第17話 「ねえ、園ちゃん、どう思う?」

 〇早乙女 園


「ねえ、園ちゃん、どう思う?」


 今日も学校帰りの音は、俺の自転車の荷台。

 音は高校三年生。

 結婚は卒業してから。

 今、俺たちは婚約中の身。


 パリからは、半年で帰った。

 サンダルが心地いい季節。

 こうやって、音を自転車の後に乗せて走るのが、毎日楽しくてたまらない。


 絵の方も、今は次の個展に向けての作品制作中。

 …いい物が描ける気がする。



「…人それぞれじゃないか?」


「そうなのかなあ…恋愛と結婚は別って言われたら、あたしは悲しいけど。」


「音は一緒?」


「もちろんよ。園ちゃんは違うの?」


「一緒だよ。音と恋愛して、結婚する。」


「ふふっ。良かった。」


 俺の腰に回した音の手の薬指に、指輪。

 ケンカをしながらも、俺たちは上手くいっている。



 …パリに行ってすぐ描いた作品が、馬鹿ウケしてしまって。

 気が付いたら、勝手に結構な値をつけてもらえる作家の一人となってしまった。

 …ただ…


「ソノ、向コウデノ最初ノ作品…アレハ、意味深デシタネ。」


 ノイ先生は、お見通しだ。

 タイトルは…『憧れ』

 薄桃色を抱きしめるようにして、濃紺が抱きしめられてる…そんなイメージ。

 あの夜の…出来事。


 きっと俺は、あの夜の事を一生忘れない。

 他の女性との秘密を抱えたまま…音と幸せになる。

 …ごめん、音。



 泉さんは、きっと元気だ。

 聖くんがついていれば…何も心配ない。



「…園ちゃん。」


「ん?」


「今、何考えてる?」


「んーなんだと思う?」


「…あたしとキスしたいとか…」


「…なんで分かった?」


「うそ。園ちゃん、絶対そんな事思わないクセに。」


「絶対って言いきれるか?俺、いつも音といるとエロい事考えてるけど。」


「なっ…何なのよー!!それじゃまるであたしが…」


「あたしが?」


「…ううん…そうね…あたし、エロいもんね。」


「ははっ。認めるんだ。いいね、素直で。」


「…キスしたい…」


 俺の背中にへばりついて、そんな事を言う音。

 …可愛い。


「…うちに帰ったら、たっぷりと。」


「たっぷりと?」


「うん。今日、うち誰もいないから。」


「……」


「音、もう想像してる?」


「バカっ。」



 そう。

 今日は俺一人。

 て言うか、しばらく一人だ。

 両親は、俺の結婚が決まったら…と約束してた新婚旅行の再現のため、今朝、熱海に旅立った。

 有名ギタリスト…熱海ってどうなんだよ…

 って思ったけど、新婚旅行の再現じゃあ、仕方ない。

 むしろ…羨ましい。

 俺も、音とそんな夫婦になりたい。




「園、ちょっといいか。」


 クリスマスに音の家に泊まって、それから実家に帰った時…


「うん。何?」


 父さんはお茶を二つ持ってソファーに座ると。


「…おーちゃんと、上手くやって行けそうか?」


 静かな声で、言った。


「え?うん。」


「そっか。」


「何、心配?」


「あー…いや、しつこいようだけど…」


「?」


「…泉ちゃんの事は、本当に良かったのかなと思って。」


「……」


 ついたままのテレビでは、大晦日の特番のCM。


「…初恋だったからかな…ちょっと、残る物があるね。」


 苦笑いしながら言うと。


「…初恋は実らないらしいからな…」


 父さんは意外な事を言った。


「そうなの?」


「らしいぞ?」


「父さんはどうだった?」


「……実らなかったけど、実ったものもある。」


「え?」


「おまえだって、泉ちゃんとは成就出来なかったけど、そのおかげでの、おーちゃんやパリ行きだろ?実ったものの方が大きいな。」


「…父さんは、何が実ったの?」


「俺?」


 父さんはお茶を手に、少し憂いを秘めたような顔付きになった。

 …やだなあ。

 ソックリな俺が言うのも何だけど…父さん、カッコいいなあ…


「俺も園と一緒かな。初恋が実らなかったおかげで、音楽で成功して、母さんとの今がある。」


「…フられたから、音楽で成功したの?」


「ああ。指を切らなかったからな…」


「は?」


「いや、なんでもない。園、もし…」


「……」


「結婚しても、ずーっと誰かの事をどこかで想う自分がいても…それは悪い事じゃないからな。」


「…意外な事言うね。恋愛と結婚は別って言ってる?」


「それは人それぞれ。」


「父さんは別だったの?」


「いや?一緒だよ。」


「この流れ…なんか説得力ないなあ。」


