夢のよすが
叫骨(キョウコツ)
シンセミア
「なあ、アンタ。それじゃ死ねないよ」
オレは散らばった睡眠薬とウイスキーの瓶を片付けながら、嘔吐を続けてる彼女に話しかけた。
あの様子なら特に後遺症も残らないだろう。
彼女はえづくように、四つん這いで何度も地面と自分の吐瀉物を交互に見ていた。
オレはミネラルウォーターを彼女へ放り投げて
「それで口をゆすぎな」
彼女は無言で水を流し込むように飲み、また吐いた。
まあ、死ぬには悪くない場所だ。
一面の菜の花、大きなクヌギの切り株。
そこに横たわり、彼女は自分の吐瀉物で窒息死しかけていた。
何も食べていなかったのが幸いした様だ。
それに、こんな所で仕事を増やされてもオレが困る。
オレはこの国定公園の管理人の一人だ。
なにしろここは広く、とてもじゃないが一人で管理することなんてできない。
ある程度の範囲を区切ってそこの管理者ごとに任される。
オレの区画は観光区域でもなければ、アウトドアを好むような連中が来る場所でもない。ただの草原と森、そして川だ。たまに釣り人が迷い込む事はあるが、彼らは大物狙いでもっと上流へ向かう。
「ねえ、あんたなんなの?」
「管理人だよ」
彼女は若いと思ったがさほどオレと変わらない年だという事は、落ちた化粧と、吐瀉物まみれの顔から分かっていた。目尻の皺と、首の皺はごまかせない。
「死ぬなら、もう少し先でやって欲しかったな。ここはオレの管理場所なんだ」
「今度からそうするわ」
そうだろう。確実に彼女は自殺念慮に陥っている。
その目はオレも憶えがある。
なぜならオレもそうだったからだ。
「でも、いい場所だよな。綺麗に死ねそうに見える」
「そう思ったわ、こんな花の中で死にたいと思ったの」
「何で銃を使わなかったんだ?」
「買えなかったのよ。それに血でここを汚したくはなかった」
なるほど、どうやら診断書付きか。
オレはポケットから紙巻きを取り出すと胸いっぱいに煙を吸い込んだ。
「やるかい?」
「タバコは毒よ。それに様々な合成薬と添加物の塊だわ」
なるほど、確かにその細い体と元は綺麗だったろう服はそれなりの品って訳だ。
「ヴィーガン?」
オレは睡眠薬の瓶を見なおすと、よく分からない植物のエキスがずらずらと並んでいることにうんざりした。なるほど、世の中にはこういう商品もあるのか。
ウイスキーもシンプルに蒸留所名と紋章だけが描いてあるだけだった。
オレは肩をすくめると、彼女に近づいて
「こいつはタバコじゃない。れっきとした大麻だ。マイハンドメイドプロダクツ」
彼女は眼をしばたいた。
「貴方の?」
「そう、草だけじゃない、紙もそれなりに気をつかってる。その代り、ノンフィルターだがね」
彼女は恐る恐るオレが差し出した一本を口にした。
オレはマッチに火をつけると彼女の咥えた一本に火を近づける。
「いきなり肺に入れないように。口の中で煙を閉じ込めて、それをまず吐き出す」
彼女はむせ込んだ。
「すごい味。こういうもの?」
「慣れるのには時間がかかるものさ」
オレは煙を吐き出しながら微笑んだ。
とりあえず、彼女が今日ここで死ぬ気を無くしたことが分かったからだ。
彼女はふらつく足取りでオレについてくる。
「痛みも無くなるのね」
「ああ、ソレは良かった」
「空が音をたててる。雲ってミの音だったのね」
クロッシングか。まあ、悪くない兆候だ。ここからダウナーに入られると、今度はオレが疑われることになる。
オレ達は菜の花の群生を抜けて草原へと入っていく。
「背が高いのね」
「麻だからな。成長は早い」
「緑ってこんなに鮮やかなものなの?」
「まあ、そういうものだ。これから吸うのは、 花穂だけど」
オレはかがみこんで、いくつかの麻の花穂を摘んでいく。
管理人と言うのはいくつかの役得がある。
これもその一つだ。
