第3話 ブログとお土産と我慢・・・

六月に入り、ボクは東京出張へ出かける機会があった。

出張の業務自体は大したこともなく、必要だったかどうかも疑問のある会議だった。

その分、東京駅での時間にゆとりがあり、みやげ物を買う時間がたんまりと与えられていた。そこでボクはミホへお土産を買って帰ることを思いつく。

「ミホヘ。東京出張ナウ。お土産は何がいい?」

とりあえず午前中のうちにメールを入れておいた。返事が返ってきたのは午後になってからだった。いいタイミングだ。

「ミホは『ごま玉子』がいい。」

なんと楽勝なお土産だ。それなら東京駅のいたるところで売られている。

しかし、ボクは折角の機会を単純なスキームで終わらせるつもりはない。ちょっと足を伸ばせば、変り種の『ごま玉子』が売られている店を知っているからである。

これでミホヘのお土産は決まった。

大阪へ帰る翌日が水曜日であるのもグッドタイミングであった。



そしてその水曜日を迎える。

ボクはまたぞろ『エロチックナイト』の前に立っている。

時間はいつもの通り午後六時三十分。受付でミホを指名して、いつものシートで待っていると、いつもの笑顔でやってくる。

「やっぱりシンちゃんやった。」

「へっへー。今日はリクエストのお土産持ってきたで。」

そう言ってカバンから取り出したのは《ごま玉子 キャラメル味》。

「へえー、すごーい。今こんなんあるんや。初めて見た。」

ミホの楽しそうな声を聞いて、ボクも嬉しくなる。

後日、このネタでブログをアップしているのを発見する。これは後々使えるかも、と一人でほくそ笑む。

「ところでミホって一人で住んでるん?」

「ううん。家族と一緒やで。」

「ホンマに?ホンマは誰にも言うてへん彼氏と一緒に住んでるんちゃうの。」

「そんなんいてへんし。」

「ほんなら、ボクも一緒に住んだろか。」

「シンちゃん、結婚してるんちゃうん。奥さんどうすんのん。」

「丁度今、離婚調停中やで。離婚できたらええのんか?」

「ホンマにできんの?出来るんやったらエエで。」

それが本当なら、是非ともトライしてみたい事項である。

どうせボクたち夫婦の関係は条件さえ合えば、後はハンコを押すだけで離婚が成立する状態である。子供たちもすでに父親など要らない年齢になっているし。ボクはただ生活費を運んでいるだけの存在にしかなっていない。すでに離婚成立までの秒読み段階に入っていると言っても過言ではなかった。

そんな普段の生活に少しうんざりしている自分がいるから、こうして現実逃避に来ているようなものである。

「一緒に住むかどうかは別として、まずは焼肉を食べに行こう。」

「いつ?いつ連れて行ってくれるん?」

「せやから、お客さんと一緒に行ったらアカンて言われてるやろ。」

「シンちゃんやったらエエって言われた。」

「ウソやろ。そんなわけないやん。」

まさにそんなわけあるはずがない。お店のスタッフに知られているほど、ボクはまだ常連客ではない。

「ミホがエエって言うたらエエねやろ?お店の人にいちいち言わんでもええやん。ミホが嫌なお客さんに誘われたときにお店の人に言うねん。シンちゃんは嫌なお客さんちゃうから大丈夫やで。」

そういわれると、かなり嬉しい。

「そやけどボクも普通に男の人やで。まさか襲ったりはせえへえんけど、エッチなことにならんとは限らんで。」

「きっと、シンちゃんは大丈夫な人や。それに別にそうなった時はそうなるときなんちゃうかな。きっとならへんと思う。」

「あんまり信用しすぎたらあかんで。」

「ほらな、シンちゃんはちゃんと心配してくれるやん。他のお客さんでそんな心配してくれる人おらんもん。」

またボクの中で葛藤同士を戦わせなければいけないのか。

「もうちょっとボクのことをよう見てから判断し。それでも大丈夫やと思たら、そんときに行こか。」

「慎重やな。」

「ボクの信用問題やからな。慎重になるで。よし、その話は終わった。今日はまだミホの匂いもミホのおっぱいも堪能できてへんねん。ちゃんと遊んでな。」

「うふふ。シンちゃん可愛いな。」

「こら、おっちゃんに向かってそんなこと言うたらアカン。どんどんメロメロになってまうやんか。」

などといいながら戯れつつ、いつものように“シンちゃん座り”をしてもらい、匂いとおっぱいを堪能していく。今はこれだけで充分に楽しいのだから。

こんもりと盛り上がった丘陵はボクの手の中で弾けてくれる。指先で頂点の碑を押したり挟んだり摘んだりすると、甘い吐息の木霊が聞こえてくる。

その木霊の発する祠には、ネットリとした温かくて柔らかい女神が鎮座していた。座したまま眠っている女神さまを静かに呼び起こすと、彼女は丁寧にボクを迎えに来てくれる。

やがてボクたちは、本物の恋人同士であるかのように甘いひと時を過ごすのである。

ミホの唇はいつにも増して柔らかで妖艶な香りがした。ボクは今宵もその香りの虜になるしかなかった。

そしてボクはメーンイベントであるミホのビキニの内側への侵入を試みるのだ。いつもながら見事な膨らみは、一気にボクを桃源郷の気分にさせてくれる。温かくて柔らかい。そして適度な弾力と湿度がボクの皮膚に伝わる。

思えばなんともアダルトな遊びだ。若くて可愛い女の子に「可愛い」と言われて虜になってしまう。まさに麻薬のようなものかもしれない。

ワンセット四十分というのも、丁度よい設定なのかもしれない。長くもなく短くもなく。ボクはこの日も2セットを堪能して帰宅する。

もはやお店の人しか知らないボクの秘密の遊び。いまさらヒデちゃんにも言えない。



さて、アパートへ帰るとK市周辺でランチが出来る焼肉屋をちゃんと検索している。「おそらくはないだろうな」と思いながらも、淡い期待は持っているからである。

もちろんボクも男である以上、土台は狼で出来ているので、アッチの期待も全くしないではないが、基本的には楽しいランチができればいいと思っている。

ランチだけでもかなりすごいことじゃないかなと思う。だって、あのヒデちゃんでさえ嬢と一緒に食事に行った話なんて聞いたことがないもの。

そんなことを思いながら、パソコンとにらめっこしているのである。かなりおかしなオジサンだと言える。

思えば、中高生時分の恋ってこんな感じだったと思う。中学生の時は遠くから彼女を眺めていただけでよかった。憧れのあの人に話しかけてもらうだけで嬉しかった。後をつけて家を確認した、なんてこともあった。

高校生の時は初めて付き合っていた彼女がいて、学校帰りに百貨店の屋上でデートしたり、人気のない階段でキスしたり、駅で一時間も待っていたり、そんなこともあったよね。

齢四十になって、そんな感覚に近い恋煩いが出来るとは思わなかった。



店への訪問は二週間に一度だが、メールは一週間に一回から二回ほどやり取りがある。ボクの方から投げかける場合が多いのだが、たまに「おはよー」って簡単なあいさつを送ってくれるときがある。短い文書だが、それはそれで嬉しい。

逆にメールを三通送って、一通も返って来ないと心配になる。なんか怒ってるんだろうかとか、病気でもしてるんじゃないのかとか、もしかして辞めちゃったんじゃないかとか。やがて一通のメールが返ってくるとそれで安心するという仕組みである。それが彼女のコントロール内で行われているのか、さにあらずか。

わかっていることは、ボクが彼女に嵌ってしまっているということだけ。



ある金曜日の夜、ヒデちゃんと飲みに行く機会があった。

「やっぱり離婚するんか。」

「ああ、あともうちょっとでハンコ押したらしまいや。」

「子供らはどうすんねん。」

「男の子やし、どっちに行くかは本人らに任せてる。そういうことになっとる。たぶん母親んとこへ行きよるやろうけど、ボクはどっちでもええ。男の子やし、そんなに手はかからんやろ。なんかあったら、ボクの実家へ行きよるわ。」

