死がふたりをわかつまで
吾妻燕
死がふたりをわかつまで
ベッドの下から右腕が発見されたので、メグは激怒した。あれほど『人肉を剥き出しで保管するべからず』と言ったのに。同居を開始する際に『人肉は必ずジップロックに入れて冷蔵保管すること』って決めたのに! あのおバカゾンビめ!
「ジョシュア! ジョシュ! 居るんでしょ! 出て来なさい!!」
見知らぬ右腕を引き摺り出しながら犯人の名を叫ぶ。狭くも広くもないクッキーカッターハウスに、メグの怒号は驚くほどよく響いた。肩から千切ったような断面が見えた頃には息も絶え絶え、叫ぶ元気など底を突いてしまった。人間の腕は想像以上に重いのである。
第一発見者となったロボット掃除機が無言で退出するのと入れ違いに、犯人がやって来る。罪悪感の表れか、ジョシュアは体の大半をドアの裏側に隠していた。濁った瞳が泳いではメグを見つめ、泳いでは見つめを繰り返している。
呼吸が整い、咎める元気が復活したメグは「ジョシュ、こっち来て」と手招きした。そして「ここに座って」と、自分の隣を指差す。ジョシュアは迷ったように頭を揺らしてから、非常にゆっくりとした動作でドアの裏側から体を出した。緩慢な動きも、血色が悪いを通り越して死人のような肌も、ジョシュアが今日も人間ではないことを証明している。
ジョシュア・コットンがアンデッドウイルスを発症させたのは、二ヶ月前のことだった。善き隣人であり友人でもある男から唐突に「もうあえない、さよなら」とメールで告げられた時、やっぱりメグは激怒した。さよならって何よ。意味わかんない。理由は? というか、何でメールなわけ? そういうのって面と向かって言うもんでしょ!?
メグは我が家を飛び出すと、三軒右隣に建つコットン家の玄関ドアを力任せに叩いた。叩くだけではなく、やっぱり「ジョシュア! ジョシュ! 居るんでしょ! 出て来なさい!!」と叫んだ。真夜中と呼べる時間帯だったが、当時のメグには関係なかった。メグにとって、ジョシュア・コットンは友人以上に大切な存在だった。一度も打ち明けたことはなかったけれど、メグはジョシュアを愛していた。
近所迷惑なんてクソ食らえ! と言わんばかりの激しいノックに、住人は全く応じる気配を見せなかった。しかし、メグの携帯電話には次々とメッセージが届いた。
「あえない」
「かえって」
「さよなら」
自分を拒絶するメッセージに、憤怒の炎は激しさを増した。メグは玄関脇の植木鉢で窓を破る暴挙に出た。そしてコットン家へ不法侵入し、自室の奥で隠れるように座り込んでいたジョシュアの頬を平手打ちした。彼の体がゾンビ化し始めていると知ったのは、この瞬間だった。打った左頬が妙に固く冷たかったからである。
ジョシュアが送り続けた「さよなら」は、この世で一番大切な女の子を傷付けたくないという彼なりの優しさだった。けれど、メグには大きなお世話だった。その日の内にジョシュアを無理矢理引っ張り出し、問答無用で自宅に連れ帰って同居を開始した。辿々しく訴えられる拒否権は聴こえないフリをした。
アンデッドウイルスの有り難い点は、映画やゲームのように数時間経ったら完全にゾンビと化すのではなく、緩やかに症状が悪化して最終的にゾンビとなるところだ。勿論、年齢や生活環境によって症状の進行は様々である。過去には三日と保たずに完全体となる人もいたし、一年以上経っても中途半端なまま生活している人もいる。
ネット記事によると、人間の肉を欲するようになったら、ゾンビ化が急激に進むらしい。ネットの情報を鵜呑みにするなんてバカらしいと思いたい。が、先にゾンビとして駆除されたジョシュアの家族や、理性を失って娘を襲ったメグの両親を考えると「バカらしい」の一言では片付けられなかった。
指示通りに座ったジョシュアに、メグは「この腕、どうしたの」と問い掛ける。ジョシュアは「あー……あ」と意味を持たない声を発しながら、向かいの家を指差した。
「……アボットさん? アボットさん家の、誰かの腕なの?」
「あ……あ……」
「……そっか。お腹空いた?」
ジョシュアは、ゆるりと首を横に振る。
「……冷蔵庫に入れるって約束は、憶えてる?」
今度は横にも縦にも、首を振らなかった。
メグは「そっか」と、力なく呟いた。喉の奥がギュッと締め付けられて、胸が苦しくなる。目元が燃えるように熱くなって、視界がゆらゆらと揺れて不明瞭になった。
ジョシュアの固い手を握りしめる。とっくに人間らしさを失った体温を感じながら、メグは震える声で「愛してるよ」と告げた。喩えどんな姿形になっても、メグはジョシュアを愛していた。初恋を棄てるなんて残酷なことは出来なかった。
「……ぅ……ぼぅ、も……あ……」
「……うん。ねえ、ジョシュ。最期まで一緒に居るからね。ちゃんと私が看取って、すぐ後を追う。嫌だって言っても、ずーっと一緒に居てやるんだからね!」
メグの宣言に、ジョシュアはまた意味のない声を発した。首は上下に振られている。相変わらずの緩慢さに、メグは涙を流しながら可笑しそうに笑った。
(了)
死がふたりをわかつまで 吾妻燕 @azumakoyomi
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