第13話 逢瀬、そして契り・・・

来る土曜日。天気は上々、十一月中旬にしては少し暖かいか。

進也は朝から部屋の片付けにおおわらわ。

以前からある程度の予想はしていたので、大掃除までには発展しない。それでも窓を開けて少しこもった空気を追い出し、日向の匂いがする風を招き入れる。

四十男の一人暮らしなんて若い女性の目から見たら酷いものである。レースのフリフリが付いたカーテンも花柄模様のカーペットもピンクの壁紙もない、地味なモノトーンの視界が広がるむさ苦しいスペースでしかないだろう。それでもできる限りの努力は確保されなければならない。

今日はリナの仕事もお休みのようだ。待ち合わせはK市駅ロータリー午前十時半。進也がクルマで送り迎えすることになっている。

時間がランチ前なのをお気づきだろうか。そう、今日は彼女がお手製昼ごはんに挑戦するらしいのだ。

男にとって手料理ほど落とされやすいものはない。リナもその辺りは充分に計算しているのかも。多少は失敗しても許されるだろうことを。

さて、部屋の掃除は終わった。後はリナを迎えに行くだけである。時計を見るとまだ九時だから出かけるには少し早い。

「花でも買って飾っておこうか」などと余計なことを考える。

それでもコーヒーが無かったのを思い出して、途中で買い物をすることに決めた。ワクワクしている気分だけは花柄模様である。


K市駅ロータリーには約束の少し前に到着していた。

やがて自転車置き場から姿を現すリナ。すぐに進也の車を見つけて手を振りながらやってくる。

「おはよー。今日は朝からちょっとドキドキしてる。」

「そう、何を作ってくれるかまだ迷ってるとか?」

「まあ、それはないかな。ランチやから難しいのは作らへんで。」

「全然大丈夫やで。いつもやったらカップ麺やレトルトで済ませてしまうし。それよりも品粗やったら笑うしかないけどな。」

「たぶん・・・・大丈夫・・・・やと思う。」

なんとも自信のなさげな返事だ。

「きっと、リナが作ってくれるんやから美味しいやろな。」

「あんましハードル上げんといてな。まだ花嫁修行中やで。大目に見てな。」

「わかってるって。」

そんな会話の後、進也は自宅アパートへとクルマを走らせた。

途中のスーパーで足りないものをお買い物。今日のメニューはミートパスタらしい。玉ねぎとトマトとパスタは持参している。ひき肉とベーコンを買い足した。

「まさかシンちゃんのオウチにケチャップが無いなんて言わへんよな。」

「大丈夫や。ボクは目玉焼きもケチャップ派やから。」

「えええーっ、それはそれでキモいな。目玉焼きはソースやろ。」

どうやら好みの調味料については、後々抗争が起きそうな勢いだ。


それはともかくとして、買い物を終えた二人は十一時半頃に進也の部屋に到着する。

「一応掃除したんやけど、男の一人暮らしやから、ある程度は覚悟してな。」

「わかってる。エロ本とかも片付けてあんねやろ。」

「ご名答。頼むから探さんといてな。」

「シンちゃん正直やな。そういうとこが好きやで。」

「ありがとうございます。さあ、コチラでございます。」

「お招きありがとうございます。」

二人して芝居がかったセリフが続く。

「うん。わりときれい。合格。」

「お褒めの言葉を頂戴しまして感無量の所存にてございます。」

「喋り方がドンドン変になってる。」

進也は玄関から部屋へとリナを引き入れる。進也の部屋はいわゆる2DK。独り身では広すぎるくらいのスペースだが、その分生活空間はゆったりとしている。キッチンはあまり広くない。元々男一人所帯での台所事情などあまり優先されないのが普通だろう。

広めのリビングにはソファとテーブルとテレビ。もう一つの部屋は寝室で、ベッドが備え付けてある。

そんな部屋の中をジロジロと見回して、四方を確認するかのように凝視するリナ。

「エエ感じやな。でも想像してたとおり、ちゃんとしてる。」

「まずはお茶でも淹れるからそこへ座って。」といってソファーの一角を提供する。

「エヘヘ、男の人の部屋に入るって、やっぱり緊張するなあ。」

進也は二人分の茶を持って来てリナの隣に座る。

「ボクかて緊張してるで。この部屋に来た初めての女の子やもん。」

「うふふ。お店のときとはやっぱり雰囲気が違うな。」

「したいことは一緒かもしれんけど。早速シンちゃん座りしてくれる?」

そういって進也はリナの背中を自分の膝の上へともたれさせた。

リナがそっと目を瞑る。

同時に進也はリナの唇を奪いに行く。

一息入れた後に「今日はキスが先やねんな。」と呟くリナ。

「お店やないからな。順番は逆やで。」といった後に唇を首筋に移動させる進也。

この空間ではセット時間が決まってないので行程を急がない。抱き合った二人を包むかのように時間は流れている。

もう一度唇を求めに言った進也は、祠の中の女神様への丁寧な参拝も忘れない。やや開いたリナの唇から女神様が現れて進也を出迎えた。ネットリとした心地よい柔らかさが進也の背筋を振るわせる。やがて、そっとリナの体を離して、

「さて、お昼ご飯にかかろうか。」

「うん。」

二人はスッと立ち上がってキッチンに向かう。

「リナが一人で作るから、シンちゃんはあっちで待ってて。大丈夫やし、ミートソース作ったことあるし。」

ちょっとムキになっているところも可愛い。

「ヘルプが必要になったら呼んでね。あんまり役に立たないかもしれないけど。」

そう言い残して進也はリビングへ戻り、テレビを見ているフリをする。耳はキッチンに集中していた。まな板を叩く音、油がはねる音、湯が煮立つ音、全てが新鮮な和音となって進也の耳を楽しませる。

