STEM
「これ、まだ付いてる」
「え? ああ、本当だ。ごめんね」
わずか2ミリにも満たない苺の白いヘタ部分。
彼はそれに我慢が出来ないのだ。
居候であるオレは彼の言葉に従うしかない。
コレほどの高級マンションで優雅に暮らす中での唯一のルール。
『果物のヘタは必ず取り除く事』
ソレ以外については彼との生活は常に良好だ。
とはいえ自分が友人なのか、秘書なのかよく分からなくなることは多いけど。
彼はIT企業のCEOだ。
この東南アジアの一国で急上昇中のソフトウェア会社だ。
何しろ週に一回以上はホームパーティをひらく。
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツにロシアまで、各国のビジネスマンたちがそれぞれのパートナーを連れてくる。
そう、商談とは違う、ビジネス習慣。
ホテルででも行えばいいのにと言ったこともあるが、
「それはビジネス。会社で行う契約ごとだ。いいかい、彼らは私がどのランクの人物なのか、そのホームパーティーで出されるメニュー、食器類、部屋のしつらえや家具、マナー、服装、センス、全てで判断するんだ。
私が彼らの信頼に値する人物かどうかをね」
「そんなのいくらでもプロにまかせればいいじゃないか」
「したさ。インテリアデザイナー、プランナー、コーディネーター、君が初めて私の部屋に入った時の感想は?」
オレは肩をすくめて言った。
「どこの高級ホテル?」
「そう、それじゃ意味がない。無味乾燥でただ高価な家具が置かれているショールームだ。あー、君たちの言葉であったね『成金』だっけ?」
「それでオレが買い付けに行かされるわけか」
「私は知識はある。確かにこうやって課題を解決できるだけの財産も得た。ただ、教養は無い……」
「貴方の教養だって、この国にも立派な歴史があると思うけどなあ」
「それは彼らが認めるものでは無いし、僕達は継承していない。悲しい事にね」
オレは無言でうなずくしかない。
確かにヨーロピアンの洗練されたビジネスマンであれば顔に出すことは無いが、同等とは思わないだろう。
彼らは気にもかけずに自分達の養分とするだけだ。
今も使っているテーブルは彼のお気に入り映画の戦闘機の翼をそのままに作り替えたちょっとしたアート作品だ。彼は大変気に入って、自分の会社のデスクもコレにするよと頼んできたほどの逸品だ。
そう、こういうものを彼の招待するゲストたちは喜ぶ。男達のロマンをくすぐるような歴史を感じさせる武骨で美しい品々。
「君たちの国はそういう意味では極端ではあるが、それゆえに彼らに認められた稀有な例だろうね」
「そこについてはありがたい事なのかもしれないね。異国の地に来て自国に感謝するなんてね」
「君たちの歴史の断片をサザビーのオークションに出すことは出来ても、僕らの国じゃせいぜい石仏の盗品だよ」
「確かにこの国でそれを継承してる職人をオレは知らないなあ」
「私もさ、そういう事なんだよ。美術品を私は買う事も並べることはできる。でも配置は出来ない」
「そういうものの価値を知ったうえで魅せる事が出来る人物と彼らに知らせる事」
「そう、それこそがホームパーティの手段であり目的なのさ」
若干うんざりした顔でオレは頷くしかできない。
この程度の事であれば、ちょっとしゃれた高級デパート、美術館、博物館、展示会、各種ブランドの旗艦店にでも行けば、いくらでも見れただろうが、この国にはそんなものはないし、彼にはその時間はない。
彼の時間は正にビジネスに費やされているのだ。次の商品、サービス、技術へと。
オレはオレンジジュースをバカラのグラスに注いで彼に渡す。
「クロム?」
「そう、こないだ一式買ってきたよ。ウエルカムドリンク用のアップルシードルも一緒にね。勿論ベルギー産だよ」
彼はグラスに彫りこまれた百合の紋章を眺めてため息をつく。
「私がどれだけ金を出してもこの国で君みたいなメイドを雇う事は不可能だ。居ないものは雇えない。それに、君の選択肢に盗むという考えは無いだろ?」
