紙とペンと恋

石上あさ

第1話

 文芸部員というのは暇なものだ。

 一応の建前として毎日部活があることにはなっているものの、実際に腰を据えて活動するのは四月の入学式と十月の文化祭のときに発行される部誌の準備をするときくらいだ。

 裏を返せば、それ以外の時間は何をしてもいいし、何をしなくてもいい。そういうわけでいつもゲームなり将棋なりをして遊んでいるのだが、今し方その相手が帰ってしまった。

(あと、残ったのは――)

 僕は首をひねり、窓辺で凜と背筋を伸ばして文庫本を読んでいる松下さんを眺める。

 松下さんは無愛想というわけではないし、みんながいるときはそれなりに話もするけれど、他の部員が帰ったあとはいつもああして本を読んでいる。

「『暇だー』って顔してるね」

 あんまり不躾に見つめてしまったのか、松下さんがこちらを振り返る。

「ああ、いや、ごめん。邪魔しちゃった?」

 慌てて目をそらすと。

「ううん、本なんていつでも読めるし」

 松下さんは柔らかく微笑んで本を閉じる。どこでも読めるというのなら、どうしてここにいつも遅く残っているのだろう。まさか僕と同じ理由で……?いや、そんなはずはない。大方この部室を気に入っているとか、そういうことだろう。教室と自宅の他に心を寛がせられる居場所があるというのは気分のいいものだから。

「そう?なら、よかった」

 どうにかそう返すと、松下さんは「ふんわり」と形容したい所作で立ち上がり、あろうことか机を挟んだ僕の向かいに座った。そして、

「せっかくだから、なにかして遊ぼうか」

 そういって机の引き出しを開け始めた。僕は内心どぎまぎしながらも、うわべだけはできるだけ冷静を装う。

「色々あるよ。トランプに、将棋に、オセロとか」

「うーん……将棋はできないんだけど……」

 そう言いながら引き出しの中を探し回っていた松下さんが、机の上のあるものを見て手を止めた。

「そうだ。絵しりとりしない?」

「あ、いいね。それ」

 絵しりとりといえば、言わずとしれた定番の暇つぶし。学生ならば必ず誰もが持ち合わせている紙とペンだけでいつでもどこでも簡単に退屈をしのぐことができる。

「じゃあ、竹野くんからでいいよ」

 ペンと紙を渡され、迷わずにリンゴを描く。誰にでも描ける、なんの変哲もないかわりにこの上なく分かりやすいリンゴ。

「まずは無難に、これで」

「ふんふん。なるほど」

 頷きながら、しかし松下さんは難問にぶちあたったような顔をする。

 妙な話だ。『ご』で始まる言葉なんて簡単に思いつく。ゴリラでもゴジラでも悟空でもゴミでもいい。あるいは絵を描くのが苦手だったとしても、適当に小さな点を打ってゴマと言いはる常套手段もあるはずなのに。

「ちょーっと、わかりにくい、かも……?」

 でも、竹野くんなら分かるはず。戻ってきた紙には、リンゴの隣にコミカルに目つきが悪いオジサンが描かれていた。

「これは……ヤクザ?」

「近い。でも『ご』で始まるんだよ?」

 そう言われてうんうん頭を捻る。

「いきなり降参?」

「まさか、仮にも文芸部員なんだからこれくらい答えてみせるよ」

 文章を書く人間は語彙力があってなんぼのもの。とはいえ、僕は別段そこまで熱心に活動しているわけでもないのだけれど。

 ただ、このなんとなく手探りをしあっているようなお喋りも楽しい。へ~松下さんってこんな絵を描くんだなとしみじみ眺めているのも楽しい。なんとなく、見かけ以上にポップな絵柄のイラストなのが可愛らしい。

 そうして絵とにらめっこしているうちに閃いた。

(そうか、『ゴロツキ』だ)

