同期生と連絡先

「おはろ」

「おっはろー」

「おはろ?」

 聖愛まりあゆいあんずはそれぞれ違うイントネーションで朝昼兼用の挨拶をした。杏にいたっては疑問系である。杏は今日初めてその挨拶をしたのだから、仕方がない。

 入学式の翌日、聖愛たちは大学へ初登校しようと駅へ集まっていた。この日、新入生は各科でオリエンテーションがあるため、全員一限目に登校する。そこで聖愛は一緒に行こうと杏を誘ったのだ。聖愛たちと杏とは入学式で初めて話をしたが、連絡先を交換するところまで仲良くなっていた。

 

 早朝の満員電車に乗って、『最寄もより駅』に着いた頃には三人とも息も絶え絶えだった。

「やっぱり早朝の電車は人が多いね……吐きそう。お兄ちゃんじゃないけど一限はなるべく取りたくないかも……」

 聖愛がそう言うと、唯はこくこくと頷いた。これは本格的に自転車登校を考えてもいいかもしれないと聖愛は考えた。おそらく聖愛の住む地域から大学まで三十分ほどで着くだろう。自転車のほうが、寄り道もしやすいし、荷物もカゴに入れることができる。

「ねえ、まりあ氏。明日からガッコに自転車で行かない?」

 同じことを考えていたようで、唯のほうから提案してきた。聖愛は「そうね……」と答えて、杏のほうを見た。杏は「おおぅ、それはいい考えですねぇ」と気が抜けるような声で同意した。杏は今日もコンタクトをしていて、瓶底眼鏡越しではわからなかった可愛さがそこにはある。唯はギャップ萌えだと言ってきゅんきゅんしているようだが、聖愛からみると二人とも可愛いく、うらやましいとため息をついた。

 聖愛は自分に自信がなかった。高校でまったく人気がなかったわけではない。告白されたことだって一度や……一度ぐらいはある。ダメな兄をもって、しっかり者となってしまったからか、どちらかと言うと女子からの人気が高かった。

 一方、唯は男子にとてもモテていた。告白されたことだって何度もある。それを笑ってことごとく切っていく様を見て、背も小さいことから小悪魔と呼ばれ、女子から嫌われそうになったほどだ。

 杏ではないが大学デビューしてみたいと聖愛は思った。髪でも染めてやろうかと思ったが、聖愛の黒髪は褒められることが多いので逆効果になりかねない。


 大学に着くと杏と別れて、音楽学部棟へ向かった。杏は文学部の歴史学科に入学した。歴史学科には、隼人はやと早苗さなえ、そしてつばさも所属している。杏が困ったときには、助けてくれるだろうと聖愛は安心している。

 聖愛は翼に思いを馳せた。聖愛は翼が早苗を好きだということを知って失恋した気分だったが、入学式で助けてもらって、恋心が再燃焼したのだ。だけど、やっぱり聖愛には自信がなかったので、自分の心の中にその気持をそっと仕舞っておいた。

「どったの? まりあ氏」

 唯が不思議そうに聖愛の顔を見た。そんなに変な顔をしていたのだろうか。聖愛は「なんでもない」と言って、心配してくれた親友に笑いかけた。


 階段状になっている講義室に入るとすでに席は半分ほど埋まっており、特に後ろのほうは空いていなかったので、聖愛と唯は前のほうの四人がけの席に座った。

 すると、すぐに聖愛達の周りに人が集まってきた。

「ねえねえ、入学式で騒いでた子だよね? 声楽科だったんだ。ラッキー、面白くなりそう!」

「俺は斉藤。名前教えてよ。あ、ついでに電話番号かライッターを教えてくれないかい」

「ハアハア、僕、もふもふ研究会に入ったんだけど、君たちもど、どうかな?」

 同期生のハイテンションに聖愛が困っていると講義室のドアが勢いよく開いた。

「あー、間に合った。初日遅刻したらどうしようかと思ったけど良かったー。涼が走るの遅いから」

 活発そうな女の子が息を切らせながら独り言を言っている。背は聖愛と同じぐらいで平均よりちょっと高いだろうか。赤茶のストレートのロングヘアーがとても綺麗である。前髪を分けていて、とても広いおでこが見えるがそれも可愛らしい。古着屋に置いてあるような派手なロゴがついたTシャツにチェックの赤いミニスカート、上には薄緑色のニットカーディガンを着ていて、派手めであるがお洒落だ。

 隣には小柄な男の子が同じく息を切らせていた。男の子のほうは背が小さく、服装もちょっと大きなグレーのパーカーにジーンズとオーソドックスなもので中学生ぐらいに見える。

