支援金と顧問

 隼人の指示により、クラブハウスにサークル会員は集まった。

「というわけで、我がサークルはちょうど十人になったわけである。ちょっと登場人物が増えすぎた感もあるが、そこは勘弁してくれたまへ」

 隼人は誰に説明しているのかわからないが、真太がサークルに復帰することになった。真太はアイドルを追いかけすぎて二回留年しているので、まだ二回生である。その真太は椅子に座ってすらりとした足を組んでいて、非常に絵になる姿をしていたが、問題がひとつある。真太は頭にピンク色のはちまきをしていて、そこには大きく「I♡聖愛」と書かれていた。それを見て、唯やこはるは大爆笑しているが、聖愛は震えるほど恥ずかしい。

「こら、俺より目立つでない」

 そう言う隼人に真太は一枚のはちまきを渡した。そこには「I♡悠貴」と書かれてあった。汗をかきだした隼人を見て、今度は翼が大爆笑している。そんな翼にもはちまきが渡された。翼は真っ赤になってそれを隠した。きっと「I♡早苗」と書かれていたのだろうと聖愛は確信し、ため息をついた。

 隼人は落ち着いたのか、椅子の上に足を乗せた。

「サークルに真太の実家から支援金が出ることになりました! もうバイトの必要はありません!」

 隼人が言うには、真太を学校に復帰させたことで、真太の両親が感激したらしく、何かお礼をしたいと言ってきたそうだ。そこで、隼人はサークルへの出資を願い出たのだが、当初、相手が提示した額が莫大すぎたそうで、隼人は旅行に行くときにだけ支援してもらうという条件に落ち着けたらしい。

「バイトも結構楽しかったけど、あんなにいい条件いつもあるわけじゃないし。旅行代を気にしなくていいのは助かるかな」

 こはるの言葉にみんな頷く。

 去年、一回しか旅行に行けなかったサークルが、春先一番に旅行活動を行い、今後も頻繁に活動できるチャンスができた。大学生活をエンジョイできるとみんな喜んでいるようだ。

 大学は高校までと違って、大幅に活動範囲が広がり、自由度も大きいが、それには時間やお金の遣り繰りを自分でしっかりしなければならないことは先日の旅行で聖愛は実感していた。特に唯やこはるは面白いことがあれば、突っ走るタイプである。二人の手綱は聖愛がしっかり握っておかなければ、二人は真太のように留年してしまうかもしれない。同期とは一緒に切磋琢磨して学んでいきたい。聖愛はそう思っている。


 二回目の個人レッスンの日。といっても一回目はナターリアの愚痴と隼人への思いを聞いただけなのだが、今度こそ歌唱法を教えてもらおうと聖愛は意気込んでいた。


「あんた、真面目すぎるわー」

 ナターリアはやる気まんまんの聖愛に気が抜けたような声をかけた。

 ナターリアは今日もピアノの椅子の上にあぐらをかいて座っている。白のオープンショルダーのニットにダメージジーンズと、少しお洒落な街を歩いているラフな格好のお姉さんという感じである。それに比べて、聖愛は白いシャツの上にグレーのキャミソールワンピースを着ていて、少し地味で子供っぽく見える。

 聖愛はナターリアのダメ出しを聞いて、少しイラッとした。

「どこが真面目すぎるんですか。個人レッスンの時間は限られているんですよ。ちゃんと教えてもらわないと困ります」

 聖愛はまさに困り顔でナターリアに訴えるが、ナターリアはどこ吹く風な様子だ。

「あのねー。歌っていうのは心情を声で表現するものなの。あんたみたいに、いつもピリピリしているようじゃ、ろくな歌は歌えないわね」

 ナターリアの冷たい言葉に聖愛はショックを受けた。だが、ナターリアの言っていることは正しい。楽しい歌は楽しい気分で、悲しい歌は悲しい気分で表現しなければ観客には伝わらないと聖愛も思う。初めてナターリアから教えてもらったことは、歌ううえで一番大事なことだった。

 聖愛は目を閉じて、深呼吸をした。肩の力を抜いて、イメージをする。旅行で見た湖畔の美しさ、自然の壮大さが頭の中に浮かぶ。すると、気分が楽になったような気がした。

「ナターリア先生、わかりました! 少し気楽にやってみようと思いま――」

「スピー。スピー」

 ナターリアは寝ていた。

 聖愛は無表情で、ピアノの鍵盤を思いっきり叩いた。レッスン室中に不協和音が響き渡る。

 ナターリアは驚いて、椅子から転げ落ちた。耳を抑えているが、すでに遅い。ナターリアは頬を膨らませて、何するのよというような顔で聖愛を睨んだ。聖愛はそんなナターリアを見下ろす。ナターリアはその威圧感を感じたのか、正座をして背筋を伸ばした。

「私思うんですけど、先生って心根腐っているのに歌がとても上手ですよね。どうしてでしょう?」

 今度はナターリアがショックを受けたようで、顔を両手で挟んで表情が歪んでいる。聖愛は大きくため息をついた。せっかく歌について思うことがあったのに、それを伝えてくれた本人が実践していないようでは、信じていいものかわからない。だが、さきほど気持ちがすっきりしたのは確かなので、いい声で歌えるかもしれないという希望があった。

「とにかく、歌唱について本格的に教えてください。歌ってみないとわからないこともあると思うんです」

 ナターリアは崩れていた表情を戻し、苦笑して仕方がないというようにピアノ椅子にしっかりと座った。その様は音楽家のものである。

「私はイタリーだからベルカント唱法について教えるわね。体の小さな日本人に合った発声法だと思うわ」

 ナターリアはピアノを「ドミソミド」と弾くと同時に音階に合わせて「フンフンフンフンフン」と鼻から綺麗な音を出した。

「小さな体で海外の巨人たちに対抗するには、体全体で歌うしかないわ。基本となるのは、もちろん腹式呼吸。でも、お腹だけじゃなくて背中まで呼吸しているようなイメージを持ってね。そしてハミングをしてみてちょうだい」

 ナターリアがピアノを弾く。聖愛は言われたことを意識して、音階に合わせてハミングをしてみた。軽く頭のあたりが振動しているのがわかる。

「横隔膜を大きく動かして、体をリラックスさせるの。体の一部一部の骨が振動していくのを意識して、頭のてっぺんから音が鳴っているようなイメージを持ちなさい」

 聖愛は言われた通りイメージしながら、ハミングをしてみたが、体の一部は振動が感じられるものの、全体となると難しい。今までのボイストレーニングとの違いに戸惑いを感じる。聖愛は不安を感じ、それが表情に表れていたのだろう、ナターリアが意地悪そうな顔をしていた。

「あなた、結構自信あったんでしょう? でも一日でマスターしようなんて甘ちゃんもいいところね。まあ、私は天才だからあっという間にできるようになったわけだけれど」

 そういうナターリアだって自信家ではないかと聖愛は思った。しかし、才能が違うのは実績からして明らかだ。聖愛は努力して大学で学べることを吸収していくしかないと覚悟した。


 レッスンの時間はあっという間に過ぎてしまったが、聖愛はダメ出しをされまくって軽く凹んでいた。そんな聖愛を見てか、ナターリアはレッスンを切り上げて、話をしだした。

「ねえ、マリア。ハヤトの様子はどう?」

「お兄ちゃんの様子ですか?」

「何でもいいの。最近、何かあったか教えてちょうだい」

 聖愛は最近の隼人の行動について、思い出そうとした。カラオケ屋で助けてもらって、バイトでは気を遣ってもらった。旅行ではバカなことばかりしていたけれど、とても楽しかった。大学での隼人は聖愛が知っているダメな兄だけではない。何か魅力を感じるときがあるのだ。

 聖愛は馬鹿にされた分、ナターリアに意地悪をしようと思った。

「お兄ちゃんは最近、好きな人との交流が増えたみたいですよ」

 これは本当のことである。聖愛が大学に入学してからというもの、隼人が悠貴に出会って汗をかいている場面を何度も見る。一緒に旅行に行くことになって複雑そうだったが、喜んでいる風でもあった。

 聖愛の情報はナターリアに思った以上にダメージを与えたようだ。ナターリアは石のように動かなくなってしまった。

「そ、それはやばいわね。私もなんとかハヤトに近づかないと……」

「草葉の陰から見ているだけで良かったんじゃないんですか?」

「それはそうだけど、最終的には結ばれないと意味がないじゃない。他に何か情報はないの?」

「そうですね……サークルの活動が増えました。今では会員が十人います」

「それだわ!」

 ナターリアは何か思いついたのか手を叩いた。


 再びクラブハウスに「歴史探訪ヒストリエ」の会員が集められた。

「ハイ! 今日から私がこのサークルの顧問よ」

 ナターリアの作戦はサークルの顧問になって、隼人とお近づきになろうというものだった。文学部の学生である隼人と音楽学部の講師であるナターリアとでは接点が少ないが、この作戦ならいつでも会えると思ったのだろう。

 一方、会員たちは微妙な顔をしている。

「部活なら顧問や監督っていうのもわかるんだけど、小さいサークルに顧問なんて必要なの?」

 正直者のこはるがみんなを代表してナターリアに問いかけた。サークルや同好会は学生だけで活動を行っている所がほとんどである。大学では学生に対する教師の数が絶対的に少ないし、教師も自分の研究を行っていて忙しい。運動部などは外部から専門家を呼ぶのが通例となっている。

 ナターリアは人差し指を左右に振った。

「あなたたちのサークル活動は旅行をメインにしたものでしょう。移動も多くて、結構なお金も扱うわ。それに未成年も含まれているのだから保護者が必要ってものよ」

 ナターリアの主張は正しいように思える。だが、保護者と言っても、ナターリアの歳は隼人たちとそれほど違わない。むしろ、外国人であるナターリアの方が保護してもらわなければならないのではなかろうかと聖愛はため息をついた。

「いいぞ。ナターリアもまだまだ日本に触れていない所がいっぱいあるし、文化を学ぶ上で旅行っていうものは悪くない」

 そう優しく言ったのは隼人であった。聖愛は驚き、会員たちも同様のようだった。ナターリアは感激したのか、涙を流し始め、「グラッツェ」と繰り返し感謝の言葉を隼人に言った。こうして、ナターリアはお飾りとはいえ、「歴史探訪ヒストリエ」の顧問となったのである。

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ダメ✕モテ お兄ちゃん(仮) さくらねこ @hitomebore1982

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