紙とペンと美人

水木レナ

ティルトの美人画

「あにやってんだ、おらっ。クソ弟子、描けたかっ」


 外から師匠の呼ばわる声がする。


「あ、師匠!」


 ティルトは床に散らばっていた紙類を集めると、師の方へと駆け寄った。


 ずいぶん懐いているが、イラーザ師はティルトをこの荒野の小屋に閉じこめた張本人だ。


『すばらしい!』


 ティルトは画家である師にそう認められたかった。


 しかし……。


「だれが女のバストアップを描けと!?」


「え? だって魔法陣と魔法生物の絵は、もう出版社に送りましたよ?」


「オレが確認とってサインしてねーだろが!!」


 この、つねに語尾に「っ」とか「!」とかがついているような師匠は、ティルトの挿絵のバイト料で酒をかっくらう。


 むしろ、それが目的で彼を郷里からひきとったようなものである。


「いいか!? おまえを喰わせるためにオレがどれだけのもんを犠牲にしたと思ってるんだっ。わかったら、返事!」


「は、はいぃ!!!」


「飯は食うなよ。反省しろ!」


「はい……師匠」


 師匠は、しかめっ面でティルトの絵をにらんだ。


(うますぎる……)


「しかしなんでおまえはおんなじ顔ばかり描く?」


「え……それは、その顔がこの世で一番美しいからです」


「てめえがこの世で一番とか、価値決めすんなっ」


「はうっ。で、でも……」


「オレの言うことは絶対だ! ……おめえにはもっと修行させてやる」


「あっ、は、はい! ありがとうございますっ」


「んむ!」


 師匠はログハウスのドアを音立てて出ていった。





「師匠! すごいですね! 人がいっぱいだあ! ここで修行するんですか?」


「うむ!」


 そういうと、師匠はカバンの中身を噴水の前に置き、こじゃれたイスをティルトに持ってこさせると、自分は噴水の縁に腰かけた。


「!」


 ティルトがピンときて、画板に紙を張りつける。


「なんだそれは」


 鼻白んだような師匠の声。


「あ……『似顔絵描きます』って宣伝した方が、人が来やすいと思って……」


 思いつかなかった。


 なにしろ、この偏屈画家は己のPRが苦手だ。


 しっし! と片手をふる。


「あ……余計でしたか?」


「今のは『それでいい』という意味だ」


「あ、はい!」


 わからなかった。


 この師弟の間には、まだ信頼とか阿吽の呼吸とかいうものは存在しなかった。


 いつもティルトが先走って、それを制する形で確認が行われる。


 まあ、若干十四歳の少年が、やたら気をきかせないと、この師匠からはなんの指示もでないのだ。しかたがない。


「こないな……お客さん」


「暇なら暇で、やれることをやれ!」


「あ、はい!」


 ティルトはまた美人画を描き始めた。


 描けたそれを画板に貼っておくと、ぼちぼち人が来始めた。


「一枚お願いしようかしら」


 多少自意識の高そうなおねえさんが声をかけてくれた。


「銅貨十五枚」


「あら、お高いのね。人と約束があるから、じゃあいいわ」


「ビール五杯分でなに言ってる」


「師匠、聞こえますっ」


 おねえさんはツンとして去っていく。


 ティルトはそれを追いかけた。


「あ、おい! そんな恥知らずな真似をするなっ」


 師匠は去る者追わず、と憮然としている。


「僕が描きますっ! 描かせてください! まだ半人前なんで、お代はいいです!」


「無駄なことを……」


 気分を良くしてイスに腰かけるおねえさんの見えにくいところで師匠がつぶやく。


 ティルトが肘でその背をこづく。


「小遣い稼ぎより、修行しゅぎょう!」


「チッ」





 粗削りなタッチで、似顔絵は仕上がった。


「あらぁ、こんなふうなの……? 私って」


「すみません。僕まだ人をモデルに描いたことがなくって」


「タダでもいらないわ、こんなの」


 ツンとしておねえさんは立ち上がろうとする。


「わたしが、描きますよ」


 師匠が言った。


 おねえさんは、画板にかかっている美人画を見て、


「そ、そうね……やっぱり、ベテランに描いてもらった方が幾分いいわ」


 そんなこんなで、銅貨をせしめた。


「うまくやったな。ほめてやる!」


 夕方、酒場でレモンの入ったアルコールをなめながら師匠が言った。


「師匠の言うことおっかしいなぁ。僕、せいいっぱい描きましたよ?」


 師匠がおもしろくもなさそうに、


「なにが、モデルを使ったことがないだ。すっとぼけやがって」


 師匠は、ティルトがわざと師匠にお客を融通したと思っている。


「え? 本当ですよ。僕、他人様の顔なんて描きません」


「じゃあ、あの女の絵はどうやって描いたんだ?」


「ああ……故郷の母です。思い出しちゃって」


 言い切った少年に、師匠は黙ってさかずきを押しやった。


「飲め! 今日は祝いだ」


「師匠、なんの祝いです?」


「おめえの卒業いわいだ。オレにはもう、教えることはねえ!」


「ええっ、い、いやですよ! 一人にしないで、師匠――!?」


「おめえはこの先、あの絵以上のものは描けねえ。だから、ようするに、なんだ! ……破門だっ」


「っえ――!?!」





 あれから何年経ったか――ティルトのもとに、師匠の訃報が入った。


『おめえにオレの名をくれてやる。いいか、うまいことやれや、ヘボ詩人』


 とだけ、遺言があった。


 イラーザの名を継いだ宮廷詩人は、一瞬眉をしかめて、空を仰いだ――。


 今だけは、まつわりついてくる婦人の手を振り払う気はしなかった。


 巻物を最後までほどくと、中に使いこまれたペン軸と、師匠の名で売れた美人画――ティルトの手によるもの――が一枚だけ入っている。


「師匠……いい人生だったんですね」


 今の彼には泣こうと思っても泣く涙が出ない。


 どこまでも突き抜けて青い空をにらむと、『イラーザ』はくるりと背を向け、神殿へ入り、師匠のペン軸と、それからイラーザのサインの入った美人画を祭壇に捧げた。






 了





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