第12話 ミホのラストナイト・・・

翌朝、進也はしょぼしょぼとした目でベッドからむっくりと起き上がる。今日が平日でなくて良かったと心から思っていた。

やはり昨晩はあまりよく眠れなかったようだ。顔を洗ってモーニングの用意をしていた頃に進也のケータイが音を立てて騒ぎ立てた。

「もしもしオハヨー、リナやで。誰かわかってる?」

「おはよー。もちろんわかってるよ。今ちょうど起きたとこ。もしかして見てた?」

「ううん。そんなわけないやん。リナもさっき起きてんけど、シンちゃんどないしてるんか気になって電話してみてん。電話しても大丈夫やった?」

「もちろん大丈夫やで。せやけど。実は興奮してて、昨日の晩はあんまり眠れんかった。まだ目も半分しか開いてないかも。」

「リナも。家に帰ってからの方がドキドキしてきて、夜中に二、三回目が覚めた。せやからちょっとだけまだ眠いねん。今日はお昼の仕事が休みやったから良かったけど、夜はお店に行かなあかん日やし、今からシャキッとしとかなと思て。ところで、今度はいつ会えるん?」

「今すぐでも会いたいけど。行ったら会える?」

「会いに来てくれるん?」

「行くのはええけど、その代わり寝られへんで。夜も遅くなるんやから、ちゃんと寝てた方がええで。倒れてもらったら困るし。」

「うふふ。優しいな。」

「会うだけやったら明日でも明後日でも会いに行くから、今日は夜に備えてちゃんとお昼寝しといて。」

「わかった。シンちゃん、明日の仕事終わったら会いに来てな。」

「うん、クルマ飛ばして絶対に行く。」

今日のところはそう言って電話を切った。

その日の夕方、『エロチックナイト』の中のお嬢さん方のブログを見てみると、ミホの記事がアップされていた。


『ミホは来週の日曜日で卒業しまーす。良い人ができたので、もうキスもお触りも禁止でーす。それでもOKな人だけ来てね。ちなみに月曜日はお休みします。』


その記事を見てはにかむ進也。

より身近な存在となった彼女のことを想い、悦に耽る。

そして、この日を境にミホの客は順々に離れて行き、この夜の日曜日も翌週の水曜日もほとんどヘルプ周りだけの嬢となっていた。


進也は眠い目をしょぼつかせながら、朝から始めたのが部屋の掃除である。いつかリナが部屋を訪れることになるかもしれない。そう思ったら、今の部屋の現状を見渡したときに一番にしなければならないことだと思ったのである。

これを契機に進也の生活は一変していく。

例えば、部屋の掃除から始まった身の回りの整理については、溜まりがちだった洗濯物を率先して行ったり、できるだけの外食を避けて自炊を試みたり、無駄な買い物をなくしたりと、健全な生活環境へと変わっていくこととなるのである。


そしてあの告白から翌々日となった月曜日、和歌山から帰ってきた秀雄が朝から絡んでくる。

「親方から聞いたで、えらい慎重なんやってな。女の子なんて積極的にいかなあかんで。」

「朝からストレートなアドバイスをありがとう。せやからボクにとっては手順があんねんって言うてるやん。もうちょっとそっとしといて。ほんでもってついでに言うと、今日も仕事終わってから、その女の子と会う約束してるから。」

「おうおう、手順通りっていうわけやな。まあがんばり。」

和歌山帰りに寄ったのか、昨日行ったのか、ホルモン屋の親方から進也の話を小耳に挟んだ様で、朝から進也の新しい恋の話に興味津々のようだ。

進也も話の展開上、いつかは秀雄にも親方にも話をしなければならないときが来るかもしれないと感じていた。

それはそれとして、今夜は仕事終わりにリナに会いに行くと決めている。終業時間が待ち遠しいのは店通いのときと変わらない。

本来ならば月曜日はミホの出勤日であるが、ブログで宣言したように、この日は休むことになっていた。つまり、ミホの出勤日は残すところ、水曜日とラストデーとなる日曜日のみになったということである。

