御曹司とアイドル
GWというものは社会人にとっては長期休暇かもしれないが、学生にとっては短期の休みに過ぎない。旅行から帰ってくると、すぐに学校は始まった。
蘭子による「オペラ基礎」の講義が終わると、聖愛の元に隼人からライッターが送られてきた。
『唯、こはるを連れて、正門に来られたし。涼は誘わなくてよろし』
隼人からの呼び出しが来るときは、だいたいサークルのことだが、クラブハウスではなく、正門に集合というのは初めてである。それに涼を呼ばないのも不思議だ。何か買い物に行くのか、またどこかへ出掛ける気になったのかわからないが、唯とこはるに声をかけて、正門に向かった。
正門で早苗が手を振っている。早苗の他には隼人と杏が待っていた。翼がいないのは珍しい。よく考えると翔もいない。
「ねえ、お兄ちゃん。女子ばっかり集めてどうしたの?」
「それは、お兄ちゃんハーレムを作ろうと――」
聖愛は低い態勢をとると、脇を引き締めた。聖愛の拳は火を纏い、爆発的な勢いをもって、隼人のレバーを襲った。綺麗に決まったレバーブローによって、隼人は泡を吹いて、顔から崩れ落ちていった。唯が隼人の頭を突く。
「今日もまりあ氏キレッキレだね! 翔君がいたら『殺人未遂の刑です!』って言われてるレベルだね」
聖愛が隼人のお腹を殴りだしたのは聖愛が中学生になった頃だろうか。唯はその頃から、この兄妹のスキンシップを楽しみにしているところがある。
隼人は何でもなかったかのように起き上がった。さすがに長年殴られてきただけあって、復活が早い。ボクシングなら必ずテンカウント前に立ち上がることができるだろう。
「今日はちょっと君たちについてきて欲しいところがある」
さきほどの隼人のハーレム発言があったからか、こはるが不審そうに答えた。
「どこ? やらしいとこじゃなければいいけど」
「……」
聖愛が戦闘準備に入ると、隼人は首をぶんぶんと振った。先ほどのレバーブローはかなり効いたのだろう。二発目だけは避けたいようだ。
「やらしいとこではない。だが変なところではある。まあ、着いてから説明する」
みんな首をひねる中、隼人は歩きだした。
大学の裏手に出ると、そこには学生を目当てとした定食屋や、アパートがたくさんある。老舗という雰囲気があって、新入生には少し敷居が高い気もして聖愛はもっぱら学内のレストランを利用していた。隼人はそんな中を通り過ぎて、ある綺麗なマンションの前で止まった。マンションは二十階近くあるだろうか。このあたりの建物では一番高いし、高級そうだ。セキュリティもしっかりしているようで、入口には防犯カメラらしきものがついている。ドアもオートロックらしく、パネルで部屋番号に呼びかけるタイプだ。
隼人がパネルのボタンを押していく。
しばらくすると、ガチャっと音がして男性の声が聞こえた。
「俺のフェチは?」
「絶対領域」
謎の問いかけに隼人が答えると、ドアのロックが外れる音がした。確実にわかったことは、これから訪ねる相手は男ということと、変態であるということだ。
マンションの中も高級感が溢れ、エレベーターも四機ついている。エレベーターに乗って、最上階まで行くと、そこに大きなドアがひとつある。というか、ドアはひとつしかない。隼人がインターホンを押すと、「入るがいいさ」とまた男性の声が聞こえ、隼人はドアを開けて、「行くぞ」と言って入っていった。聖愛たちはボーッと立っていても仕方ないので、隼人の後をついていくと、マンションにしてはとても広いおそらく大理石でつくられた玄関があり、いくつも靴が入るシューズクローゼットが設置されている。そこにはお洒落な革靴やスニーカーが綺麗に飾られており、ここの住人のセンスの良さがわかる。隼人がずんずんと白く長い廊下を進んでいくと、早苗も後ろに続き、遠慮のないこはるや唯、杏も家に上がっていった。聖愛も仕方ないので、最後尾から付いていった。廊下の奥の扉を開けると大きな窓がついた広々とした部屋に出た。無機質な廊下と違い木を存分に使った暖色系のその部屋には多くはないが高そうで、お洒落な家具が揃えられており、行ったことはないが写真で見るホテルのスイートルームのようであった。聖愛が足を踏み入れると、グレーの毛並みをした、とても可愛らしい猫がお出迎えしてくれた。
だが、そのお洒落な部屋に響き渡るのは、女の子の歌声である。その歌が聞こえる方を見ると、バカでかいTVにアイドルのライブ映像が映っている。あれは聖愛でも知っている国民的アイドルである
「隼人、久しぶりだね」
男性は画面から目を離さずに、手をあげて隼人に挨拶をする。
「今日も自宅警備ご苦労だ。
男性は何も答えない。アイドルの歌以外無言の時間が過ぎていく。隼人は嫌な顔もせずに、きょろきょろと部屋を眺めていた。アイドルが一曲歌い終わると、男性は動画を止めて、「客?」と言いながら、やっと振り向いた。
男性は隼人や翼よりも少し背が高いだろうか、手足が長くてモデルのような体型をしている。顔は白くて、目が大きく、鼻が高くて、口元は優しい。襟足が長く、目が軽く隠れる髪は、どこか中性的なものを感じさせた。
男性はしばらく、聖愛たちを眺めていたが、目を見開くと勢いよくソファから立ち上がり、ずんずんと近づいてきた。
