Aメロ
ドアの鍵を閉めた音で目覚めることが、最近めっきり増えた気がする。彼女もきっと僕からのいってらっしゃいの声は期待してないだろうから、まあ、多分これでいいんだと思う。せめて手を振るくらいはしてあげたら喜ぶんだろうけど、今朝はどうにも頭が痛くて、それどころじゃなかった。
挿し忘れた充電コードを繋ぎ、復活するまでもう一眠りと思ったが、運のいいことに僕のスマホは朝まで生き永らえていたようだ。嫌がる体を無理やりキッチンまで向かわせると、お味噌汁とご飯、それに幾つかの冷凍食品の惣菜が目に入った。ミニハンバーグにほうれん草のおひたし、きんぴらごぼう。さながら一汁三菜といったところだけど、洗い物を増やすのが嫌だからとプラスチックカップのままで食べると、途端に和の心なんてのは感じられなくなる。
解凍がすでに済まされていることを確認して、それらをローテーブルに乗せようとした時、彼女のものであろう書置きが残されているのを見つけた。
『ごめん!今日は冷食!お味噌汁はあっためてね
あと病院嫌いはわかるけど、そろそろちゃんといきなさい!』
走り書きだけど丁寧な字で書かれたメモ用紙の隅には、犬なのかクマなのかよくわからないモノが存在していた。いまどきこんなのLINEで送ればいいのにとか、そういえば一昨日病院行かなくて怒られたな、なんて考えは、火を入れたままだったお味噌汁が煮立つ音にかき消されてしまった。
朝食を食べ終えた僕は、外の冷たい空気に耐えられるだけの服を着込み、しぶしぶ病院へ向かう。自転車で行ってもいいんだけど、病院までは歩いても十分ほど。気分に合わせてゆっくりと向かうことにした。
見慣れた街の景色は、日に日にそのスピードを上げていく。僕が初めてこのコンビニの前を通り過ぎた半年前も、今と変わらず時速5kmで風景が去っていたはずなのに。後ろへと過ぎ行く街並みを横目で捉えるためには、歩くのが一番。
何度も通った道を進んでいくと、予約の時間より少し早く病院に着いた。
「あ、神田さん、おはようございます。すぐにご案内するので、少しだけ待っててくださいね」
渡された『3番』を手に待合室でニュース番組を見ていると、よく知っている顔がテレビに映し出されて、思わず番号札を落としそうになってしまった。こういうことこそ書置きに添えておいて欲しかったんだけど。街頭インタビューを受ける彼女の横には、よく一緒に出かけている友達もいた。そういえばこの間上機嫌で見せてきた写真に写る二人と同じ服装をしている。
右上のテロップには『ラブラブカップルの彼女に聞いてみました!同棲彼氏への不満は?』の文字。ははーん。なるほど、聞かれたくないことでも話したな。
『えー、不満、ですか。うーーーーん。服を脱ぎ散らかすこと…?』
なんだそれ、拍子抜けで思わず笑ってしまう。不満、もっとあるだろ。寂しいとか、もっとデートしたいとか。
『とーっても仲良しなお二人はまだ同棲して半年、普段のデートはインドアなことが多いと。なんでも彼氏の方は音楽活動をしているそうで、』
「神田さーん。どうぞー」
いつもの先生の声が聴こえる。ちょっとまってください、とは、さすがに言えないな。続きはまた家に帰って本人に聞けばいい。足取りは重いまま、僕は手前から三つ目の診察室に入った。
行き道に通ったコンビニに立ち寄る。緊張なのか疲れなのか、カラカラになった喉を潤すためにレモン系のホットドリンクを歩きながら飲むことにした。アパートに着く頃にはほとんど空になったペットボトルを一気に飲み干しゴミ箱へ捨てると、そのままコートのポケットから小物を取り出していく。しまった、病院のボールペン、そのまま持ってきちゃった。これ見られたら、行く理由ができたねってまた言われるんだろうな。うん、間違いない。
ローテーブルに目をやると、未だに何の動物か分からないやつがなんとも言えない顔でこっちを見てきている。なぜかかわいそうに見えてきたから、手に持ったボールペンでそいつに首輪をつけてあげた。こう見ると、猫にも見えてきたな。
僕ら日々売るように生きる二人だから
いつか声が枯れてしまうのも わかってるんだよ
それでも僕は歌うからって
鳴らない声でもきっと 届けるから
メモ紙の裏に思いついた歌詞を書き残す。なんだ、まだちゃんと書けるじゃん。案外ライターとかも向いてるかも、人と話さなくて済むし。
ペンの側面に貼ってあるシールには、病院名が印字されてある。僕はそれをできるだけ見ないようにしながら診察券と一緒に机の上に置き、思いついたメロディを忘れないようにとギターを手に取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます