第10話 告白・・・
その週の金曜日。
会社では相変わらず詰まらない会議と単純な作業に明け暮れていた。進也も秀雄もただ淡々と与えられた使命を果たしているだけの業務である。
「それはそうとシンちゃん、とうとう離婚できたらしいやん。詰まらん仕事の憂さ晴らしも兼ねて、お祝いにぱあーっと行こうや。」
「そうやなあ。でもあんまりお祝いって言うほどのことでもないで。実際、なんか淋しい風が吹いてる様な気もするし。もともと別居してたから家に帰っても独りやったけど、事実上も独りになると、それはそれでかなり涼しいで。」
「そんだけ冗談言えるんやったら大丈夫やろ。祝いやから、今日は『エロナイ』の分まで奢ったるさかい、仕事終わったら出口で待ち合わせやで。」
二次会の分まで振舞おうというのだからお大尽なことだと進也は思った。しかし今宵はミホの出勤日ではない。「今日は絶対に行かない」そう思っていた。
毎度の事ながら彼らのアフターファイブパーティーは、まずは焼き鳥がデフォである。そして次にホルモン屋へ流れ込むのがいつものパターン。焼き鳥屋は毎回店を変えるが、ホルモン屋は例の親方がいる店である。
この夜もあっという間に例の親方の店に雪崩れ込んでいた。
「なあシンちゃん、折角独りになったんやから、もっと独身を謳歌したらええんちゃう?あっちでもこっちでもナンパし放題やんか。」
秀雄は他人事だと思っているせいか意見も軽い。
「ボクはそんなナンパとかしたことないし。それにやっぱり独り身は淋しいで。」
そんな会話に親方が入り込んでくる。
「ヒデちゃんにはわからんかも知れんけど、なんやかんやで一人は淋しいもんやで。ワシも若い頃に最初の女房と別れたときは、なんや胸の中に穴が開いた感じやったからな。」
「ヒデちゃんも別れるって言うてたよな。ボクの離婚がうまくいったら。」
以前に秀雄がそう言っていたことを思い出した。
「そうやな。シンちゃんが頼んだ弁護士紹介してくれたら手続きしてみよかな。」
すると親方が割って入る。
「ヒデちゃん、お前さんとこは上手くいってるんやろ?無理して別れんでもええんちゃうんか。シンちゃんのところは元々相性が合わんかったんやで。悪いことは言わんから止めとき。」
「ホンマやで。無理して別れる必要ないねん。結果的になんや淋しいだけやし。子供が家を出てから余計にやな。」
「なんや、結局淋しがりなだけやんか。それやったらシンちゃんなおさら新しいパートナー探さなアカンのと違う?誰か宛はあるん?あるから別れたんと違うん?」
進也は少し見透かされた気がしたが、さもあらん、ミホ嬢とはまだ何の関係もなく、特に後ろめたいこともないはずだと自分自身に言い聞かせた。
「誰かええ人がおったら紹介してもらうわ。」
カウンターから乗り出して親方が進也に注進する。
「シンちゃん、お前さんももう四十やねんから、本気やったら急がなアカンで。ワシの親戚を紹介したろか。」
「親方、本気やないでしょ。それに親方と親戚になるんは考えもんやな。」
「そうやでシンちゃん、きっと親戚になったとたんに会社辞めさせられて、店の手伝いさせられんで。」
「アホぬかせ、こんなど素人に店手伝わせたら、折角の評判が落ちてウチの店つぶれてしまうがな。」
親方も負けずに応戦してきた。
「心配してくれんのはありがたいけど、出会いは運命やしな。」
すると秀雄は心配そうな顔で進也の肩に手を乗せて、
「シンちゃんは出会いの場所へもっと積極的に行かなアカン。ホンマは女が嫌いなんちゃうか?キャバへ行っても大人しいし、セクへ行ってもチョボチョボで終わってるし。シンちゃんホンマはホモやろ?」
「やめてや。基本的な女好きはヒデちゃんと変わりないつもりやで。『エロナイ』もあのあと行ったって言うたやん。ヒデちゃんよりもちょっとシャイなだけやん。」
「じゃあまずは、そのシャイなところを克服するために今夜もいっちょ『エロナイ』へ行こか。」
秀雄は得意気になって話の方向をそちらへと持っていく。
「結局そっちの話になるんか。でも、ボクのシャイの話とその話は関係ないやん。」
