窓際の花瓶

ギンギツネ

花瓶に飾られた花の運命

 いきなり、だ。


 私の方へ鉄の塊....自動車が突っ込む。


 これが私の運命なのだろう、と悟ったのはその瞬間だった。




 目を覚ますと病室に居た。


「その....気の毒なのですがね、お母様....?」


 私のベッドの足元越しに白衣を着た医者っぽい男性と、見慣れた母親の顔があった。


 何やら落ち着きのない様子で母がこちらを見たり、目の前の男性を見たりする。


「....事故によって下半身が半身不随の状態になってると思われます、脊髄を大きく損傷してしまい、治ることも....難しいかと....」


 母はその言葉を聞いて顔に両手を当て、指の隙間から涙を流しながら小さく高い声を上げていた。


 私はその話を聞いて身体を動かそうとする。


 だが、さっきの話通り、下半身は動かないし、利き手の右手は痺れて上がらない。


 かろうじて、左手が動くが、その動きもぎこちなくなっていた。


 白衣の男性がこちらの様子を見て驚いている。


「あぁ! 意識が戻ったんですね!」


 母がその声にビックリしてから、私に顔を近づけて


「大丈夫? 交通事故って聞いてすぐに来たら....こんな、こんな....」


 母はまた泣きだし、後から来た看護師の1人が母を病室の外へ連れていった。




 そのうち、先程から居た白衣の男性はこちらを向いてゆっくりと口を開く。


「その....とても言いづらいことなのですが....あなたは交通事故にあい、半身不随になりました....」


 そんなことはもう聞いた。


 返事をしようとしたが、マスクが付いていて喋ることも簡単にできない。


 いや、息苦しくて喋るどころでもなかった。


「そして....本当に言いづらいことは....あなたの余命はもって3日程でしょう....」


 私はその言葉を聞いて動かそうとしていた口も、手も、一瞬に凍りついた。


 3日、3日と言ったんだよな?


