コスプレ会場で魔法少女に声を掛けたらとんでもないことになった話

魚鮒チャヤ

仮装的な恋の始まり

 日本最大の同人・コスプレイベント、フェスコミ。

 その最終日は天候にも恵まれて、十二月にも関わらず過ごしやすい暖かさとなった。

 会場がオタク特有の酸味で満たされる中、俺は全力疾走していた。


(やべえ、遅刻した! 前日まで衣装づくりしてたアダがこんなところで!)


 フェスコミのコスプレブースは事前に決められており、そこ以外での撮影等は禁止されている。

 レイヤーは事前に入場が許可されているが、遅れてしまった場合は一般参加者に交じって入るしかない。

 そのため、「執事のコスだし、準備なんてすぐ終わるだろ」と高をくくっていた俺は、更衣室から撮影ブースまで、タキシードで全力疾走する羽目になった。

 真冬にもかかわらず、汗が滝のように噴き出す。


「つーかあの作品、徽章の造形凝りすぎ!? 縫い付けるのに時間かかりまくったわ!!」


 更衣室のある建物から出たところでいったん足を止め、マップを使って現在位置と撮影場所を確認。


「今がここで、ブースがここで……遠いなぁもう!! 更衣室の隣に設置しろよ!! ……ん?」


 運営に半ば理不尽な文句をぶつけた直後、視界の端にやたら派手な格好の人間がしゃがんでいるのを見つけた。

 ゆっくりと近づいてみると、座り込んだ一人の少女が、鼻を鳴らして泣いていた。

 かわいらしいフリルと、いたるところに付いた桃色のリボン。

 間違いない、彼女が普段からゴスロリファッションをたしなむ変人でなければ、あれは『魔女っ子♡キュアマジ』の主役、『牛飼りんね』のコスプレだろう。

 元ネタの少女もコミュ障設定だったが、目の前の少女は本気で困っているようだ。

 どうかしたの? と声をかけようとしたところで、周りの人々がこちらを見ていることに気づいた。


「おいあれ、『ホワイト・シープ』の『クリス』じゃね?」

「うわ、本当だ! すっごいイケメン、惚れちゃいそう……!!」


 道行く人が皆、こちらに関心を示していた。


(そうだった……俺は今、『ホワイト・シープ』の『クリス』なんだ。いつも野獣のごとくふるまう彼が、子供に合わせて話しかけるのは違和感がある……)


 コスプレイヤーには大きく分けて二種類の人間がいる。

 外見だけ寄せるヤツと、内面までキャラになり切るヤツ。

 前者の人間なら、だれかと話す時も普通に接すればいい。

 だがしかし、俺は後者の人間であり、コスプレイヤーたるもの一言一句一挙手一投足に全身全霊をかけるべきという矜持の持ち主だった。


 んん゛っと大きな咳ばらいを一つ。

 喉の奥のほうに力を入れ、できるだけ低い声を出せるよう意識する。

 そして、意を決して少女に声をかけた。


「お、おいチビ、何をメソメソ泣いてやがる。嫌なことがあるんだったら、口にしないと何も進まねえだろうが」


 訳、困ったことがあるんなら手伝うよ?

