8
「セシル・アドミナ、話がある」
そう言ってオスカーが教室に乗り込んできたのは、リーンとの恋愛イベントが起こった翌日だった。
朝一番に教室に乗り込まれ、セシリアは固まってしまう。
クラスメイトたちは『学園の王子様』と『本物の王子様』とのツーショットに若干色めき立っていた。
リーンも頬を染めながら、驚きで目を見開いている。
「な、なんでしょうか?」
「教室では話しにくい。昼になったらここに来い」
オスカーは叩きつけるように机にメモを置く。その衝撃に身体が跳ねた。
「絶対に来い。逃げたら承知しないからな」
凍てついた目がセシリアを見下ろす。その視線に彼女は黙って首を縦に振るしかできなかった。
そして、昼休憩――。
メモに書いてあった場所は、学園の中にあるサロンだった。といっても誰しもが利用できるような場所ではなく、上位貴族と彼らに招待された者しか使えない特別なサロンだ。なので、興味津々なクラスメイトやリーンはその場にいることはかなわなかった。
上位の貴族同士の交流を目的としたサロンなので、部屋全体は広く、仕切りも少なかった。
オスカーは隅にあるソファーに腰掛けながら、セシリアにある物を見せてくる。
「どうしてお前がこのハンカチを持っている?」
「このハンカチ?」
セシリアが見下ろした先には、先日怪我をした子猫の足に巻き付けたハンカチがあった。
オスカーはそのハンカチの端を指しながら剣呑な声を響かせる。
「これは以前、俺がセシリアに貸してもらった物だ」
「え?」
「もう一度だけ聞く、どうしてこれをお前が持っている?」
彼が指しているのは刺繍の部分だ。歪でとても綺麗とは言いがたい、クローバーの刺繍である。
それは、彼女が幼い頃に初めて刺したものだった。
(これを私がオスカーに貸した……?)
必死に記憶をたぐり寄せる。
すると、ある少年の声と共に、幼い頃の記憶が脳裏によみがえってきた。
『でもまぁ、伸びしろがあると思えば、そんなに悪くない』
赤髪の生意気そうな少年が、先ほどまでのお腹が痛そうな顔を優しく崩して、年相応の笑みを浮かべている。
手には彼の頬を拭ったハンカチが握られていた。ハンカチの端には歪な四つ葉のクローバーが刺繍されている。
次の瞬間、お腹の大きな大臣が毬のように跳ねながら二人のいるところまで駆けてくる。
そして、信じられない台詞を口にしたのだ。
『オスカー様、こんなところに!』
(ぬかったぁー!!)
セシリアは頭を抱えた。
社交界でオスカーと会ったことは覚えていた。その後、泡を吹いて倒れたのも、前世の記憶を完全に思い出したのも覚えていた。
けれど、あのとき渡したハンカチがなんだったかまではきっちりと覚えていなかった。
それもそうだろう。なんせ十二年前の出来事だ。
(こ、こんなことで、バレそうになるとは……)
セシリアの背筋に冷たい物が伝った。
オスカーは黙ったままセシルを睨み付けている。
(気づいた!? セシル=セシリアだって、気づいた!?)
「えっと……」
「セシリアとお前はどういう関係だ?」
「か、関係ですか?」
その台詞を聞いてわずかに安堵する。どうやら彼の中で『セシル=セシリア』にはなっていないようだった。しかし、以降の答え方によってはその可能性が彼の中で持ち上がってくるのは確実だ。セシリアは慎重に言葉を選ぶ。
「セシリアとは友人で……」
「公爵令嬢と男爵子息が友人?」
痛いところを突かれて、言葉に詰まった。
公爵令嬢と男爵子息とでは、性別も貴族の格も違いすぎる。貴族の友人関係は、基本的に同程度の貴族同士でなされるものだからである。
それでも同性ならばあり得なくもないのだが、セシリアとセシルは貴族の格が違いすぎる上に異性だ。普通に考えるならば友人同士というのはあり得ない。それならばまだ身分違いの恋人の方が言い訳としてはわかりやすい。
まぁ、未来の国母が王太子とは別に恋人を作っているというのも、それはそれでゆゆしき事態なので、選べない選択肢ではあるのだが……
(というか、なんで私とオスカー、まだ婚約者同士なのよ! 病弱な国母なんていらないでしょうに!)
当然、国母には次代の国王を生むための健康な身体が求められる。だからセシリアは溺愛してくる両親に仮病を押し通し、必死で病弱設定を作りあげたのだが、それは未だに真価を発揮していなかった。
(まぁ、病弱設定のおかげで社交界に出なくてすんだし、今だって学園に通ってなくても不審がられないんだけどね……)
「本当に友人なのか?」
思考の海に沈んでいたセシリアを、オスカーの怪訝な声が現実に引き戻す。
セシリアは頬を引きつらせた。
「えぇっと……」
「殿下、正確に言えばセシルは俺と友人なのです」
その時、背後から聞き慣れた声が聞こえてきて、セシリアは振り返った。そこには見知った人影がある。
「ギル!」
「そうだよね、セシル?」
「あ、うん!」
ギルバートはセシリアの肩を掴むと、そっと自分の方に引き寄せた。
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