湖畔とオジサン
GWを間近に迎えた頃、美城大学サークル棟の一室において、「歴史探訪ヒストリエ」の本来の活動である旅行について話し合いが行われていた。いつもはボードゲームやトランプなどで暇を潰している会員たちだが、この日はパイプ椅子に座って真剣な表情をしていた。
まず、隼人が切り込んだ。
「一番重要なのは、どこに行くかだ……」
全員が頷く。
旅行先を妥協したくはない。聖愛達のなけなしのバイト代、三万円を無駄にすることはできない。三万円あれば、移動費と宿泊代ぐらいは賄えるだろうが、残りの費用はお小遣いから出すしかない状況だった。だが、中途半端なところには行きたくない。
こはるが手をあげた。
「やっぱり、私は夢の国に行ってみたい。やっぱり都会に出てきたら行かなきゃね」
「夢の国は入場料がかかる上に、周りのホテルがバカ高いんだよ。そりゃ日帰りもできるけど、それだと旅行にはならないんだよな」
翼により即却下されたこはるはむくれたようだが、暇ができたら一緒に行こうねと女子連中になだめられて上機嫌に戻った。扱いやすい女だった。
「歴史探訪っていうぐらいなんだから、歴史が学べるところがいいんじゃない? どこか勉強になるところ探そうよ」
聖愛が真っ当な意見を出すと、隼人を始め、歴史学科のメンバーがあからさまに嫌そうな顔をした。
「もう歴史は十分。楽しいとこ行こ。ね?」
聖愛はため息をついた。隼人達は毎日歴史について勉強している。サークルでまで勉強したくないのかもしれない。このサークルの名前だって形骸化というか最初から歴史など学ぶつもりはなく、旅行サークルの隠れ蓑だった。
「やっぱ、温泉がいいな。旅行といえば温泉! 満喫できること間違いなしだぜ。花津温泉なんていいんじゃないか?」
翼がそう言うと、会員たちの中には首を縦に振るものもいた。早苗がキーボードをカタカタと打っている。
しばらくすると、早苗は残念そうな顔で首を横に振った。
「今からじゃ、GWの宿はどこもいっぱいよ。この人数で予約を取ることはできないみたい」
「ぐぬぬ……」
翼がうなる。GWはもうすぐそこである。ただでさえ旅行シーズンであるし、サークル会員は九人もいる。部屋を取るのは難しいのであった。温泉案が却下されて、みんな黙り込んでいたとき、翔がおずおずと手をあげた。
「お、俺の親戚が湖畔でロッジを経営してるんだけど、そこなら大人数でも泊まれるかもしれない。日本一高い山もあるし、近くには大きなレジャー施設もあるから楽しめる……かも」
翔はだんだん自信なさげになっていったが、会員たちの顔は花開いた。
「ロッジ! ロッジって木でできてるやつでしょ? カックイイ! 唯、一回泊まってみたかったんだ。 テンションあっがるぅー」
「あの超でかいジェットコースターあるとこ? いいねっ。翔君ナイスだよ」
「移動費がでかいけど、ロッジなら安くつくか。ちょっと行けば温泉もありそうだし、いいかもしれないな」
翔の意見はどんどん高評価を得ていた。早苗がパソコンで調べると、ロッジの空きはあるようだった。隼人が椅子に足をあげる。
「旅行先は湖畔のロッジに決定!」
「ただ問題があるわねぇ」
早苗がそう言うと、隼人はあげた足を下ろせなくなった。
「ロッジも結構予約がいっぱいで、一番大きな十人用しか空いてないみたい。男女一緒になっちゃうわね」
男子が一斉に顔を背けた。その様子を杏が怪しい笑顔で見ている。
いち早く正気を取り戻したのだろう。翼が何か考えているようだ。
「十人か、俺たち九人だからもう一人泊まれるわけだ。そうだな、姉貴を呼ぼう。どうよ? 隼人」
翼が意地悪そうに言うと、隼人は固まった。次は青くなって、大量の汗をかきだした。隼人は翼の姉である悠貴の話になると、とたんにキョドるのだった。高校時代の悠貴への告白失敗が原因だと思われるが、隼人は恋愛を引きずるタイプなのかもしれない。
「しょ、しょ、しょ、しょうがないな。な、な、な、何かあるわけじゃないし、人は多いほうが楽しいに違いない。うん。一石二鳥だ」
何が二鳥なのかわからないが、隼人は悠貴を拒否することはしなかった。
「女の子たちもそれでいいかしら?」
早苗が女子に最終確認をした。こはるが「着替えとか覗いたら、先輩でも聖愛がぶっ飛ばします」と言ったが、特に反対意見はなく、行き先は決まった。
旅行当日、聖愛たち「歴史探訪ヒストリエ」のメンバーと悠貴は新幹線に乗っていた。目的地までは新幹線で一時間半ほど、在来線に乗り換えて三十分ほどと、意外と早く着く予定で、朝からどこに行くかという話で車内は盛り上がっていた。
今回の旅行は翔がロッジに連絡してくれたおかげで、宿泊費が割引になり、二泊できる余裕ができた。なので、一日は遊園地に当てるとして、他にも色々探索する時間がある。
「やっぱ、あれだ。樹海」
「えー、それって入ったら最後、方角がわからなくなって戻ってこれないって所ですか? そこら中に人骨が埋まってるなんて噂もありますよね……」
隼人の冗談を涼が真面目に受けていた。冗談かどうかはわからないが……。
「とりあえず、昼食はバーベキューで決まりだろ。目的の駅の近くにスーパーあるみたいだから買い出しに行こうぜ」
