第26話 北の狼の実力
情報通り何事もなく時間が過ぎ、今は多少の緊張感を孕みながらも穏やかな時間が過ぎていた。随時、各所に張り巡らされたソールズベリーの見張り役から連絡が入っている。
襲撃者は朝のうちに王都へ到着し、ハミルトン邸から徒歩一時間ほどの森に潜伏している。森は深く、人が潜伏していても目立たない。よくエレンとグレンが屋敷を抜け出して訓練をしていた森だ。
風の魔法を使えば、十分もかからない。彼らは休憩もかねて、日が沈むのを待っているようだった。
「彼らは周辺の地理にも明るいようですね。日が沈むのを待ってこちらに襲撃してくると思われます。明るい内は大丈夫でしょう」
グレンが告げると、クリシュナや第四騎士団の表情が強ばった。逆に言えば、このつかの間の穏やかな時間は日没までしか許されないと言うことだ。
屋敷にいる騎士団は総勢二十名ほど。襲撃側にも最低でも二十名はいるらしい。人数は五分五分でも、それにドラゴンがいるという情報が確定していた。ドラゴンは三体。王都にドラゴンが現れることなどない。
第四騎士団で、ドラゴンを見たことがある者はいなかった。可能な限り屋敷の周囲に騎士団を配置し、残りがクリシュナ姫の側で、屋敷を囲む騎士団からすり抜けた人達の対応と、ドラゴンの吐く炎から屋敷を守ることになった。
ドラゴンと屋敷を守る騎士達の後方支援は表向きは第四騎士団に任せられたが、実際はエレンとグレンが対応にあたる。
そわそわと落ち着かない雰囲気のまま、日が沈み始めた。屋敷の周囲には既に騎士団が配置されている。
「いよいよね」
エレンとグレンは、クリシュナ姫や屋敷に残る騎士達と共に優雅に紅茶を楽しんでいた。お茶菓子も用意してある。襲撃者が森から出たと連絡が来たので、紅茶を片付け、それぞれが配置についた。
エレンとグレンは屋根の上に乗った。エレンは第四騎士団の水の魔法使いからローブを借りていた。女性が魔法を使うのは周囲からの風当たりが強いからと、裾上げまでして貸してくれたのだ。
エレンは遠目では誰か分からないようにフードをすっぽりと被っていた。オズワルドは、エレンが一番安全なクリシュナの側にいると思っている。
「あの魔法使いの人、いい人ね」
「そうだね」
襲撃までの間、エレンとグレンは他愛もない会話をして時間を潰した。日が沈み、周囲が暗闇に包まれてしばらくした後、
「来たわ…」
「エレン、傷一つお断りだからね。僕がカリーナ様に殺される」
「善処するわ」
「絶対に、無茶しないでよ!」
グレンはエレンに傷一つつけさせる気はなかった。カリーナに言われるまでもない。ただ、未だに調整が苦手な魔法では何かが起こる可能性は捨てきれない。それだけは、絶対に困る。エレンと離れるわけには行かない。
隊商に見せかけた彼らは、いきなり荷馬車からドラゴンを放った。屋敷の周囲にいる騎士団をドラゴンの炎で一掃するつもりだろう。ついでに屋敷に火をつけてしまえば、目当ての人物が焼け死ぬか炎に追われて屋敷から出てきて、仕事がしやすくなる。
屋敷の周囲にいた魔法使いが、光源を敵に向けて放った。はっきりとドラゴンが確認できる。
「一度に三体は放たないのね。様子見かしら?それとも温存?」
「温存なんて、させてやる気はないよ」
グレンの手には既に強力な風魔法が生み出されている。
「ちゃんと加減しなさいよ。綺麗な庭が派手に抉れたら、ジョンが泣いちゃうわ」
「善処します」
グレンは手からドラゴンに向けて魔法を放たれた。鋭い刃のような形状をした魔法の風が真っ直ぐドラゴンへ向かっていく。屋敷の周囲にいる騎士団から、感嘆の声が聞こえる。
「相変わらずの力押しね。もっとスマートに、密度を高く!」
エレンは文句を言ったが、ドラゴンは真っ二つになって庭に落下した。落下の衝撃で、ドラゴンが庭に激しくめり込んだ。