音の次は匂いだ。特に匂いフェチの進也には堪らない匂いが部屋中に充満してくる。時々様子を見に行こうとキッチンに足を踏み入れようとするが、その都度リナの鋭い目線に阻まれる。

時計の針はそろそろ午後の一時を示そうという頃、キッチンからリナの嬉しそうな声が聞こえてくる。

「シンちゃんできたよ。テーブルの上を片付けてな。」

言われるまでもなく、すでにテーブルの上はピカピカに用意されている。フォークとスプーンとドリンク用のグラスまで。流石に昼間からのワインは憚れるかと思ったので、オレンジジュースが用意されていた。

「ポテトサラダは家で作ってきてん。」

そう言ってレタスの上に鎮座しているゴロゴロポテトサラダも旨そうだ。そしてメインのミートパスタ。これも平打ち麺なので珍しい。

「この部屋で食べるランチにしては豪勢やな。さっきからエエ匂いが充満してるから、お腹ペッコペコやねんけど。」

「うふふ。リナの作ったの絶対に美味しいから。」

「いただきまーす。」

確かにそれは自信作のようだった。平打ち麺がなかなか美味しい。ひき肉の味付けも自賛するだけのことはある。ポテトサラダも充分に進也の舌を満足させていた。

「リナの歳でこれだけの料理ができたら十分やない?」

「えへへ。でもまだレパートリーは少ないねん。もっと今から勉強するし。」

「また作りに来てな。」

「まだ食べ終わってないし。」

外の風は日々冷たくなっているが、この部屋の中だけは空気もハートもポカポカと春の陽気が訪れているようだった。


「ご馳走様でした。片付けは手伝ってもエエねやろ?」

「うん。手伝ってくれると嬉しいな。」

「その前にデザート食べんとな。」

「ん?」

進也はリナの隣に移動して彼女の腰に手を回す。そしてゆっくりと体を引き寄せて、唇を求めにいった。

抵抗するそぶりも見せず進也の行動を受け入れるリナ。やがてリナの両手は進也の首筋に回される。時間の動きがスローに感じられる二人。

「ボクの中ではこの唇が最も甘い。最高のデザートやなあ。」

「うふふ、今はケチャップの味やろ?そら甘いで。」

「ボクは匂いフェチやで、吐息の匂いが甘いねん。」

これらの会話は店の中で交わされていたおしゃべりの延長のようだ。しばらくの時間は進也もリナの甘い唇と吐息を楽しんでいた。そして衣服の上からでもわかる柔らかい感触が感じられる頃、進也の欲望の部分が動き始める。それに気づいた進也は、リナの体を一旦離してインターバルを入れる。

「軽いデザートはご馳走になったから、まずは片づけをしてしまおか。」

「うん。でもその辺がオトナやな。ちゃんと歯止めが効くんや。」

「お楽しみは後に取っておくタイプやねん。」

そういってリナの手を取って立ち上がる。


元来、後片付けは苦手な進也。それでもリナと一緒にできる作業は楽しい以外の何物でもない。リナは片付けながら料理ができるエライ子だったので、実際の片付けにかかった時間は十分ほどだった。

ある程度、終了の時間を見つけると、進也はコーヒーの準備に取り掛かる。湯を沸かし、ドリップの用意をする。カップもお揃いのものを並べてみた。

全自動のコーヒーメーカーは持っていないが、進也はこの手作業が好きなのである。やがて湯が沸いてドリップの上に注がれると同時に漂ってくる心地よい豆の香り。

「もちろん飲むやんな。」

「もちろんもらうで。エエ匂いやし。」

ソファーに並んで座る二人。すでに腕はお互いの腰に絡み付いている。コーヒーの香りと互いの体臭が交差しながら、二人の距離を縮めていく。

気が付けば、互いの唇はすでにその距離が皆無な状態にあった。横に並んで座っていた形も、それぞれのフリーな腕が互いを呼び寄せているうちに、正面を向き合って抱き合うようになっていた。いつものようにネットリとした甘い香りが漂っていた。

「今日はエエねんで。今までガマンしてくれてありがとう。」

それだけ言い残してリナはそっと目を閉じる。


この様子は進也の一人称で進めよう。その方がより一層、進也の心境がわかるかも。


ボクはそっとリナの体を押し倒して、ニットのカーデガンの内側に手を忍ばせていった。

リナもそっとボクの硬直している部分に手を添えてくる。

「凄く熱い。外からわかるぐらい。リナで感じてくれてんの?」

「リナの匂いがボクの理性を壊していくかも。」

ボクは一枚ずつリナの衣服を優しく剥ぎ取っていった。やがて現れる清楚な下着姿となったあられもない姿に、ボクはいつまでも慎重でいられるはずもなかった。

ボクの手はふくよかなリナの丘陵を撫で始め、やがて頂点の碑をも弄ぶ。そして最後のものをゆっくりと剥ぎ取ったとき、ボクもリナの姿に倣った。そしてリナを抱きかかえて、寝室のベッドへと連れて行く。

「もう離さへんで。」

「離さんといてな。」

暖房が行き届いていなかった隣の寝室は少し肌寒い。おかげでより親密に抱き合うことで寒さを忘れる。いや、今のボクたちには寒さなど関係なかっただろう。何よりも互いの体が熱く燃え滾り、あっという間に窓ガラスが白く曇る。

