2‐2

 厳格な両親の元で育った美夜にとって同じ蕨市内で暮らす祖父母の存在は何よりの心の癒しだった。

美夜の父親の両親とは思えないほど祖父母はおっとりとした性格をしていて、孫の美夜にいつも優しかった。


 美夜は祖父母が大好きだった。だから美夜が中学二年生の時に祖母が病死した時は美夜は涙が枯れるまで泣き続けていた。

最愛の妻を亡くした祖父はすっかり気落ちして、しばらくは外出もせずに家に引きこもっていた。そんな祖父を心配していた美夜は塾のない平日の夕方や、休日になると祖父の家を訪れて将棋の相手や話相手をしていた。


 祖父と将棋を指している時間だけは美夜はなにものからも解放された。厳格な両親からも、ワガママな佳苗からも、学校からも、勉強からも、美夜を取り巻くわずらわしいものすべてから彼女は解放されていた。


 美夜の心に悪魔が住み着いたのは高校二年生の12月。いや、本当はもっと以前から彼女の心には悪魔が潜んでいた。

その悪魔が顔を覗かせたのが、あの悪夢の夕暮れの日だった。


 その日は美夜の高校は期末試験の最終日で早く学校が終わった。川口市内の進学校に通う美夜は高校の最寄り駅のJR川口駅から電車に乗り、二駅目のわらび駅で降りた。


北風の寒い午後。彼女はマフラーに顔を埋めて駅前に停めた自転車で家路を辿る。

まだ午後4時前、今日は塾もない。久しぶりに祖父の家に寄ることにした美夜は自転車の方向を自宅から祖父の家に変えた。


 祖父の家は蕨市のちょうど真ん中の辺りにある。だんだんと染まっていく茜色の空が美夜の頭上に広がっていた。


 瓦屋根の平屋の前で美夜は自転車を停めた。玄関先には祖父の趣味の盆栽が並んでいる。またひとつ増えたかなと美夜は笑って、合鍵で家の鍵を開けた。


「お祖父じいちゃーん。美夜だよ」


今日美夜がここを訪れたのは突然の思いつき。いつもは連絡をしてから訪問するが、祖父と孫の間柄では突然の訪問も許される。


「お祖父ちゃん?」


祖父の愛車は隣のガレージにあり、彼の自転車もあった。在宅していることはあきらかだ。しかしいつも祖父のいる居間に祖父の姿が見えない。


どこかに散歩にでも行っているのだろうか。しばらくここにいて帰りを待とうとした美夜の耳に、物音が聞こえた。

物音は建物の奥から聞こえてくる。


板張りの廊下は歩くと軋む。なるべく音を立てないようにして美夜は長い廊下を進んだ。廊下の窓からは西日が差し込み、壁に美夜の影を作る。


 そこは祖父の寝室。祖母が存命だった頃は夫婦の寝室だった部屋だ。


 ふすまで閉じられた部屋から音は聞こえる。わずかな躊躇ためらいと、祖父に何かあったのではないかとの不安がない交ぜになり、美夜は恐る恐る襖を開けた。


部屋の光景に美夜は愕然とする。何が起きているのか正しく理解をするのは難しかった。


 部屋には白髪の男と黒髪のボブヘアの女がいる。

男も女も裸だった。美夜の位置からは畳に寝そべる男とその上に跨がる女の様子がよく見えた。

白髪の男は美夜の祖父、女の方は……佳苗だ。


裸になった祖父の上に佳苗は跨がり、肉付きのいい腰を上下に振っていた。豊満な胸が彼女の動きに合わせて揺れている。

祖父は美夜がこれまで聞いたことのない奇声を上げていた。


「……佳苗……」


美夜の一言で佳苗の動きが止んだ。耳が遠くなってきている祖父には聞こえていないのか、祖父は反応を示さない。

顔の角度を変えた佳苗がこちらを見る。目が合った瞬間に佳苗がニヤリと笑っていた。悪魔の……笑いだった。