進也は終業時間と共に一目散に帰宅した。もちろん、昼休みなどを使ってメールでのやり取りをしているので、待ち合わせの場所と時間はすでに決まっている。K市駅ターミナル午後七時三十分である。前回のドライブデートのときの待ち合わせ場所と同じなので、間違う心配はない。

今日の予定は軽く晩御飯。

もう気分は中高生と同じである。結構エッチな店で知り合ったのに、今は純粋な気持ちで臨んでいる。なんだか不思議な気分に包まれていた。

進也のクルマは待ち合わせの時間にやや遅れて到着した。ターミナルの端に立っていたリナは進也のクルマを見つけると、すぐに駆け寄ってきた。

「ゴメン、少し道が混んでて遅れてしもた。」

「しゃあないな。抱っこしてくれたら許したる。」

あたりはもう暗い。すでにドアを閉めたクルマの中で行われている抱擁の詳細な行為までは確認できない。

「抱っこだけかな?」

「うふふ。」

リナは少しはにかんでから唇を預けにいく。しかし車の中とはいえ公の場所。一つになるシルエットの時間は短く済ませる必要があった。

「ご飯を食べに行こう。今日は何が食べたい。」

「今日は回る寿司を食べに行こ。あんな、別に普通でええねん。無理してお洒落な店とか行かんでええねんで。普通のシンちゃんの姿を見せてな。」

「うん、わかった。ほんなら回る寿司を食べに行こか。」

クルマはK市駅のターミナルから国道へ出て、近隣の回る寿司の店に向かった。

「和歌山のデートを思い出すなあ。あのときの魚は美味しかったなあ。」

「せやな、リナは魚釣りでシンちゃんに勝ったのを思い出す。」

肩肘張る必要のない回る寿司屋での食事は進也にとって、とっても気分が楽だった。魚好きの進也は、割りと頻繁に回る寿司屋を利用する。今日は気分的にもラフな二人なので、カウンター席で十分だ。

「リナはいつもどんなネタを食べるん?」

「そうやなあ、サーモンはデフォやな。あとは白身魚とか貝が好きかな。シンちゃんは?」

「ボクはイワシとかサバとか青い魚を食べて、あとは魚卵に行くのがパターンかな。」

まずはお互いの好みを披露し合う。

「お店辞めたらどうするん?お金が必要やったんちゃうの?」

「えへへ、ちょっと遊ぶお金が欲しかったんや。でも昼間の仕事と掛け持ちがしんどくなってきたし、どっちみち近いうちに辞めようと思ってたから丁度良かってん。」

「これからはボクと遊んでくれることになるんかな。」

「いっぱい遊ぼな。なんかめっちゃ楽しみやわあ。」

「そや、今日みたいにクルマで行き来しなアカンねやったら、いっそのことボクがこっちの方へ引っ越して来ようかな。」

「ホンマに?エエ考えやな。それともリナがそっちへ行こかな。ぼちぼち一人暮らしもしてみたいし。」

「なんやったら一緒に住む?」

「・・・・・・・。」

ちょっとした沈黙が流れたのち、リナが呟くように問いかける。

「いきなり?」

「せやな、いきなり早いな。」

進也は少し気まずい雰囲気を払拭するかのように、手元の茶をすすっていた。

「でもいずれは一緒に住んでもエエかな。」

そう言ってリナはニッコリと微笑みながら進也の手を握った。

「今日も可愛いなあ。」

進也はリナの笑顔を見て素直にそう感じ、素直に口に出す。

「えへへ、照れるやん。」

「今日は何時に帰ったらええの?」

「いっつも言うてるやろ、子供やないねんから。まだ全然大丈夫やで。」

「ほんならちょっとドライブに行こか。」

「うん。」

進也とリナは二人で二十五枚を平らげて店を出る。そして颯爽と車に乗り込んだ。

「ほんで、どこに連れてってくれるん?」

「京都に行こか。」

「京都のどこ?今から?夜やで?」

「えへへ。」

進也は特にどことは告げずにアクセルを踏んで、クルマを北へと差し向ける。K市から京都市へは国道一七一号線で繋がっている。やがてその延長に国道一号線があり、進也のクルマはさらに先へと進んでいく。

