10
若葉萌ゆる新緑の季節。
空気は澄み渡り、日差しは穏やかに談笑する生徒を包む。
風は優しく頬を撫で、花を香りを運んでは鼻腔をくすぐった。
今日は絶好のピクニック日和だ。
快晴で、晴天で、晴朗である。
(なのに、どうして私はこんなことになっているんだろうか……)
「セシル、例の件はどうなってる?」
「……」
白亜のような白い外壁と逞しい肉体に挟まれ、セシリアは頬に冷や汗を滑らした。
大変整った顔を歪ませながら凄んでいるのは、王太子オスカーである。
彼の右手はセシリアの後ろにある壁に置かれており、彼女はいわゆる『壁ドン』状態に陥っていた。
乙女が夢見るソレではなく、どちらかと言えばヤンキー漫画によくあるカツアゲの一場面のような雰囲気ではあるが、一応『壁ドン』は『壁ドン』である。
彼の言う『例の件』というのは、セシリアとオスカーを会わせるとか会わせないとかいう、あの
セシリアは苦笑いを浮かべながら頬を掻く。
「いやぁ……」
「まだか?」
「『まだか?』と聞かれましても。それ、一昨日の話ですし、さすがに……」
性急すぎる王子様である。
ちなみに昨日もセシリアはオスカーに呼び出され、同じような目に遭っていた。もしかしたら、会わせる日程がちゃんと組まれるまで毎日呼び出されるのかもしれない。
(それは正直勘弁だわ……)
セシリアは内心ため息をついた。
一切関わらないようにという当初の目標はもう達成できないが、出来ればあまり関わりになりたくない相手なのは確かである。
それも叶わぬ願いなのかもしれない。
「あと、ちゃんともう一つ確かめておきたかったんだが、……お前は本当にセシリアの友人なのか?」
「それは、前にも……」
「あんな純真無垢な、聖女の中の聖女のような存在を目の当たりにして、お前のような女にモテることだけが生きがいの、下半身でものを考えているような男が、手を出さないなんてことがあり得るのか?」
(コイツ、なんで私にそんな幻想抱いてるのよ。そしてなにげにセシルの評価ひどいな……)
オスカーの株、大暴落の瞬間である。
まぁ、別に元々も高かったわけではないのだが……
「本当にただの友人なんです、殿下」
セシリアは表情を整えながら微笑んだ。
もしかしたら、彼のおつむは可愛いのではないかという疑問は、頭の片隅においておくことにする。
「『殿下』じゃない。オスカーだ。敬語も使わなくていい」
「えっと……」
「いざ、セシリアに会ったときに『自分の友人に殿下と呼ばせる男』だと思われたくないからな」
(うざい……)
さらに株価がマイナスに割り込んだ。
「とりあえず、早く場を設け――!!」
次の瞬間、セシリアを見下ろしていたオスカーの頭が沈んだ。そして、その後ろからギルバートが出てくる。
気がつけば、オスカーはその場に膝をついていた。
どうやらギルバートに背後から膝裏を押されたらしい。膝かっくんというやつである。
「セシルに何をしてるんですか、殿下」
「ギルバート!!」
「姉のことならセシルに言っても無駄だと言ったでしょう。それに、姉のことなら俺を通してくださいと何度も……」
「お前を通したら会わせてくれないだろうが!」
「何を当たり前のことを言ってるんですか。会わせるわけないじゃないですか」
「おーまーえーはー!!」
今にも胸ぐらにつかみかからんとするほどの勢いでオスカーはギルバートに詰め寄る。
それをギルバートはうっとうしそうに払いのけていた。……どうにも手慣れている。
(なんか、ゲームの中の二人と大分違うな……)
ゲームの中のオスカーとギルバートはほとんど接点がなかった。ギルバートが引きこもりだったというのもあるのだが、オスカーもそんな彼に絡みに行くようなことはなかったはずだ。
オスカーという人間は、もっと冷静沈着で、年齢よりも精神年齢が遙かに上で、王族というものに並々ならぬ矜持を持っていて、キリッとした王子様だったはずである。こんなに普通の青年のように振る舞うような人間ではなかった。少なくともゲームの中では……
何が彼を変えたのだろうか。
(まぁ、こっちの方が絡みやすくていいけどね)
オスカーとギルバートは未だに睨み合っている。
「言っておくが、俺が即位をしたらお前は臣下になるんだからな!」
「でも、今は学友ですよね。そういう小さいことを言うから、姉が会おうとしないんじゃないですか?」
「ぐっ……」
「それに我がシルビィ家の協力なくしては国を動かすことは不可能だと思いますが、それでも俺を一臣下として格下に見ますか?」
「別に格下に見ているわけじゃない!」
「殿下のそういうところは信用してますし、嫌いじゃないですよ」
「なら!」
「ただ、姉に会わせるか会わせないかは別の話になってきます」
口ではギルバートの方に分があるようだった。権力や年齢のことを考えると、これでちょうどいいのかもしれない。
「だから、お前には頼んでないだろう! 俺はセシルに頼んでるんだ!」
オスカーはギルバートを刺していた視線を今度はセシリアに向ける。
「……やってくれるな?」
「ぜ、善処しますー」
この睨みを受けて、よく我が義弟はあんなに飄々としてられるものだと感心してしまうセシリアである。
「殿下、それは脅しって言うんですよー」
「知っている。ただ、俺たちはただの学友なのだろう? それならば立場は同等だ。脅される方が悪い。ギルバート、もしやそこでダブルスタンダードを使うわけではないだろう? お前たちは俺の学友だ」
自らの先ほどの発言をいいように使われ、ギルバートは臍をかんだような顔になる。
「……こういうときに頭が回る奴だからやっかいなんだよ」
そして、独りごちた。
「わかりました。ただ、今はセシルを解放してやってください。今脅しても姉に会えるわけじゃないでしょう? 俺はセシルに用事があってきたんです」
ギルバートはそう言ってセシルをオスカーのそばから引き離した。
「用事って、どうしたの? お昼ご飯?」
「それもあるけど、ちょっとリーンのことで進展があったみたいだから、伝えておこうと思って」
「え?」
ギルの囁くような声に身体が跳ねた。
「俺もたまたま中庭で見ただけだからさ。知らないようなら教えてあげたくて」
ギルバートはそう言いながら、口の端を引き上げた。
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