「あるんやなこれが。つまりはな、女と対峙するときの心構えとか手段とかを克服しておかんと、いざというときに尻込みすることになるやろ。せやからそんときのための練習やと思て、ああいうところに行っとかなアカンねん。」
正論性が有るのか無いのか解らないようなセリフだが、進也は出来るだけ行きたくない。どうやって断ろうかと思っている矢先に親方が割って入る。
「シンちゃん、今日は行っといで。ヒデちゃんの言うのにも一理ある。ワシみたいな出涸らしはともかく、シンちゃんはまだこれからがある身や。なんでも経験やし、色んなことして女慣れもしといた方がええに決まってるやん。」
進也は「余計なお世話だ」と思ったが、口に出しては言えない。そもそも行っていないわけじゃないし、内緒にしているだけなのである。しかもオキニの嬢とは次のデートの約束まで取れているし、今夜は店にミホはいない。進也は困ってしまった。
「ほんならな、ボクがヒデちゃんのオキニ嬢でええか?」
搾り出した末の究極の妙案であると思ったが、そんなことでへこたれる秀雄ではなかった。
「別にかまへんけど、シンちゃんがオイラのオキニ嬢を指名する意味あるん?一番最初に行った時の女の子でええやんか。誰やった?」
「今日いてるかどうかわからへんし。そんな馴染みやないし。」
「ほんなら受け付けの兄ちゃんに『おっぱいの大きな女の子いますか?』って聞いたろか?シンちゃん確か、おっぱいの大きな女の子選んでたよな。」
それこそ大きなお世話である。そんなことをされると進也が普段から通っていることがバレてしまうかもしれない。それは避けなければならないことだった。
「今日は行くつもりしてないし、それに何度も通うつもりもないし。」
「他にも可愛い子おるで。おっぱいの大きな子は少ないけど、女慣れするだけやから誰でもええやん。」
秀雄は何度も通っているようで、おおよそ店の状況もわかっているようだ。進也も実は負けず劣らず通っているため、秀雄が言っていることが間違ってないことも解っていた。
困っている進也を見かねて親方も口を出してくる。
「シンちゃん、今日はあきらめてヒデちゃんの言うとおりにしとき。何やったらワシがその分奢ったってもええで。」
進也はそれこそ大きなお世話だと思った。秀雄だけでなしに親方までが『エロチックナイト』への出動を促してきた。ここでついに進退窮まったのである。
しかし天の助けともいえる電話が進也のケータイに鳴り響いた。
===プルルルルル===
見たことのない番号が表示されている。
「もしもし―。」声を聞いて驚いた。なんとミホからだった。
慌てて席から離れて店の外まで駆け出た。
「もしもしミホちゃん、どうしたの。」
「もう電話番号を教えてもいいかなと思って電話したんよ。今度も人がいっぱいおるところでの待ち合わせやし。今何してんの?」
「会社の友達と飲み会してるところやねん。最初にボクを『エロナイ』に連れて行った友達。」
「もしかしたら二次会、お店に行くん?」
「今日は行きたないって言うてんねんけど、断る理由を探してるとこやねん。何かええ案ないかな。」
進也はそうなるまでのちょっとしたいきさつを話してミホに助けを求めた。すると、しばらく間をおいて答えが返ってきた。
「今から彼女のところに行くって言えば。なんやったら少しデートしてあげよか。」
進也が腕時計を見ると現在時間はそろそろ二十一時を指そうとしていた。
「今から出てきたら遅くなるで。それに帰りはもっと遅い時間になるやん。」
「うふふ、心配してくれるんやな。ほんならシンちゃんがK市まで来てくれる?」
ミホの答えと併せての妙案が進也の脳裏に浮かんだのはそのときだった。
「ええこと思いついた。デートは再来週の火曜日でええよ。でも今日は会うっていうことにしとくわ。ほんでもって今日は帰ることにするし。」
「ようわからんけど、大丈夫?」
進也の脳裏に浮かんだ考えとはこういうことである。お目当ての女の子はいる。そして今からその彼女に会う。その彼女がお店の女の子だという必要はない。結果的に冷やかされることにはなるが、正体を明かす必要はないはずだ。