東山を過ぎ、あと少しで滋賀県との県境に指しかかろうとする頃、ハンドルを回して側道へと入って行った。そこから少し坂を登り、やがて現れる駐車場。

あたりは薄暗く、あまり街灯はない。それでも他に何台かのクルマが駐車していた。進也は静かにエンジンを切り、リナを外へと連れ出す。

「ここはな、将軍塚というて京都では有名な夜景スポットやねんで。」

歴史的な史実関係までは進也も知らなかったが、歴代の天皇に関係している墓らしい。最近はなかなか来る機会もなかったが、今も昔も絶好の夜のデートスポットであることには違いない。

進也は薄暗闇の道をリナの手をつないでエスコートしながら展望台へと歩く。やがて広がる京都市内の夜景。

「うわあ。すごいきれい。シンちゃんすごいな、こんなとこ知ってんねや。」

しばらく立ち止まって夜景を眺めていたリナの肩を後ろから抱きしめる進也。やがて薄暗闇に目が慣れてくると、周りの状況が明らかになってくる。そう、ここはデートスポットなのである。進也たちと同じように一つに重なっているカップルが何組か垣間見られる。

「シンちゃん、ココってこういう意味でもすごいとこやねんな。」

「周りのみんなと一緒やから平気やろ?」

二人はしばらくの間、初冬の京都の夜景を眺めながら、互いの体温を確かめ合っていた。正面には京都タワーが光っており、その奥には大文字の山々が見えるはずなのだが、流石に夜だけに薄っすらとそのシルエットだけが浮かんでいた。

「リナとずっとこうしてたいな。時間が止まったらエエのに。」

リナの耳元で呟く進也。

「時間が止まってもお腹って空くんやろか。」

突然面白いことを言う。ちょっと躊躇した後で進也は答えた。

「止まってる時間の中で動いとったらお腹減るんちゃうかな。」

「ほんなら時間が止まってても、動いてる人には止まってないんやな。」

「前に見たドラマでは、動ける人と止まる人とが同じ空間の中にいるけど、違う次元に住んでる人やっていう設定やったで。」

進也は数年前に見たテレビドラマの話をした。

「ん?どういう意味?」

「こことは違う次元の世界があるんやって。あっちの次元の人はこっちの次元にも存在できるっていう設定やったかな。時間を止めて行き来するって言うてたかな。」

「今ウチらが住んでる世界の他にあるんかな、そんな別の世界が。」

「もしかしたらあるかもな。」

そして一瞬止まる時間・・・・・・。何かが二人の側を通り抜けた・・・・・。

そんなことを気づいたか気づかずか、進也は周りで佇んでいるカップルを横目で眺めていた。予想通り何組かの恋人たちは、他人眼を気にせず唇を合わせていた。進也も背中から抱いていたリナを自分の方に向かせて、彼女の瞳を見つめた。そしてそっと唇を奪う。

「うふふ。やっぱりエッチなこと考えてる?」

「いいや。キスしたかっただけやけど。エッチなのはリナの方ちゃうの?」

「今度の土曜日、シンちゃんの部屋に行ったげる。そんときにな。」

リナは神妙な言葉を投げかける。そして今度はリナの方から進也の唇を求めていた。

「今日もありがとう。リナ、優しいシンちゃんが大好き。」

その言葉の後、二人は長い時間、体を合わせたまま、お互いの温もりを感じながら立ちすくんでいた。

こうして底冷えのする京都の夜は更けていくのであった。


底冷えのする京都の夜を過ごした後に、進也はその日も無事にリナを帰した。彼女の含みのある言葉を聞いた後だから。

流石にその日は進也も帰宅したのが遅かったので、すぐに寝床に入ったが、結果的にはリナの言葉が頭の中を何往復もして、またぞろ眠れぬ夜と相成ってしまったのである。翌日の就業時間中ずっと眠くてウトウトしていたことは言うまでもない。

