戦争と最高の目覚め ~KAC7参加作~
澤松那函(なはこ)
戦争と最高の目覚め
ようやく空爆が止んで、深更の空に半分に割れた月が輝く頃、油の匂いが充満した戦車の社内で青年クライドは、しけもくを吹かしながら言った。
「なぁエヴァンス。俺たちにとって最高の目覚めってなんだと思う?」
ここ数年で髭面に白髪が混じり始めたエヴァンスは干し肉を齧りながら答えた。
「知らんねぇ。お前さんはどうなんだい?」
「俺か……なんだろうな。例えばいい女と寝た翌朝とか?」
「それはいい目覚めなのかい?」
「そりゃあそうじゃないか? いい女なんだぜ?」
エヴァンスは、干し肉をくちゃくちゃと噛みながら首を振った。
「しかしなぁ。女というのは面倒だ。後々もいい思い出で居られるとは限らんのじゃないかい?」
「でもその前の晩は、楽しんでるんだぜ?」
「それにしたってだよ。件の女との関係がこじれた時に、そいつと初めて迎えた朝を疎ましくは思わんかね?」
クライドは、しけもくをくわえたまま暫し思案した。
「……思うかも」
結論を口に出すと、エヴァンスはそれ見た事かと、破顔する、
「だろう? 最高の目覚めっていうのはさ。何があっても常に色褪せず、どんな時に思い返しても。あの時の目覚めは最高だって思えるもんなんじゃないかい?」
「ふむ……」
「となるとだよ。女との思い出ってのはこじれたらきっと後悔するのさ。あいつと朝なんて迎えなければよかったってな」
「なるほど……でもさエヴァンス。じゃああんたが考える最高の朝のはなんだい?」
「そうさねぇ。あまり考えた事がないからね」
「じゃあ今まで過ごした中で最高だった朝は?」
「最高だった朝か……女房との初夜かな」
クライドの唇から、しけもくがポロリと落ちた。
「おい。言ってる事がさっきと矛盾してるぜ!」
「俺の女房は出来た奴なんだ。あんな女、多分俺の人生じゃ、二人と出会えない」
「だったら俺のいい女の話だってさ――」
「俺の場合はそうだが、お前の場合もそうとは限らんしなぁ。それにお前さんにとっての最高の朝は多分決まってるよ」
クライドの頬が好奇心に炙られ、桃色に染まった。
「本当か? どんな朝だっていうんだよ?」
「明日になれば、分かるさ。どの道、今日が最後の夜である事に違いはない」
「明日か。本当に分かるの?」
「多分な。とりあえず見張りは俺がやっとくからお前は仮眠しろ」
「いいのか?」
「ああ、朝になったら起こしてやる。きっと最高の目覚めになるさ」
エヴァンスは、クライドに嘘をついたりはしない。
親子よりも歳の離れた彼は、対等な友人として接しつつも、やはり年長者らしい気遣いをしてくれる。
だからクライドは、幼子のように素直に眠りについた。
きっとエヴァンスの言う事が本当だから。
翌朝――。
クライドが目覚めるや、エヴァンスが言った。
「外に出てみろ」
「え。でも危ないんじゃ」
「大丈夫だよ。ほれ」
エヴァンは、先にハッチから外に出てしまった。
無防備に姿を晒せば、敵側に狙撃されるというのに。
しかし好奇心に抗えず、クライドも戦車の外に出た。
見渡す限り広がる廃墟の中を朝日の白い光が照らしている。
砲撃の音で目を覚まし、爆撃が止むと眠りにつく。
そんな人生を過ごしてきたクライドが生まれてから初めて経験する静寂であった。
「音がしない……銃声も砲撃も空爆も。何の音もしない。エヴァンスこれは何?」
「そうか。お前さんは知らんのか。まぁ二十歳だものな」
「エヴァンス、あんたは知ってるのか?」
「ああ。これが戦争ではない、日常の朝だよ」
「戦争じゃない朝?」
「そう。戦争はもう終わったんだ」
「そうかこれが戦争じゃない世界なんだ」
二十四年間続いた東西戦争の終結。
初めて体験した静かすぎる非日常の朝は、エヴァンスにとって祝福のように感じられた。
戦争と最高の目覚め ~KAC7参加作~ 澤松那函(なはこ) @nahakotaro
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