「だから、もっと早く行こうって言ったんじゃないか。こはるちゃんが大丈夫って言うからー」

 涼の言うことを無視して、こはるは聖愛が座っているところへきて、「ここ、いいかな?」と言って、了解をとる間もなく、座ってしまった。涼はごめんねという顔をして、さらに隣に座った。さきほどまでの取り巻きは話しづらくなったのか自分の席へ戻っていった。

「私はたちばなこはる。あなたは?」

 突然のフレンドリーさに聖愛があたふたしていると、唯が先に答えた。

「唯は姫川ひめかわ唯。で、まりあ氏はまりあ氏!」

 唯の適当な紹介を聞いて聖愛は焦った。

「マリアシ? 外国人なの? どれが名字でどれが名前?」

 ほら、そうなるよね。聖愛は唯を睨んだ。

「私は八神やがみ聖愛です。この子は勝手にまりあ氏って呼んでるだけです。まりあでいいですよ」

「へー、ありがたそうな名前ー。じゃあ私はマリリンって呼ぶね。私のことは、こはるでいいよ」

 あっという間に聖愛のあだ名が付けられた。強い子キタな……と聖愛は不安になった。

 こはるの隣でそわそわしていた涼が自己紹介をしようとした。

「僕の名前は伊勢谷いせやりょう――」

「この子のことは『お前』でいいよ」

 こはるは涼の自己紹介を遮るとにっこり笑って握手をしてきた。さらにこはるが何か言おうとしたときだった。

「ミナサン、ソロってー、いまスカ?」

 外国人と思われる背の高い美人お姉さんが、片言の日本語で呼びかけながら講義室へ入ってきた。隣にはお団子頭にザマス眼鏡をかけた女性もいる。二人は教卓へ登ると、部屋を見渡した。

「ワタシのナマエはナターリア・ロッシ、デス。ナターリアとよんデくだサーイ。イタリーからキマシタ。ヨロシクネ」

 ナターリアは自己紹介すると手を振って、後ろへ下がった。代わりにザマスが前に出た。

「私は服部はっとり蘭子らんこですわ。声楽科の講師をしています。みなさん揃っているようなので、さっそくオリエンテーションを始めます。では机の上に置いてある……」

 オリエンテーションは声楽科がどういうところかから始まり、一回生から四回生までの大まかな流れ、講義の時間割から必要な単位の話と続いて説明された。

「専門カリキュラムには必修科目、選択必修科目、選択科目があります。一般教養科目は自由にとってもらって結構ですけれど、単位をよく考えるように。ドイツ語とイタリア語は必修科目です。個人レッスンはそれぞれの教員に分かれて、週に一回、六十分から始めます。時間についてはそれぞれに通達しますわ。相談も受け付けます。何か質問はあって?」

 こはるが手をあげた。

「ナターリア先生は何のために来られたんですか?」

 忘れていたが、そのとおりだった。説明は全部蘭子がしており、ナターリアは後ろでにこにこしているだけであった。ナターリアは質問されても、まだにこにこしている。そんなナターリアを蘭子はちらりと見た。

「ナターリア先生は……なんでいるんですか?」

 こはるは盛大にずっこけた。聖愛も心の中でツッコミを入れた。

 ナターリアはこはるの前にやってくると、手を差し出した。こはるは不審そうな顔でナターリアを見ていたが、握手を交わした。

「暇だったからよ。悪い?」

 ナターリアは流暢な日本語でそう言った。こはるの顔が歪んだ。どうやら、ナターリアがこはるの手を握りつぶそうとしているらしい。

「さっきまで片言だったのに……。先生が暇じゃ、だめでしょう!」

 今度はナターリアが顔を歪めた。こはるは反撃とばかりに手に力を込めた。たしかにあの片言はなんだったのだ。生徒全員がそう思ったことだろう。二人の間で火花が散ったように見える。聖愛はこの学科の今後が不安でしょうがなかった。


 不穏な空気になったオリエンテーションが終わると、もうお昼前だった。聖愛はお昼ごはんに杏を誘おうと教えてもらったばかりのライッターにメッセージを打った。

『今、オリエンテーション終わったんだけど、お昼一緒に食べない?』

 すぐに返事がきた。

『おおぅ、こちらも今終わったですよ。お腹すきました』

『じゃあ、レストランの前に集合ね』

『わかりましたです』

 聖愛がスマホをポケットにしまおうとすると、こはるがその手をがっちりホールドしてきた。

「ねえ、マリリン。せっかくだし、連絡先教え合わない? いや教えてください。こっちに友達いないから寂しいの」

 こはるは涙を流しながら嘆願してきた。

「別にいいけど、涼君は友達じゃないの?」

 そう言うと、こはるは嫌そうな顔をした。

「涼はいとこ。友達じゃないかな。どうしようもない子だけど、仕方ないから仲良くしてあげてるの」

 こはるの言いようはまるで隼人に対する聖愛のようだった。涼が後ろで小さくなりながら、「そんなことないよ」とこはるに文句を言っている。

「じゃあ、こはるも涼くんも一緒にごはん食べに行く?」

 聖愛の提案でこはると涼の喧嘩は収まったようだ。唯が聖愛の言葉を聞いてにこにこしていて、聖愛はなんとなく恥ずかしくなった。こはるは聖愛の手をさらに強くホールドした。