ボクは急がなかった。決してお預けを食っていたからではない。折角手に入れた大事な宝物をゆっくりと嗜むように愛おしんだ。

唇へのあいさつの後は、お決まりの首筋へ。そして胸の膨らみから腰へ、そしてリナの体を裏返して背中へと放浪する。そしてどんどん下へと降りて行き、大きな桃状の山へと登り始める。やがては山を下りると今度は谷に差し掛かる。谷の奥には洞窟があり、そこには熱い泉が湧きあふれていた。ボクは舌でそっとその泉を掬い上げた。同時に漏れるリナの吐息。リナがまだミホだった頃、あの店で洞窟探検と称して弄んだ過去の記憶を思い出した。ボクは洞窟の入り口に鎮座する地蔵様へのあいさつも忘れない。リナは再び吐息を漏らし、ボクの体を呼び戻す。

「あかん。今日は敏感やわ。今度はリナがあいさつしたげる。」

そう言ってリナはボクの体を仰向けにして覆いかぶさる。そしてボクがしたように唇のあいさつの後、徐々に下へと降りていく。やがてボクの熱い鉄柱に指しかかると、その柔らかい唇であいさつをこなし、そして祠の中へと導いていく。中には妖艶な女神様が待ち受けており、舞い上がるような歓待を受けた。

されどリナの丁寧なあいさつは、そう長くは続けられなかった。ボクの憤りがピンチを迎えそうになったからである。

「それ以上はボクがガマンできんくなるやん。」

そう言ってリナの体を呼び戻す。

「愛してる。今はそれしか言葉が見つからん。大切にする、大事にする。リナのことが大好きや。」

「リナも。シンちゃん大好き。」

そしてボクはリナの洞窟へと侵入を果たす。リナの中は熱く激しく沸き立つ泉でいっぱいだった。それでもやはりボクは急がなかった。急ぐ必要もなかった。ゆっくりとワルツのステップを楽しみ、リナの反応に心躍らせた。リナの歌声はバラードのようだった。ときおり変則のステップを踏んだときに聞かせてくれる小鳥のさえずりも心地よい。ステップばかりで息が上がらぬようにターンも組み込む。見つめあう時間も忘れない。

リナの若い、透き通るような肌もボクを奮い立たせる要因となった。ボクのステップがワルツからジャズに変わるとき、今まで犬だった遠吠えが狼に変わる。その変調に気づいたリナは下からそっと腕をさしのべてボクの頭を引き寄せた。

「中でいってもええで。」

その囁きはボクのエンジンを加速する魔法の言葉に他ならなかった。すでに狼と化している傭兵は激しいリズムを叩きながら最後の雄叫びを女神と共にデュエットを奏で、渾身の想いを果たすこととなった。


そして語りは三人称へと戻る。


「ありがとう。」進也の口から自然と出た言葉だった。

「シンちゃんも。」リナもそれに応える。

ベッドの中でリナを抱きしめる進也。まったりとした時間はゆっくりと過ぎていく。

「中でイってもたけど、大丈夫なん?」

「今日は安全日やから。でも出来てもたらアカン?」

「ボクはかまへんけど、お父さんやお母さんになんて説明する?」

「せやな。まだシンちゃんのことも詳しい言うてへんのにな。」

「ん?簡単には言うてあんの?」

「うん。今日も彼氏のところにご飯作りに行って来るって言うてきたもん。」

「そうか。ちょっとドキドキするな。」

「いつか家に連れておいでやって。まだお母さんにしか話してないけどな。」

「いつかあいさつに行かなアカンな。お父さんにはめっちゃ怒られるような気がする。」

「そうかもな。いやいや、先に怒られんのリナやんか。流石に何にも言わんわけにはイカンやろしな。」

「そのときはそのときで考えよ。」

二人は気だるくなった体をゆっくりと休めるかのように、心地よい痺れを堪能していた。窓の外では二人の逢瀬を覗いていたかのような雀たちが鳴いている。そして、陽気な十一月の陽射しは、曇った窓ガラスを通り抜けて、優しく二人を見守っていた。