などと割りとライトに考えている。

「中学生やったら、微妙なんちゃうん。ウチみたいに女の子やったら難しいとこやったやろうけどな。」

ヒデちゃんの子供は高校生と大学生の娘がいる。ウチよりもちょっと早い。それに息子と娘では、確かに感受性は違うのかもしれない。

「まあ、きっちり離婚出来るんやったとしたら。お手並み拝見さしてもらうわ。」

「うまいこといったら、ヒデちゃんとこも考える?」

「前向きにな。」

なんて話をしながらビールは進む。

「そうれはそうと、この後、あそこ行くか?」

ヒデちゃんが言ってるのは『エロチックナイト』のことだろうと思っていたが、ボクはわざとシラを切る。

「ん?あそこってどこ?」

「わかってるやろ、『エロナイ』やんか。オイラな、あそこ結構気に入ってんねん。お気に入りの嬢がメッチャよくてな。マヤちゃんって言うねんけど、話もおもろいし、エロいし、最高やで。」

「ヒデちゃんが気に入ってんねやったら行ったらええやん。ボクは遠慮しとくわ。」

「なんでや、ちょっとおもしろかったやろ。シンちゃんもそう言うてたやん。」

まさかほぼ二週間おきに通ってるなんて言えないので、

「あんときはそう言うたけど、やっぱりボク向きやないで。ヒデちゃん、ボクに構わんと行っといでな。」

ボクの訪問は水曜日と決まっているし、金曜日にはミホはいない。他の女の子に会いに行っても会話を一から組み立てるのは面倒だ。

結局、この夜はヒデちゃん一人で『エロチックナイト』へ向かうこととなった。


ボクの次の予定は来週の水曜日。それまでに確認しておきたいことがあった。

以前にお店が提供しているブログサービスのことについて触れたことがあったが、他の嬢に比べてミホの更新頻度は見劣りするばかりであった。ここは一つネタを提供してあげよう。と奮起するのである。

まずは、彼女の趣味特技を再チェック。

なになに、趣味は買い物で特技が料理だって?買い物の趣味は女の子なら誰でもあるだろうし、ボクがそれを手伝えることは一つもないだろう。それに特技と記載されている料理だってホントかどうか疑問だ。

しかし、『ごま玉子』のお土産のときには、嬉しい反応をしてくれたので、ここから何かヒントがないか考えてみる。

なぜボクがこんなことを考えるかと言うと、彼女と恒常的に会話で使えるアイテムが欲しいからである。

年齢の差は世代の差。共通する社会事情も背景も異なるため、会話のネタには苦労する。普通は嬢の方がそのあたりを学習すべきところなのだろうが、如何せんボクはそのあたりもマメにできているようだ。彼女に学習してもらう分はしてもらうとして、与えられるものはできるだけ提供する。

いわゆる中年オジサンの努力の部分だけどね。


さては飲み会の翌週、会社で金曜日のミッドナイトの話題をヒデちゃんから聞きだそうと思い、廊下を歩いているところを見つけたので後ろから忍び寄り、ポンと肩を叩いた。

「やあヒデちゃん。あの後、例の店には行ったん?」

「ああ、シンちゃんか。行ったで、2セット。最後は最終電車が間に合いそうになかったから、残り十分か十五分ぐらい余して店を出てしもたけどな。」

「アホやな。ちゃんと計算して行かんと。ほんで、嬢のご機嫌はどうやったん。ヒデちゃんも久しぶりやって言うてたやん。」

「元々そっけない子やから、あんなもんちゃうか。最近はメールもやりとり出来てへんかったからな。それはそうと、シンちゃんの方はどうなん。あのときの娘とやり取りとかしてへんの。」