「マリリン、ほんといい子。私、感激したよねっ。この大学入ってよかった」

 そのときのこはるの笑顔は春の桜のように満開だった。


 四人でレストランの前に行くと、杏と一緒に隼人、早苗、翼がいた。驚いた聖愛は隼人に尋ねた。

「どうして、みんないるの? お兄ちゃん休みかと思ってた」

 隼人が何か言おうとしたとき、翼が割り込んできた。

「おお、なんか人数増えてるじゃない。もう友達できたの? 俺は一ノ瀬いちのせ翼、歴史学科の四回生。よろしく!」

 翼はスタッフではないときもコミュ力が高い。聖愛はそんな裏表が無いところも良いと思っていた。こはるは翼をじっと見ている。もしかしたら、こはるも一目惚れしたのかしら? 聖愛がそう心配していると、こはるは隼人の手を握った。

「軽い男は好きじゃないな。私はこっちの人のほうが好み。この人もマリリンの知り合い?」

 またもやダメ兄がモテている現実に聖愛は幻覚を見ている気分になった。手を握られた隼人は平然としている。それが聖愛はムカついた。好かないと言われた翼も特にショックを受けたようでなく、隼人たちを見て微笑んでいる。

「こはるん、いつまではやにぃの手を握ってるの?」

 唯が少し不機嫌そうにこはるに言った。こはるのあだ名は『こはるん』に決まったらしい。こはるは今度は隼人の肩に手を回した。

「この人、唯のお兄さん?」

「違うよ、隼にぃはまりあ氏のお兄ちゃんだよ。なんで肩組んでるのさ」

 唯は頬をふくらませた。こはるは意味ありげに笑って、今度は唯と肩を組んだ。何か唯にこそこそと言っている。すると、唯は顔を真っ赤にさせて、手をぱたぱたと振り出したので、素直に可愛いなと聖愛は思ってしまった。

「こはるん、それ絶対誰にも言っちゃダメだからね!」

「わかった、わかった。私たちだけの秘密ね」

 二人は何か打ち解けたらしい。

 その後、それぞれが自己紹介を終えると、大学見学以来のレストランに入った。こはると涼は初めてらしく、その広さとお洒落さに感激している。

 八人分の席をなんとか取ると、聖愛はさきほど隼人にした質問をもう一度してみた。

「なんで、お兄ちゃんたちも一緒にいたの?」

 隼人はハフハフ言いながらグラタンを食べていたが、冷めるのを待つことにしたのかスプーンを置いた。

「俺たち四回生はゼミに入るんだ。今日はどのゼミに配属されるかの発表があったから、早苗たちと見に来たんだよ。それに聖愛たちも来ているだろうから、初日ぐらいは一緒にごはんを食べようと思ってさ」

 いつになく真面目な回答に聖愛は隼人への不快感をレベルアップさせた。翼と違って裏表のある隼人を見て妙にイライラしていたが、周りの評価はうなぎのぼりだった。

「隼にぃはなんだかんだ言って、まりあ氏に甘いよね。お兄ちゃんの鑑だよ」と、唯。

「マリリンに似て、優しいお兄さんだね。私の見立てはやっぱり間違ってない!」と、こはる。

「お兄さん格好いいです! そういう優しさ憧れちゃうなあ」と、涼。

 だが、一人だけ怪しい笑顔で隼人を見ている人がいた。杏である。杏は聖愛に顔を寄せると小声で話し掛けた。

「お兄さん、ダメ人間なのにモテるんですねえ」

 その言葉に聖愛は驚いた。杏はまだ聖愛の家にも遊びに来たことはない。隼人と出会ったのは入学式の日と今日の二回だけである。どうやって見破ったのか、聖愛は杏の恐ろしい一面を見た気がした。

 食事を終えると、全員で連絡先の交換をした。こはると涼は一気に増えた連絡先にとても喜んでいるようだった。聖愛も喜んでいた。自然と翼の連絡先をゲットできたのだから。聖愛がスマホの画面を見ながらニタニタしていると、翼が新入生を眺めて言った。

「みんな、サークルには入らないのかい?」

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