土地もいい、もちろん無農薬、そして好きな時にこうやって栽培して、加工する場所も確保できる。
本来であれば勿論干して乾燥させたものを使うが、無受精の雌花の花穂を吸う時はこうやって一つ一つ手で詰んでいくしかない。
生の良さと言うのは、生産者だけの特権だ。
オレはスルスルと、二本作って彼女へ一本手渡した。
「なんだろう、こういうものを表現する言葉が見つからない」
「そういうものだよ」
オレはゆっくりと煙の味を楽しむ。
けだるさと、酩酊感。自分の中の血管の音だけがリズムを刻む。
「音楽ってこういう時には邪魔なのね」
「風の音、土の暖かさ、自分の心臓のリズムだけで十分さ」
「そうかもしれない」
彼女は土の上に寝ころんだ。空を見上げながら
「どこまでも高いわ、こんなに広いの?」
もう彼女はオレの言葉も聞いていない、自分の言葉をただただ呟いている。
「ここに居たいなあ」
それはオレも同感だった
日が落ちかけたころに彼女をオレは国定公園の駅へ連れて来ていた。
彼女はオレのデニムとTシャツに着替えていた。
「必ず返すわ」
「気にすんな」
なぜか、こういう所に来る奴は車を使わない。
自分でもよく分からない感覚だが、何となく使いたくないのだ。
まるで自分の痕跡は一つでも消したいとでもいうように。
「ありがとう、なにからなにまで」
「きにすんな。たまたまアンタは幸運だった。それだけさ」
「ううん、違う、違うの」
「そういう事にしとけ」
ドアが閉まり、列車が出ていく。
彼女と再会したのは列車の中だった。
「探してたのか?」
「私は幸運だった。それだけでしょ」
その彼女の笑顔はチャーミングだった。
思わずオレも微笑むしかなかった。
「ねえ、お願いがあるの」
失敗したかもしれない。と思ったのが顔に出たようだ。
「違うわ、その……大麻の事じゃないの」
「それ以外に何が?」
彼女は席に座り、オレも対面に座り込んだ。
他に乗客はいない。
彼女はカプセルを取り出した。
「説明する必要はないけど、致死量の薬物。今回は信頼できる所に頼んだわ」
「……信頼ね」
オレはうんざりした。
信頼できる薬剤師がいかなる毒薬を処方するというのだろうか?
いっそのこと、オレの知識にあるキノコでも探してやろうかと思うほどだ。
「あのな……」
「聞いてください」
オレは黙るしかなかった。
彼女の眼に。すがるようなどこか吹っ切ったその目線に。
「私は死ぬわ。もう色々と準備は済んでる」
「それで?」
「遺骨を貴方に渡したいの」
「は?」
「お墓になんて入りたくないの。あんな寂しい、誰かの何もない感情を死んでまでも見たくない」
「死んだらそんなもの見えないよ。気にすることは無い。ただモノになるだけさ」
「ほんとにそう思ってる?」
列車の音だけが沈黙の代わりだった。
「オーケー、オーケー。確かにそうだな。あんたはオレの事をどうやらわかってる様だ」
「ええ、だからお願いしたいの。手元に持っていてもいい。どこかの倉庫に置いてもらっていても」
「出来れば、あそこに撒くか? 肥料としては悪くない」
「そうね、一番の望みはそれだわ。あの緑の中に撒いてほしい。それまでは貴方の手元に置いて欲しいの」
ああ、この女は馬鹿だ。どうしてこんなに綺麗な人がこんなことになるんだろうか? それともこんな女だからこそ、馬鹿で綺麗になるのか?
オレは紙巻を取り出すと彼女に一本手渡した。
マッチに火をつけると、彼女はオレにキスでもするぐらいに近づいて二人で火をつけた。
煙が流れていく。
オレは窓を開けると煙が流れていくのを眺めた。
彼女も吸いながらオレを見ている。
オレは彼女の骨壺を持ってあの緑の中に入っていく。
そして、彼女の骨と花穂を合わせたものを吸うのだろう。
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