ピクニックと猫
春の中頃、聖愛たち一回生に、翼からクラブハウスに集まるようにと連絡がきた。聖愛たちは講義が終わった後、杏や翔と合流し、クラブハウスの一室へ入った。
「ハァイ、エェンドォ、ロォウ?」
「……ハイ!」
「……ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサー……」
「ジャッジ! ……ロウ! イエス! ロウ!」
「オーマイガッ!」
アメリカナイズな隼人と翼がトランプで遊んでいた。聖愛はそれを白い目で見ている。隼人はいつものこととしても、まさか翼までとは……と聖愛はショックを受けていた。
部屋の端では、早苗が楽しそうにノートパソコンで調べ物をしていた。聖愛は隼人たちを放っておいて、早苗の後ろへと回り込むと、パソコンの画面を見た。
「早苗ちゃん、何調べてるの? ゼミの資料かなにか?」
聖愛に気づいた早苗はいつもの笑顔で「いらっしゃい」と言って、聖愛にも画面が見えるようにパソコンを動かした。聖愛が画面を見ると、そこには『日本スペイン村グーテンタークの森』と書かれていた。もはや、どこの国にあるのかわからない名前に聖愛は開いた口がふさがらない。だが、名前はともかく、載っている写真はとても綺麗だった。
「素敵なところでしょう。ここなら楽しめるかなと思って」
聖愛は早苗の言葉の意味がわからなかった。すると、それまでトランプで泣いたり笑ったりしていた隼人が立ち上がり、片足を椅子に乗せた。あ、これ何か宣言するときのポーズだと聖愛は覚悟した。
「ピクニック! カモン!」
隼人はまだアメリカかぶれしているらしい。言っている意味が二重でわからない。聖愛が拳に息を吹きかけ始めると、隼人は顔を青くして「ヘルプ! ヘルプ!」と叫んでいた。
床に叩きつけられた隼人が復活すると、翼が代わりに説明を行った。
「今度、サークルでピクニックに行こうと思ってるんだ。そのことで今日は集まってもらったんだけどね。ちょっと、隼人と遊んでたら、こうなっちゃったよ。ははは」
翼が隼人と仲良くなれた理由がなんとなくわかったが、翼は正気に戻ったようで聖愛は安心した。
それにしてもピクニックとは楽しそうな響きである。唯や涼もピクニックと聞いてはしゃいでいる。
そんな中こはるは微妙な顔をしていた。
「えっと、このサークルって旅行サークルじゃなかったんですか? ピクニックってまたちょっと小さくなったような気がするんですけど」
こはるの忌憚のない言葉に翼は頭をかいて苦笑した。
「本当はパーッと温泉にでも行きたいところなんだけどね。実のところ会費がないんだよ。俺を含めて、懐事情が苦しい人もいるだろうし。だからピクニックぐらいなら行けるんじゃないかって、早苗ちゃんが提案してくれたんだよ。何も活動しないよりかはいいだろう」
懐事情と聞いて、唯とこはるは元気がなくなった。聖愛の家は裕福だが、完全小遣い制なので、聖愛も隼人もそれほどお金を持っているわけではない。
早苗が資料をみんなに配っていく。その表紙にはさきほど見た公園の写真が載っていた。
「行き先は『最寄駅』から電車で一時間ぐらい先の『日本スペイン村グーテンタークの森』だ。春になるととてもたくさんの花が咲いて綺麗らしい。本格的な遊具なんかもあるらしいから、楽しめると思うんだ。何よりも入場料が無料だ」
聖愛は翼の説明を聞きながら資料をめくっていった。確かにここなら必要なのは電車賃だけだし、ピクニックにはもってこいだと聖愛は思った。
すると、頷くばかりで説明をすべて翼に任せていた隼人が突然聖愛を指さした。
「我が妹よ。兄の名において命ずる。弁当を作りたまえ!」
隼人の言葉を聞いた聖愛は固まった。たしかにピクニックといえば、お弁当である。聖愛は料理が趣味だし、お弁当だって高校時代は自分で作ったりもした。ただ、隼人から作れと言われると、どこからか湧き上がる怒りを聖愛は抑えられなかった。その雰囲気を感じ取ったのか、杏が聖愛の手を握った。
「私たちも手伝うですよ。私、一度お弁当を作ってみたかったです」
可愛い杏の申し出に聖愛は何とか怒りを抑えると、「わかったわよ」とお弁当作りを請け負った。唯やこはるもお弁当作りを手伝いたいと言ったので、ピクニック当日の朝に聖愛の家に集まることにした。
「早苗先輩は作らないんですか?」
