紙とペンと怪物と

銀鮭

第1話 紙とペンと怪物と

 私がネットで深田恭子の写真を眺めている時だった。


 目の前へ、まるでシャボン玉のように音もなく漂い現れたのは《へのへのもへじ》。彼は、


「ほ~う。最後はやっぱり、お気に入りのおねいちゃんにするのやな……」


と、空中でふわふわしながら、眉毛ではない「へ」の字、つまりくちとして描かれた「へ」の字を器用に動かせて、私に訊ねる。いつものように彼の背後で拗ねているのは、これは《つるさんはまるまるむし》だ。悲しいかな彼は、口がないのでしゃべることができない。


「あたり前田のクラッカーよ! 深キョンは俺に取っての『はじこい』だからな──」


「つまり、初恋の人ってわけだ」


「正確に言うと、初恋の人に似ている人」


 そう応える私の頭上を鉄人28号がゆっくりと旋回している。リモコンで操縦する正太郎を描かなかったので、鉄人は一日じゅう天井を旋回する破目になったらしい。


 ホームこたつの中からモスラの幼虫が這い出してきた。そのあとをゴジラが叫び声をあげながらついていく。


 キーボードの上ではニャロメとべしが、

「やっぱり深キョンはかわいいニャロメ!」

「べしも好きだべし」。


 天井から毛虫が糸を使って降りてきて「けむ~んぱすぱすぱすぱすぱす……」と、どうやら仲間を呼んでいるらしい。


「もう、なんだよ、お前ら! どっか行けよ!」


 頭がおかしくなりそうになった私は、最近ピンク色に染めた髪の毛をかきむしった。が、しかし、こいつらを出現させたのは私自身だったので、こいつらには責任はない。あるとすれば私の方だが、むしろ罪深いことに私は深田恭子さえ呼び出そうとしているのだ。こいつらと同じサイズの、つまり《手乗り深キョン》を──。




 ──私が、この奇妙な同居人たちと暮らすようになった原因は、去年の、ある縁日の古本市にあった。仮設の棚の高価な本には端から用がない私は、当然のごとく人気のない文庫本や雑誌などが積んであったワゴンを漁っていた。その中に混ざっていたのが、使い古され、残り少なくなっていたメモ帳と付属のペンだった。


 私はそのメモ帳とペンを手に取り、なぜここにこんなものがあるのか……と古本と雑貨の相関関係を模索しながらふと顔を上げると、たまたまそばまで来ていた店主と目が合ってしまったので、ことさら必要はなかったが、一応「これ……?」と、なにがこれなのか意味不明の「これ……?」をとりあえず使って私が訊ねると、店主は勘違いしたらしく、おそらく雑誌の付録かなにかだろうが、そんなのはどうだっていい、要るなら持って帰れ、と愛想もクソもなくいうので、一応「ありがとうございます」と礼を言って持ち帰ったのだった。


 しかし実際は、「これ、こんなとこにありましたけど」の「これ」であって、「これ、買います」とか「これ、売ってください」の「これ」ではないのに、このゴミ同然のメモ帳セットを、タダとはいえ礼を言ってまで持ち帰った自分がなんとも情けなく、惨めに思えたが、気の小さい自分にとってはメモ帳セットを手に取った時点で、それを持ち帰るのは必然、いや運命だったのかもしれなかった。


 持ち帰ったメモ帳はほとんどが破り捨ててあり、残りは10枚ほどだった。


 私は、その最初の一枚に《へのへのもへじ》と《つるさんはまるまるむし》と書いたのだ。つまり、顔文字である。ペンの書き味を試すために書く螺旋模様は目が回りそうだし、自分の名前は難しくって、目が悪くなった今では正確に書くことができない。


 その時はまだ、書いた顔文字が、ある日突然、破り捨てたメモの中から飛び出すとは思わなかったのだ。だから私は次に、子供の頃に流行はやった漫画のヒーローの中で唯一描くことができた鉄人28号を記憶の中から呼び出して、描いたのだ。


 怪獣は、キングギドラは描けなかったが、モスラの幼虫とゴジラは描けた。


 赤塚不二夫の漫画は、ギャグが満載で、生き物は描きやすかった。


 描いては破り捨てを繰り返し、部屋の中に散っていたメモの中から、彼らが飛び出したのは満月の夜だった。不思議なメモ用紙に不思議なペンを使って描かれたものが、月の吸引力によってこの世に引き出される──。う~ん、マロンやね。いや、ロマンか……。




 私が、残された最後の一枚のメモに深キョンを描こうとした時だった、ドアがノックの音とともに開かれた。


「よう。レモさん!」と同じアパートに住む青年が入ってきた。彼は私の名前である薔薇屋敷檸檬ばらやしきれもんの下の名を略してレモさんと呼ぶ。


「おう。青年! どうしたんだ?」


「どうしたんだって、今日はレモさんの還暦バースデーじゃないか!」


「あ、そうか。そうだったな。よくぞ覚えてくれていたな、青年!」


 青年こと、青山年男あおやまとしおは、ビールと菓子をレジ袋一杯にして持ってきてくれたのだ。


「最近、レモさん。……へんだって、噂ですよ」


 薄笑いを浮かべながら、私に缶ビールを差し出す。


「へんてなんだよ~。変態ってことか?」


 受け取った缶ビールのステイオンタブを引くと、見事に泡が吹き出した。


「てめ~、俺のだけ振りチンしたな……。って、つまり、こんなしょうもないことを言うからだろう?」


「じゃなくて、最近、夜中でも話し声が聞こえるって噂。俺だって何回も聞いたしさ」


「お前、これを見ろよ」


 私は天井を指差し、「なにが見える?」


「う~んと、人差し指」

「じゃなくって、その先」

「爪がある」

「その先だ!」

「垢がたまってる」


 青年は、落語のネタで対応してきた。


「お前のほうが、へんじゃないか!」


 考えてみると、描いたものが出現してからは、青年は今日始めて部屋に来たのだった。であれば、天井を旋回する鉄人28号や放射能を吐くゴジラに驚愕し、失禁して当たり前なのだが、青年は平然としている。


「お前さあ、天井の鉄人28号見えないのか?」

 

「ちょっと何言ってるかわからない」


 青年は笑ってから、「なんかメモ用紙を丸めたのがあちこちに落ちてるけど、身体だけはだいじにしてくださいよ」と言い残して帰っていった。


 鉄人28号は、私だけにしかみえないのか、それとも青年だけが見えないのかは、今のところわからない。が、しかし、親しい人間は青年以外いない私には、いますぐにそれを解明する手立てはない。


 それよりも、深田恭子のイメージを高め、より写実的な彼女をメモに描かなければ、大変なことになる。漫画なら、平面だから、線だけでもかまわない。しかし、人間は違う。写実的な点描画であれば、よいのだが、そんな技術は私にはない。


 ──ああ、なんだかイライラしてきた。


 あ~~~~~~~~~~~っ!


 い~~~~~~~~~~~っ!


 う~~~~~~~~~~~っ!



「もう我慢できない!」 


 私は、メモ帳の最後の一枚をストローのように丸めた。


 結局私は、メモには何も書かなかったのだ──。



                                  (了)

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