紙とペンと君 ~君の頭上にさくら舞う~

ケンジロウ3代目

短編小説 君の頭上にさくら舞う


君にはその姿がとても似合う

その真剣なまなざし

ゆったりタッチの筆遣い


でもね


僕が君を好きな理由


それは




――― 君の世界が好きだから





♢ ♢ ♢ ♢ ♢


「おはよう。」


「み、みきくん。おはよう。」


部屋に陽が丁度差してきたこの朝

寝室から出てきたのは、僕の妻・小春


「ささ、ご飯出来てるから。」


「う、うん・・・」


小春は遅い速度で食卓へ

今日の朝ご飯は、小春の好きなロコモコ丼

ハンバーグの甘い香りが優しく漂う、今の僕の自信作


「い、いただきます・・・」


小春は目の前のスプーンを取ろうとする

でも、僕は


「今そっち行くからね。」


そう言って席を立ち、小春の後ろに回り込み

小春が持とうとするスプーンを持って


「最初はどれから食べる?」


「えと、じゃ、じゃあハンバーグで・・・」


「了解ね。」


小春の分のハンバーグをスプーンですくい

それを小春の口に持っていく


「」パクッ


「・・・どう?」


「お、おいしい・・・」


「ありがと。次はどれにする?」






小春の右手は、もう動かない

とある事故が小春の右腕を襲い

その後遺症として、医者曰く回復は絶望的だそう

さらに小春の右手とは


大事な大事な利き腕なのだ




あの事故から一週間が経つが

今日も小春の表情は暗いまま

何とか元気づけてあげたくて

小春の好きなもの、好きな場所

この期間で色々な事をしてきたつもり



どうしたら、小春は



――― 笑ってくれるだろうか







そして時は流れ


「おはよう小春、もうご飯出来てるから。」


「うん、ありがと・・・」


未だに小春は笑ってくれない


「きょ、今日はキノコのポタージュだよ。好物でしょ?」


「・・・」




やっぱり小春は、笑ってくれない



正直僕にも堪えるものが出てくる頃だ

いよいよ万策が尽きようとしているから

僕は小春が喜びそうなのは結構やってきたつもりだ

小春の好きなもの、好きな場所


・・・いや、待てよ?



小春の、好きなことは ―――





「・・・絵、描いてみない?」


「え・・・絵を?」


「あぁ、小春は絵描くの好きだったろ?」


僕は居間の引き出しから筆とキャンバス用紙を取り出す

これは前まで使っていた、小春の私物


僕はキャンバスをイーゼルに置いて

小春をキャンバス前の椅子に座らせて

インクと筆を、小春の前に


「で、でも・・・」


「大丈夫。僕も手伝ってあげるから。」



小春は震える左手に筆を執り

真っ白なキャンバスに色を加えていく



「・・・」



・・・しかし、小春の筆どりはぎこちなく

タッチもかつてより雑に感じる

やっぱり利き手じゃない影響だろうか



「ッ・・・!」



僕は小春の横で、やり場のない怒りを覚える

あの事故は故意ではないのは分かっている


けど・・・だけどッ・・・!



「何でッ・・・何でッ・・・!!」




――― 俺じゃなかったんだよッ!?




「ッ!?」


小春は僕のつぶやきに反応した

僕もそれに気づき、小春の方を見る


「こ、小春ッ?今のはそのッ・・・」


小春の表情は、今ので少しずつ暗くなり

重くなった空気のせいか、小春は持つ筆をその場に落とした

まるで急に筆が重くなったかのように


「こは、る・・・!?」


そして小春は、ついに涙を流すのだ


「・・・やっぱり描けないや。左手じゃ上手く握れない。」


「そ、そんなッ!?ぼ、僕が支えてるからッ!だからさッ、また絵を ―――


僕は小春の左に落ちた筆を拾い上げて


「ほら握って!また絵を描こうよ!?」


小春の左手の中に、桃色インクの筆を

僕は必死で

ただ小春に筆を持ってもらうだけなのに

僕も泣いて

このままじゃ小春が二度と返ってこない気がしたから


だけど



「・・・ありがとう。けどごめん・・・」



小春の左手は、力を失って下へと垂れた

僕が拾った桃色インクの筆が、真下の地面に桃色をこぼす




そして僕も、何かが落ちた気がした




「限界だッ・・・!」


「えッ・・・!?」




僕も、もう限界だッ・・・!




「ふざけんなよッ!!一体どうしたら!どうしたら顔を上げてくれるんだよッ!?」


「み、みきくん・・・!?」


「何をしたらいいんだよッ!?何をしたら戻ってきてくれるんだよ!?」



10畳ほどのこの居間に、僕の怒声が何度も反響する



僕はただ感情を、目の前の小春に吐き続けた

この2週間ほど、ずっと端に溜まった負の感情

そして、どうしたらいいのか分からずに



大事な小春に、怒鳴ってしまった





「・・・あッ、ごめんッ!これはそのッ・・・」


僕も正気に戻り、そして今までの言葉を反省する

しかし、こちらも手遅れだった



「ッ・・・!!」



無表情の小春の眼には静かに、しかし止まらない大粒の涙が



「こ、小春ッ!?違うんだ!これはッ ―――


「ッ!! ―――


「ちょ、こはッ―――



バタンッ!!