こはるから出た問いは当然のものだろう。早苗を除いた女子全員が弁当作りを楽しみにしていた。そこに早苗が加わらないのは不自然である。しかし、それには事情があった。
「あら、私も作りたいわ。みんなでわいわいするのも楽しそうね」
隼人が汗をかきだした。聖愛は、あれは冷や汗に違いないと確信した。
早苗は料理が絶望的に下手である。その容姿から家庭的なイメージをもたれ、料理を任されることがあるが、頼んだ人は二度と早苗に料理をさせなかった。早苗は隼人の弁当を作りたがった。隼人はなんとか断ろうと努力していたが、早苗が作ってきた弁当は全て完食していた。その点では聖愛は隼人を尊敬している。
「じゃあ、男どもは荷物を持つとしようか。当日楽しみにしよう」
翼がそう言うと、「はーい」とのんきな返事が部屋に響いた。
ピクニック当日、女子たちは聖愛の家に集まって、お弁当作りに励んでいた。こはるはお弁当を作るのは初めてだと言っていたが、とてもそうは思えないほど料理が上手だった。
「へへ、お父さんのお酒のツマミは私が作ってたからね」
そう言いながら、唐揚げを手際よく油の中へ入れていく。
唯はそれほど料理が得意ではないので野菜の皮を剥いたり、切ったりする作業を任せた。杏はレシピを完璧に覚えて、実践している。さすが秀才と聖愛はこれまた感心していた。問題は早苗である。聖愛はなんとか早苗に料理をさせないよう考えた。そこで、早苗には出来たものを弁当箱に詰め込む作業を任せた。しかし、早苗が一品ぐらい作りたいと言い張ったので、仕方なく早苗の創作料理をお弁当に入れることとなった。
弁当ができる頃に、聖愛は妹エルボーで隼人を起こし、荷物を持たせて駅へ向かった。待ち合わせの『最寄駅』に着くと、男性陣はすでに集まって手を振っている。
そこから電車に揺られて一時間、バスに乗り換えて二十分ほどで『日本スペイン村グーテンタークの森』に着いた。
「綺麗……」
聖愛たちは一面の幻想的な花畑を眺めた。
すると、隼人がさっそく花畑の中へ走り込んでいった。何をしているのかと、しばらくみんなで見ていると、隼人は花かんむりを持って戻ってきた。そして、それを「ほれ」と言いながら、聖愛の頭に乗せたので、聖愛は恥ずかしくて、顔から火が出そうになった。
「と、突然何するのよ。恥ずかしいじゃない」
隼人は聖愛の言葉を聞いて、不思議そうな顔をした。
「だって、子供の頃よく作ってやっただろ。聖愛喜んでたじゃないか」
聖愛は子供の頃に思いを馳せた。小学校の低学年の頃だったろうか、聖愛と唯はよく近所の年上の子にいじめられていた。その度に隼人が駆けつけて助けてくれたのだ。そして、泣きじゃくっている二人の頭に今のように花かんむりを乗せてくれた。
「そ、それは子供の頃の話でしょ。大学生にもなって、花かんむりを作ってもらうなんて――」
「ほれ、あっちの方でもやってるぞ」
そこにはたくさんのカップルたちが同じように花かんむりを作り合っていた。聖愛はなおさら恥ずかしくなって、何も言えなくなってしまった。
「ほら、唯の分も作ってきたぞ」
そう言って隼人は唯の頭に花かんむりを乗せた。唯は赤くなって何も言わない。こはるがそんな唯の脇をひじで小突いていた。
「じゃあ、みんなの分は俺が作ってこようかな」
翼も花畑の方に走っていった。
戻ってくるとこはると杏の頭の上に綺麗な花かんむりを乗せた。そして、最後に少し照れたような顔で早苗の頭の上に花かんむりをゆっくりと乗せた。聖愛には早苗の花かんむりが特に色鮮やかに見える。翼は早苗のことが好き。それは聖愛も知っていることである。それでも、あんなに嬉しそうな翼を見ると聖愛は胸がしめつけられるような気がした。
こはるが涼と翔のほうを向いて、ため息をついた。
「あんたたちも、これくらいの甲斐性がないとモテないよ」
公園には大人でも遊べる遊具が揃っている。午前中はその遊具で散々遊ぶと、疲れ切ったときには昼時となっていた。隼人が「腹が減ったぞ」とうるさく言うので、昼食をとることとした。
新歓コンパでも使った大きなシートを芝生に敷くと、聖愛はバスケットから大きなお弁当を取り出した。
「じゃーん、これがみんなで作った力作のお弁当だよ」
お弁当の中にはハムサンドとたまごサンドに加え、とんかつ、からあげ、ハンバーグ、タコさんウインナー、アスパラベーコン、ポテトサラダにアボカドのミックスサラダと美味しそうなおかずがぎっしり詰め込まれていた。それを見た男性陣は一様に感嘆の声をあげた。つまみ食いをしようとする隼人を聖愛が制して、みんなそれぞれに箸やコップを配って食べる準備を整えると「いただきまーす」と号令をして、一斉に食べ始めた。