窓越しのポカポカ陽気のおかげでウトウトし始めていた二人だったが、進也のケータイがけたたましい音を立てて静寂を切り裂いた。

「誰やろ?この最高のムードを壊すマヌケなヤツは。」

「大事な電話やったらアカンから出とき。」

リナに背中を押されてベッドから出る。発信元は秀雄だった。

「もしもし、どうしたん?」

「いやあ、デートの最中やったら邪魔しに行こかなと思て。」

「残念ながらデートの最中やから邪魔しに来んといて。」

「やっぱり・・・。ほんなら今日はエエから、明日ホルモン屋に連れておいでな。親方もずっと待ってはるで。」

明日は大事なミホの卒業日。そんな日に連れて行くわけにもいかないし、店に来られても困る。

「大きなお世話や。それに明日は用事があるからアカンねん。クルマで出かけるから飲まれへんし。いずれ紹介するから、大人しい待っとき。」

「いやに焦らすやないか。ホンマはごっついブスで紹介すんのが恥ずかしいのちゃうか。」

「アホ。勝手に想像しとき。また月曜日、親方とこ付き合うたるさかい、今日は大人しい家族サービスでもしとき。ほんならな。」

それだけ言って一方的に電話を切った。

「ボクの友達でなヒデちゃんって言うのがおんねん。ボクを『エロナイ』に連れてったヤツやねんけど、マヤさんのお客さんやねん。」

進也はベッドに戻ってきて電話の主について解説し始めた。

「ほんならヘルプで会うたことがあるかもしれんな。」

「でもアイツも毎週行ってる訳ちゃうし、頻繁に会うてるってことはないと思う。もし覚えとてっても知らん振りしときな。」

「って、その人に会わなアカンの?」

不安げな顔で進也を見つめるリナ。

「一応親友の一人やからな、知らぬ存ぜぬでは通らへんやろな。大丈夫、そんな悪いやつやない。ちゃんとボクらを祝ってくれるはずやし。」

「わかった。シンちゃんもウチのお父さんお母さんにも会わんとイカンのやし、お友達ぐらいどうにでもなるよな。」

「さて、そうと決まったら、ちょっとお買い物に行かへん?」

「何を買うん?」

「リナがこの部屋に来たときに使えるもの。専用のカップとかお箸とか。」

「ついでに歯ブラシとかも?」

「泊まってくことがある予定?」

「もしかしたら・・・・・。うふふ。」

二人はベッドから抜け出して、暖房の行き届いたリビングへ座を移す。脱ぎ散らかされた衣服が慌しかった時間を思い出させる。

「今日は何時までに帰ったらエエの?」

「そうやな、彼氏のところへ行ってくるって言うたから、初日からあんまり遅いのはアカンかな。九時ぐらいにしとこかな。どうやろ?」

「うん、今日はその辺がエエかもしれんな。晩御飯はどっかで食べよな。」

「飛車角いこ、餃子食べたい。」

飛車角とは餃子のチェーン店。関西を中心に今や全国展開する超有名チェーン店である。

「そんなん食べて、明日のラストデー大丈夫か。お店の人に怒られへんか?」

「怒られたってええやん、もう最後やし。それに、チューするお客さんはシンちゃんだけやもん。そうブログにも書いたし。明日はヘルプ回りだけにしてってお願いしてるし。」

「ボクは?」

「シンちゃんだけは別。お店の人シンちゃんのこと覚えてるで。いっつもミホ2セットやったし。そんなんシンちゃんだけやったみたい。」

「良かった。」

もちろんこうした会話も全て脱ぎ散らかされていた服を拾いながら、そして着衣しながら行われていたのである。想像してた?


