6
オスカー・アベル・プロスペレ。
彼はこの国の王太子であり、公爵令嬢セシリア・シルビィの婚約者だ。
深い紅色の髪に、ナイフのように鋭い目。顔の作りは端整だが、その分冷たい印象を受ける相貌。手足は長く、王族特有のオーラが彼の身を覆っていた。
(うわぁ。ヤバい場面に出くわしちゃった……)
セシリアは二人に見つからないように、更に身体を小さくさせた。
これはリーンとオスカーの最初の恋愛イベントだ。
神子候補という大変な運命を背負いこんでしまい、困惑するリーンと、王太子であるオスカーが中庭で出会うシーンである。
『苦しい役目を背負っているとは思うが、共に頑張っていこう。少なくとも俺は、セシリアより君の方が神子に向いていると思う。苦しい現実に背を向けることなく、悩み苦しむ君の姿はとても可憐だ』
オスカーは戸惑うリーンに、そんな励ましの言葉を贈る。
(オスカーは最初からリーンのことが大好きなのよね。それで、誰よりもセシリアのことが嫌い、と……)
意にそぐわぬ婚約者であり、自分とリーンの仲を邪魔する最大の敵であるセシリア。彼はセシリアの婚約者でありながら、誰よりも彼女のことを嫌悪しているのだ。
一方のセシリアはオスカーのことを慕っており、その嫉妬故にリーンを傷つけてしまう。それがオスカーの逆鱗に触れ、投獄され、処刑されてしまうのだ。
実は、この『リーンを傷つけ、投獄され、処刑される』という流れはオスカールートじゃなくても頻繁に出てくる。そのほとんどにおいて、セシリアを処刑台送りにするのはオスカーなのだ。
リーンが他の誰かとくっついても、彼はリーンのことを想い続ける。なんという純愛なのだろうか。しかし、それ故にセシリアはどのルートでもオスカーに嫌われ続けるのである。
(オスカーだけにはかかわらないようにしないと。特に、このイベントはヤバい……)
この恋愛イベントには続きがある。なんと、途中でセシリアが乱入してくるのだ。
いい雰囲気になった二人の前に、セシリアは突如現れる。そして、いきなりリーンの頬を叩くのだ。
『人の婚約者になに色目を使ってるのよ、この女狐め!』
オスカーは怒るセシリアを諫め『君には心底失望した』とリーンの肩を持ち、その場を立ち去るのである。セシリアはこの出来事を期に、さらにリーンを敵視するのである。
この時の話は後々にも何回か出てきて、セシリアにあらぬ疑いた向いたとき『ああいうことをする女だから、犯人に違いない』とやってもいないことの犯人にされるのである。
(よし! 逃げよう!)
このままここにいて、何かの拍子にこのイベントを邪魔してしまったら、せっかく男装までしたのにセシルはゲームの中のセシリアと同じ道を辿ってしまうかもしれない。
セシリアは身体を低くさせたままそっと立ち上がった。
しかし、次の瞬間、腕の中にいた猫が飛びあがる。
「ぎゃっ!」
子猫はセシリアの頭を踏み台にし、あろうことかリーンとオスカーの元へジャンプした。
セシリアはその反動で後ろに倒れこんでしまう。
「なっ!」
「きゃぁ!」
生垣を支えにしてブリッジをするような形になったセシリアは、ひっくり返った視線で、おののく二人を見つめる。
(や、やってしまった……)
子猫はリーンの腕に収まっており、「にゃぁ」とご機嫌に一鳴きした。
「……聞き耳でも立てていたのか?」
冷たい目でオスカーに見下され、全身が震える。きっとリーンとの逢瀬を訳の分からない男に邪魔されて気分を害しているのだろう。
そう、この時点でオスカーのリーンへの好感度は、八割方埋まってるのだ。
そんなに好きなら宝具渡してくれよ!
とは思わないでもないが、その辺はゲームの仕様だろう。仕方がない。
「あはは……ちょっとそこの木のかげで転寝してまして……」
「……ほぉ……」
苦し紛れの言い訳に、オスカーは目を眇める。
当然ながら信じてもらえてない。やばい。
「セシル様、大丈夫ですか?」
天使の笑みを浮かべながら助け起こしてくれたのはリーンだった。
いつもなら絶対に関わりたくないと思うのだが、絶対零度の息しか吐かない北風が傍にいるので、彼女の微笑みが温かい太陽のように思えてしまう。
「ありがとう」
「いつもかっこいいセシル様でも、こんな失敗をなさるのですね。なんだか親近感を覚えてしまいます」
「そ、そうかな?」
「…………」
(北風が! 北風からの視線が辛い!!)
オスカーは穴が開くのかというぐらいに、じっとセシリアを見つめていた。その視線は睨んでいるというよりは、観察してるという風に見える。
優しくはないが、眉間に皴を寄せているわけでもない。
(な、なに!? 『俺のリーンに近づく奴はどんな奴だ!?』ってこと? 近づきませんから! もう退散しますから!!)
「あのー。俺、帰りますね。お邪魔して、すみ……」
「もしよかったら、セシル様もご一緒に話していかれませんか? 実は私、かねてよりセシル様のことをもっと知りたいと思っておりまして。オスカー様もよろしいでしょう?」
「……そうだな」
(全然よろしくなさそうな返事!!)
「そ、それはまたの機会に致しましょう! ではっ!!」
北風の視線から逃げるように、セシリアはその場をあとにした。
セシリアが去って行ったあと、残された二人は互いに顔を見合わせた。
「行ってしまわれましたね。もう少し話してみたかったですのに……」
「そうだな。それにしても、あの顔、どこかで……」
オスカーは顎を撫でながら何かを考えているようだった。
その時、リーンの腕の中にいた子猫が「にゃぁ」と可愛らしく鳴く。そして、彼女の腕から飛び降りた。その瞬間、足に巻き付いていたハンカチが外れ、ひらりと宙に舞う。
「この猫、先ほどセシルさんが連れていた猫ですわよね。あれ? なんだか怪我をして……」
「ハンカチで手当てをしていたんだな。このままでは取れてしまうから、ちゃんと包帯を巻くなり、消毒をするなりした方がいいだろう。……って、このハンカチ」
オスカーは猫の足についていたハンカチを拾い上げると、顔をしかめた。そのハンカチに見覚えがあったのだ。
「アイツは、一体……」
オスカーは苦々しい顔で、セシリアが去っていった方向をじっと睨みつけた。
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