「このたまごサンドの細かく刻まれたゆで卵とマヨネーズとからしのバランス、そして後から効いてくるバジルの風味がたまらない!」
涼は大げさな食レポをしながら泣いていた。こはるが言うには涼は女の子の手料理を食べるのが初めてだそうだ。聖愛は唐揚げを食べてみた。こはるが作った唐揚げは下味がしっかりついていて、柔らかいかつ歯ごたえもあるという絶品だった。揚げ物ではこはるには敵わないなと聖愛はライバル心を燃やした。
「ねえ、これは何だい?」
それぞれに食事と会話を楽しんでいる中、翔が弁当箱の中を指差している。そこには、あきらかに他のおかずとは異色な物体があった。味が想像できないその物体に手をつける勇者はまだいなかった。正義感の強い翔はそれを見逃せなかったのであろう。
「あ、それはね、私がつくったのよ」
物体Aを調合した張本人である早苗は笑顔を絶やさない。翔はごくりと喉を鳴らして早苗から目をそらした。翔の正義にも限界があったようだ。聖愛も早苗を直視することはできなかった。そんなとき、弁当箱に伸びる手があった。
「食い物は食い物だ」
隼人はそう言って、物体Aを一気に食べ始めた。みんなはそれを唖然とした顔で見ている。聖愛はさすがに隼人の胃が心配になった。だが、隼人は結局一人で食べきってしまった。
「うん、今まで早苗が作ったものの中で一番うまいよ」
「隼人ちゃん……」
早苗は隼人の口についた物体Aを紙ナプキンで拭いていた。そこには二人の世界ができあがっているようで、聖愛は少し羨ましくなった。
しかし、早苗は拭き終わると、隼人の顔を両手で潰した。
「どうして、一人で食べちゃったの? みんな食べたかったでしょうに」
そう言った早苗から一斉にみんな目をそらした。ただ一人、翼だけが隼人と早苗のことをじっと見つめていた。
お弁当を食べ終わると、隼人はさっさと寝てしまい、その傍らに早苗は座って読書をしている。こはると杏は池のほうに遊びにいき、涼と翔はまた遊具のほうへ走っていってしまった。残された聖愛と唯と翼はしばらくそのあたりを散策することにした。
「お、まりあ氏、こっちハイキングコースだって」
唯が指差す先に『ハイキングコース』と書いた木造りの標識が立っており、聖愛たちは食後の運動にと、歩いてみることにした。
十分ほど歩いた頃だろうか、道端に段ボール箱が置いてあるのを発見した。中からは「みゃーみゃー」と鳴き声がする。聖愛が箱を開けると、そこには愛くるしい子猫と少しのペットフード、それに手紙が入っていた。唯は封をされていない手紙を取り出して、開く。そこには決して上手ではないが一生懸命書いたような字が並んでいた。
「このてがみをよんだ人へ。この子は『ちゃちゃ』といいます。おかあさんはきっとうまれて三かげつぐらいだっていっています。わたしは『ちゃちゃ』がとてもすきだけど、おうちでかうことはできないといわれてしまいました。でも、わたしは『ちゃちゃ』にしあわせになってほしいから、これをよんだ人はどうか『ちゃちゃ』をしあわせにしてあげてください」
唯は手紙を読んで号泣していた。翼は「どうしたもんかな」と少し困った様子である。唯が聖愛のことを見た。唯は以前にも捨て猫を飼いたいと親に言ったが、両親と弟が猫アレルギーなので飼うことを許されなかった経験がある。聖愛は唯の顔を見てため息をつくと、子猫を抱いた。子猫は柔らかい茶色の毛にくるくると回った尻尾をしていて、とても可愛らしい顔をしている。人懐っこくて、聖愛の腕の中でゴロゴロと喉を鳴らしている。
「よし、今日からお前はウチの子よ」
そう言って、聖愛は子猫を空へと持ち上げた。
その夜、八神家では第三百二十四回八神家会議が開かれていた。
「猫の名前は『ちゃちゃ』よ」と聖愛は手紙に書かれていた名前を主張した。
「いや、お前は素晴らしく可愛いから、今日から『トレビアン』だ」と隼人は改名を求めた。
「トレビアンってあんたね……丸っこくて可愛いから『まるちゃん』でいいわよ」と周子は言った。
「それだとどっかのラーメンみたいじゃない。じゃあ、『茶茶丸』にするわ。決定」
聖愛がそう言うと、隼人は泣いて悔しがったのであった。
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