オレは彼から預かっているカードを思い出しながら苦笑する。限度額はほぼ無し、笑ってしまうほどの待遇が付属するアレだ。
「オレの趣味をここまで肯定してくれるんだから他所に行く気はでないなあ」
オレもグレープジュースを片手に紫檀と革張りのソファーに腰かける。
「もし不自由があったら言ってくれよ、君がいないと私が困る」
「ビザが切れるまでは居るつもりだよ」
「切れたら、必ず帰って来てくれよ。なんなら次はビジネスビザで来て欲しい」
彼の眼は本気だった。
オレもそのつもりだった。
ここまで信頼してもらえて、かつ好きなようにインテリアや雑貨、食器に食事の手配をするのは面白かった。
自分のではないが、それでも自分の美意識でしつらえたパーティが成功している実感は嬉しいものだ。それが上辺だけのお世辞でない事ぐらいは分かるようになってきたからだ。
以前のパーティではずいぶんとセクシーな女性がこのソファーに寝そべりながら言ったものだ。
「ねえ? 貴方たちここでしてるの?」
「あいにくだけど、僕たちは友達だよ。君の考えているような友人じゃなくてね」
オレの苦笑に彼女はいぶかしげな眼でモデルたちの輪に戻っていった。
彼女たちもこのパーティに連れてこられた見栄えのするアクセサリーなのだ。
まあ、確かにこういう仕事もありなのかなとぼんやり考えていた。
自分の作品を海外で試すために始めた語学留学。
そこで知り合った実業家は秘書兼友人を求めていた。
そんな幸運が転がっているとは思わなかったが、相手の事情を聞けば聞くほど、
世の中自分の知らない需要というものは転がっているものだ。
それにそういう意味でも彼のような人物が安心して使える秘書は必要だった。
「なあ、どうしてそんなにヘタが苦手なんだ?」
彼はオレを一瞬睨み付けた。
が、うつむくとグラスを持ったまま彼は呟く様にとつとつと喋りはじめた。
「私の村は本当に何もない、畑、河、山、インフラなんて言葉も無いような小さな集落さ。たまたま、どこぞの宗教関係の慈善団体のおかげで学校だけは出来た。私はそこでとにかくここから逃げるための知識をつけた。その宗教母体にも入った」
「そんなにその村が嫌だった?」
彼の眼はオレを見てなかった。がらんどうの眼だった。
「私の集落ではね。他の集落も合わせて毎年猿を捕まえてきて、闘わせるんだ。
闘犬ではなく、闘猿だよ。それで集落の格を決めるんだ。どこそこの集落が取る草、河、とれた獲物、その分配が決まる」
彼の手が何かを握るようなしぐさをしていた。
「その年は私が猿の世話をした。ただ、弱くてね。とても、闘えるような猿ではなかった……可愛く、とてもなついていたのに」
オレにはもう結末が分かったが口に出来なかった。
「もちろん最初に負けたよ。ひどいものだった。そして負けた猿は頭を潰されるんだ。そういう風に躾けられてるからね。相手の猿の棍棒で何度も何度も頭蓋を叩き潰される。それは祭祀用の棍棒で、幾重にも色んな模様が彫られているんだ。そうやって千切れた首の皮が……」
沈黙、沈黙、沈黙。
オレは彼の手からグラスを取り、彼の眼だけ見つめた。
なぜ彼がここに居れるのか、どれほどの努力と苦難を乗り越えてきたのか、少しでも分かってやりたいと思った。
だが、彼の眼はがらんどうのままだった。
翌日の彼がいつも通りだった事に安堵すると、オレは日課の掃除を始めた。
そんな日々にも別れが来る。オレのビザが切れのだ。
彼は空港まで自分の車でわざわざ見送りまでしてくれた。
朝のミーティングはキャンセルしてまで。
「いいかい、次はビジネズビザで来てくれよ」
「ああ、そうするよ」
オレは彼が用意してくれたビジネスクラスのチケットで搭乗口へ向かう。
彼の背中が遠ざかるのを確認してから呟いた。
「なあ? オレは何匹目の猿なんだ……」
夢のよすが 叫骨(キョウコツ) @kyouko2
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