目の前のおぞましい光景から美夜は逃げた。今すぐここから逃げ出したくて、全速力で自転車のペダルを漕いで自宅に帰った。

家に戻っても夕暮れに照らされた悪夢の光景が目に焼き付いて離れない。裸の祖父と裸の佳苗、佳苗の甘えた声、祖父の奇声……何もかもがおぞましい。


 佳苗からメールが来たのはその夜だ。今から会えない?と言われて指定されたのは家の近所の公園。

美夜が公園に着いた時、佳苗は呑気にブランコに乗って遊んでいた。12月の夜空の下、美夜の心もこの気温と同じく冷えきっていた。


「そんな怖い顔しないでよ」

「なんなのあれ……」


ブランコを覆う柵の前で美夜は佳苗を睨み付けた。佳苗はけろりと笑ってまだブランコを漕ぎ続ける。


「あー……美夜には刺激強すぎたよね。あんたはまだ処女だもんね」

「答えて! なんで佳苗がお祖父ちゃんの家に?」

「美夜のお祖父ちゃんの家なんて昔から行ってるじゃない」

「そんなことが聞きたいんじゃない! 私が聞きたいのは……」


 美夜はその先をどうしても言えなかった。口に出せば目撃したものが真実になる気がして、見たものが現実になってしまう気がして、言えなかった。


 佳苗は美夜を嘲笑っていた。彼女はブランコを漕ぐ速度を落とし、次第にブランコが動きを止める。


「美夜は孫だからそういう目で見れないだろうけど、おじいちゃんだって男なんだよ。おばあちゃんが死んじゃって寂しかったんだよね」


 お祖父ちゃんが男……そんなこと考えたこともなかった。お祖父ちゃんは“お祖父ちゃん”と言う生き物で、美夜にとっては優しい祖父。

考えてみればバカな話だ。祖父だって生殖器のある男、生物学的な雄なのに。


「まさか美夜、あんた頭いいくせに子どもはコウノトリが運んでくるとでも思ってるの? あんたのお父さんが生まれてるのも、あんたのおばあちゃんとおじいちゃんが若い頃にヤったからでしょお?」

「……そんなの……わかってる。だけどなんで佳苗と……」

「だぁーかぁーらぁー。おじいちゃん寂しかったんだって。私がちょっと膝の上に乗っただけで勃っちゃってね。やっぱりそういうのは孫の美夜とは違うんじゃない? あんたがおじいちゃんに甘えるだけならきっと勃たないんだろうねぇ。ま、孫に欲情するのもアブナイか」


佳苗の口振りはまるで他人事だ。訳がわからない。この女はなにを言っている?


「それで私がちょっと口でしてあげたら喜んで出しちゃってね。お小遣いもくれたの。だからそれからもちょこちょことね。でもやっぱり身体はお年寄りだからほとんど私が上で動いてるけどおじいちゃん、あの年齢にしたらまだまだ現役だよー? もう、凄いもん。下半身ではあんたのお父さんよりも上ね。おじいちゃんが若い頃はもっと絶倫だったのかなぁ」


また聞き流せない言葉が耳に届いた。


「……お父さんって……まさか……」

「あんたのお父さんも食べちゃった。ごちそうさま。おじいちゃんに比べるとそんなに上手くなかったけどね」


ペロリと舌を出す佳苗に謝罪の気配はない。自分のしていることがどれだけ非常識で道理に外れていることなのか佳苗はわかっていない。


「美夜ってお祖父ちゃんっ子だよね。大事な大事なお祖父ちゃん貰っちゃった。ごめんねー」


何の感情も込められていない佳苗の謝罪。

祖父も父も、佳苗に奪われた。

この日から美夜は佳苗を殺したいと心底思うようになった。


──誰か……私の代わりにあの女を殺してくれませんか?──


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