「そんなんできるって知らんがな。もっとはよ教えといてな。」

なんていうのはウソで、とっくに出来ている。しかも、ボクのお気に入りの嬢として通っていることも内緒である。

などと言ってる途端にミホからメールが入る。彼女からのメールだけは着信音を変えているのですぐにわかるのである。

「メールか?見やんでええのか?」

音だけ聞いて画面を見ようとしないボクに少し不信感を抱く。

「また気が向いたら付き合うわ。そん時はメールアドレス聞いてみるわ。」

なんて話をそらせて、いい加減な答えを返しておいた。


さて、メールの中身はなんだったんだろう。恐る恐る開いてみる。

「今週はシフトが変わります。月曜日がお休みで木曜日に変更です。水曜日か木曜日のどっちか久しぶりに会いに来てね。」という、出勤日変更の営業メールであった。

まあ何もないよりはいいかも。

そんなメールがあったので、出動日についてメールを送る。

「水曜日と木曜日ならどっちがいい?知らないお客さんばっかりになる木曜日の方がいいかな?」

すると帰ってきた回答は、

「どっちでもええけど、やっぱり木曜日の方がええかな。知らんお客さんばっかりやと不安やから。」

これでボクの出動日は次の木曜日に決定した。


いつもよりは少な目の残業をこなしてから退社し、店へと向かう。

すでに十九時すぎ。すでにオープンから一時間は経過しており、店の看板はいつもと同じようにキラキラと電飾が輝いていた。

入り口でいつものボーイが「ご指名は?」と聞くので、「ミホさんを。」と答える。

いつものように2セット分を前払いして。

今日は平日にも関わらず割とお客さんが多い。いつもの水曜日と少し様相が違う。

そんな慣れない木曜日の雰囲気の中、一見してわかる程にテンションの低い感じのミホがやってきて、ボクの隣へちょこんと座って黙り込む。

「こんばんは。今日はどうしたん?なんか怒ってんの?『シンちゃん座り』もしてくれへんの?」

「えー、しなあかん?今日はな、なんか体調がイマイチやねん。昨日は微熱あったし。せやから気分が全然乗らへんねん。」

「えー、今日は抱っこもチューもなしか?」

「ゴメン。今日はこのままいさして。風邪うつってもアカンやろ。」

「他のお客さんはうつってもええのん?」

「他のお客さんもチューなしやで。」

そう言って隣で座ったまま、彼女の手の中でボクの指を転がしている。

「匂いクンクンもしたらあかんの?」

「うん。今日はクンクンされるのも嫌。」

なんてタイミングの悪いときにきたのだろう。もうこうなったら仕方がない。先に2セット分も支払ってしまっているのだから、一時間二十分はガマンの時間だ。

「ほな、今日はガマンする。その代わり、次に来るときには元気な顔を見せてや。それと、最後帰る時に一回だけちゃんと抱っこさせてな。」

「うん。」

元気のなさげな返事も今日は仕方ないってところか。

「昼間の仕事が忙しなってんの?」

「最近昼と夜との掛け持ちが、体力的にしんどいねん。」

「土曜日は休みやろ。そん時はちゃんと寝られてるん?」

「寝てるときもあるし、友だちと出かけたりもしてる。」

確かに見た目も返事をする様子も辛そうだ。

それでもボクにもたれかかる髪からは、普段と変わらぬふんわりとした淡い香りが漂ってくる。今宵はその香りだけで満足しなければならないのだ。

「顔だけはちゃんと見せて。」

とりあえず表情から何かを伺い出せないかと思い、顔を上げさせて瞳を見つめる。

「髪切ったよね。」

何気なく言った言葉であったが、彼女としては嬉しかったらしく、

「もう髪切ってから二週間も経つのに、気づいてくれたんまだ二人だけや。受付のお兄さんもやっと今日やで気づいたん。」

「ボクはすぐわかったで。えらいやろ。」

「えらいえらい。」

そう言ってボクの頭をなでる。そしてそのままボクの懐の中へ体を沈めていく。