買い物はB市の商店街で済ませる。進也の部屋から商店街までは歩いて数分。もちろん手をつないで歩く。

「寒くなってきたから手袋がいるかな。手をつなぐ用の手袋ってあるかな。」

「それってあったらええなあ。リナ作ってみよかな。こう見えても編み物とかもできんねんで。すごいやろ。」

「自分でいうか。でもすごいな。ボクにはできひんことや。」

「でもな、めんどくさがりやから、いつできるかわからんで。」

「うん、それもそやな。」

「そこは納得すんねんな。」

「ははは、説得力あるもん。」

流石は大阪人の二人。会話もさながら夫婦漫才顔負けか。

二人が買った小物は、ペアのマグカップとペアの箸、ペアの茶わんにペアのコースター、そしてペアのパジャマである。

「パジャマはちょっと早かったかな。」

「ええねん。これ可愛かったもん。シンちゃんこれ着たら、きっとめっちゃ可愛いで。」

「よし、買い物も終わったし、餃子を鱈腹食べに行こか。」

進也とリナはまたぞろ手をつないで来た道を帰っていく。

木枯らしもどこ吹く風と気に留めず、軽い足取りは幸せそうな二人を物語っていた。


部屋に戻って食器は棚に、パジャマは箪笥に片付ける。エアコンのスイッチを入れて部屋を暖め出す。暖かくなるまで少し時間がかかるのは仕方がない。

「そろそろコタツを出そかな。その方がすぐあったまるしな。」

「コタツええなあ、リナの部屋もコタツ。ネコみたいに丸まらへんけどな。」

「だってリナも犬やんか。コタツでは丸まらへんやろ。」

「シンちゃんもな。」

「うん、その通りや。」

しかし、まだコタツが準備されていない部屋では、急いで暖を取るには抱き合うしかない。

リナは進也に抱きついた。

「とりあえずは、これが一番あったかい。」

そう言ってリナが顔を上げた瞬間を見逃す進也ではなかった。

瞬時にリナの唇を奪う。

「んんん。」

リナの腕は進也の首に、進也の腕はリナの腰に絡みつくように回されている。

「ちょっと暖まったら出かけよか。餃子食べに。」

「クルマで行ったらシンちゃんビール飲まれへんやろ。B市駅からK市駅までバス出てるし、それで帰るから歩いていこっ。」

「ビール飲まんでも平気やで。」

「一緒に飲みたいの。」

可愛い笑顔でニコッとされると、進也はたちまちイエスマンになってしまう。素直に恋している証拠かも。そう思うと進也もまだまだ若い。


お目当ての餃子のお店はB市の繁華街に二軒ある。互いに競合する店舗だが、客の好みは意見が分かれがちだ。

「ボクは北系列が好きなんだけど、リナは?」

「リナは南系列が好き。」

やっぱり意見が分かれたようだ。

「シンちゃんどっちでもエエって言いそうやから、ココは公平にじゃんけんで決めよか。」

確かにじゃんけんで決めるのは公平極まりない。

「じゃーんけーん、ホイっ。」

勝ったのは進也だった。

「ボクな、じゃんけん強いねん。勝率七割ぐらいあるで。」

「今日のところは仕方がないな。別に北系列も嫌いやないし。」

「次に行くときは南系列にしよな。」

「あかんで、やっぱりじゃんけんやで。そこはこだわらな。これから餃子食べに行くときは全部じゃんけんな。」

リナは負けたのがよほど悔しかったのか、次からは連勝するつもりなのか、二人の最初の取り決めとなったのがまさかのじゃんけん勝負だったとは。

まだ夕飯時には少し早い時間。店内にいる客もまばらだ。二人は余裕のある四人がけのテーブル席を陣取り、さっそく餃子とビールを注文する。

「今日はリナもビール。餃子といえばビールやろ。」

「そこだけはオッサンみたいやな。いつもカクテルとか飲んでるイメージやけど。」

「シンちゃん、餃子はビールやで。餃子だけは違うねん。いっつもは可愛くカクテル飲んでるで。」

やがてビールと突き出しのザーサイが運ばれてきて、二人の餃子パーティが幕を開けた。

「まずはかんぱーい。」

進也はそのまま一口、リナはザーサイをつまみながらビールを流し込む。

「南系列に行くと、この突き出しがメンマになんねんな。突き出しは絶対ザーサイの方がエエと思う。」

リナにはリナのこだわりがあるようだ。

やがて運ばれてくる大盛りの餃子。二人で六人前も注文している。

進也は心配そうな顔でリナに尋ねる。

「もしかして餃子だけでええの?箸休めに八宝菜ぐらいは注文しとこか。」

「うふふ。リナこれが好きやねん。他はいらんねん。」

リナの餃子好きは伊達ではなかった。あっという間に二人前が目の前から消えてなくなっていく。

進也は餃子をほお張りながら明日の予定を話しだす。

「明日は終わってからどうするん。」

「ん?いつもと一緒やけど。」

「明日はラストタイムを目指して行くから、ボクの足はクルマやで。帰りは家まで送ってあげよか。」

「送り狼になるつもりやな。」

「うん。」

「ええよ。送って。」

これで明日の約束は完了した。明日はミホとしてのラストナイト。進也の手から進也の手に委ねられるのである。

さては餃子で満腹になった二人。

「今日は食べすぎたかな。明日からダイエットしな。」

「ボクは多少ぽっちゃりでも大丈夫やで。」

「多少やろ?」

「うん、多少。」

「うふふ。頑張るし。」

今日は進也にとって最も幸せな日となった。この幸せな日がいつまで続くのだろうと思っていた。やがて来る運命の日から数えておおよそ四十日前のことだった。


「ホントにバスで大丈夫?」

二人はB市駅のバスターミナルにいた。K市駅行きのバスは十分後に発車する。

「このバスに乗るん初めてやないし。それに子供やないから大丈夫。」

土曜日の夜はまだ人だかりがそぞろ。行き交う人も多く、K市行きのバス利用者も少なくない。

「今日はありがとう。リナのこともっと好きになった。」

「初めてのときはシンちゃんの部屋でって決めてたから。」

「しばらくはベッドについたリナの匂いだけでイってしまうかも。」

「アホ。」

流石に人の流れが絶えない中、おおっぴらに抱き合うことは憚れた。それでも十一月という季節が二人の立つ距離を縮めている。

「また明日。リナと一緒にボクも卒業。」

「リナが卒業したら、もう行かんといてな。」

「次からはリナんとこへ直接通うがな。」

「うふふ。」

そして餃子のニオイをプンプンさせながらバスへと乗り込むリナ。今夜中に餃子の匂いが抜けることはないだろう。

時間通りに発車するバスのドアは無情にも二人の間に壁を作る。やがて動き出すバス。バスの中で手を振るリナ。進也はバスの姿が見えなくなるまで、その場所を離れなかった。

部屋に帰ると再びやもめの空間。

しかし、リナの残り香がそこら中に散乱していた。ネットリとしたキスを交わしたリビングのソファーに、そして熱く抱き合ったベッドに。

今宵はリナの香りを贅沢にまとって眠ることになるのであった。



日曜日も晴れやかな朝だった。眩しい朝日も鳥のさえずりも清々しい。

すでに進也は起床していた。

この日はミホの卒業日。夜にはクルマを飛ばして会いに行く。日の明るいうちは大人しくしておこう。

そう思っているうちに秀雄から電話が入る。

「昨日のデートはどうやった?そろそろ進展したんやろ?」

「せわしないな。今日は家族サービスしいって言うたやろ。」

「そんなもん誰もどこぞへ連れて行けなんて言わんがな。それよりもシンちゃんの恋バナの方が断然面白そうやし。出かけんのは何時や?それまでは時間あんねやろ?」

そこまで言われてはもう諦めるしかない。

「しゃあないな。昼飯食いにいこか。」

「会社で待ち合わせな。近所の店でエエやろ。」

進也は簡単に身支度をして部屋を出た。

会社の前ではすでに秀雄が進也の到着を今か今かと待ち構えていた。

「おっそいな。わざと遅く来てないか。」

「アホ言いな、まだ十二時前やないか。ヒデちゃんが早すぎんねん。」

「まあええわ、行くで。ついておいで。」

そう言うと秀雄はクルリと進也に背を向けて歩き出す。まるで、ついて来いと言わんばかりに。

「どこ行くねん。なんか嫌な予感がすんねんけど。」

「大丈夫や。ちょっと変わったモン食わしたるだけや。」

以前にも話したとおり、秀雄の探す店は冒険心溢れる店が多い。

今日もその類なのか。

十分も歩くと看板が見えた。

『大阪スタミナ軒』

店名だけならどこにでもありそうな感じである。

「ついたで、ココの肉盛定食がキッツイらしい。」

二人して暖簾をくぐる。店内を見渡す限り、ごく普通の店だ。

「若い女の子と付き合うにはスタミナがいるやろ。ココの店は精力満点のトドの肉を食わせる店やねん。」

「なあヒデちゃん、確認したいんやけど、この店トド以外の肉もあるんやろうな。」

「勿論あるで。クマにアザラシにカモシカにダチョウやろ、それにワニもあるで。」

まるで自分の店であるかのように、自慢げにメニューを紹介する。

「普通の牛とか豚でええねんけどな。せめて猪とかないん?」

「あのな、若い女の子と付き合うには色々と力を付けとかなあかんねん。今日はオイラの奢りやし、スタミナの付くもんを食べとき。

まさかこんな店に連れて来られるとは思いもしなかったが、これも秀雄の優しさである。進也は諦めてテーブルに着く。メニューを見ると、まず肉を選ぶところから始めることになっている。色々見渡したが、ワニは以前にも一緒に食べたこともあったし、かと言ってトドやアザラシは遠慮したい。ここは大人し目のカモシカにしておこう。これなら鹿肉と変わりないだろう。

