紙とペンと家族

伊崎夢玖

第1話

「いつもお世話になっております。はい。はい。それはもう少しで…。はい。はい。ではまた後日…」


(かずくん、辛そうだな)

私の旦那、八代一樹やしろかずき四月一日一貴わたぬきいっきのペンネームで作家をしている。

出す作品が次々とベストセラーになっている、今人気の売れっ子作家。

だけど、今はスランプらしく、うまく書けなくて少しイライラしている。


「違う…。こうじゃないんだ」

リビングの隣の日の当たる部屋がかず君の書斎。

ガサガサと書斎から音がする。

今時珍しく、かずくんは手書きで書いている。

担当編集さんからもパソコンで書いてとお願いされているけど、どうしても手書きにこだわりを持っているらしく、そのお願いをいつも拒否している。

私も気になっていたので、前に聞いてみたことがある。

「どうして手書きにこだわるの?パソコンの方がいろいろ便利じゃない?」

「確かにパソコンの方が便利だと思うよ。だけど、それじゃダメなんだ」

「何が?」

「手で書いた物には命が宿る。修正もなるべくしたくないから緊張して書くことができる。それがパソコンではできない。だから手書きにこだわるんだ」

目を輝かせて力説するかずくんを見て、改めてプロなんだなぁと感じた。


さっきの電話は担当編集さんからの電話だと思う。

締め切りが近いのに、かずくんは全然書けていない。

焦って書こうとすると、余計に書けない。

悪循環。

こうなると、かずくんは書斎に籠ってなかなか出てこない。

寝食を忘れてしまうことも多々ある。

そして倒れる。

倒れる前に食事させ、休ませることが私の仕事。

本当は会社勤務をしていたけれど、かずくんと結婚するのを機に在宅の仕事に切り替えた。

だから常に家にいられる。

(そろそろお昼か…。手軽に食べられる物の方がよさそうだね)

キッチンで食材を確認して、サンドウィッチを作ることにする。

かずくんの好きな玉子サンドとツナサンドを二個ずつ皿に乗せ、糖分補給のためにいつもより少し甘めのコーヒーをお盆に乗せ、書斎のドアをノックする。

「かずくん、忙しい所ごめんね。お昼だよ?」

声を掛けると、目の下にすごいクマを作ったかずくんが出てきた。

「いつもごめんね。ありがとう」

「寝てないでしょ?」

「あと一週間で締め切りなのに一ページもかけてないんだ…」

悲壮感漂うかずくん。

「書けない時は少し休憩しよう?」

掛ける言葉がなくて、ありきたりな事しか言えなかった。

そんな自分が辛い。

相当お腹が空いていたのか、かずくんはガツガツとサンドウィッチを食べ、甘いコーヒーで一息ついていた。


「そういえば、最近由佳の料理味変わったよね?」

「そう?」

自分では全然気づかなかった。

(いつもと同じようにしていたはずなんだけどな?)

体調を崩した覚えもない。

いつも適当だったから、少し分量を間違えたのかもしれない。

「ごめんね。今度から気を付けるよ」

「別に責めてるわけじゃないからね?」

「分かってるよ。それじゃ、午後もお仕事がんばってね」

「ありがとう。がんばるよ」

お盆を持って書斎を後にする。

自分も昼食にしようと、かずくんに作った余りのサンドウィッチを食べる。

いつもと変わりないと思う。

味に鈍感なかずくんが気付くくらいだから相当味が代わってしまったのだろう。

(晩ご飯を作る時、気を付けよう)

そう思った時だった。

猛烈な吐き気に襲われ、トイレに駆け込んだ。

さっき食べたばかりのサンドウィッチを全部戻してしまった。

何か悪い物でも食べたかと思ったけど、朝は食べない派なので、軽くコーヒーを1杯飲んだだけ。

昼もかずくんと同じサンドウィッチを食べただけ。

かずくんが嘔吐していないことを考えると、何か自分が悪い物を食べたと思うのが妥当。

でも思い当たる節がなかった。

(もったいないことしたなぁ)

ある程度吐いてすっきりして、トイレから出ようとしたら、今度は目の前が真っ暗になった。


それから何時間経ったか分からない。

でも今は夜らしい。

周りが暗い。

体を動かすとベッドに寝かされていた。

(確かトイレで吐いて…倒れたんだ)