 これなら絵ともリンゴとも矛盾なく繋げられる。それにしても松下さんは初手からずいぶんと凝ったものを書いたものだ。それに対抗心を燃やして、僕もすぐさま描き終える。

「はい」

「なーるほど。そうきたか」

 絵を見るなり松下さんが感心したようにうなる。

「定番ってやつだね」

 描いたのは『キツツキ』だった。変に凝り性な人間がよくやる、同じ文字による連続攻撃の次に使われる手法、頭尻あわせである。

「はい、終わったよ――」

「お、今回は早い」

 今回のは、受け取った瞬間に分かった。割れた卵の殻と、その間に目玉焼きのようなものがある。『黄身』だろう。僕は『耳』を描いて渡す。

「おお?ということは、そういう方向でいくんだね」

「いつまでもつか分からないけど」

「何描いてるか分かりやすいからありがたいよ」

 そうして松下さんはまた悩み始める。このあたりで僕は違和感に気づく。

 選択肢が豊富な『ご』ではあんなに悩んだのに、『き』ではどういうわけかすんなりすませた。かと思うとまた『み』でさんざん悩む。一体なにを考えているんだろう。

「えーっと……あれってどんな感じだったけなあ」

 『ミミズ』ならばごく簡単に描けるし、ミミズがどうしても嫌いなら『ミミズク』でもいい。そんなに描くのが難しいものにどうして挑戦するのだろう。僕の知らない、凝ったところがあるのかもしれない。

「ま、いっか。でも、ちょっとこれは分かりにくいかも?」

 そういって彼女が紙をよこしてくる。そこに映っていたもの、それは――

「これ、は……」

 それは、どうみても『タケノコ』だった。でも変だ。さっき描いたのは『耳』。誰がどう考えたって『み』から始まらなきゃいけない。

「やっぱ難しかったかなあ」

 松下さんは申し訳なさそうに苦笑いしてる。

「タケノコって地域ごとに特別な呼び方あるっけ」

「うーん、タケノコ、じゃない」

「ええ?タケノコじゃないの?」

「でも、食べ物ではあるよ」

「…………?」

 ますます頭がこんがらかる。もう少しヒントを引き出したりなんなりしてみたい気もするが、あんまりしつこいとも思われたくないので、仕方なく『タケノコ』ということにして切り上げる。

「わ、可愛い。でも、やっぱりあれは分かんなかったか」

「ごめん、後で答え合わせもしよう」

「うん、そだね」

 僕が描いたのは『子猫』だった。

「竹野くんって意外とこういう絵が得意なんだね」

「家で猫飼ってるからよく見てるんだ。だから小さい頃から猫の絵だけは褒められてた」

「へえ、名前はなに?」

「ポチ」

 松下さんが目を丸くする。

「猫なのに?」

「姉ちゃんがふざけてつけたんだ。気の毒でしょ?」

 僕が笑うと、松下さんも笑いながら、

「ついお手させたくなっちゃう名前」

 そう言いながらすらすら描いていく。今回も比較的迷いがない。

「はい」

「どうも」

 帰ってきたのは……方位磁針?ああ、『コンパス』か。それなら僕のは簡単だ。煙突を描いて、煙をのぼらせて、煙突の中めがけて矢印を引く。『スス』である。

「はい」

「どうも」

 そうして松下さんは、また迷いなく描き始める。僕の縛りは知っているから、コンパスを描き始めた時点から察してはいたのだろう。

「でも、いいなあ、猫。私、動物飼ったことないんだよね」

「猫はいいよ。散歩とかにもいかなくていいし。……結構いろんなもの引っかかれるけど」

「お客さんとかも引っかく?」

「それは大丈夫だよ。そこはちゃんと躾けてあるから」

「ふーん、じゃあ今度遊びに行ってみようかな」

 そういうと、松下さんはちらっと顔をあげて一瞬だけ僕を見た。上目遣いの、イタズラっぽい目つきで。

「――別に、構わないけど……」

 たまらずドキッとしてしまったが、どういう意図があるのかは分からない。純粋に言葉通り猫が好きなのか、僕をからかって遊んでいるのか。

 動揺を気取られたくなくて、顔を逸らす。けど、彼女の真意も確かめたくてつい横目に盗み見る。横を向いて絵を描いているから髪のせいで顔が見えないけれど、心なしか耳がさっきより赤い……ような気がする、かもしれない。いや、気のせいかな。どうなんだろう。