秀雄のチョイスは折角だからとトドをチョイス。進也も彼の冒険心には脱帽する。

「昨日のデートはどうやったん?」

注文直後にいきなり質問が飛んでくる。

「買い物して、餃子食べてビール飲んで、駅で見送っておしまい。」

「あのな、シンちゃん中学生か。今どき高校生でもそんなデートせんで。今の女の子はあっちの方も結構マセテるんやで。」

どうやら、かなりエッチな話を期待していたようだ。

「まあほんでもまだやったんなら、今日のランチは好都合や。ばっちしスタミナ付けて今晩に臨みや。」

秀雄の親切心もここまで来ると少し面白い。

「今夜は用事があるって言うたやろ。今日はデートちゃうで。」

「そうか、まあ生理学的にいうと、今日喰った肉は分解されて体の栄養になるんは明日以降や。どのみち今夜のエッチには間にあわへんから大丈夫や。」

何が大丈夫なのかわからないが、これも秀雄の思いやりか。

「で、どうするん。結婚するつもりなんやろ?」

「まだ付き合い始めたばっかしやで。そやけど考えてはおるで。」

「ええなあ。若い女の子。ピッチピチやろな。そんなんいうてたらまた『エロナイ』思い出すなあ。今夜あたり行こかな。」

進也はその言葉を聞いて戸惑う。

「いっつも何時ごろ行ってんの?」

「そうやなあ、ちょっとビールをひっかけてからやから九時か十時ごろやな。最終電車には、間に合わなあかんからな。」

今宵の進也の入店予定は午後十一時三十分。ラストデーだから3セット分行くつもりだった。日曜日は土曜日ほど深夜まで粘る客はいないと聞いていた。秀雄もそのパターンでは帰るつもりだろう。

「行っといで。それですっきりできるんやったらな。」

「シンちゃんも行くか?」

「ボクは用事があるって言うたよな。何べん言わせる。」

そうこうしているうちに注文した定食が運ばれてきた。

「ヒデちゃん、それ、すっごい臭いしてるな。食べられるん?」

流石の秀雄も少し心配そうな顔をして額の真ん中をしかめている。

「オイラもスタミナ付けて今晩に挑むぞ。」

進也のカモシカもなかなかだったが、秀雄のトドは珍品極まりない肉だった。もちろん、彼らはすごい顔をしながらシェアして食べきったのだからお見事である。


さて、進也は気を取り直して夜に備える。ランチだけを終わらせて、秀雄と別れた進也はまっすぐに部屋に帰り、昼寝の準備をする。

出動が十一時三十分。ここを出るのが十時四十分頃。おそらくは戻ってくるのが夜中の三時頃だと考えると、今から少し昼寝をしておくのがベターである。そう思って今朝は眠い目をこすってかなり早起きしていた。

ベッドに残されていたリナの残り香はすでに消えていた。それでも進也は昨日の情事を想像しながらベッドに入る。顔はすでにニヤけている。

しかし、お腹も膨れて眠くなるのは人間の生理現象の一つである。特に苦労することないまま、進也はウトウトとしながら心地よい迷宮に陥った。


目が覚めたのは午後五時を過ぎた頃か。人間というものは寝ているだけでもお腹が空くものとみえる。そのときすでに適度な空腹が進也にも訪れていた。

「夜に備えて軽く入れておくか。」

冷蔵庫を開けて冷や飯と玉子と葱を取り出す。進也は自分で料理をするのは割と嫌いじゃない。ネギを刻み。熱したフライパンに油をひいて玉子と冷や飯を炒めはじめる。味付けはシンプルに塩と醤油を少々。フライパンを操る腕前も慣れたものだ。

ちゃちゃっと皿に盛りつけ、ちゃちゃっと食べる。

こんなことをちゃちゃっとできて、そんな家事にも慣れてしまうから、独りになっても平気と思われるのかもしれない。

食後は軽くウオーキングをして体をほぐす。もともとスポーツ好きの進也だから、体を動かすことも面倒くさがらない。

部屋に戻るとシャワーを浴びて髭をあたる。ここから先はいつものルーチンだ。ラストデーだから少し着飾っていこうかな、なんて思ってみたが、そんなしゃれた服を持ち合わせてはいない。いつも通りラフなスタイルで仕上げる。

ラストデーのためのプレゼントも忘れてはいけない。ウオーキングの途中で買った花を車に詰め込んでおく。これで準備は完了である。

あとは時間が来るのを待つだけだった。

進也は自分の事の様に緊張していた。

一つは最後の客として出向くこと。もう一つは、ミホの卒業の原因が自分であることを店が周知していること。

流石にこれは恥ずかしい。どんな目線で見られるのだろう。そういう意味では相当に不安だった。


店の前に到着したのは予定通り十一時三十分頃だった。ラストのラストまでいるためには、十一時三十分を少し過ぎてから入った方が良い。進也は時計を確認した。正確な数字は十一時三十二分を指していた。丁度良いタイミングだ。