「いいタイミングでの電話をありがとう。ほんなら再来週の火曜日に改札口で待ってるし。」
「うん。ミホも楽しみにしてるし。」
そういい残してミホは絶妙のタイミングでかけた電話を切った。
電話を終えて秀雄の元へ戻ってくる進也。ちょっとテレながらも話の切り出し方を思案している。
「あんなヒデちゃん、ちょっと前に知り合った女の子からの電話やねん。今からちょっとしたデートの約束できたから先に帰るわ。」
「なんやそれ。いつからそんな面白い遊び覚えたん?最近時々早く帰ってたのはその彼女と会ってたってこと?」
秀雄も親方も突然の展開に鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「シンちゃん水臭いな。そんな女の子がおるのなんで黙ってるん?」
秀雄は少し怒ったような口調で進也に尋ねた。
「たまたま駅で困ってるところを助けてあげた子でな、まだ一回食事しただけの女の子やからどうなるか解らんかったし、ちゃんとなってから報告しようと思てただけ。ホンマにまだ今からどうなるかも解ってないし。」
「せやけど、今からデートやろ?そろそろイケるんちゃうん。」
秀雄も親方も急展開の話に興味津々だ。
「アカンでついてきたら。まだそんな関係になってないんやから。デート言うたってたまたま向こうも飲み会やったし、近くにおるみたいやからコーヒーでも飲みに行かんかっていうお誘いだけ。ただの財布代わりやし。」
「いくつの子?かわいいの?どこの子?もう付き合うてんの?」
秀雄の話は、進也に向けての矢継ぎ早の質問攻勢に変わっていく。
「ちゃんと交際できるようになったらヒデちゃんにも親方にも紹介するし、あんまり囃し立てんといてくれるかな。」
「シンちゃんも本気やったらちゃんと交際しいや。ヒデちゃんみたいに遊びまくっとったらアカンで。がんばりや。」
いつのまにか親方は進也の応援団へと鞍替えしたようだ。
「親方、ほんならお勘定してんか。シンちゃんはデート、オイラは『エロナイ』へ行って遊んでくる。そういうことやな。」
「ははは、ええコンビやな。シンちゃん、ちょっとはヒデちゃんのこういう遊び心も学ばなアカンねんで。真面目だけじゃ女の子にはモテへんで。ワシが若い頃にはなあ・・・。」
と親方が話し始めると同時に秀雄が席を立った。
「その話は前にも聞いたで。シンちゃん、出よ。早うその子のとこへ行ってあげ。その代わり今晩の結果は月曜日にちゃんと聞かせてもらうで。」
進也と秀雄は少し喋り足りない親方を店に残して暖簾を後にした。
秀雄は『エロチックナイト』へ向かう道のりを、進也は大阪駅へ向かう道のりを目指して店の前で別れた。
もちろん進也の行動は全てフェイクであり、秀雄の姿が見えなくなると、踵を返して自らの帰路へとつくのであった。
翌週の月曜日の朝、会社の廊下でいきなり肩を叩かれる進也。
「おはよー。金曜日はあれからどうなった?ちゃんと聞かせてくれる約束やったよな。」
振り向けば秀雄のにこやかな顔がそこにあった。
進也も覚悟していたかのように想定していた物語を語り始める。
「あれから彼女と会うてな、コーヒー飲んでそのまま帰った。ボクも彼女もアルコール入ってたし、ちょっとだけ近況報告してすぐに帰ったで。時間も遅くなるし。」
秀雄の顔はこれでもかというぐらいの呆れ顔になっている。
「アホかシンちゃん。何のために彼女がお前に電話してきたと思てんねん。ちょっと酔うた気分で抱いて欲しいからやないかい。」
「そんな誰も彼もがヒデちゃんが付き合うてきた女の子と同じやないねん。ちょっと悩みごとがあって、ボクに愚痴を聞いて欲しかっただけやん。そのうちもっと仲良くなれると思ってるから。」
進也もいい加減なことを喋っている自分に我ながらと呆れ顔。
「うまいこといったらちゃんと紹介してや。」
「うまくいったらね。」
今のところ進也はミホを秀雄に紹介するつもりはない。きっと店で何度か顔を合わせているに違いないと思っているからである。