トイレで倒れたはずなのに、ベッドで寝ているということは、かずくんがここまで運んでくれたということ。

忙しいのに、仕事の邪魔をしてしまった。

自己嫌悪だった。

「由佳、大丈夫?」

心配そうな顔をしたかずくんが寝室に入ってきた。

「大丈夫だよ。ごめんね、心配かけて」

「あの時バタンってすごい音がして部屋から出たら由佳が倒れてたから驚いたよ」

「ごめんね。何か気持ち悪くて吐いた後だったから立ち眩みしたのかもしれない」

「明日病院行ってみる?」

「何かの食あたりだろうし、そこまで心配しなくても大丈夫だよ」

「そう?今は気持ち悪いの大丈夫?」

「うん。何か食べたいな。お昼全部吐いちゃったから今日一日何も食べてないの」

「お粥作ったけど食べる?」

「うん」

かずくんに付き添ってもらって、リビングでかずくんお手製のお粥を食べる。

(優しい味だなぁ)

そう思ったのも束の間、また昼間の猛烈な吐き気が襲ってきた。

トイレに駆け込み、また吐く。

今度はかずくんもついてきてずっと背中をさすってくれた。

「ねぇ、やっぱり明日病院行こう?由佳、おかしいよ?」

「うぅん…そうだね…」

さすがに何も食べてないのにこんなに気持ち悪くなるのはおかしい。

吐いてばかりでは脱水症状になってしまうからと、少し水分を取ってこの日は早めに休んだ。


翌日、かずくんも付き添ってくれて病院に来た。

いろんな科をたらい回されて、最後に婦人科に来てしまった。

正直自分の中では頭の中に『?』がたくさんある。

検査結果が出たと言われ、診察室に入る。

「おめでとうございます」

まず開口一番に担当医に言われた。

まだ自分の中では理解できていない。

かずくんを見れば、目がキラキラしている。

どうやらかずくんは理解しているらしい。

頭の中はまだ『?』がいっぱい。

「ご懐妊されています」

はっきり言われた。

懐妊…、子供ができたということ?

いやいや、最近ご無沙汰だよ?

でも、確かにいつも規則正しく来るはずの物が今月は遅れているなぁとは思ってたけど…。

(かずくんとだって、随分前の話だし…えぇー!?)

自分の中でショックと嬉しさが一緒にやってきて、先生の話はあまり聞いてなかった。


家に帰りつくと、夕方だった。

病院の受診って一日仕事になるから嫌いなんだよね。

家の中にもかかわらず、かずくんが足取り軽くルンルンしていた。

「嬉しそうだね」

「うんっ!僕子供好きだからいっぱいお世話するね」

「頼もしいパパだね」

ルンルンしているかと思ったら、急に真顔になって、書斎に籠り始めた。

どうやら神降臨。

こうなると、最後まで一気に書き進められる。

(おめでとう、かずくん)

翌朝かずくんは無事書き終えることができ、担当編集さんの手に原稿が渡って行った。

「この子のおかげで、スランプ脱したかもしれない」

「そうなの?」

「うん。この子のことを考えるだけで、次から次へと話が思い浮かぶんだ」

「それじゃ、この子はかずくんの神様だね」


時は過ぎ、お腹の子が産まれた。

名前は『さち』。

私たちに幸せを運んできてくれたこと、この子自身が幸せになりますように、という意味を込めて付けた名前。

特に、かずくんにとっては幸は神だった。

幸をモデルにした作品は飛ぶように売れた。

特に、幸がお腹にいると分かった時に書いたスランプを脱した作品はかずくん史上最高部数を叩き出す程に売れた。

「幸ぃー、お嫁なんか行かせないからなぁ」

「反抗期になって『パパ嫌い』なんて言われたらどうするの?」

「僕、死んじゃう」

「親バカ炸裂しすぎだね」

「それでもいいの。僕にとって、由佳と幸がいれば他に何もいらない」

そう言ってギュッと抱きしめてくれるかずくん。


かずくん、それは間違っているよ。

かずくんには、私と幸とまだ大事な物があるよ。



かずくんの作品を生み出す紙とペンがね。

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紙とペンと家族 伊崎夢玖 @mkmk_69

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