いつもの様に見慣れたドアを開き、いつもの黒服お兄さんが出てくる。そしてこれが最後のオーダー。

「ミホさんをお願いします。」と言いかけた瞬間。

「お待ちしておりました。ミホさんですね。」と先に言われた。

予想外の対応に少し驚く進也だったが、気を取り直していつものドアを通り抜ける。中の客はまばらだ。

進也はいつもと違って奥の四人掛けの十五番シートに通された。

そしてしばらくしてミホが現れる。

「うふふ、シンちゃん、待ってたで。」

今日の衣装はいつも通りの白いキャミソール。特別な衣装じゃないのがいい。

「表のお兄さんまで知ってるみたいやな。今日のご指名はって聞かれへんかったで。」

「そうやで、みんな知ってるで。それに今日のミホはシンちゃん以外はヘルプにしかついてないし。」

「あとはラストまで一緒にいられるねんな。」

「今日な、シンちゃんのお友達が来たみたい。でもマヤさん、ミホとシンちゃんのことは最後まで黙っててくれたって言うてはった。」

「そうか、ほんなら終わったらミホからお礼言うといてな。」

「そんなん、じぶんで言うたらええねん。どうせラストまでおるお客さんなんかおらんと思うし。」

そんな事を言ってる間に、場内コールが聞こえた。


=マヤさん十五番テーブルラッキータイム=


「えっ?今日のミホはボクだけの指名っていうてなかったっけ?」

ミホも首をかしげて進也の顔を見る。

「ミホは呼ばれてへんで。」

やがてあらわれるマヤ嬢。進也とミホの向かいの席に座り、

「こんばんは。おめでとう。ミホちゃんをよろしくね。九時ごろヒデさん来たけど、黙っといてあげたで今日の事。お昼は一緒やったらしいやん。」

「ありがとうございます。」

進也は深々と頭を下げて礼を述べた。

「ミホちゃん幸せにしてあげてな。もうこの店来たらアカンで。来たらミホちゃんに報告するからな。でもうらやましいな。」

それだけ言って進也たちの席を去って行った。

続けて場内コールが流れた。


=ユカリさん十五番テーブルラッキータイム=


普段は日曜日に出勤していないユカリ嬢までお目見えだ。

「どうしたんですか?なんで日曜日にいるんですか?」

進也は驚いたように尋ねた。

「あんたらに一言だけ言いたくてわざわざ来たんやん。よかったなあシンちゃん。ミホちゃんから聞いたときはちょっとびっくりしたけど、あんたやったらええかなと思った。あんたやったら、年の差なんか関係なくやっていけると思う。色々と苦労もあるかもしれんけど頑張らなあかんで。」

ユカリ嬢が去った後も場内コールは続く。


=チヒロさん十五番テーブルラッキータイム=


今まで進也の席にヘルプに来たことのある嬢が順繰りに顔を見せに来て、祝いの言葉を述べに来る。嫌味や愚痴をこぼす嬢は一人もいない。

その間中ミホは、何も言わずに黙って進也の隣に座っている。その表情には嬉しさと恥ずかしさがこみあげていた。

最後には店長までがやってきて、

「オレも長いことココの店長やってますが、こんな感じで卒業する女の子は初めてなんですよ。よかったですね。」

皆の顔見せが終わるまでにおおよそ三十分かかったが、後の時間はミホとのまったりタイムが待っているだけだった。

「今日は何?なんか恥ずかしいなあ。」

「ミホもこんな感じになるって知らんかった。ホンマに恥ずかしいなあ。」

ミホも少し照れながら進也の肩に寄り添う。

「みんながボクらのこと喜んでくれてるみたいで嬉しいな。」

「こんなにおおっぴらにお客さんと付き合うのってミホが初めてみたい。」

「でも、お店としてはこんなパターンが増えるのはNGちゃうんかな?」

「そうやと思う。女の子辞めちゃうからね。オープン前のミーティングでも、最初で最後にしてねって店長が言うてた。」

「そらそうやろな。でも最初でよかった。」

そう言って進也はミホを抱き寄せる。

店では最後の時間。いい想い出づくりをしたい。

もうすでにミホの体を知っている進也。

ここでは抱き合い、唇を求め合えば十分だった。

すでに二人だけの世界に入ってしまっている進也とミホは、店の中で明らかに別世界と言える空間にいた。

まだ何人か残っていた客も徐々に帰宅し、やがて二人だけが店内に残された。

気を利かせた店はBGMを激しい音楽からムードのあるバラードに変える。十二時五十分になると、新たな客の受付を行わない。店が二人のためにBGMを変えたということは、すでにその時間が過ぎているということを示していた。

「ボクの残りの時間はあと何分?」

「ミホとシンちゃんのやろ。それやったらあと二十分やで。」

「もう誰もおらんようになったな。これやったらエッチなことしてもバレへんのちゃう?」「アカンで、最後に変なことして怒られんといてな。」

「へへへ、わかってるって。」

進也は少し面白がってみせたが、今日の目的は静かにミホを送り出すこと。そして自らの手に迎え入れること。そのためには店との間にトラブルがあってはならない。

「後は静かにラストタイムを迎えるだけ。それまでずっとボクんとこにおってな。」

「うん。」

今や二人の間に多くの言葉は要らない。ときおり愛をささやく言葉があればよい。それでも常に会えている訳でもないので、一緒にいる時間をそのほとんどは唇を重ねあうことに費やしている。