「ところでその彼女の写真とかはないん?」
秀雄は興味津々で聞いてくる。喰い付いたら離さないほどの勢いで。
「どこに住んでる子?かわいいん?おっぱいとかシンちゃん好みなん?」
まるでどこかの芸能レポーター並、いやそれ以上の取材攻勢だ。喰い付き方はスッポンといい勝負かも。
「まだ名前だけしか知らん。遊びやないと思てるから、まだそっとしといてな。」
「ちぇっ、もう少しいじれると思ったのに。せやけどシンちゃんも抜け目ないな。見直したで。オイラにもおこぼれ回してな。」
「ああ、ボクとおんなじように離婚できたらな。」
「こっちは遊びでええねんから、堅く考えたらアカン。友だちの友だちはみんな友だち。その精神が世の中を救うねん。」
「何を訳のわからんこと言うてんねん。さあ、仕事するで。」
いつも同じ仕事をしているわけでもない二人。それぞれの持分をこなすために別々の部署へ向かった。
進也はほくそ笑んでいた。
昨日といい今日といい、とりあえずは上手く秀雄の攻撃をかわせたと思っている。
それでも今週末にはどんな手段でお誘いがあるのか考えておかねばなるまい。独り身になったとはいえ、若い頃の自由さはない。自分自身がすでに中年の域に達している自覚もある。そんな環境下で秀雄のように自由気ままに時間を謳歌できない自分がもどかしい。進也はそんな性格の持ち主なのである。
さて、ミホとのデートを翌週に控えた進也は、来週の火曜日の有給願いを提出していた。普段からあまり有給を使わない進也には、いとも簡単に許可が下りる。これでスケジュールの管理は万端だ。仕事はピークを過ぎたので、来月のイベントの用意だけをしておけばよい。MSLのチケットも予約しておこう。これもネットで簡単にできた。便利な世の中になったものだと思う。
後は体調管理と情報管理に気をつけるだけだ。特に秀雄にはシークレットな情報なのだから。火曜日は叔父の法要があるとでも言っておこう。
土日はゆっくりと部屋で過ごし、酒も控えた。久しぶりに健康的な週末だった。
そして待ちに待った火曜日の朝を迎えることとなるのである。
=JR大阪駅東改札口に九時半=
それがミホとの待ち合わせの場所と時間である。
やがてミホが笑顔で現れる。
「おはよー!シンちゃん。」
今日もいつもと同じように可愛い。
「おはよー。今日もいつも通り可愛いね。」
進也は素直にそう感じたので自然と口に出た。
「うふふ。行こっ。」
今日はミホから積極的に進也と腕を組んだ。もちろん進也はまんざらでもない顔になっている。
大阪駅から二十分ほど電車に揺られてから目的の駅に到着する。そして目の前にテレビでよく見た風景が現れるのである。
あらかじめチケットを購入しているので入場まではスムーズだ。
後はアトラクションの楽しみ方だけだが、ジェットコースターに乗れない進也は遊園地が苦手なのだ。それをどう克服してミホを楽しませるか、彼にとっては大きな悩みだった。しかし、どんなアトラクションがあるのかも良く知らないし、結局はミホの後ろについて行くしかないのだと諦めた。
流石に多くの人が訪れるだけのイベントパークである。見覚えのある映画のセットやキャラクターなどが目に飛び込んでくる。
「前にも宣言しといたけど、ボクはジェットコースターは苦手やからな。」
「うふふ、そうやったなあ。ええこと思い出してくれたわ。ほんならジェットコースターから乗ろか。」
進也はミホならそう言うだろうと思っていた。
いずれは通らなければならない関門である。進也も遊園地行きを承諾した時点で覚悟はしていただろうが、いざとなったら足が震えていた。
「もしかして、あの高いところから落ちるヤツも乗るん?」
「えへへ、もちろんやで。手えつないであげるさかい。一緒に乗ろな。」
「おしっこチビったら拭いてくれる?」
「いややで、チビらんように頑張ってな。」
平日でもあり、人が少ないとはいえ人気のアトラクションである。搭乗するまでに十分ほど並ぶ。並んでいる間の時間も怖い者からすれば地獄の時間だ。
