取調室のラブコメ
兵藤晴佳
第1話
3畳間くらいの小さな部屋に、机が1つ置いてある。
部屋の中を照らしているのは、その上の手元明かりしかない。
だから、見えるのは机の前に座った男の汚れたシャツの胸と、その前に置かれた椅子だけである。
ドアが開いて光が差し込み、ジーンズ姿で座る男のしかめ顔が見えた。
まだ、若い。20代くらいだろう。
背広姿の男が開けたドアの向こうからスーツ姿でつかつかと入ってきて、その前に座った女も同じくらい若かった。
だが、その声は硬く、厳しい。
「またお前か、
「何だ、あんたかよ、
柚庵と呼ばれた男が不敵に笑うと、さんづけで瑠芽と呼ばれた女は、怒りを押し殺した低い声でたしなめた。
「いい加減懲りろ」
「何の話だ」
後ろ手に椅子へ括りつけられた柚庵が目をそらしてシラを切ると、女は手元明かりを掴んで顔の前へ突きつけた。
美しい顔が眦も鋭く、悪びれた風もない男のにやけた顔を睨みつける。
「とぼけるなよ、お前が
「知らんな」
明かりから目を背けるように、それでいて瑠芽の顔を真っ向から見るように、柚庵はトボけてみせる。
だが、追及は止まない。
「治安警察の尋問を甘く見るな、お前が一夫多妻制を主張するテロ組織、LEOの中心メンバーだってことは分かってるんだ」
「違うって言ってるでしょう……」
バカ丁寧に否認されて、尋問官は自信たっぷりに言い切った。
「今度こそ吐かせてやるさ」
「やってみな……確かに」
男は一拍おいて、その思うところを口にした。
「一妻多夫制なんてムチャクチャな習慣だ」
「一夫多妻と何が違う?」
こともなげに答える女に、男は逆上した。
「違わんから許せんのだ!」
瑠芽はというと、冷ややかな言葉を吐き捨てるように投げつける。
「自分がモテないからって」
「ああ、そうだよ! 俺はモテないよ!」
不貞腐れる柚庵を慰めるように、女はその耳たぶをくすぐる。
「もったいないなあ……こんなに可愛いのに」
「俺は女どものオモチャじゃない!」
瑠芽はわざとらしく膨れてみせた。
「構ってもらえるうちが花よ、男って」
「それは女だって同じだ、だからつまらん見栄を張るんだろうが」
柚庵の激昂は止まらない。
「そんなものを権力振りかざして守ろうとする連中にどれだけ撫でられようが嬲られようが、知らんものは知らん」
瑠芽は艶然と微笑んだ。
「ほとんど白状しちゃってんだけど」
「う……」
気まずそうな男を楽し気に眺めながら、すらりとした肢体を見せつけるように、瑠芽はゆったりと立ち上がる。テロ組織の幹部と見られている若者は、それを怪訝そうに見上げた。
「何を?」
瑠芽の声音は、さきほどとは打って変わって優しい。
「さっさと白状して仲間とアジトを教えればあ、もっとお……」
「何とも思わんな」
柚庵は努めて平然と答えたように見えた。
「仕方ないか」
「う……!」
瑠芽の唇がいきなり、柚庵の唇を塞いだ。ただし、その鼻はしなやかな指でつままれている。
やがて、苦し気に開けられた口から引き抜かれたものがあった。
「差し歯のなかにこんなものを持っているとはな」
奥歯に似せた小さなカプセルの中から引き抜いたのは、1枚の紙きれである。
柚庵は初めて、苦悶の呻き声を上げた。
「それは……」
「書いたら書いたで処分すればいいものを」
瑠芽は鼻で笑いながら、その文面を読み上げた。
この命捨てても、君ひとりを愛する。
「ちょっと前に不良どもの間で流行った過激な愛情表現だ。健康な歯を抜いて、愛のメッセージを仕込んだ差し歯に換える……キスの度に相手の舌がそれに触れるってわけだ」
呆れたようにしかめた瑠芽の顔を、柚庵は不安気に目を見開いて見上げた。
「それを……どうする気だ」
「公表する」
不幸な犠牲者の宝物を取り上げたいじめっ子のように歯を剥く尋問官に、テロ組織の幹部は正体が露見するのも構わず哀願した。
「やめろ……やめてくれ」
「裏切り者がどんなふうに扱われるか……協力者になるなら今のうちだよお」
柚庵の背後で、胸元が見えんばかりに背中を屈めた瑠芽は優しく囁いた。
「はい、って言わないと……」
「お前たちは、いつだってそうだ……」
「だって、殴ったり蹴ったりしたら、何聞いても証拠能力なくなっちゃうし」
耳元で囁くと、若き反体制の闘士は身をよじらせながら、己を戒めるように断言した。
「その末路は……女王バチの下に集う小さな雄バチのようなものだ」
「何がイヤなの?」
瑠芽は柚庵の頭をそっと抱える。その鼻先が、胸の谷間に埋められそうになった。
男は女にではなく、むしろ自分に抗うかのように暴れた。
「お前たちが……やっていることを……なぜ……俺たちがしてはならん?」
瑠芽は、急に柚庵を突き放した。不機嫌にスーツの襟を直す。
「難しいことは考えないことね」
若者も、元通り反体制テロリストのリーダーの顔を取り戻した。
「簡単なことだ。お前たちのものを俺たちが奪い取るにすぎないからな」
2人はお互いに目を背け合ったかと思うと、再び横目で見つめ合った。
そのときだった。
遠くで轟音が聞こえたかと思うと、続けざまの響きが次第に近づき、ついには2人の足元を揺らした。
「何だ!」
あわてふためく瑠芽の前で、尋問室のドアが大きく開かれた。
「ボス! 大変です」