 私の耳は幸いにもしっかり周りの音を聞き取れている。 そのはずだが耳を疑った。


「これはお母様にはまだ伝えていません....伝えるかどうかはあなたの判断に任せようと思いました....今、動けていますか?」


 私はとりあえず言葉が上手く出てこないため、左手を上げる。


「はい、今の質問の意味が理解出来ていたら、手の平を上にしてください、ブラブラとしていたら私達の方で伝えるかの判断をします」


 私は、左手の手のひらを上に向ける。


「ふむ、意識や聴覚、言語についてはあまり問題がないようですね、では、お母様に余命について言いますか? 肯定なら手のひらを上に、否定ならブラブラと振ってください」


 私は手をブラブラとして、否定の意味を表そうとする。


「....ということは、言わない方でいいんですね?」


 私は手のひらを上にする。


 白衣の男性はため息ともとれる息を一つついてから、


「はい....分かりました、何か要望やしたいことがあれば、私達にアピールしてください、できる限りのことはしますから....」


 そう言って男性は部屋を後にする。


 その部屋にいるのは私だけになった。


 窓際には小さな白いテーブル、そしてその上に花瓶があり、一本の小さな花が飾られていた。




 私は、次に食事や体調を見るために来た医者に、手を上げてアピールした。


「どうされましたか?」


 聞いてきた医者の前で手をペンを持つ形にして空中に何かを書くような仕草をする。


「書くもの....が欲しいんですか?」


 私は手をグーにして、縦に振り、頷いている様子を表そうとする。


「分かりました、紙とペン、それとベッドでも書けるようにテーブルも持ってきますね」


 そう言って医者は私の部屋を後にする。


 また、その部屋には私だけになり、窓際にある花をぼんやりと見つめて待っていた。




 少しした後、紙とペンが運ばれ、テーブルを設置したあと、医者が


「これはお母様からです、しばらく入院するなら着替えと生活用品は必要だろう、と」


 と言って私の寝ているベッドの横の足元に大きめの荷物を置く。


 それから医者は


「何か書くならベッドを起こしますね、寝る時にはナースコールでお呼びください」


 そう言って私のベッドの半分が起き上がるようにしてくれた。 私の上半身は持ち上がって長座の姿勢に近い状態になる。


 私は医者に少しだけ頭を下げ、礼を告げる。


 医者はまた、部屋を出ていく。


 私は目の前の紙に左手に持ったペンでぎこちなく文字を書き始める。


 生まれてほとんどしなかった、利き手の逆で文字を書くこと。


 一人の部屋で、ずっと、ずっと書き続けていた。




 翌日、医者から


「お母様は出張で明日まで来られない、と仰ってました....それから、何か用があったらナースコールで....」


 といつも通りの台詞を言ってから帰った。


 孤独を感じた。


 昨日から左手で文字を書くことを練習し始めた。


 あまりにも大変だし、慣れない上に寂しい。


 何か音楽をかける機器でも、と思ったがそんな贅沢をするつもりもなかった。



 ふと、窓際の花瓶を見る。


 あの花瓶に飾られた一輪の花は、私と同じように....いや、構造が違うから一緒ではないかもしれないが、半身がない。


 あの花だって、今まで元気に育ってきていたものを、いきなり"半分失った"のだ。


 私は奇妙な共感をその花に抱いた。


 私はその花を自分と同じ、可哀想なものとして見るようになった。


 今の私もそうだが、花もきっと死に場所を突然決められたから悔しい....いや悲しいはずだ。


 この子にはもっと広い場所で人生を終える権利....いや、自由があっていいはず。


 そう、自由だ、自由をこの花に与えてあげたい。




 医者が来るまで文字の練習をしていた、そのうち、私は遺書ではないが、母に手紙を書くことにした。


 父が死んでしまい、兄がいたけども家を出ていった。 だから母には私しかすぐ近くの家族がいない。


 母は私が死んでしまったらどうするのだろう....。


 兄が連絡をしてくれるといいな....。


 そういった思いを手紙に書いて行った、左手で書く、不自由でぎこちない、汚い文字で。


 手紙の内容が膨らむ、時間が経つ....と同時に明日への不安がよぎる。


 余命ってのは大抵、伸びたりいきなり来たりと不確定だ、ちょっと嫌がらせのようにも聞こえる。


 手紙を下まで書ききる。




 医者が来た。


 幸い、字をちょっとの時間でも書けるようになったから筆談程度は出来そうだ。


 私は医者を手招きし、手元にある紙に"母への手紙を書きました、私が死んだら、お願いします"と書いて、隣の紙の束を手渡した。


 そんなに多くはないのだが、気持ちがつのればつのるほど、文字が多くなってしまっていたのだ。


「はい....これをお母様に、ですね? 分かりました....」


 医者は悲しそうに手紙を受け取る。


 それから私はもう一度、医者を手招きしてから紙に"窓際の花瓶を持ってきて欲しい"と書いた。


 医者はそれを見て


「えっと....この花瓶でいいんですか?」


 そう言って窓際の花瓶を持ってきて私の目の前の机の上に置く。


 私は紙に"ありがとう"と書いてから


 その下に"多分、明日あたりに私は死ぬんですよね?"と書く。


 医者はそれを見て悲しそうな顔でゆっくり頷く。


 私はそれを見てからできるだけマスクに覆われた顔をニッコリと笑顔に変えて


 手元の紙に"短い間ですが、お世話になりました"と書いて、頭を少し下げた。


 医者は


「....まだ死ぬと決まった訳では無いです、可能な限り、努力はしますから....」


 辛そうな顔でそう言う。


 そうして、部屋を出る時に礼をしてから出る。


 私はそれにゆっくりと頭を下げて返す。




 夜中....


 私は多分先が短い....。


 ここにある花瓶の花も....そう長くはないのだ。


 同情とか可哀想だと考えたのかもしれない、だから、私はせめてこの花を"自由に"してあげたい。


 窓が開いている。


 そう、そこまでなんだ....。


 ガバッ


 私は左手で布団をどかし、右手についた点滴を無理やり引っこ抜く。


 痛い....。


 そのままマスクも外す。


 呼吸が苦しい....酸素が上手く運べていないのがよく分かる....。


 そして花瓶にある一輪の花を掴む。


 花の名前はわからない、そんなの分かるのは普段から好きなやつかよっぽどの偶然で知ってるやつぐらいだ。


 その偶然で....私も....この花も....死ぬ場所を勝手に決められて....


 私はそんなの....嫌だった。


 父が死んだ時だって....兄がどこかへ出て行った時だって....誰もその運命を勝手に決めていった....。


 私はベッドから転げ落ち、ベッドの上の机にあった物が全てベッドに落ちる。


 そこまで歩くのが辛い....長い....。


 窓へ向かって花を掴んで這いずっていく。


 この子は....この花の死に場所は....ここじゃない....!


 私は頑張って右手を肘だけでも床につき、左手を高く上げる。


「私の....勝手になるけど....」


 呼吸が辛いが、声は出ていた。


「あなたを自由にしてあげたいからッ....」


 左手に掴んだ花を窓の縁に掛けるようにしながら


「ここで死ぬなッ....!」


 最後の力を振り絞って窓から花を投げる。




 彼女はベッドから離れて死んでいた。


 母親が来た時には彼女は別のベッドに寝かされ、顔の上には白い布が乗っていた。


 窓から飛んだ花の行方は知らない。


 だが、花はすぐに死ぬことは無かった。


 彼女のベッドの上には


 ペンと紙と、それから水のこぼれた花瓶だけが、花の刺さってない花瓶だけが


 残っていたのだ。

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