小春は、自分の部屋に身を閉ざした






言うべきではなかった

多分さっきのあれは僕の本心

元の小春に戻ってほしい、元気な笑顔を見せてほしい

それは本当だ

しかし、違う言い方が絶対にあったはずだ

小春を光へ導く、他の方法が・・・



「ハァ・・・くそッ、バカか僕はッ」




桃色インクは、イーゼルの真下で無惨に散る


キャンバスにも桃色が一つ





「・・・これって ―――




♢ ♢ ♢ ♢ ♢ 


僕が高校生の時



「ぼ、僕と付き合ってくださいッ!」



桜の木の下で筆をなぞる、一人の少女の前で

僕は、勇気を出して告白した


その少女、いきなりのことで困惑顔

その困惑顔から、重く口が開く



「・・・なんで私なの?こんな私が好きだなんて・・・」


「・・・え?」


「私なんて学校じゃずっと絵を描いてるだけだよ?ただずっと描いてるだけ・・・そんな私の何処が ―――

「そこに惚れましたッ!!」


「ッ!?」ビクッ


「真剣に絵を描く姿にその動き、そして何よりッ・・・!!」


「?」



「僕は君の絵と君に一目惚れしたんだッ!!」



・・・



僕の最後のセリフから、2分弱はこのまま

このまま・・・というのは、彼女の目の前で手を出し頭を下げるこのポーズのまま、ということだ



(や、やっぱりダメかッ・・・!)


「・・・ご、ゴメンな!いきなりこんなこと言って・・・」



そう言って出した左手を引っ込めようとする

これでは・・・やっぱり振り向いてはくれないか


・・・しかしその少女は、僕に微笑んでこう言った




「・・・じゃあ一緒に描いてくれる?この綺麗な桜の木を、ね?」



「え・・・」







♢ ♢ ♢ ♢ ♢



「これはあの時の・・・」



僕は桃色の箇所に手を近づける



「・・・これは桜の花、か」



左手で書いたとはいえ

よく見るとやっぱり桜の花びらだって分かる

あの温かい日の、あたたかな桜の木




「・・・」





キャンバスの桃色は、そこで冷たく固まって








あれからというもの

小春は部屋から出てきてくれない

小春に謝ろうにも、どういったらいいのか分からない

こんなにも長く傍にいるというのに


僕はあれから小春の部屋の前に立ち


「小春?今日もここにご飯置いてくからな。」


そう言ってラップした今日分の朝ご飯を置き

そのまま会社へと向かっていく



こんな気分で行く会社は、嫌だ






怒鳴った日から一週間が経つ今日

僕はついに、部屋に入ることを決心した

言うことも決まっている

ちゃんと自分の気持ちを知ってもらうんだ


僕は仕事から帰ってくると

真っ先に小春がいる部屋のドアの前へ向かう



「小春?いるか?」


返事は、返ってこない


「この前は済まなかった。ちゃんと話と謝罪がしたい。開けてくれるか?」


・・・


返事は、返ってこない


「小春?いるのか?」



ここまで意地を張る小春じゃない

僕は不思議になって


「あ、開けるぞ・・・?」




ドアを開いた瞬間、部屋の中身に僕は驚愕する




「こ、こはる!?」





部屋中には、何十枚も捨てられたあの『桜』

描き直していたのだろう、イーゼルに立てかけてある絵もバツ印が



しかし


その当の本人の姿だけが




「どこにいったんだ・・・!?」




どこにも見当たらない






あれから僕は必死に探して

小春を探して、探して、探し続けて



気づけばもう陽が見えていた




「どこだ小春・・・小春ッ・・・!!」



僕の目からは、先程から涙が零れ落ちるばかり

もう一生会えないとまで思ってしまうほど




しかし世界とは



そんなときに




僕に手を差し伸べる




不意に見えた左脇の桜の木の前に





その姿は、あった ―――






「こ、小春ッ・・・!?」




桜の木の下で絵を描く姿

絶対に見間違えない、見間違えるものか




―― 僕が一目惚れした、世界で一つの『絵』なのだから ―――




底をつきそうな体力なんて知ったことか

僕は無心で走っていく

小春がいるその場所へ




「小春ッ!!」


桜の木の前で、僕は目の前の小春を呼んだ


「ッ!?なんでここに・・・!?」


振りかえる小春の顔は、とても驚いている


「それはこっちに台詞だッ・・!めちゃめちゃ心配したんだぞッ・・・!!」


僕の目から、さらに涙が

しかし、その涙の合間から


僕は何かに目が留まる



「・・・それはあの絵か・・!?」




小春が描く絵

それは、間違いなく



僕らが出会った時の、『二人』の絵 ―――



そしてさらにこの場所は



僕らが結ばれた、思い出の桜の木




「みきくん言ってくれたでしょ?絵を描く私が好きだって・・・」


「・・・あぁ」


「だからね、今頑張って・・あの日の絵を描いているんだよ?」


「な、なんで・・・」



そして小春も、涙をこぼす




「じゃないとみきくんがいなくなっちゃうからッ!!!」






絵を描く姿を、好きになってくれたから

描けない今は、絶対に嫌われてしまう

そう考えたのだろう


だからこそあの絵を、あの場所で



――― 僕のために、描いたのか






「・・・嫌いになるわけない。僕はもう決めたんだ。」


「な、なにを・・・?」



「小春の絵に、一生惚れることを・・・」




結婚する時、僕は決めたんだ

一目惚れを、一生惚れに



たとえ何かが変わっても

変わってしまっても

それでも小春を、小春の絵を




ずっと見続けると、そう誓ったんだ ―――




「絵の上手さなんて関係ない。ただ『描いてる』だけでいいんだ。」



「・・・」



「だから小春・・・





――― これからも隣で、絵を描く君を見せてくれ ―――








♢ ♢ ♢ ♢ ♢



「ご飯出来たよ~」


「お~!今日はなに~!?」


「今日はロコモコ丼だよ。」


「えッ!?やった~!!」






小春は、やっぱり笑顔が似合う






居間に飾った、あの絵の僕らは



さくら舞うあの木の下で






――― あの日のように、笑っていて









おわり

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紙とペンと君 ~君の頭上にさくら舞う~ ケンジロウ3代目 @kenjirou3

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