彼は彼女を生かしたい

楸 茉夕

彼は彼女を生かしたい

 彼女は歩く速度を緩めずに突き進んで行く。彼はその三歩後ろを歩いていた。

「ついてこないで」

 振り返らずに言われる言葉が何度目かはもう忘れた。否、もとより数えてなどいない。何度言われても戻る気はない。

 よく晴れた空には満月が煌々と輝き、灯りが要らないほどだ。町に人気がないのは深夜で寝静まっているからではなく、住民の殆どが避難しているから。

「戻って。人手はいくらあっても足りないんだから」

「そうだな」

 深く頷けば、気配が伝わったらしく、彼女は振り向かずに小さく息をついた。

「こっちじゃなくて、避難所の話よ。今すぐ戻って手伝って」

「向こうにはリュミヤたちが行ってるんだから大丈夫だよ。シジュの結界は誰にも破れない」

「知ってるわ。だからあなたもそこに行って欲しいの」

「君が行くなら俺も行く」

「わたしはこの町を守らないと」

「うん、俺もだ」

 いよいよ町の入口が見えてきて、彼女は立ち止まった。一拍遅れて彼も足を止める。

「戻ってくれる気になったかい?」

 問いには答えず、彼女は彼に向き直ると、華奢な身体に似合わない長剣の柄に手をかけた。腰に履くと引き摺ってしまうので背負っていて、腕よりも刃渡りの方が長いのに、身体を捻って実に器用に抜剣する。その切っ先を彼に突き付けた。

「力尽くで追い返されたいようね」

「何を言ってるんだ、俺が君に敵うはずないじゃないか」

 彼も一応かたちだけ、手にしていた杖を構える。だが、木製のそれでは彼女の一太刀すら防げまい。

「じゃあ戻りなさいよ」

「俺が戻ったら君は一人になってしまうじゃないか」

「そのほうが気楽でいいわ。あなたを守りながらなんて、戦いづらくて仕方がないもの」

「自分の身くらいは守れるさ」

「毛虫にぴーぴー泣いてたのはどこのどなたかしら」

「……昔の話をしていいなら、俺にも考えがあるぞ。五つのときだったかな、君が不用意に藪に突っ込むから大きい蜘蛛が」

「ああそうね、過去を振り返るなんて不毛よ。今と未来に目を向けましょう」

「わかってくれて嬉しいよ」

 親同士が知り合いだったために、生まれる前から知り合いだった二人は、兄妹のように育った。幼馴染みであるがゆえに気心が知れており、互いの過去を知る厄介な存在だ。

 彼女は渋面になり、視線を左右に走らせた。

「今なら誰も見てないわね……」

「待て。何か不穏なことを考えていないかい?」

「あなたの頭を全力で殴ったら、わたしの昔のことだけ忘れてくれないかしら」

「やめてくれ死んでしまう」

「試してみないとわからないわよ」

「君の全力を受け止めて生きている相手がいたら紹介して欲しい。コツを聞きたい」

「失礼ね、人を暴力魔人みたいに。―――とにかく、戻って。魔物は絶対に町には入れないわ」

「生憎、俺が心配してるのは町じゃないんだ」

「あのね……住民の避難は完了して、避難所は町の警備とシジュの結界、その上リュミヤたちが守ってる。この上何が心配なのよ」

「君に決まってるだろ」

 彼女は狐に摘まれたような表情になり、彼も己の言葉にびっくりする。君が心配だなんて、普段なら絶対に口にできない。

「……面白くない冗談ね。それとも、わたしは信用されていないのかしら」

「そんなわけないだろ。信頼なら、誰よりも―――」

 彼は言いさして口を閉じる。やはり、今日の自分はどうかしている。彼女と、仲間たちと旅をしてきて半年になるが、これほどの危機は今までなかった。

(そうだ……ちょっと調子がおかしいんだ)

 十四の年に行儀見習いで城下町の修道院に入った幼馴染みは、二年後、神の啓示と伝説の剣を携えて帰ってきた。聖女のしるしが胸に浮かんだのと同じ日に、城に安置されていた伝説の剣を引っこ抜いてしまったのだという。何度考えても、わけがわからない。勇者にして聖女の凱旋に、故郷の田舎町どころか、国中が大混乱に陥ったのはあまり思い出したくない。