やがて二人の順番がやってきて、コースターに乗り込む進也とミホ。進也はしっかりとミホの手を握っている。
「うふふ、ホンマに怖いねんなあ。」
進也にはミホの問いかけに答える余裕がない。そして驚愕の時間が始まるのである。コースターがゴトゴトと動き始め、一気に加速する。「ぐぐぐぶぶぶ」と言葉にならない声というか音を発する進也に対して「キャー」っと楽しそうにはしゃぐミホ。
やがてゴール地点に辿り着いたときの進也の顔には、大いなる疲労の形相だけが浮かんでいた。対照的な二人の顔がそれぞれの感情を物語っている。
「ミホちゃん、お願いやから少しインターバルをもらえる?」
「シンちゃんおもろいな。たった一分ぐらいでこんなに人って変わるん。でも次の乗り物に並んでるうちにインターバル取れるし、次に行くで。」
今日のミホはいつもよりエスっ気が出てるかも。やたら楽しそうだ。
二人はその後も高いところから落ちたり、グルグル回ったり、ブルンブルン揺られたりする乗り物を乗り続けた。
ランチも済ませて、流石に進也も終盤ごろには慣れてきたか、乗りながら笑顔が見られるようになった。
「ねえミホちゃん、乗り物はそろそろ慣れてきたし、一つ思いついたことがあるねんけど。」
「ん?なに?」
「お化け屋敷にまだ行ってないやんなあ。」
「・・・・・・・・・。」
ミホはいきなり黙ってしまった。
「もしかしてお化けは怖いん?」
「行かなあかん?ミホ、お化けは怖い。」
今度は進也がエスっ気の顔に変わる。
「ボクかて散々恐ろしい目に会わされたからなあ。手えつないだけるから一緒に行こか。」
「許してくれへんの?」
「そうやなあ許されへんなあ。」
ミホの目に涙が浮かんでくる。
「ずるいな。女の子の最終兵器使ってくるなんて。」
「ううううう、怖いもん。シンちゃん絶対にミホの手、離したらイヤやで。」
これはいわゆるOKの合図だ。進也は一目散にお化け屋敷の方向へ歩き出した。
本来ならばシーズンオフのアトラクションかもしれないが、ここでは年中開催しているみたいである。ここのお化け屋敷は相当怖いことで有名らしいので、それなりに人気のアトラクションなのだ。従って、コースター同様に十分程度は並んでから入る。
「ボクがずっと手を握っててあげるからな。」
「うん。」
ミホのか細い声が、進也の男としての部分をたぎらせる。
やがて順番が来て二人で中へ入って行った。
暗い照明とトーンの低いBGMがそれなりの雰囲気を醸し出していた。ミホは入るなり進也にしがみつき、大声を上げて喚きだす。
「キャー、イヤー。」
結果的に終始ミホの叫び声は鳴り止まなかった。
「えーん。」
すでにミホはべそを掻いている。
「ボクがついてたから大丈夫やったやろ?」
「うん。大丈夫やった。」
「あそこのベンチで少し休もか。」
進也は木陰の脇にあったベンチを見つけて、ミホをつれて歩き出す。
時計を見るとすでに十六時を回っていた。
「明日も仕事あるやろ?今日は早いうちに帰ろか?」
「そうやな。遅くなったらシンちゃんも狼になりそうやからな。」
「今まで、ちゃんと無事に帰してきたつもりやで。」
「そうやったな。」
そういってミホは進也の首に腕を回して唇に軽くキスをした。
一瞬のことだったので、あっけに取られる進也。
「ミホのこと楽しませてくれたごほうび。」
軽くとはいえ、プライベートでは初めての唇へのキスだった。以前にホッペへのチューはあったけど。
「じゃあ、今日も無事に帰してあげなあかんな。ご飯だけ食べてから帰ろか。」
二人は楽しかった遊園地を後にして大阪の繁華街への帰路についた。
大阪市内の夕暮れはまだもう少し先の時間帯。多少、空が暗くなっても明るいネオンが街行く人の頬を赤く染めている。
なんだかんだでそれぞれ大きな声を出した後だったので、少し疲れも残っていた。二人は大阪駅近くの小さな居酒屋の店に入り、カウンター席の奥を陣取る。進也はビールで、ミホはライムハイで軽く喉を潤す。
「今日は楽しんでいただけましたでしょうかお嬢さん。」
「楽しかったで。最後は怖かったけど。でもシンちゃんのビビってるのも見られたし、めっちゃよかったな。」