そして金曜日の午後、いつものように秀雄が進也を飲みに誘う。

「シンちゃん、今日は飲みに行けるんやろ?もう無理にあっちのほうは誘わへんさかい、ホルモンだけでも付き合いーな。」

今夜は土曜日の待ち合わせ時間などを連絡すればいいだけになっている。秀雄の誘いを真っ向から断る理由もない。これを機会に報告だけはしておこう。そう思った進也は、就業後に秀雄と肩を並べてホルモン屋へ直行する。

「親方、二人ね。ミックスと塩キャベよろしく。」

注文はいつも通りだ。

「シンちゃん、待ってたで。その後どうなったん?そればっかり気になって夜も寝られんねん。」

今日は秀雄よりも親方の方が先に話しかけて来た。

「親方には直接関係ないやんか。気にしてくれるのはありがたいけど、それって勿論興味本位やんな?」

「当たり前やん。けど、ヒデちゃんの話よりリアルやさかい絶対面白いがな。ヒデちゃんの話は商売女の話ばっかりやからな。」

秀雄も進也もまずはコキコキのビールで喉を潤す。

「みんなシンちゃんのこと心配してんねんで。離婚した後にちょっとブルーなこと言うから。ほんでもってその後すぐにピンクい話するやろ。興味持つなって言う方がムリやで。」

良い様に取ればありがたい話である。しかし二人の嗜好は興味本位の話題であるに違いない。それはそれで今日は仕方がないと諦めている。

「あんな。例の女の子、付き合うことになった。それだけは報告しとく。せやから、例の店にはしばらく行かへんからヨロシクネ。」

一瞬、目をぱちくりさせていた親方と秀雄だったが、それでも思い出したように秀雄が喰らいつく。

「どんな子なん?いくつの子?どこに住んでる子?かわいい?おっぱい大きい?もうどこまでやった?写真ないん?」

それこそ秀雄の矢継ぎ早の質問攻勢にタジタジの進也。答える前に目の前にジョッキに半分ほど残っていたビールを一息に飲んで。

「写真はない。可愛いかどうかは個人差やし。因みに年齢は二十二やったかな。」

「えーっ?そんなに若いん?ちょっと、さながら犯罪の匂いがするで。」

喋りながら興奮しているのか、秀雄の目の前にあるビールジョッキはあっという間に空っぽになる。

「親方、とにかくビールはおかわりや。シンちゃん、ほんでいつココへ連れて来てくれるん。オイラだけやない、親方も会いたいやん。はよ紹介してえな。」

「わかってる。もうちょっと待ってえな。まだお互いが好きやって認めてから何日もたってないねん。もしかしたらボクの勘違いで、あっという間に振られてしまうかもしれんやろ?そやから、もうちょっと落ち着くまで待って欲しいねん。」

「いやいや、好きやって言うたんやろ?それで付き合ってくれって言うたんやろ?ほんで彼女がエエでって言うたんやろ?ほんなら勘違いとは違うやろ?」

矢継ぎ早の質問攻勢はまだまだ続く。

「キスはしたんやろ?エッチはまだか?まさか両方まだってことはないやろ?」

「シンちゃん、ワシも興味あるなあ。どうやったらそんな若い子をモノにできるんか是非とも教えて欲しいなあ。」

秀雄の質問攻勢の後に親方が上乗せしてくる。

「二人とも興奮しすぎや。まだボクも舞い上がってる最中やから、もうちょっと待ってえな。」

「せめて写真ぐらい撮って来てな。」

今日はこの辺で納得せざるを得ない親方と秀雄だった。なんせ進也が簡単に情報を開示しないので、これより先に進むことはなさそうだと諦める。

「まあでもシンちゃんも新しいパートナーが見つかったんや、素直に喜んであげえな。」

「あんな親方、オイラは妬んでなんかないで。むしろ応援してたんや。喜ばしいことやと思てる。あとは、その彼女から友だちを紹介してもらうだけやし。」

親方と進也がとたんに目線を合わせて息を呑んだ。そして二人で声を合わせて嘆く。

「それはないやろ。」

三人による、進也の恋物語を肴にした今夜の宴は、楽しそうな笑い声とともに初冬の夜に花開いていった。



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