ご馳走を目の前にしてお預けを喰らっている犬の気持ちってこんなもんだろうなと思う。ヨダレこそ垂れてはこないが、気持ち的にひもじいことこの上ない。

「元気出すために、焼肉食べにいこか。」

「そんなん行かへん。」

今日は答えもそっけない。

「まあいいや。ところでブログの更新はせえへんの?」

「ミホな、ああいう面倒くさいの苦手やねん。メールとかも全部返せてないやろ。」

「メールはな、初めからボクがそれでエエって言うてるから、別にかまへんねんけど、ブログはお嬢さん方のPR用に店が用意してくれてるツールやから、ちゃんと使っとかなアカンで。古株のサクラさんとか人気のヒトミさんとか、みんなコンスタントに更新してるやろ。いいところは真似していかんと、なっ?」

「うん、わかった。頑張ってみる。」

「書きやすいように、ネタの提供したげよか。前の『ごま玉子』のお土産のとき、すぐブログ書けたやろ。ああいうやつ。」

「ネタ欲しい。」

ボクの腕の中で、そして上目遣いで甘えるように答えるミホ。

大阪の場合、何をするにもネタは大事である。このときからボクは、ミホのブログのために四六時中ネタを探すこととなるのだ。

そんなやり取りをしているうちに、賑わいのある店内がさらに混雑を極めてくる。水曜日にはあまり見たことがない光景だ。その賑わいのおかげで人気嬢のヘルプのために、ボクの指名嬢が貸し出されるという仕組みである。

ほんの数分程度の留守であるが、その間のロンリー度ったらない。

特に今日は一切ノータッチ状態なのだから、スケベなオジサンとしては何しに来たかわからぬ状態である。

そんなヘルプにも三度、四度と奪われ、指名嬢にも手を出せず、それでも一通りの時間は過ぎるのである。

やがては、場内コールが聞こえてくる。


=十一番テーブル ラブアタック=


延長お願いの催促をしなさいのコールである。

「ミホ、ラブアタックって言うてるわ。」

「もう帰るん。今日みたいな辛い日にミホの傍におってくれへんの?」

「あのな、ミホが辛いのもわかるけど、ボクの辛いのもわかってな。ご馳走を目の前にしてノーキス、ノータッチ、ノークンクンで二時間は地獄やで。」

「ミホ、ホンマは人見知りやからヘルプに回るん辛いねん。知らん人とか多いし、指名のお客さん怒らしたらあかんし。」

「せやけど、指名のお客さんやったら、結構なサービスせなアカンはずやで。ボクやからガマンできてるけど、他のお客さんかてダメダメのサービスがガマンできるかな?」

「サキさんが塩対応やっていうてたやん。ホンマはミホも塩対応の人やねん。」

一度だけサキさんという嬢がヘルプに来たが、彼女のお客さんはお話だけの人が多いと聞いた。つまりは塩対応だねって言う話をしたことがあったので、ミホがサキさんを羨ましがっているのである。

ボクはそれでも当初のエピソードを踏まえながら、

「あんだけボクには楽しいことしてくれたのに?」

「シンちゃんはなんか許せんねん。でも他の人はあんまりやわ。」

「頑張ってMっぽいお客さん見つけや。それしか方法はないで。せやけどボクだけには、冷たくせんといてな。」

「シンちゃんは大丈夫やで。でも今日はゴメンな。」

「ええで、こんな日もあるやん。今度は元気で明るい笑顔見せてな。」

始めのお約束通り、最後にちゃんと抱っこのタイミングだけもらって、今日は店を後にした。さて、このやりきれない何かを今日はどうやって果たそうか。

どうにも中途半端なモンモンした時間を過ごした夜。

今夜は仕方ない。それだけ彼女も普通の女の子だっていうこと。

まともに考えれば、不特定多数のオジサンの相手をさせられるんだから、よく頑張ってると思う。どれだけお金のためと割り切れるか。

ボクの主観としては、できるだけ優しいお客さんでありたいと思うだけである。



あの日の翌日、「昨日はゴメンネ。早く元気になります。また会いに来てね。」とメールが入っていた。ちゃんと気遣いをしてもらえてると思えばありがたい。また顔を見に行こうかなと思う。そんなものである。