「ジェットコースターは今回で最後にしてな。ホンマにアカンねん。今日一日で十年分ぐらい乗った感じやし。」
すでに二人は何度かのデート重ねて、お互いの気持ちを意識し始めている。
進也の離婚は確実にミホの気持ちに衝撃を与えていた。もちろんプラス思考の材料ばかりではない。
それでもミホは進也の大らかさに惹かれている自分を感じていたし、進也も離婚成立以降、ミホに対する意識は変わり始めていた。但し、進也の場合は離婚がきっかけではない。増長したことに変わりはないが。
少し大きめのグラスを二人で二杯ずつお代わりしたところで、丁度つまみも空になり、二人のお腹は満たされていた。
「ちょっと気分が落ち着いたら、駅まで送るわ。軽く散歩しにいこか。」
進也の腕時計は二十時を指していた。
「そんなに早く帰らんでもええねんで。ミホも子供やないねんから。」
「せやな、そやけどこれ以上遅くなったらボクの本性が変わってまうかもしれんやんか。」
「シンちゃんやったら大丈夫や。過去三回の実績があるやん。せやからミホも安心して一緒におれるんやで。」
「ほんならもうちょっと酔いを醒ますのにコーヒーでも飲みにいこか。」
「ううん。一緒に歩いてるだけでええねん。」
「じゃあ、折角やから空中庭園に行こう。」
進也はミホの手を取って歩き始める。大阪駅近くにはビルの屋上にオープンスペースがあり、空中庭園と称してアベックたちの夜のデートスポットになっているところがあった。
エレベータを昇りきり、ドアが開いた瞬間に広がる都会の夜景。
「うわあ、すごいきれい。」
「ちょっと寒いけど、それはガマンしてな。」
「シンちゃんがあっためてくれたらええねん。」
それを聞いて進也はミホの後ろから腕を回す。
「こんな風にやろ?」
「うふふ。」
多少の年齢差はあれど、若く見える進也ならば、薄暗い空間の中での二人は恋人同士に見えたに違いない。
「なあシンちゃん。こうやってたら、まるで恋人同士みたいやな。」
「端から見たらそう見えるやろな。イヤか?」
「ううん。シンちゃんやったらイヤやないで。」
まだ酔いが醒めていないこともあるのか、ミホは幾分かテンションが高い。ふと進也の方に振り向いて、
「今日はアリガト。楽しかった。」
そう言って唇を合わせてきた。さっきと違ってゆっくりと。そして目を閉じて。
本当に恋に落ちてはいけない・・・。進也はそう自分に言い聞かせながらミホを抱きしめていたのだが・・・。
やがてゆっくりとミホの体を離して、
「ありがとう。今日一番のごほうびをもらった気分やな。これでゆっくり眠れるわ。」
「今日は特別な日やったで。またお店に来てな。そんな頻繁やなくてええから。無理はせんでええねんで。」
「会いたいって言うて欲しいねんけどな。」
その返事は聞かずに、今度は進也の方からミホの唇を求めていった。それを黙って受け入れるミホ。やはり目は閉じていた。周囲の目もあるので、あまり長い時間一つになっているわけにもいかなかった。進也はそっとミホの肩を抱いてささやく。
「さあ、ごほうびももらったし、駅まで送っていこ。」
「うん。」
ミホはうなずいただけで、後の言葉を飲み込んだ。
プライベートではファーストキスともいえる二人にとって記念すべき夜のワンシーンとなった。この夜を境に二人は徐々に接近していくこととなるのである。
暦は神無月から霜月へと呼び名が変わり、外の風も明らかに冬の到来を予感させる冷たさに変わっていた。
四度目のデートから十日余りが経過した頃、進也はミホから届いたメールとにらめっこをしていた。メールの内容はこうだ。
「そろそろ来てくれないの?シンちゃんの顔が見えないと淋しいよ。早く次のデートの約束をしに来てね。」
冷たく通り過ぎる初冬のつむじ風は独り身となった進也の胸元を、さらに突き刺すように吹き抜けていく。
ミホから受け取ったメールも、心なしか一人身である現在の自分を誇張するかのように感じてしまう。ミホに悪気があるわけではない。進也が自分勝手に思いこんでいるだけなのである。それでも何の解決方法も持たない進也にとって、ミホからのメールは心の中の救いの一手には違いなかった。
