窓ガラスをぶち破ってやってきた後輩のラブレター。
洗井落雲
1.
日曜日の午後、部屋で惰眠をむさぼっていた僕は、鳴り響くチャイムの音でたたき起こされた。寝起きでぼんやりする頭を振りながら、小走りで玄関へと向かうその最中にも、チャイムは馬鹿みたいに連打されている。いやがらせか。
果たして玄関の扉を開くと、そこにいたのは後輩の女子、土本りんかだった。土本は僕の顔を見て、にっこりと笑ってこう言った。
「こんにちは、センパイ! わたし、土本りんかのラブレターです!」
僕は扉を閉めた。
土本と僕は、演劇部の先輩後輩の関係だった。初対面から妙に気が合って、それから結構、仲良くしている。土本は元気という言葉に手足が生えて動き出したようなやつで、まぁ、時折突拍子もない事をして友人たちを楽しませたり驚かせたりしているのだが、さすがに今回のは驚いた。何その設定。ラブレターって何。僕が目がしらに手をやって悩んでいる間にも、土本はチャイムを連打しながら、「何で締めるんですか!?」「開けてくださいよセンパイ!」と喚いている。
「おちつけ、土本。お前は疲れているんだ。いったん家に帰って休め」
扉越しにそう声をかけると、チャイムの連打と土本の声は止んだ。帰ったのかな、と胸をなでおろそうとした瞬間、ガラスの割れるけたたましい音が聞こえてきたので、僕は大慌てで音のした方、リビングへと駆けこんだ。
「もう、何で入れくれないんですか?」
そこには、にっこりと笑いながら、窓ガラスをぶち割ったと思わしき石を手にした土本が立っていた。
何コイツ超怖ぇ。
僕はとりあえず、土本をリビングの椅子に座らせて、「頼むから何もするな、本当に何もするな。話は聞いてやるからここでコーヒーを飲んでいてくれ。砂糖は二つでいい?」と言い聞かせた後、窓ガラスに新聞紙とガムテープを貼り付けて補強した。後日、修理を頼むしかない。そんな僕の様子を、土本はにこにこと笑いながら見ていやがる。サイコパスかよ。
「コーヒー飲まないの?」
僕が尋ねると、土本は力強くうなづいた。
「はい! ラブレターですので、水気はちょっと」
「ええ……その設定まだ続くんだ……」
僕は半ば戦慄しながら、土本の対面につく。
「で、その……ラブレター……なの?」
正直引いている僕の気持ちを知ってか知らずか、たぶん知らないんだと思うが、土本は元気いっぱいに。
「はい! わたしは、土本りんかが出せなかったラブレター……その想いから生まれた文車妖妃です!」
「ふぐ……なんだって?」
聞きなれない言葉に、僕が聞き返すと、土本はむふー、と得意げな顔をして、答えた。
「ふぐるまようひ、です。鳥山石燕の生み出した妖怪と言われています。出せずじまいの恋文に募る、情念、想い、行き場を失ったそういうものから生まれるのが、わたし達です。常識ですよ、センパイ」
へぇ、ドラゴンボールの作者って妖怪も描いてたのか。
「土本がサブカル方面に詳しいのは分ったよ。で、それがなんで、窓ガラスをぶち破るようなことをするんだ」
僕の問いに、土本はほほに手をやりつつ、きゃっ、と身をくねらせて、
「それはもう、恋文に込められた思いの強さのなせる業っていうか……センパイ、愛されてますねー。よっ、後輩殺し!」
なんかリアクションが古いのは、妖怪というキャラづくりなのかもしれない。
「で、で、で、ですよ! 今日来たのは、もう、お分かりですよね! だってラブレターが来たんですから! こうなると始まるのは、愛の告白なわけです!」
ははぁ。なるほど。僕はようやく合点がいった。
つまりこれは、土本の『なりきり』なのだ。どうやら土本は、僕に好意を抱いているらしい……よな? この言動を見るに、それはうぬぼれではないだろう。そして、いざ告白する段階になって、勇気が出ないのだか恥ずかしいのかはわからないが、いまいち踏ん切りがつかない。そこで、突拍子もない設定を『なりきる』ことで、その一歩を踏み出そうとした……。
僕らは演劇部の所属で、土本は舞台にもよく出ている。よって、そういう事を想いついたのかもしれない。面白い考えだけれど、突拍子もない。
「じゃあ、その……これから、告白を?」
いざ言葉にしてみれば、こちらも気恥しくなる。出来ればさっさと伝えてほしい。だが、土本は不思議そうに僕の顔を見ながら、んー、と呟いてから、言った。
「あれ。センパイも、土本りんかのこと、好きなんですね?」
その言葉に、思わず、僕はぎょっとした。
「な――なんで、そうなる!?」
思わず、否定する。これから僕に告白しようという子に対してとんでもない態度だった気もするが、しかし土本はにやにやと笑うばかり。
「それはもう? わたしってば文車妖妃ですから? そういう『抑え込まれた想い』みたいなのは聡いんです」
得意げに笑う土本に、僕は視線を合わせることができなかった。
