感動した。

(なんか普通の友人みたいだ!!)

 ちょっと強引なところもあるし、意味がわからない男だと思っていたが、こうしていると案外普通の人間なのかもしれない。

「オスカーって意外に手際がいいんだな。王子様だからこういうことはなれてないんだと思ってたよ」

「幼い頃から剣術をやっているからな。こういう簡単な治療や蘇生方法はそのときに学んだ。実際に使う機会も多いしな」

「へぇ。剣術って大変?」

「まぁ、……普通だ」

「普通?」

「性にはあってる」

 簡潔に答えて、オスカーは綿をゴミ箱に捨てた。

(『性にはあってる』か。確か、オスカーの宝具も剣だったよね。だからなのかな)

 騎士に与えられた宝具の力は様々だ。力が強くなったり、簡単な未来予知が出来るようになったり、どんな傷でも治癒出来るようになったり、オスカーのようにどんなものでも切れる剣という攻撃に特化した力もある。

 その力は宝具本体を神子候補に渡しても、騎士の中にあり続けるので、セシリアに宝具を渡したギルバートも騎士の力を使おうと思えば使える状態である。

 オスカーは箱の奥から今度は医療用のテープを取り出した。

「セシリアは……元気か?」

 セシリアの傷口に合わせた大きさにテープを切りながら、オスカーはためらいがちにそう聞いてきた。

「うん。元気だよ」

「そうか。元気ならいい」

 傷口にテープを貼る。ゴミが入らないために、という配慮だろう。

 彼は意外に心配性なのかもしれない。

「どうして、オスカーはセシリアに会いたいの?」

「どうして?」

 話しやすい雰囲気に流されるようにして、セシリアは前々から聞きたかったことを聞いた。

 ゲームの中のオスカーはこんな風にセシリアに執着する人間ではなかったはずだ。むしろ、そばにいることも、視界に入れるのもさえも嫌、という感じだったはずである。

 なのに今の彼はセシリアに会いたいと言い、彼女の近況を気にかけたりもする。

(もしかして、近くに居なかったら居なかったで、何するかわからないから不安なのかな?)

 見えない敵というものは怖いものだ。それはわかる。

 彼は、セシリアが裏でリーンと自分の仲を邪魔しないかどうか気が気じゃないのかもしれない。

「セシリアはオスカーのこと、邪魔しないと思うよ。もし、望めば二度と会いに来ないと思うし!」

「『二度と会いに来ない』? そう、セシリアが言ったのか?」

 セシリアとしてはよかれと思って言った言葉なのだが、彼は相当に不快に思ったらしい。声が地を這うように低くなった。

「えっと……」

「俺は、彼女に何かしたのか?」

「え?」

「俺が彼女に会ったのは十二年前だ。何かそのときに気に触るようなことをしてしまったのか? だから避けられるのか?」

 オスカーは少しさみしげな顔で視線を下げていた。

 その顔があまりにも意外で、セシリアは固まってしまう。

「嫌われるようなことをしたつもりはない。全く身に覚えがないんだ。だから、会って問いただしてみたいというのがある。それと……」

「それと?」

「もし、関係を再構築できるのならしたいと思う」

「えっ!?」

 セシリアはひっくり返った声を上げる。

 その答えは想像していなかった。

(関係を再構築って……。もしかして、リーンと結婚するために私との関係も良好に保っておきたいってことかな? 円満に婚約解消したいから……)

 確かにオスカーの立場になってみれば、セシリアの生家であるシルビィ家が何か言ってきたら面倒に感じるだろう。

 彼女の両親は二人の婚約を喜んでいたし、婚約を解消する際に男爵家の少女を選んだと聞いたら、少しは怒るかもしれない。

(だから私を抱き込んでおいて、両親のストッパーになってもらおうと思ってるのも!)

 そう考えれば、彼がセシリアのことに執着するのもわかる気がする。

「つ、つまり、オスカーはセシリアのことを嫌っていない?」

 セシリアは恐る恐る聞いた。

 オスカーは救急箱を片付けている。

「十二年も会っていない相手をどうやって嫌えというんだ。むしろ……」

「そっか!」

 オスカーの声を遮るようにして、セシリアは明るい声を発した。

「そっか、そっか!!」

 セシリアは満面の笑みを浮かべながら、彼の肩をバシバシと叩いた。

 オスカーがセシリアを嫌っていない。

 その情報はセシリアにとって何物にも代えがたい朗報だった。

(これでちょっとは破滅の運命から逃れられたかも!!)

 少なくとも、セシリアを殺したいほど恨んでいた男はもういない。

 セシリアは続けて明るい声を出した。

「大丈夫! セシリアはオスカーのこと嫌ってないよ! ただ今は顔を出せない事情があるだけで!」

「なんなんだ。その事情は?」

「……秘密?」

「おい」

 また一段と声が低くなる。

 しかし、先ほどの『嫌っていない』が功を奏したのか、とげとげしい雰囲気はなくなっていた。

「大丈夫! ちゃんとその時になったら会えるから!」

 セシリアは胸元に拳を掲げた。

 彼が婚約破棄を申し出たとき、ちゃんと会って彼を祝福しよう。

 セシリアはそんな気持ちでいっぱいになっていた。

 彼もまた恋する青年なのだ。

(ちょっとオスカーのことを応援したくなってきちゃった!)

 今はジェイドルートに進んでいるリーンだが、ここで挽回できないわけではない。頑張り次第でオスカールートもまだまだ可能性がある。

「オスカー! 頑張って! 俺、応援してるから!!」

「なっ!」

 セシリアはオスカーの手を握りしめる。

「ありがとう! 話が聞けてよかった!」

 両手で強く握りしめながらそう言ったところで、クラスの女生徒の声が聞こえてきた。

「セシル様ー! どこにおられますかー?」

「あ、何か用事かな? はーい! 今行くね!!」

 大きな声でそう応え、セシリアは握っていた手を離し、立ち上がった。

 そして、今まで彼に向けてきた顔の中で一番の笑みを浮かべる。

「これからもよろしくね。オスカー!」

 セシリアはテントを後にした。


 救護用のテントの中で、オスカーは一人ぽつんと残されていた。その顔は呆けており、頬は赤く染まっていた。

「なんなんだ、アイツ……」

 誰も見ていないにもかかわらず、オスカーは顔を隠すように口元に手を置く。

「何で、顔が熱いんだ……」

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