あの夜の口づけが進也の脳裏に停滞していた。戸惑っていた。このまま恋に落ちたい自分と落ちてはいけないと思う自分との葛藤が始まっていた。
不倫的な問題がなくなった現在、進也を悩ませているのは一般論との戦いである。ともすれば親子程とは言わないまでも、相当な年の差がある若い女の子と、すでにオジサンの粋に達している冴えない自分とを並べてみたとき、彼女が本気で自分に恋してくれるはずもないだろうと思っていた。普通に考えればそれが正解である。
従って、進也は自分自身が恋に落ちることを恐れている。いずれ振られるのが目に見えている恋など自分を傷つけるだけだと。
進也は「水曜日に行くよ」とだけ返信したものの、どうせなら思い切って自分の想いを打ち明けてみた方がいいのかも。そんなことを考え始めていた。そして決心するのである。
「行くよ」と宣言した水曜日。秀雄は隣の和歌山県まで出張に行っている。進也の『エロナイ』行きを邪魔するものはいなかった。唯一、課長だけが残業の材料を持ってくる可能性はあったが、課長は課長で別の接待に忙しいようだ。
就業時間を終えると、進也はいつものように早々に会社を後にして足早に駅へと向かう。ここ数ヶ月の間に何度かデートを重ねてからというもの、進也が店に通う足取りには多少なりとも変化があるように思われる。それは楽しい思いと不安な想いが頭の中で交差しながら歩くことが多くなったからではないだろうか。
進也は元々が度胸のある性格ではない。やんちゃな秀雄の性格を崇拝して止まないほどである。このところ大胆になりつつある自分を制御しなければとも思い始めている。とはいえ、ミホが自分にとって容姿も性格もタイプの女性だけに、淡い期待を抱くのも仕方のないところである。
そんな複雑な思いを胸に抱き、この夜もいつもの扉を開く。
「いらっしゃいませ。ご指名はどうなさいますか。」
「ミホさんいますか。」
割りといつも通りの受け答えを済ませて、いつもの通りのシートに座る。
「やあシンちゃん、やっと来てくれた。ずーっと待ってたんやで。今度はいつ来てくれるんか聞いてなかったし。ほんで、次のデートはいつしてくれるん?」
「またしてくれんの?お店の人にバレてない?」
「別に言うてないし。なんも言われてないし、バレても別になんもないで。」
「ほんならいっつもみたいに匂いを確認さして。」
そう言って進也はミホの首筋に唇を這わせた。ミホの独特の匂いが進也の鼻腔を突き抜ける。ミホの匂いは、あの夜の出来事を思い出させる。
「キスしてもええかな。」
「ええよ。こないだの夜を思い出す?」
そう、あの夜のことは進也にとって特別な出来事に違いなかった。
「ちょっと照れくさいな。あのときのキスはボクにとって特別やったかも。」
「ただのご褒美やで。」
そうなのだ。ただのご褒美なのだ。進也は我に返ったようにうなずいた。それでも心のどこかで少し淋しい気持ちもあった。
「あの夜のことは忘れた方がええのかな。」
「お店の中ではな。」
またもや意味深なセリフである。一旦落ち着いた進也の気持ちはまたぞろ期待を持つほどに高潮する。
「じゃあお店の中やから、ミホの綺麗なおっぱいもいつも通り楽しませてな。」
「うふふ。シンちゃんはおっぱい好きやな。」
言わずもがなである。進也は今夜の衣装となっているキャミソールの裾を開いて、小さなビキニの中を確認していく。
「今日もいつもとおんなじように綺麗なラインやな。」
そういって柔らかな丘陵を弄ぶ。進也の唇は再びミホの首筋へと移動し、反対の手は後ろからしっかりとミホの腰を抱きかかえていた。その姿だけを見れば、店に来ているただのエッチな客である。そして進也も、自分がそういう客であることを意識しながらミホの腰を抱いていた。
「今度のデートはどこへ連れて行ってくれるん?」
ミホは進也の体を少し離して、笑みを浮かべながら尋ねた。
「どこに行きたい?どこでもええねやったらドライブに行こか。琵琶湖一周とか、六甲山とか、日本海とか。」