はっきりと言えば、図星である。僕は土本が好きだった。いつからそうだったのかはわからない。気づけば好きになっていて、そばに土本が居ない時に、妙な寂しさと、嫉妬に駆られたりしたものだ。例えば本屋で漫画を手に取った時に、この漫画は土本がすきそうだな、と考えたりする。生活の端々に、土本の笑顔がちらつくのだ。
「んー、ってことは、土本りんかとセンパイは両想いってわけですよ。やった、ハッピーじゃないですか! じゃあ、サクッと告白しちゃいましょう! やっぱりこういうのは男の子からですよ! 男女同権とか性差がどうのこうのと最近はうるさいですが、やっぱり男の子に好きって言ってもらえるのは女の子のあこがれ――」
「ちょ、ちょっと、まってくれ」
僕はどうにか、言葉を絞り出して、土本の暴走を止めた。
「土本、確かに、いや、ちょっと待ってくれ。いう事を考える」
「はい」
僕の言葉に、土本は優しく微笑んで、待ってくれた。僕はしばし、息を整えて、考えて、考えて……。
「いや、その……今日の所は勘弁してくれ。心を落ち着けて、後日――」
「ダメ、ですよ」
今度は、土本が僕の言葉を遮る番だった。
「ダメです。センパイ、良いですか? 言葉って、魔法なんです」
土本は笑った。
「言葉には、確かに魔力があるんです。文字にしても、そう。言葉には、いろんな人の思いがこもっていて、幸せなことも、つらいことも、全部、伝えることができる。でも同時に、人を傷つけることや、殺す事だってできちゃう、怖いものなんです。強いものなんです。それくらい強いものだから――表に出せなかった想いは、言葉は、呪いになっちゃいます。それは、センパイのなかでぐるぐるー、って回って、センパイを、きっとつらくて、ダメにしちゃうんです。わたしは文車妖妃ですから、それを知っているんですよ」
土本の言葉には、妙な説得力があった。言葉に魔力は……という事は分らないけれど、今の土本の言葉には、多分魔力がこもっていたんだと思う。
「だから、今気持ちを引っ込めたら、ダメです。それは土本りんかも望んではいません。……まぁ、土本りんかも、ラブレターを渡す勇気が出せなかったせいで、わたしがこんなことになっているわけですが、それはそれ。どうかセンパイ。センパイの気持ちを、教えてください」
それでも――声が出ない。僕だって、同じだ。勇気が出ないのだ。踏み出すための、勇気が。力が。土本が『文車妖妃』としてなり切ったように、僕自身が一歩を踏み出す、きっかけが、必要だった。
土本はむー、と唸ってから、うん、と声をあげて、頷いた。
「しょうがないですねぇ。よーく聞いてくださいよ!」
ぱん、と胸を叩き、土本は立ち上がった。
「私……土本りんかは、センパイの事が、好きです! 一緒に遊ぶようになってから……ううん、きっと、初めて会った時から、ずっと!」
舞台に立つ女優のように。堂々と。土本は、続けた。
「センパイの、ちょっと情けない所が好きです! 大道具を作ってるときに、指を金づちで打っちゃって、涙目になってたところが好きです! センパイの、優しい所が好きです! 目指してた役に選ばれなくて、泣きそうだった私を、ずっと見守っててくれたセンパイが好き! 私は、センパイの事が、世界で一番、大好き! センパイは――?」
土本が、僕を見る。微笑んでいる。背中を押してくれている。情けない僕を、それでも好きでいてくれている。これに応えなければ、本当に、僕は、ダメになってしまう。
だから僕は、大きく息を吸いこんで、
「僕も、りんか! 君が好きだ!」
リビングが、二人だけの舞台に変わる。観客は居ない。カーテンコールもない。でも、今この瞬間だけは、二人の最高の舞台に違いなかった。
「はい、よくできました」
りんかはにっこりと笑って、
「でも――今のは練習です。わたしも、本来の目的……土本りんかの思いは伝えましたし、消えることにします。良いですか、センパイ? 言葉は、魔法。ちゃんと、明日、土本りんかに好きだって、伝えてくださいね」
そう言うと、まるで煙のように、姿を消した。
混乱する僕の目に映ったのは、床に落ちた可愛らしい封筒と、其処に記された、『センパイへ』の文字だった。
翌日――。
僕は下駄箱で、りんかを待つ。下級生に、不審に思われてるだろうか。まぁ、知ったことじゃない。昨日はだいぶ、恥ずかしい目にあったし、これから僕は、本番の告白をするのだ。この程度で震えてはいられない。
校門の方に目をやれば、登校するりんかの姿見えた。彼女と目が合う。りんかは不思議そうな顔で、でも手を振りながら、こちらへとかけてくるのだ。
僕は、彼女にかける言葉を考えながら、ポケットに手をやった。
そこには、窓ガラスをぶち破ってやってきたりんかのラブレターが、入っているのだ。
窓ガラスをぶち破ってやってきた後輩のラブレター。 洗井落雲 @arai_raccoon
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