 どうだろうか、伝わっただろうか。


 少女は声をかけられて初めてこちらに気づいたようで、緩慢な動作で頭を上げ、きょとんとしたまま膝を抱えてこちらを見つめた。

 そして突然……。


「ふ、ふぇぇぇぇぇぇえええ……!!」


 大きな瞳に大粒の涙を浮かべて泣き始めてしまった。


「お、おいどうした!?」

「ば、場所が、わか゛んなくて゛っ……!」


 場所、というワードを聞いてそれとなく察した。


「もしかして、フェスコミ初めてか?」


 コスプレ魔法少女は泣きじゃくりながら首肯した。


 フェスコミの規模は間違いなく日本一のもの。

 それ故に会場の広さも他のイベントと比べて段違いであり、参加者に迷宮と揶揄されるほど、複雑極まりない構造をしていた。

 フェスコミ初心者が迷子になるのも、無理はない。


「……しゃーねぇ、俺についてきな」


 ルーキーを導くのも、先輩の務めだ。

 しゃがんでいる少女の手を取り、立ち上がろうとしたところで、


「痛っ!」


 と彼女は小声で漏らし、くるぶしのあたりを押さえてうずくまってしまう。

 痛みを訴える発言に、何年もコスプレを続けている俺はピンときた。

 少女に駆け寄り、足を確認するために声をかける。


「やっぱりお前、靴擦れしてるじゃねーか!」


 淡いピンクのトウシューズのすぐ上、靴と足の境目が見事に腫れ上がっていた。

 おそらく慣れないコスプレ用の衣装で、さんざん会場を歩き回った結果だろう。

 初心者にありがちな、つらいミスである。


「手当てしてあげたいところなんだが、ここで長居するのもマズいな……」


 俺と彼女がいるところは、あくまで一般参加者用の場所だ。

 ルール違反をとがめるかのように、周りの目も厳しくなってくる。

 いずれコミフェススタッフから移動するように警告されることだろう。

 いっそのこと、彼らに手当てやその他もろもろを託してしまってもいいのだが、 しかし俺のコスプレ魂がそれを許さなかった。


 せっかくの非日常だ、誰かに邪魔なんて絶対にされたくない。

 俺も、そしてきっと、彼女も。


「……じっとしてろよ」

「な、何を……? っひゃぁぁぁあああぁぁぁ!?」


 俺は彼女の耳元でそうささやくと、三角座りをしていた彼女のひざ下と背中に手を回し、そのまま勢いよく持ち上げた。

 世間一般で言うところの、お姫様抱っこというやつだ。


「お、おいみんな!? 『クリス』が『りんね』を抱いて歩いてるぞ!?」


 周りでこちらを卑下するように見ていたオタクたちが、一斉に手のひらを返し、神でも降臨したかの如く拝んでくる。

 どんな同人誌でも成立しなかったクロスオーバーが今、リアルで実現していた。


「……つらいと思うが、もうしばらく我慢してくれ。ブースに着いたら簡単な手当てしてやるから」

「…………はぃ」


 俺の腕の中で丸くなる彼女は、羞恥に耐え切れなかったようで、赤面する顔を小さな手で必死に隠すので精いっぱいらしかった。

 そのしぐさに、思わず胸が暖かな気持ちになる。


「尊い……」「ありがとうございますぅ……」「語彙が消える」「ここすき」


 尊さのあまり道を開けてしまうオタクたちを目の端にとらえながら、俺は魔法少女を抱え上げたまま、ゆっくりとコスプレブースに歩みを進めた。



 魔法少女には、ブースに着いた後、簡単な治療を施した。

 患部にばんそうこうを張っただけの、非常に簡素なものだ。

 あとは自分でなんとかするらしいので、そのまま現地で別れる運びとなった。

 ふわふわ衣装とばんそうこうという、世界観のおかしな魔法少女は、別れるときに何度も何度も頭を下げてきた。

 赤の他人をお姫様抱っこしてきた俺がいうのもあれだが、やはり誰かに感謝されるのは恥ずかしい。

 俺は逃げるような形で彼女のもとから足早に立ち去った。



 その後、コスプレイベントはつつがなく終了し、俺は現在、更衣室の扉に手をかけていた。

 この瞬間が、どのイベントでも一番緊張する。

 一般的なコスプレイヤーからすると、特に何もないような行為なのかもしれないが、俺にとっては全工程で最も気の滅入る時だ。

 しかし、更衣室の外で着替えるわけにもいかない。

覚悟を決めて腕に力を籠めると、簡単に扉は開いた。

 そして目の前に広がる光景は、いつもと同じ。


 驚いた顔で反射的に胸元を隠した女性たちが大勢いた。


 おかしな声をあげられる前に、急いで自分のロッカーの前へ。

 中から自分が着てきた私服を取り出したところで、誰かから話しかけられた。

 さっきのブースで近くにいた人だろう。


「あの、さっき『ホワイト・シープ』の『クリス』のコスをしていらした方ですよね……?」


 返事ができない。

 答えたくない、からではない。

 自分の主人格を定めることができないからだ。

 衣装を着替えているこの瞬間だけ、自分が自分じゃなくなる。

 いつもそんな気がしていた。


「驚きましたよ、まさかあなたが……」


 やめて。

 心の中で叫んでも、彼女には届かない。


「女性だったなんて」



 着替えが終わって外に出たとき、非日常のはどこかに鳴りを潜め、いつものだけがそこにいた。

 煌びやかな衣装のコスプレイヤーが更衣室に入っていき、代わりにかわいらしい私服の女性が出てくる。

 そんな姿を見るたびに、胸が締め付けられた。

 私だって、あんな格好、一度でいいからしてみたいのに。

 そう願っても現実は変わらず、私の身長は相変わらず異様に高いままだし、肩幅だって一向に狭くならない。


 こんなを言うと勘違いされがちだが、別に男装が嫌いなわけじゃない。

 だけど、かわいいと言われたいと思ってしまう程度には、私も乙女なのだ。


「あの……すいません」


 これ以上複雑な気分になるのも嫌なので、そろそろ帰ろうかと考え始めたとき、またも誰かから声をかけられた。

 見るとそこには、かわいらしい顔の少年が息を切らして立っていた。


「『クリス』のコスプレをしてらした方ですよね? よかった、やっと会えた! お話ししたくて、ずっと探していたんです!」


 即座に私の正体を看破するとは、なかなかの慧眼を持った少年のようだ。

 しかし、彼が私に声をかけてきたのは、私に関心を抱いたからではない。

 あくまで私の演じる『クリス』に興味を持ったからだ。


「……どう? 驚いたでしょう? まさか彼の正体が、ダサいおばさんだったなんて」

「? 今のあなたも、十分素敵ですよ?」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の内に衝撃が広がった。


「す、素敵ですって!? 一体どういう意味!?」

「あはは、そのままの意味ですよ。あなたはとっても素敵です。それにほら、さっき僕のこと助けてくれたじゃないですか。あの時『きゅん』と来ちゃって……」


 さっき? 助けた? どういうことだ?

 疑問符を浮かべる私をからかうように、少年はクスリと笑った。


「その様子だと、本当に僕が誰かわからないみたいですね、ショックです。まあ僕も、あなたと同じでキャラを演じるタイプですからね」


 言っている意味が理解できない。


「これは高くつきますよ? 少なくとも、このあと食事ぐらい一緒に付き合ってもらわないと」


 そういうや否や、彼はズボンのすそをゆっくりと上げ始める。

 男のそれとは思えないほどに美しい彼の足には、どこかで見たことのあるばんそうこうが張られていた。

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