紙とペンとワイシャツとわたし
最上へきさ
わたしの彼はアナログ派
わたしの好きな人は、アナログ派だ。
時計は電波式より機械式だし、本は電子より紙派。
パソコンより、紙とペン。
「おやおや、今日も今日とて執筆作業とは、精が出るねぇ南禅寺くん」
「…………」
夕暮れ、放課後。
文芸部の部室に入ってきたわたしには目もくれず。
彼はひたすら、ペンをコリコリと原稿用紙に走らせていた。
「今回はどんなお話なんだい? わたしは前回の作品、好きだったなぁ。特にあそこが良かった。難聴鈍感系の主人公に、ヒロインが裸で迫るシーン。読者サービスと切なさが見事に融合していて、いわゆる『エモエモのエモ』というやつだったね」
「…………」
ペンをコリコリ。
紙と向き合う彼の横顔を、わたしはじーっと見つめる。
「なぁ、ところで南禅寺くん。この後の予定なんだが」
「…………」
コリコリ。
「せっかくの金曜日だ。わたしとしてはね、何か美味しいものでも食べに行きたいなと」
「…………」
…………
気持ちいいほどの沈黙。
ここまでスルーされると、いくら恋する乙女のわたしでも、ちょっと意地悪したくなるぞ。
「な~んぜんじく~んっ」
「――うわっ!!」
軽くほっぺをつん☆ したつもりが、予想以上のオーバーリアクション。
取り落としたペンが彼のワイシャツに黒いシミを描く。
「ちょ、も、なにするんですか叶恵先輩! てか、いつ入ってきたんですか!?」
「大袈裟だなあ南禅寺くんは。それより君、ワイシャツ脱いだほうがいいぞ。インクが落ちなくなってしまう」
シャツのお腹の辺りについた黒い模様が、じわじわと広がっていく。
「あーあ、うわ、これちょっと、もう! ホント勘弁してくださいよ」
「そういうのは濡らした布でトントンするのがいいんだよ。ホラ、貸しなさい」
わたしはシャツのボタンに手をかける。
ぷつん、と一つ外すと、
「んな――ちょっと叶恵先輩っ! 何してるんですか!」
「何って、早く脱いでトントンしないと」
「いいですから! 自分で出来ますから! もう!」
顔を真赤にして、彼が叫ぶ。
その瞬間――わたしの中の何かに、火がついた。
「おやおやおやおや、なんだどうしたんだ南禅寺くん! え? 君、どうしたんだね? んん? まさか恥ずかしいのかい? 二人っきりの部室でわたしにワイシャツを脱がされるというシチュエーションが! 君! まさか! 興奮しているというのかい! ええ!?」
「だー! なんなんですか先輩! というか先輩こそ、遠慮というか恥じらいというか――持ってください! 繊細なオトメゴコロ系のヤツを!」
失礼なやつ。
わたし以上に健気で繊細で情熱的な乙女など、そうそういないぞ!
「そんなこと言っている間に見ろ! わたしは既に二つ目のボタンを外したぞ! ほーら見たまえ、君の浮き上がった鎖骨のカーブを! え!? ドキドキするじゃないか!」
「知りませんよ先輩の性癖なんて!」
彼はわめきながら、わたしの手を掴む。
しかし甘い。
合気道で鍛えたわたしにとってみれば、彼の細腕など枯れ枝も同然!
「んっふふふふ、ほーら、三つ、四つ、どうだ気持ちよくなってきただろう! 君ほんと細いな! アバラ浮いてるぞ!」
「ちょ、もう、怒りますよ先輩っ!」
ばさりと面前に投げつけられたのは、書きかけの原稿用紙。
流石のわたしも、払いのけるのは躊躇した。
何しろ彼の尊いイマジネーションの産物だ。
「ちょっと君! 自分の原稿は大切にしたまえよ!」
「貞操の方を大事にしますよ流石に!」
涙目の彼。ヤバイちょっと興奮する。
……いや、待て、待つんだわたし。
大きく息を吸って――いつも通りのクールでミステリアスで知的な先輩の仮面をかぶりなおす。
「やれやれ、まったく慌てん坊だなあ南禅寺くんは。軽いアメリカンジョークじゃないか」
「これ男女逆だったら普通にマジで犯罪ですからね。むしろ今はこれでもセクハラですからね! ……クソ、やっぱダメだな、このシチュは修正だな……」
はっはっは。
わたしは軽快に笑いながら、彼の原稿用紙を拾い上げる――
と。
「ん。これは――」
「あ、待って、それは書き直そうと――」
四百字詰め原稿用紙に、癖のある字で描かれていたのは。
「強引な姉系の先輩にシャツを脱がされ、迫られる弟系の後輩、だと……」
まさに今わたし達が繰り広げていたような――いや。
むしろ、もっともっと、スイートでラブでエロチックな……
「書き直そうと思ったんですよ。これ、なんか甘い感じになってますけど、今、実際に体験したら結構フツーに怖かったんで――」
「き、ききききき、君、南禅寺くん! こ、これ、これは――これは!」
――恥ずかしい。
なんだかすごく――恥ずかしい!
「バカ! 変態スケベ! 見損なったぞ南禅寺くん! 君は、君というオトコは、こんなラブ&バイオレンスなシチュエーションを望んでいたのか!」
「いやあの、ていうかやめてもらっていいですか? 創作物と作者を同一視するとか、そういう鑑賞態度は僕あんまり好きじゃないんで」
「うるさいうるさいこの小理屈小動物小柄後輩野郎! 君なんて、君なんて――」
わたしは手にした原稿用紙を、彼に投げつけて。
「クールでミステリアスで知的な先輩に密室で迫られてメロメロになってしまえばいいんだーっ!!」
叫びながら、部室を飛び出した。
「いや、あの、それ、今まさに体験したばっかりなんですけど――」
ぼそっとした彼のつぶやきは、自分の声に紛れてよく聞こえなかったけれど。
紙とペンとワイシャツとわたし 最上へきさ @straysheep7
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