「庭にめり込んじゃった…。不可抗力!」
グレンがすかさず言い訳をした。
「あのドラゴン、おかしいわね。手応えがなさすぎる」
「飼育の影響で、野生が薄れちゃったのかな。後の二体もそうだったら楽なんだけど」
ドラゴンについて考えていると、全方向から庭で動く影が見える。屋敷を囲む庭が広いため、隠れる場所などなかった。
「あら、思ってたより人数が多いわね」
エレンはそう言うと、魔法を放った。エレンの魔法は屋敷から全方向に向かって、地面を滑らかにすべっていく。当たれば鋭い刃に命はない。
当然だが敵も対抗手段として土魔法の壁を築き上げていく。エレンはこの一手で魔法使いの人数を把握しようとしていた。半分ぐらい土壁に阻まれたが、残りは敵に打撃を与えた。
「うん。人数だけでなくて、結構優秀ね。七割ぐらい抜いてやろうかと思ってたのに」
「じゃあ、僕はドラゴンに集中するから、エレンは支援に集中して」
「少しは手伝いなさいよ」
「いや、そうしたいのは山々だけど、この状況で僕が魔法を放ったらお隣さんの家まで真っ二つだし、味方の騎士も巻き込みそうだし…」
「もう!甘えないでよ!」
エレンは文句は言ったが、それが正しいとわかっていた。グレンの魔法は威力が強すぎる。日々の鍛練を欠かしていないのは充分過ぎる程知っている。それでも、どうにもならないことはある。
エレンは敵の頭数を減らすことに集中した。優秀な魔法使いと言われる人々は、剣術や体術を疎かにしている人が多い。
魔法の密度を高めて、威力は殺さずちょっと太めの釘くらいまで小さくする。それを高速で複数放つと、ほとんどの魔法使いは防御が遅れる。小さな魔法の乱れうち。エレンの得意魔法だった。
致命傷にはならずとも、足並みが乱れていく。敵の魔法使いが全員を防御するのは難しくなっている。
「密集隊形に変わったね。何としてでも突破する気だ」
「そうみたいね。えげつないのいっとこうかしら」
エレンが妖艶に微笑んだ。
***
オズワルドは、沈痛な面持ちで配置についた。正面玄関を隊長と共に守ることになった。沈んでいく夕日が、憎くて仕方がなかった。エレンとグレンが残ってくれたお陰で情報だけには事欠かなかったが、二人が残っているにも関わらず、北の狼からの援軍は今になっても来ない。
騎士団が応戦している間に、何らかの方法でグレンがエレンとクリシュナを連れて逃げるつもりなのだろう。屋敷にある隠し通路は全て、二人に教えておいた。
国のことを思えば、ここで時間稼ぎに命を散らすべきなのかもしれないが、オズワルドには心残りがあり過ぎた。恥ずべきことかもしれないが、ここで死にたくはなかった。ゆっくりと日が沈み、辺りは暗闇に包まれた。
物音が聞こえ魔法使いが光源を放つと、夜空に巨大なドラゴンが浮かび上がった。初めて見るドラゴンは死神に見えた。
文献でしか読んだことはないが、火を噴かれれば強力な水魔法が使えない同僚は焼け死に、屋敷は侵入し放題になるだろう。屋敷自体は第四騎士団が燃え上がるのを防いでも、いつまで保つかわからない。
その時、強力な風魔法がドラゴンへ向けて放たれ、ドラゴンは真っ二つになった。庭に落ちた衝撃が伝わってくる。周囲からは歓声が上がった。
驚きと共に、生き残れるのではないかという希望が湧いたのだったが、その歓声はすぐにかき消えた。想定よりも多い人数が、一斉に現れたのだ。
しかし、今度もすぐに屋根から次々と魔法が放たれる。あの魔法が討ち漏らした者だけを相手にすればいいという事実を前に、オズワルドは冷静になった。隊長と顔を見合わせ、頷き合う。完全に我々の優勢となった。
クリシュナ姫が優秀な魔法使いを騎士団に組み込んでくれていて、助かった。
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