第25話 グレンとエレン
オズワルドは隊長のロバートから指示を受け、微妙な顔をしたまま周辺の警戒へと戻った。クリシュナ姫を主に守るのは第四騎士団、残りで屋敷の警戒。
ローテーションに第四騎士団の人手を借りたところで、とてもでは無いが足りなかった。自慢ではないが、屋敷は広い。守るのに徹するのであれば、小さな屋敷を選ぶべきだった。
あえて第四騎士団がオズワルドの屋敷を指定したのは、エレンとグレンがいたからだろう。今日、初めてグレンの名を知った。実際は従僕なのか愛人なのか興味も無かったので、今まで尋ねることもしなかった。彼はただの従僕でも、愛人でも無かったようだ。
この国は女性の地位が極めて低い。女性は男性の庇護下にあるものだと何の疑いもなく信じられている。就ける職業が限られるだけでなく、学べる内容も限られている。貴族は特に顕著で、女性はマナーと社交術、他には将来の夫を支えることしか学ばない。いや、学べない。
魔法もそうだ。高い魔力を持っていても、魔法を使う女性は下品極まりないとされ、嫁に貰ってくれる家がなくなるからだ。才能があっても親は決して学ばせない。魔力があること自体は喜ばれて結婚で優位になるが、結婚前にエレンについて調べた時、エレンからそのような噂は出てこなかった。
なのでエレンが前国王の依頼を受けているというのは衝撃だった。アドルフ様がクリシュナ姫の窮地を予測して、身の回りの世話をする人が必要だったとしても、女性にこのような仕事の依頼をするべきではない。
王族からの依頼は命令になる。命の危険がある。王国に目もかけられていない貧乏領地に、娘の命を王国の為に使えと命令するのは、例え王族といえど許されない。勘違いではあるが、オズワルドは静かに怒りを覚えていた。
グレンと第四騎士団の魔法使いは浴槽の前に二人で立っていた。彼は水の魔法が得意で、水を生み出すことができる。薪で水を沸かして一階と何往復もするより、魔法を使った方が手早く済む。エレンは別室でクリシュナ姫が服を脱ぐのを手伝っている。
「この辺りまでの水を用意して頂けますか」
グレンは浴槽の三分の一辺りを指し示した。魔法使いは頷くと、水で浴槽の三分の一までを満たした。それにグレンが魔法を使ってお湯にしようというのだ。
騎士団の魔法使いは二人いるが、二人とも火の魔法は苦手で、湯浴みに丁度いい温度まで上げるのは骨が折れると言ったので、グレンがすることになった。グレンが魔法を使うと、水だったものが浴槽内でごぼごぼとマグマのように煮えたぎった。
「……沸かしすぎでは…」
騎士団の魔法使いが驚いて言う。お湯を沸かすだけの為に使用するには、強力すぎる魔法だ。大丈夫だとは思うが、浴槽が耐え切れずに溶けてしまいそうな温度になっていると思う。
「すみません、僕、魔法の微調整が苦手なんです。水を足して温度調節をお願いできますか」
魔法使いは無言で頷き、戦闘になった時にグレンに巻き込まれないようにしようと固く決心した。うっかり彼の火の魔法に巻き込まれたら、骨も残さずに溶けてしまいそうだと思った。想像して身震いしたが、巻き込まれさえしなければ、味方としてはとても頼もしいと自分を納得させた。
エレンが先に部屋へ入ってきた。水を追加した浴槽からはまだもうもうと湯気が出ていた。エレンは浴槽を一目見ると、グレンを睨んだ。
「クリシュナ姫を茹でる気?」
エレンが怒った顔のまま二人を追い出した。
「大丈夫でしょうか。まだお湯の温度が高すぎたと思うのですが」
最大限の努力をしたが、グレンの強すぎる魔法をほとんど打ち消すことができなかったのだ。
「エレンが調節してくれますよ」グレンが当然のように言った。
「女性に魔法を使わせるのは、現時点ではあまりいいこととはされていませんよ」
「知っていますよ。でも、それを何とかしたいと願っているクリシュナ姫のことも知っています。そして、それに賛同できる方しか第四騎士団に所属していないことも」
***
グレンは幼い頃から強力な魔法が使えた。両親は大喜びしたが、高すぎる魔力に、威力の強すぎる魔法。魔力のコントロールが上手くできず、家を吹っ飛ばし、畑を焼き払ってしまったこともある。
次第に両親の手に負えなくなった。魔法を使うと両親が困る。グレンがそう考え、魔法を使うのを止めた頃、エレンが現れた。
エレンはグレンに思い切り魔法を放てと言った。遠慮するなと。幼い少女に、グレンは渋った。噂に聞く、ソールズベリー卿やエリオット様が、せめて年が近くても天才と言われているエルハルト様が来てくれたのならば、自分の手にも負えない魔法を放っても何とかしてくれるだろうと思う。
しかし、エレンでは無理だと思った。領主の娘とはいえ、幼い彼女に何ができるというのか。わがままに付き合って痛い目に遭うのは自分だ。頑なに断っても、エレンは諦めなかった。
飽きることなく説得を続ける。仕方なく魔力のコントロールができないと正直に言っても、説得は終わらなかった。面倒になって、投げやりになった。何かあったら責任を取れと吐き捨てた。
今まで抑えていた鬱憤を晴らすように、全力の魔法を放った。一応色々な物を燃やしてしまわないように、得意の火魔法は避けた。風がごうごうと渦巻き、竜巻になった。竜巻は激しくうねりながら周囲のものを巻き上げていった。
「へぇ~、やるじゃない」エレンが気軽に言った。
竜巻はどんどん大きくなって、既にグレンの手に負えなくなった。
「うん。わかった。もういいわよ」笑顔で言われて、イライラした。
今までの話を聞いていなかったのかと。
「だから言ったじゃないか。そういうことはできないって」
エレンを睨み付けた。馬鹿なのだろうか。さっさと助けを求めに行けばいい。このまま放置すれば、どこかの集落を破壊してしまうかもしれない。責任を取るのは領主達になるだろう。
「聞いてたわよ。努力くらいしてみなさいよ。それでわかることもあるんだから」
こんなガキに何がわかるというのだ。やけくそで止まれ、とか消えろと念じてみたが、竜巻は大きく凶暴になるばかりだった。
「本気?」
グレンの顔を覗き込んで、エレンが聞いてきたので、思わず舌打ちした。
「そっかぁ」
そう言うと、エレンは手をかざして遠ざかりつつあった凶暴な竜巻を、一瞬で霧散させて、小さなつむじ風が残るだけになった。
驚いた。どれだけ人に制御方法を教えて貰ってもできなかったのに、大人達にも手に負えなかった魔法を、この幼い少女はいとも簡単に霧散させたのだ。その日からグレンの世界は変わった。
グレンはエレンの勧めでソールズベリーのお屋敷で働き、エリオット様に剣を習い、エレンに魔法を教わった。全く上手くならない制御に苛つくこともあったが、屋敷の誰もが明るく笑い飛ばし、エレンは時間が許す限り本当に辛抱強くつきあってくれた。
魔力が高いだけで何の役にも立たない自分に、役割を与えてくれた。ここにいればいいと言ってくれた。仕事はいくらでもあるし、困ったときはいつでも助けるからと言ってくれた。諦めそうになる気持ちをいつでも感じ取り、支えてくれた。
自分の居場所はもうここにしかないと思った。何があってもこの優しい場所を与えてくれた、恩あるエレンの隣から離れないと決めた。実は年上だったエレンには驚いたが、生涯をかけて恩を返さなければならない。例え、彼女が何をしようと、どこまでもついて行く。
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