そして翌々週の水曜日の夜。またぞろ出向くのである。

もちろんミホに会いにである。

例によって朝から髭をあたり、パシッとしたパンツをはいて。

仕事終わりの時間が来ると、一目散に片付け始める。すでに一時間ぐらい前からいつでも終われるタイミングで仕事をしていた。もはや何かに憑かれているといっても過言ではなかった。

ところが、である。

『プルルルルル。』

あと数分でパソコンの電源を切ろうとしたところで、目の前の電話が音を立てて唸り始めた。嫌な予感が頭をよぎる。電話は東京の本店からだった。

「ああ、シンヤか。」

聞き覚えのある先輩の声。数年前に東京の本店に転勤になった馴染みの先輩だ。

「こないだ提出のあった報告書の一部に修正が必要だよ。今すぐやり直してくれないか。」

この先輩には世話になったこともある。必要な書類であることも事実だ。ボクは泣く泣く残業態勢に入る。修正箇所は全部で五箇所。数字の計算間違いと文字の間違い。それぞれを実績と照らし合わせて修正する。

それを上司に確認してもらってハンコをもらう。ここまでがざっと一時間。早く終わらせて、店に行きたい自分との戦いである。

手っ取り早く修正した書類を東京へ送信する手はずを整え、キョトンとした表情の上司を会社に残して階段を駆け下りる。

店に着くころには、もうあたりは完全に夜の装い。

ぼちぼち季節は梅雨の終りかけ。雨は降っても日の入りの時間までが天候に左右されるわけもなく、朝は早くから明るく、夜は遅くまで明るい季節となっている。

それでも今宵の到着時間には、すでに太陽の姿は、その気配すら感じなかった。


ポタポタと残り雨のように雫が落ちている夜。

店の中ではすでにBGMが鳴り響き、店の前までその振動が伝わるほどに、かなりの音量で賑やかさを呈していた。

いつもの受付で、「ミホさんを」と指名してフロアに入る。

「シンちゃーん。」

と言ったがすぐにボクの腕に抱きつくミホ。

「どうしたん?」

それでもボクの腕にしがみついて離れない。

「なあんてね。」

なんておどけてくれるのかと思ったら、ボクに抱きついている腕の力がどんどん強くなる。

「どうしたん?」

もう一度尋ねた。

やっとの思いで顔を上げてボクを見る。

「今さっき、ヒトミさんのお客さんのヘルプに行ってたんやけど、めっちゃ嫌な人やってん。ヘルプやのにいきなりいやらしいとこガンガン触ってくるしな、いやらしくチュウしてくるしな、それに今日のフリーのお客さんも変態っぽい人が多い。」