 そんなことに気を取られている間に、松下さんは描き終わったらしく、紙をこちらに差し出してくる。

「じゃじゃん」

 ホットプレートの中に黒い液体、それから、肉のようなものが浮いている。『スキヤキ』とみてよさそうだ。となると、また『キ』から始まる。かといって『キツツキ』はもう使ったから――

 さらさらっと『霧吹き』を描き上げて松下さんに返す。

 が、松下さんは紙には目をくれずにどうしたことか、僕の方を見ていた。

「ね。そろそろ答え合わせしない?」

「え?……ああ、いいけど」

 突然のことに面食らったが、別に断る理由もない。僕はすかさず「『タケノコ』のような何か」を指さした。

「ここ。これが分かんなくてさ」

「だよね、これどう見てもタケノコに見えちゃうよね」

「なんだったの?」

「ミョウガ」

「あー!なるほど」

 ようやく合点がいった。

「言われてみると見えなくもないでしょ?」

「うん、もうミョウガにしか見えない」

 それから二人でひとつひとつ指さしながら、最初から絵の答え合わせをしていく。

「で、これはゴロツキ、黄身……」

「コンパス、すきやき……」

「そうそう。ここだけだったね」

 そういう松下さんに、しかし僕は、

「でも、もう一個分かんないことがあってさ」

「…………」

 絵しりとり開始から、ずっと気になっていたことを聞いてみる。

「実は松下さんも、なんか縛りがあるんじゃないの?」

「――!」

 松下さんが、好きな人を言い当てられたみたいに、急に顔を赤くする。

「ふ、ふ~ん。ようやく気づいてくれたか」

「そりゃあんな変な悩み方したら気づくよ。どんな縛り?」

「それは……ほら、自分で考えなきゃ」

 さっきまでの僕みたいに、いや、僕よりもどぎまぎしている。

「それってミョウガの絵よりも難しい?」

 僕がからかってみると、

「もう!」

 と松下さんは何かをはたく真似をして

「竹野くんの勘の冴え方次第じゃない?」

 と、疑問形で答えたのだった。

「ん~なんかの共通点かなあ……」

 もう一度、最初から確かめなおす。ゴロツキ、黄身、ミョウガ、コンパス、スキヤキ……。僕は頭と尻が合うように言葉を選んだけれど、どうやら彼女はそういうわけでもないみたいだし――

(――ん?ちょっと待てよ)

 彼女が並べたものの最後の一文字に注目していく。

(これって、まさか――)

 彼女がどこでも読める本を、わざわざいつも遅くまで残って部室で読んでいた理由。

 猫を見にうちに来たいと言ったこと。

 一文字ずつ拾いながら、それらのことが頭をよぎっていく。

 そうして、順番通り並べたすえにできあがるのは、

 ――『き・み・が・す・き』

「――!」

 僕ははっとした。紙から顔を上げて、松下さんを見つめる。

 松下さんは何も話さず、ただただ照れくさそうに俯いてもじもじしている。

 それを見てすべてを確信した僕は、ペンを握りしめると先ほど描いた『霧吹き』をぐちゃぐちゃに塗りつぶす。その僕のペン先を、松下さんがじっと見つめる。

 そうして、彼女が描いた『スキヤキ』から新しく線を引っ張って、そこに絵ではなく、たった三つの文字を書いた。

 ――『おれも』

 そして。

 もう一度顔を上げて松下さんの答えを確かめようとしたとき。

 柔らかいものが僕の唇をふさいだ。

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