「ミホは寒いのは苦手。できたら暖かいとこがいい。」
「もう十一月やで、暖かいとこなんかないで。温泉でも行く?」
「温泉に行っても混浴じゃなかったら結局一人やん?」
「ええ、混浴でもええの?」
「シンちゃん一人だけやったらええで。別に恥ずかしいことないで。せやけど、他の人がおったら嫌や。」
「どっちみち暖かいとこなんてないから、ドライブがてら美味しいもん食べに行こか。和歌山の南潮市場なんてどう?」
「ええで。シンちゃんが連れてってくれるんやったらどこでも。」
「ほんなら来週の土曜日にしよか。時間はまた連絡する。」
「うん、わかった。」
これで次のデートの約束が取れた。あとはこの店の時間の限り、許される範囲でミホの若さを堪能するだけである。彼女の若い皮膚は進也を痺れさせるに十分な鮮度と弾力を保っていた。絹のようなその肌触りに翻弄されるほどに。
今日は珍しく場内コールがかからない。シートに座ってからずっと二人の間には、まったりとした時間が流れている。
進也はミホの丘陵の頂点へ口づけで奉仕する許しを請うた。ミホは観音様のような微笑を返して、その許可を与えた。進也は丁寧にそしてソフトに愛でていく。
やがてミホの唇から吐息にも似た小さな声がもれてくるのが聞こえてくる。その声を合図に進也は再びミホの唇へのあいさつを求め、さらには奥に鎮座する女神様への訪問を求めた。ミホの唇はその瞬間に薄く開いた状態になり、中から静かに女神様が現れて進也を出迎えてくれる。彼女の女神様が漂わせる、うっとりとさせる芳香が進也の正常な感覚を奪っていく。
「ボクはどんどんミホに溺れていくような気がする。」
今日の進也は、それだけを言うのが精いっぱいだった。
「うふふ。息ができんぐらい溺れさしたるからな。」
そう言ってミホは進也の顔を自分の胸の谷間に埋もれさせた。進也はミホの胸の谷間で首筋や唇とはまた違った匂いを堪能できた。自分が匂いフェチであることを再確認した瞬間でもあった。充分にその匂いを堪能した後に顔を上げて瞳で対峙する。
「このまま窒息して溺れてもいいと思った。」
「あかんで。ちゃんとミホを次のデートに連れていってくれんと。」
流石に店の中でミホの衣装をもろ肌にすることはできない。それでもミホのキャミソールはすでに前がはだけて、ビキニもずらされており、進也の視界の中では全裸に近いシルエットで魅了していた。
「他のお客さんは結構、先っちょばっかりいじってきはるけど、シンちゃんはちゃんとミホのおっぱいきれいって言うてくれて、優しく包んでくれるから嬉しい。」
「だってボクはミホのおっぱいに惚れてこの店に通ってるんやから。」
「ミホよりもおっぱいが好き?」
「切り離せるんやったらな。」
そう言って進也は再びミホの胸の谷間に顔を埋めていった。
そうした時間は明らかに蜜月の時間だった。切ない吐息と甘い会話が二人の距離を明らかに縮めていた。
やがてミホが進也に呟く。
「お客さんが皆シンちゃんやったらええのに。」
「どういう意味?」
「シンちゃんみたいに優しいお客さんおらんって言うこと。」
そう呟いたミホの顔が少し淋しげだったのが進也の記憶に残った。
少しの間沈黙があった後、進也の今宵の時間に終了を告げるコールが聞こえる。
=二番テーブルスタンド&バイ=
「もう帰るん?」
「そうやな。いつも通り。」
「ほんなら来週の土曜日。楽しみにしてる。」
「近くの駅まで迎えに行こか?」
「うん。K市駅まで迎えに来て。」
「ええのか。そんな家の近くの駅を教えても。」
「ええよ。そのうち家も教えてしまうかも。シンちゃんは大丈夫な人やから。」
ニッコリ微笑むミホの顔を見ていると自分が何者だろうと思ってしまう。ついさきほどまで恋に溺れる話をしたところなのに。
最後にもう一度熱い口づけを交わして、ミホに見送られる。
「じゃあね。」
手を振って進也を見送るミホの笑顔は素直に可愛いと思っていた。
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