 神だかなんだか知らないが、一人の娘にいろいろと詰め込みすぎだろうと彼は思う。せめてどっちかにして欲しかった。できれば聖女だけに。

 勇者で聖女という謎の存在になってしまった彼女は、国やら教会やらいろいろな機関の要請を受けて魔王討伐の旅に出ることになった。各国の騎士団や軍隊が束になっても勝てなかった相手に少女一人を差し向けるなど、狂気の沙汰だ。だが、彼の訴えには誰も耳を貸さなかった。だから彼は彼女と一緒に行くことにした。魔導師の家系に生まれたことを、そのとき初めて感謝した。

 そういえば、旅立つ彼女とも行く行かないで同じようなやり取りをしたなと、彼は懐かしく思い出す。懐かしむほど前のことではないのだが、この半年にいろいろありすぎた。

「頼むから戻って欲しい。俺と一緒に」

「あいつらはわたしの首を差し出せと言ってるのよ。わたしが避難したら本末転倒じゃないの」

「だからって君一人が戦いに出ることないだろ」

「あるわよ。わたしは、勇者で聖女で」

「フィエリアだ」

 名を呼べば、切っ先が揺らいだ。

「君は、フィエリアだ」

「……たあっ!」

 彼女は剣を両手に持ち換えると、踏み込んで斬りかかってきた。しかし、狙いが甘い。彼は刃を掬い上げ、杖を斬られないように鍔を受け止める。純粋な力比べなら、まだ互角だ。

「君は強い。けど、いくら強くても、たった一人で何千何万の魔物の相手は無理だ。お願いだから戻ってくれ。シジュの結界がある。俺も力を貸す。無理に魔物を倒すことないんだ。相手が諦めるまで凌ぎきればこっちの勝ちだ」

「それじゃあ町に被害が出るでしょう。わたしの首一つで済むなら安いものだわ」

「安いものか!」

 思わず声を上げれば、彼女はびくりと竦んだ。その隙に彼は杖を押し込む。

「大きな声出してごめん。でも」

「……よ」

「え?」

「ユリクのくせに生意気よ!!」

 彼女は彼よりも大声を張り上げ、彼の杖を弾いた。同時に視界が回転し、足払いをかけられたのだと、背中から地面に叩き付けられてから気付く。

「痛って……」

「あなたは自分ばっかり心配してるように言うけど、わたしだって……」

 言葉を切り、いかにも失言だったというふうに顔を顰めて、彼女は倒れた彼へ片手を差し出した。彼は素直にその手を借りて起き上がる。

「いいわ、そこまで言うなら一緒に行きましょう。町は守るけどあなたは守らないんだからね。戻るなら今のうちよ!」

 彼は服の埃を払いながら笑む。

「望むところさ。俺は町も君も守るよ」

「大きく出たわね、町もわたしも守るですって? 帰ったらリュミヤに教えてあげよう。泣き虫ユリクがかっこつけちゃって」

「ちょっと……それはないんじゃないかい? 人の決意を何だと思って」

「いやなら生きて帰るのね。死んだら許さないわよ。全世界に言いふらしてやるんだから。いい? わたしの命はわたしものもの、あなたの命もわたしのものよ!」

「君はどこかの横暴なガキ大将かな?」

「誰がガキ大将よ!」

 剣を鞘に収めた彼女が踵を返し、すたすたと歩き出した。彼女なりの照れ隠しなのだとわかり、彼は笑いを噛み殺す。

「俺だけじゃない、君も生きて帰るんだよ」

「当たり前じゃない。わたしはあなたより先には死なないって決めてるの」

「うんうん、よかった」

 町の門は閉ざされている。通用口から出て、二人は門を背に並んで立った。遠くに並ぶ無数の赤い点は、魔物の目だ。彼女が小さく身震いする。

「わたし、ああいう小さいのがびっしりいるのって苦手なのよね」

「知ってる。早く片付けよう」

「賛成」

 彼女の姿を認めたか、魔物の群れから咆哮が上がった。それは数と範囲を増やし、轟音となる。

 彼は前に出て杖を構えた。目的は魔物の殲滅ではない。彼女を無事に帰す、ただそれだけだ。

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