やがて時計は二十五時三十分を示し、店内には営業終了のBGMが流れはじめる。

すると受付のお兄さんが大きな紙袋を持って来て進也に渡す。

紙袋の中には進也が用意してきた花束が入っていた。

「卒業おめでとう。」

進也は花束をミホに渡すと、最後に抱きしめてから最後の言葉を贈る。

「明日からは、ボクだけのリナちゃんや。あらためまして、よろしくね。」

「ありがとう、花なんかもらったんはじめてや。リナもよろしく。」

ミホとしての最後のお見送り。場内のコールがかかる。


=ミホさん十五番テーブルスタンド&バイ=


それまで控え室で待っていた嬢たちがこぞって進也を見送ってくれる。

「もうきたらアカンで。」とか「お幸せに。」という言葉ばかりと思っていたら。

「たまにはおいでや。」とか「今度の指名はウチにしてな。」などといった言葉もあった。

それらの言葉をうっちゃりながら店を出る進也。

「クルマで待ってるから支度ができたら電話してな。」

「うん。」

こうしてミホの『エロチックナイト』ラストデーは終了したのである。


三十分後、ミホから電話が入る。支度が終わったので店の前で待つとのこと。

進也はクルマから出て再び店に向かう。

すでにミホは店の前で待っていた。普段通りの服装だった。濃い目の化粧も落とされていて、普段通りのメイクに近い感じだった。

「やっと終わったな。ココからはもう完全にリナでええねやろ?」

「そうやな。」

そう言ってニッコリと微笑んだ。

「ココから家まで無事に届ける責任は重そうやな。」

「途中でどっかに寄ろうと思てる?」

リナは上目遣いで進也を見つめた。

「いいや。今日は時間も遅いし。こんどからはゆっくり会えるし。ちゃんと無事に帰してあげる。」

「そうなんや。無理やりでも怪しい建物に連れ込まれるんやと思てた。」

「ボク、そんな横暴な人に見える?」

進也の目をじっと見つめるリナ。

「やっぱりシンちゃんは大丈夫な人やった。リナの思てた通りの人やった。」

そう言って思い切り進也の首に抱きつくリナ。

丁度そのタイミングで、店の中からスタッフが出てきた。

「まだおったんかいな。こんなとこでイチャイチャしてんと、はよ帰り。」

リナはペロッと舌を出して、おどけて見せた。

店の前で手を振ってスタッフたちと別れる進也とリナ。進也もリナも、もうこの店を訪れることはないだろうと思っていた。


進也のクルマは近くのコインパーキングに停めてあった。ここからK市まではおおよそ一時間。時間も遅いので道は空いているだろう。そう思いながら進也はクルマを北東へと走らせ始めた。

「今夜のミホはいつもよりステキやったなあ。指名できなんで文句をいうお客さんおったんちゃう?」

「うん、おったで。しゃあないから別の女の子指名して入ってきて、ミホがヘルプにいったとき、最後にチューしたかったって言われた。ブログ読んだ人もおって、エエ人ってどんなヤツなん?って聞かれたし。」

「それで?なんて答えんの?」

「ヤクザみたいな人でめっちゃ怖い人やから近寄らん方がエエでって言うといた。その方がええかなと思って。」

「ははは、それおもろいな。」

「それでもミホのお客さんはそんな多くないし、今日はフリーにも回らへんかったし、ホンマのヘルプだけやったから、二人ぐらいかな、最後に指名したかったって言われたの。」

「そんなとこへボクが行ってたら、なんかしらトラブルがあったかもしれんな。ラストタイムに合わせておいて良かったな。」

彼女がブログに卒業の記事をアップしたときに少なからず進也は他の客がいる時間帯に訪れるべきでないことは理解していた。

「それはそうと、次はいつ会えるん?シンちゃんのお休みは土日やろ?リナのお仕事は次のお休み水曜日と土曜日やけど。」

「ほんなら火曜日は何時に仕事終わる?ボクの会社の近くまで来られへんかな?紹介したい人もおるし。」

「夕方四時ぐらいには仕事終わるけど。それってマヤさんのお客さんって言うお友達?」

「それと世話になってるホルモン屋の親方。大丈夫やって。お店用と普段のメイクは違うからわからへんて。なんか言うてもシラを切りとおしたらエエねん。」

「そうやな、それに別にばれても大丈夫やで。ウチ、ホンマにヘルプのときは絶対チューもお触りもさせへんかったし。」

「ほんなら六時半ぐらいに地下鉄A駅の中央改札まで来てくれる?」

「うん。次の日は休みやから、お泊りの用意して行ったらエエねんな。」

「泊まりに来てくれるん?今日は無事に帰してあげるけど、ホンマはリナの人肌も恋しいねん。翌日ボクは休みちゃうけど、隣のN市に行く出張作るから、近くまで送って行ってあげられるで。」

「そんな都合つけられるってすごいな。」

「たまたまボクのお得意さんがあんねん。これも運命の一つやったかもしれんな。」

「これから、そこへ行く出張の回数が増えるんちゃう?」

「へへへ。そうかもね。」

こうして二人は次のデートの約束を交わした。

「今日は家まで送ってくれる?自転車乗って来てないし。」

「もちろんええで。そのかわり家がどこかバレてもええねんな?」

「うふふ。いつかお父さんやお母さんに会いに来なアカンねんで。」

クルマがリナの家近くに着いたのは午前二時半の少し手前だった。元来飛ばし屋の進也は夜中と言うこともあり、そこそこスピードを上げて走り抜けた。もしもお巡りさんがいたら、かなり叱られたことだろう。

別れ際、進也はクルマの中でそっとキスをする。

「じゃあ明後日。お父さん、お母さんによろしく。」

「うふふ。まだシンちゃんのこと詳しく話してないし。じゃあ明後日な。」

進也はリナが家の玄関を入ったことを確認してハンドルを回転させた。これで無事に送り届ける任務は完了したのである。

その夜、進也が帰宅したのは午前三時を少し回った頃。昼寝をしていたのが功を奏したのか、まだ睡魔は襲ってこなかった。

それでも朝の出勤を考えて、シャワーを浴びて床に入る。ウトウトしだしたのは、そろそろ四時になろうとしていた頃だった。



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