「隼人、このキュートな女の子たちは誰だい? アイドルグループでも作ったのか? いや、早苗さんもいるし、どうなっているんだろう。それにしてもレベルの高い子を揃えたね」
「聞いて驚け。俺の妹とその友達だ。全員、俺のサークルに入ったんだぞ」
隼人が偉そうに言うと、男性は驚いたように聖愛たちのことを見た。
「はじめまして! 僕は
高峯奏。美城川55の中ではミステリアスな雰囲気を持つショートカットの美人系アイドルである。どちらかと言うと、女性人気が高い。それにしても、自己紹介にアイドルの推しメンを入れてくるとは、今回の人はかなり強烈であるようで、聖愛は少し覚悟した。真太は聖愛たちを神聖なものでも見るように、一人ずつ眺めている。
「君たちも自己紹介をしてくれないかい。できれば自己アピールも含めてよろしく」
面接でもあるまいし、なぜ自己アピールが必要なのだろう。聖愛が隼人の方を見ると、隼人はグッドラックというように親指を立てている。悪い人ではなさそうだが、確実にアイドルオタクである。アイドルは聖愛も好きだが、ここまで憧れのような目で見たことはない。
トップバッターというように唯が手を挙げた。
「はいはーい。姫川唯。十八歳。今年から美城大の声楽科に入りましたー! まりあ氏と隼にぃとは小さい頃からのお友達でっす。好きな食べ物はチーズちくわと魚肉ソーセージ! よろしくにゃん」
真太は手を広げて天を仰いだ。その様子はサッカーで決勝ゴールを決めた選手のようである。
「マーベラス! 君はすでにキャラが立っている! 猫キャラでありながら、その犬っぽい人懐っこさがたまらないね。バラエティにはきっと引っ張りだこだよ」
褒めているのかわからないが、唯はにこにこと嬉しそうだ。
次にこはるが前に出た。
「橘こはる。同じく十八歳です。真太さんはっきり言って変な人ですね。でも嫌いじゃない変人かなー。私のアピールポイントはおでこの広さと髪の毛かな」
「エクセレント! 美人系で毒舌! Mなファンはきっと、こはるちゃんにぞっこんになるね」
真太は自分の体をきつく抱きしめている。真太の感激するポイントは少し変わっているようだ。そしてきっとドM。
こはるが笑いながら、杏の肩を叩いた。
「おおぅ。白坂杏、十八歳ですよ。好きな言葉は『驕れる者は久しからず』ですー。好きな時代は古墳時代ですよ。
「ですよ! 不思議系キター! やっぱりメンバーに一人は不思議ちゃんが必要だよね!」
真太はずっとテンション上がりっぱなしである。そして、その目が聖愛を捉える。みんな積極的に自己紹介をしている。聖愛一人黙っているわけにもいかないだろう。
「私は、八神聖愛。十八歳。えっと――」
「清純派だ……」
「え?」
「黒くて艶のある髪に小さな顔。綺麗な瞳にバランスの良い口と鼻。身長は平均的で、スタイルがほどよく良い。……君がセンターで決定! そして僕の推しです! 握手してもらっていいですか?」
そう言って、真太はハンカチをだして自分の手を拭いている。まるで、芸能人と握手するかのようだ。真太が手を差し出してきたので、聖愛はおそるおそる握手をした。
「聖愛さん、これからも頑張ってください。大丈夫、僕たちが陰ながら君を支えるから!」
聖愛は白くなった。完璧にアイドル扱いである。それに僕たちって何だ、僕たちって。アイドルの握手会ってこんな感じなのだろうか。それならば、やっぱり本物のアイドルって凄いなと聖愛は世の中のアイドルたちを尊敬した。
隼人が真太をはがす。
「真太は大和グループの御曹司。つまりボンボンだ」
大和グループとは世界を代表する大企業だ。元々は造船会社だが工業を起点に銀行から不動産、商業施設の経営にまで手を広げ、世界経済の全てに関わっていると言われるほどである。その御曹司がこんなところでアイドルのライブ映像を見ながら何をしているのだろうと聖愛は思ってしまった。
「ははは、御曹司なんてそんなことはないさ。僕はただ可愛い子に目がない、ただの学生だよ。あ、軽い男だと思われちゃ困るよ。純粋に可愛いものを愛でるのが好きなだけだから」
真太は真面目に言っているのだろうが、どちらかと言うと軽い男のほうがまだ正常だ。
しかし、聖愛は男性にこれほど褒められたことも詰め寄られたこともない。心臓が高なっているのがわかる。
「で、隼人はこの子たちを僕に見せてくれるために来てくれたのかい?」
「いや、そろそろお前の引きこもりを解消してやろうと思ってだな。この子たちは言ったとおり、俺のサークルに所属している。つまり、お前が学校に来て、俺のサークルに復帰するなら、毎日、この子たちと会えるわけだ」
隼人の進言に真太は目を輝かせた。隼人の言葉は真太にとって、とても魅力的であるようだ。
「大学よりアイドルを選んで引きこもってから早二年、まさかこんな形で外に出ることになるとは夢にも思わなかった……いいだろう、学校に復帰しようじゃないか」
隼人と真太は肩を叩きあっていたが、聖愛たちは完全に置いてきぼりだった。
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