それを聞いて少しブルーになるボク。もしかして前回の続きかな。

「わかった。ええよ。ボクんとこで休憩しとき。」

「あかん、今日はシンちゃんにはがんばらなアカンねん。前んときガマンしてもらったんやから。」

「ええねん。ミホの辛い顔見るのはいやや。ボクんとこでゆっくりしていき。」

「優しいな。ゴメンな。ほんならちょっとだけな、ちょっとだけ待ってな。」

そう言ってミホはボクの腕にしがみつく。

平日の人気嬢であるヒトミ嬢の客はこの日もそこそこの入り具合だった。そんなときに出勤の嬢が少ないと、例え指名していてもヘルプに借り出される。この日のミホも同じだ。

ボクのところで休憩していても、十五分もすればヘルプに誘う場内コールがかかる。


=ミホさん一番テーブルラッキータイム=


これはヘルプに行ってねという合図。

聞こえはいいが、今日のミホにはラッキーでもなんでもないようだ。

「行ってくる・・・。」

心なしか元気のない声でボクの元を離れていく。

この日は出勤している嬢が少ないので、ミホがヘルプに行っている間のボクはひたすらロンリータイムとなる。

その間、彼女がどんな顔でヘルプの席についているのか。ちゃんと接客できているのか。親でもないのに心配しているボクは一体なんなのだろう。

いやらしいところを触られてないかとか、無理やりキスされてないかとか、どんどん心配になってくる。

やがてヘルプの役割が解放されて、ボクのシートへと戻ってくる。

そして先ほどと同じようにボクの腕にしがみついて開口一番、

「やっぱりシンちゃんとこがいい。」

それはそれで嬉しいセリフだが、

「またへんなところ無理やり触られたりしたん?」

「ううん。今度はマシやった。せやけどあの後ろにいるお客さんがいやらしいねん。」

「ほんなら呼ばれんようにおまじないしたげるわ。それまでは抱っこだけでエエからな。」

ちょっとだけミホの体を引き寄せる。ミホもボクの方へと体を預けてくる。そして頬をボクの腕に擦り付けて、

「他のお客さんがみんなシンちゃんみたいに優しかったらええのに。」

「ボクかてエッチなオジサンやで。あのおっちゃんと変わらんと思うで。」

「シンちゃんはちゃんと指名してくれてるやん。それにちゃんとミホのこと思ってくれるやん。あのおっちゃんはミホのお客さんちゃうもん。ホンマ、お話だけにして欲しいわ。」

ミホはどんどんボクの胸の中に顔をうずめていく。

この調子だと、今日もボクのイチャイチャタイムはお預けになりそうだ。それも仕方ないよね。これも惚れた弱みと言うところかな。惚れていると言う以上は、少なくとも保護者的な立場ではない。一人の男として彼女のことを好きだと言う感情を持って接していると言うことである。

ゆえに、今日もガマンだなと思ったとき、

「シンちゃんゴメンな。でもシンちゃんは好きやで。」

そう言ってキスをしてくれる。

「嬉しいけど、無理せんでええで。今日もボクんとこで休憩しとき。またいつかちゃんとご褒美もらうようにするから。」

「ご褒美ってなに?いい子いい子でええの?」

「せやな、もうちょっとええやつが欲しいな。」

少し会話が明るくなってきた。

「どんなん?」

「ボクが一番欲しいのは、ミホの心のこもったキスやな。その次はおっぱいかな。」

「それって、普通のときやったらいつでもええやつやで。」

「今日も普通やないねやったらガマンするで。落ち着くまでじっとしとき。」

「うふふ。優しいなあ。」

「もう恋に落ちてるってボクゆうたよな。」

「そんなん言われたら、ミホもシンちゃんに落ちそうやわ。」

ニコッと笑ってそんなセリフを言われたことがあるか。もちろん彼女のセリフは営業用である。それを踏まえても、オジサンが若い女の子に言われて嬉しくなるセリフであることには違いない。

「オッチャンをからかったらアカンで。本気にしてまうやんか。」

ボクはミホを引き寄せて、そっと頬にキスをする。

「シンちゃんみたいに優しいお客さんは好きやで。」

「ほんなら今度の休みの日に、焼肉いこか。」

「それはまた今度な。」ニッコリ笑って答えるミホ。

「うん。よくできました。」といって、ミホの頭をなでた。

「うふふ。シンちゃんと話してるとだんだん楽しくなってくるわ。」

嬢の機嫌をとるのも一苦労か。それでも惚れていることには違いない。

「ゴメンな、気ぃ遣わして。」

そういうとミホはボクに優しく唇を与えてくれる。

「ええねんで。惚れた弱みやん。」

ボクは黙ってミホの肩を抱く。

ときおり、ミホから口づけを与えてきてくれるものの、胸の膨らみのへ冒険までは憚れるようだ。

この夜もボクは結局のところ、イチャイチャしたい気持ちを満足させることなく、店を後にすることとなるのだった。

そんなボクの気持ちを察してか、外で滴る雨は雫を落とすようにポタポタと音を立てていた。

今宵は朝まで音が止むことはないのだろう。



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