駆け込んできたのは、さっきの背広姿の男だった。
だが、その手には瑠芽の眉間に狙いをつけた拳銃があった。
「……何を!」
柚庵は声を殺してくつくつと笑った。
「始まったようだな」
瑠芽もまた、何かに気付いたようだった。
「これは……」
さっきまで忠実な部下を演じていた密偵が、冷ややかに告げる。
「LEOの一斉蜂起ですよ」
「そんなハッタリが……」
治安警察の尋問官は、その程度の言葉で怯みはしなかった。警察に潜入していたスパイは、拳銃を手に一歩脇へ退いた。
「あなたの味方は誰もいませんよ」
空いたドアの向こうの光景に、瑠芽は絶句した。
そこには、閉店間際のホストクラブもかくやというような、女性捜査官たちの狂態があった。
「もう、好き好きスキ!」
「ああ~ん、もう、どうにでもして~え」
やがて、怒りに震える瑠芽の声が漏れた。
「な……何だ、このイケメンの群れは……」
柚庵は嘲笑する。
「悪いが、女性として当然の反応を利用させてもらった……可愛いもんだな」
美形の男たちにすっかり篭絡された部下たちへの怒りも露わな声で、瑠芽は苛立たし気に叫んだ。
「なめるな!」
だが、攻守の逆転したこの取調室で、テロリストは余裕たっぷりに女性尋問官をからかった。
「そういうお前の頬も、真っ赤だぜ」
「う……うるさい!」
唇を噛んで俯く顔を椅子の上から見上げる男の声が、低くこだまする。
「素直になるんだな……すっかり変わってしまった世界に、1人だけ取り残されるつもりか」
ドアの外から聞こえてくる嬌声は、この世の春を謳歌せんばかりであった。
真っすぐに向けられた銃口を見据えて、瑠芽は開き直った。
「逮捕するならするんだな」
「1人で老いさらばえて死んでいくんだぞ」
呆れたように眉根を寄せる柚庵に、かつて彼を尋問という名のもとで思いのままにもてあそんだ取調官は、精一杯、強がってみせる。
「お前だってそうじゃないか」
「俺の人生はこれからだ」
にやりと笑ってうそぶく反体制主義者に、瑠芽は同じ嘲笑を返す。
「その顔でか?」
「顔は関係ない」
ムッとする柚庵に、瑠芽が自らの立場を忘れたようにおどけてみせた。
「女にとっては大問題だ」
「今はな」
男が嫌味たっぷりの一言が切り返すと、女は余計に意地を張る。
「これからも、ずっとだ」
思想を異にして相争う者同士が、信念を賭けて闘っている……ようには見えない。
どちらかといえば、仲の良い恋人同士のじゃれ合いに近い。
だが、柚庵はふと、真面目な顔で瑠芽を見つめた。
「……好きな男がいるな?」
「まさか」
女に目をそらされても、男の注ぐ眼差しは揺らぐことがない。
まるで浮気相手を問い詰めるかのような口調で決めつける。
「だから、ほかの男には目もくれないんだ」
「デタラメを」
だが、瑠芽は顔を背けたままだった。それにも構わず、柚庵は語り掛ける。
「隠さなくていい。世界は変わったんだ」
さっきとは打って変わった穏やかな問いだったが、瞼を固く閉じたまま、瑠芽はそれを拒んだ。
「変わっていない……自分で言ったろう、男の立場と女の立場が入れ替わっただけさ」
「言えよ、誰だ? 誰なんだ?」
瑠芽の自嘲など聞こうともせず、柚庵は柔らかい声で、しかしはっきり尋ねた。
再び、不敵な笑いが答える。
「死んでも言わない……知りたかったら……身体に聞きな」
シャツの胸元を引っ掴んで広げた女の腕を、柚庵は振り向きもせずに掴んだ。なかばヤケクソ気味に、瑠芽は挑発の言葉を続ける。
「……どうした? 欲しいんだろ、女が」
「そういうの、やめろよ」
胸元の白い谷間から目をそらした柚庵は、力無く言った。敢えて痴態を見せていたらしい公安警察の女性尋問官は、憔悴しきった声で問い詰めた。
「なぜ? なぜ何もしない?」
柚庵は答えない。代わりに、銃を女に向けたままで微動だにしなかったLEOのスパイは、好色な笑みを浮かべて舌なめずりをする。
「じゃあ、私が」
艶かな肩と胸まで歩み寄ると、鼻息も荒く手をかけようとする。それを、テロリストのボスが一喝して制した。
「触るな! その人に!」
卑猥な目的を持った配下も手を止めた。だが、女はそんなことなど気にはしない。
「お前が自分で言ったんだろ、女にそういうことしたいから戦ってるって!」
男も、その言葉には答えず、部下に命じる。
「……おい、解け、俺の手を」
瑠芽を押しのけて柚庵の縛めを解いたスパイの顎に、不意の肘打ちが炸裂した。
拳銃を取り落として、反体制派のメンバーが1人、昏倒する。立ち上がったその幹部を、瑠芽は呆然と見つめた。
「なぜ……」
拳銃を拾い上げながら、柚庵は照れ臭そうに眼をそらしてつぶやいた。
「お前しか、いないから」
取調室のラブコメ 兵藤晴佳 @hyoudo
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作者
兵藤晴佳 @hyoudo
ファンタジーを書き始めてからどれくらいになるでしょうか。 HPを立ち上げて始めた『水と剣の物語』をブログに移してから、次の場所で作品を掲載させていただきました。 ライトノベル研究所 …もっと見る
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