桜の緯度経度

エリー.ファー

桜の緯度経度

 紙がある。

 ペンがある。

 ここに桜がある。

 僕はずっとここに座って桜を描いていた。僕以上にこの桜を知っている人間等いる訳もない。美しいし、散ることもなければそこにただ大きい存在をとしていて、僕のことを眺めている。

 何を考えているのだろうか。

 何も考えてはいないのだろう。

 本当は、ただ、この桜も僕に何かを語りかけてくれるのではないか、と勘違いしている。

 僕は友達はいない時間がとても長かった。いつも一人だった。この桜だって、学校の隅にあったのだ。余りにも大きいせいで、美しいにも関わらず、生徒からも教師からも学校の保護者からも嫌われていた。

 でも、僕は好きだ。

 春が似合うし。

 春にはいつだって桜がいてくれないとしまらない。

 僕はペンを走らせる。紙の上に出来上がっていく世界は、僕の想像と目の前にある世界の延長線上だ。だからすべてを嘘で塗りたくってはいけない。どんなものにも、現実でそこに居続けるという権利があり、僕のように目の前にあるものを描くことを信条としている人間は気にしなければならない。

 美術部に入ったときに、そう言われたことを思いだす。

 みんな、漫画のキャラクターやアニメ、というのに惹かれていたけれど、僕はやはり階段や植物といった何も語らないものが好きだった。もしかしたら、自分の思いをそこに投影できると感じられたからだろうか。

 僕はいつか本当に絵描きとして食べていきたかった。

 そう考えると、今はまだ若い年齢ということになるのだと思う。

 こういう考え方をするところが、大人っぽいとお父さんやお母さんには褒められる。今のは、ちょっとした自慢。

 そのために基礎を固めているのだ。

 植物や階段、もちろん、それ以外にも壁や銅像、校舎や柵なんかは、非常に洗練された形をしていることが多い。

 勉強になる。

 本当に。

「早く書き終わりたいなぁ。」

 僕は呟く。

「何してるんだい。」

 美術部の顧問の先生が僕の隣にやって来る。

 その後を追いかけるようにして、美術部の仲間もやって来た。

 恥ずかしくて、桜の絵を隠すようなそぶりをする。でも、本当は少しだけ見せたいので、腕の隙間から見えるように工夫する。

「あっ、また桜の絵描いてる。」

「本当だぁ、大好きだよねぇ。」

「全く、好きなものを描くのは確かにいいことだけれど、そうやって、同じものばかりになってしまうと、形が固まってしまうって注意してるじゃないか、こらこら。」

 僕は舌を出して、ウィンクをしてみせる。

「大好きなんです。」

「まぁ、嫌いなもの描いたって上手くならないからなぁ。」

 後ろから校長先生が歩いてきて、僕の背中を大きな手でさすってくれる。

 美術部の顧問の先生も、部員のみんなも軽く校長先生に頭を下げて微笑んでいる。

 こうやって、僕の周りには人が集まって来てくれるようになった。それは、美術が大好きだったから。それとも、この学校に転校してきたから。それともみんなが優しかったから。

 どれも正解。

 でも、それ以上に、ここにこんな立派な桜があったから。

 七年前に校舎から飛び降り自殺をして、全裸でホルマリン漬けにされた桜さんの死体がこの学校にはしっかりと保管されているから。

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