旅館ではないので食事は自分たちで用意するか、外に食べに行くしかない。ロッジがあるキャンプ場はバーベキューのセットを貸してもらえるらしく、食材さえ持っていけば良いのでバーベキューをすることに決まった。車内は「肉! 肉!」と大合唱が行われている。
「そうだ! 唯、花火もしたいっす!」
「実はすでに用意してある」
隼人はそう言うと、鞄の中から大量の花火を取り出した。唯はそれを見て、目を輝かせた。しかし、聖愛は不審な目で花火を見つめた。
「やけにロケット花火が多いんだけど……」
「花火と言ったら、ロケット花火合戦だろう」
「あんなうるさいの他の人の迷惑になるでしょ! 却下」
「「えー」」
隼人と唯はうなだれたように聖愛を非難した。この二人は手綱を握っておかなければ、何をするかわからない。
そんな二人を面白そうに眺めていた悠貴が、ふいに、「そうだ」と何かを思い出したように声をあげた。
「昨日、調べたんだけれど、ロッジの近くに温泉があるらしい」
その情報にみんな食いついた。ロッジにもお風呂があるらしいが、十人が交代で入るのは辛いものがある。温泉なら大人数でも平気だろう。
メンバーが喜んでいると、悠貴が含み笑いをした。
「くくく、男性諸君喜びたまえ。その温泉はなんと混浴だ」
隼人は盛大に咳き込み、翼は早苗の方をちらちら見ながら赤くなっている。翔や涼は彫刻のように固まっていた。こはるや早苗は笑っていたが、唯は柄にもなく真っ赤になっていた。聖愛は隼人や翼に裸を見られることを想像し、焦った。
「そ、そ、そ、そんな混浴だなんて入れるわけないじゃないですか!」
「どうしてだい? 私は別に構わないけどね」
悠貴がそう言うと、隼人は飲んでいたお茶を涼に吹きかけていた。
「せっかくの旅行なんだ。みんなで一緒に楽しもうじゃないか」
最年長の悠貴の鶴の一声で混浴温泉に入ることが決定した。
目的地に着くと、そこは湖畔が広がり、その周囲を春の山々が囲んで、自然の宝庫だった。間近に見える日本一高い山は晴れ渡る空に届かんとばかりに雄大だった。
隼人は嫌がる涼を連れて、本当に樹海に入ろうとしたが、聖愛の渾身の一発を食らい、湖の中へと落ちていった。
綺麗な丸太が組み合わさったロッジは十人用とだけあって、とても大きい。中も広々としていて、木の香が心地よい。キッチンもついているため、夕食はカレーを作ることに決まった。
「おっし、男ども。バーベキューの準備をするぞ。女の子たちは具材を用意しておいてくれよ」
バーベキューに関しては慣れているらしい翼が仕切ることになった。みんなが動き出す中、翔だけはごそごそと自分の荷物から釣り竿を取り出した。
「ふふふ、この湖はニジマスが釣れるので有名なんです。俺が大量に釣ってきますよ」
そう怪しくつぶやいて、翔は釣りセットを持ってさっさと出ていってしまった。翔もちょっと変かもしれないと聖愛は翔のパラメーターを変更した。残された三人の男子はバーベキューセットを借りに行き、女子は食材の準備にかかった。
ちょうど食材の準備が出来た頃に、男連中もバーベキューの準備ができたと呼びにきた。翔がまだ帰ってこないので、湖の散策がてら、聖愛と唯とこはるで探しに行くことにした。
湖畔には色とりどりの花が咲き、湖は太陽の光を反射させて、きらきらと輝いていた。聖愛はしばらく風景を楽しみながら散歩をしていると、フル装備で釣りをしている翔を見つけた。没頭しているのか、こちらにはまったく気づかない。少し話しかけづらかったが、翔だけお昼を抜きにするわけにはいかない。
「翔君、バーベキューの準備ができたんだけど……」
「ああ、聖愛ちゃん。もう、たくさん釣れたから、そろそろ戻ろうかと思ってたんだ。ちょうど良かったよ」
聖愛がクーラーを開けてみると、何匹もの魚で半分ほど埋まっていた。
翔はリールを回しだしたが、ふいに動きが止まった。聖愛は不思議に思って呼びかけた。
「翔君、どうしたの? これだけ魚があれば十分だよ。戻りましょ」
「聖愛ちゃん、ちょっとやばいかもしれない……」
聖愛が不思議に思っていると、急激に竿が曲がり、翔の体がどんどん湖の方へ引っ張られていく。
「うわあああああ、なんだ、これ! 今までの当たりと全然違うよ。凄いよ、凄い」
喜んでいる場合じゃない。翔は今にも湖に落ちそうである。聖愛は翔の体を引っ張りあげようと、背中に抱きついた。その途端、翔は固まってしまって、どんどん湖へと引き込まれる。
「翔君! しっかりして! ああ、唯とこはるも手伝って! このままじゃ落ちちゃう!」
唯とこはるも聖愛の背中に連なった。さすがに四人の力を合わせると引っ張ることができ、正気を取り戻したのか、翔がゆっくりとリールを回し、糸を巻き取っていく。湖に大きな影が見えだした。
「やばい……
翔がそう言った瞬間、巨大な物体が水しぶきとともに飛び出してきて聖愛は目をつむった。聖愛がゆっくりと目を開けて周りを見ると翔たちは口を開けて固まっている。糸をたどっていくと巨大な生物が針にかかっていた。それは紛れもなくオジサンだった。ダイビングスーツを着たオジサンの口に見事に針がかかっている。オジサンは涙目で針をなんとか取ると、親指を立ててキメ顔をしてから湖へ戻っていった。
「さあ、帰ろうか」
聖愛たちは何事もなかったかのように帰り支度を始めたのだった。
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