「ははっ。本当だ。でもな…誰かを想う気持ちは、自分を強くする。」


「…父さん、初恋の人を忘れられない?」


 すごく意外な気がした。

 父さんは俺から見て、すごく愛妻家だと思う。

 だから…もし初恋の人を忘れられないって言われたら…


「忘れられないと思ったけど、思い出になったよ。」


「…思い出に…」


 父さんは俺の頭をポンポンとして。


「…おまえの初恋が実らなかったのは、俺のせいかもな…」


 わけの分からない事を言った。


「はっ?」


「……詩生がヤンチャだったから、おまえをおとなしく育て過ぎたかもしれない。押しが弱かったんだな、きっと。」


「……なんだ、それ〜。」


「ははっ。悪かったな。ま、おーちゃんと仲良くやれよ?」



 半年でパリから帰った時、まだ少し音より多かったかもしれない泉さんへの気持ちは…


「園ちゃん、会いたかった!」


 空港で抱き付いて来た音によって…かなり薄められた。

 あれから、音とは毎日会っている。

 そうして、俺の中から泉さんは少しずついなくなった。

 …完全に、ではないけど。

 でも、それはもう恋とは違う…

 優しい存在だ。



「園ちゃん、泊まって欲しい?」


 自転車の雑音に混じって、音の可愛い声。


「泊まって欲しいって言うか、もうそのまま住んで欲しい。」


「……」


「あれ、無反応?」


「…嬉しくて、浸ってた。」


 音はそう言って、俺の腰に回した手に力を入れた。



 泉さん。

 俺、幸せだよ。

 だから…

 泉さんも、幸せになって…。



 * * *


 〇二階堂 泉


「食ってるか?」


「うん。」


 父さんが、あたしのお皿を覗き込んで言った。

 今日は…うちの庭でバーベキューパーティー。

 二階堂主催…と思いきや…

 陸兄の発案で…SHE'S-HE'Sの面々が来てる。

 さすがに、その身内までは来てないけど…

 …あたしが意識しまくってる、早乙女…さん、も。いる。


 …こうして見ると、ほんと…早乙女とそっくり。

 いや、早乙女がそっくりなのか。



 あれから…あたしは聖と付き合い始めた。

 ケンカもよくするけど…小さなことにも気付いてくれる聖に、愛を感じるようになった。

 聖のために、きれいになりたいって。

 そうも思うようになった。

 …大進歩だよね。



「……」


 ふと気が付くと、母さんの隣に…早乙女…さん。

 すごく普通に…友達みたいに話してる。

 それから…父さんも来た。

 なぜか父さんが、早乙女さんの長い髪の毛を結び始めて…母さんが大笑いしてる。

 そして…

 父さん、携帯で何か見せてる…


「……」


 さりげなく近付いて覗き込むと…


「一気に頼もしくなりましたね。」


 早乙女さんが…目を細めた。

 父さんの携帯には…兄ちゃんが写ってる。


「感慨深いよ。」


「もう29か…」


 …なんなんだろ。

 この…父さんと早乙女さんの…兄ちゃんは二人の息子。的な意見と言うか…


「なんだ、泉。肉が足りないのか?」


 不意に、父さんがあたしを見つけてそう言った。


「なっ!!違うよ!!」


「泉ちゃんも大きくなったなあ。」


 早乙女さんにそう言われて、ちょっとだけ…目が泳いだ。


「ああ…園に、お祝いをありがとう。」


「…え?」


「筆、すごく喜んでたよ。」


「あ…はは…」


 聖ーーーーー!!

 あいつ、今度会ったら…


「画材屋で二時間悩んでくれたんだって、自慢そうに言ってた。」


「………はっ!?」


 つい、眉間にしわを寄せて…大きな声を出してしまった。

 早乙女さんだけじゃなく、母さんの方を向いてた父さんまでもが驚いた。

 な…なんで?

 その話は…聖にもしてないのに…

 なんで早乙女が知ってるの…!!



「…泉ちゃん。」


 …優しい声だ。

 やっぱり…兄ちゃんにも…早乙女にも、似た声だと思った。


「…はい?」


「園に、色々…本当にありがとう。」


「…あたし、何も…」


「あいつに、いい恋をさせてくれた。」


「……」


「フラれたって言ってたけど…それがキッカケで、色んな事に挑戦して、自信が持てるようになった。」


「…そう…ですか…」


 不思議と…胸の痛みはなかった。

 これって、もうあたし…吹っ切れてるんだろうな。

 …聖の存在って、意外と大きい。


「…悪かったね。」


「え?」


「泉ちゃん、園に応えるわけにはいかないって思ったんでしょ。」


「え……」


 驚いて、早乙女さんを見上げる。


「いつだったかな…海くんから、電話をもらったんだ。」


「に…兄ちゃんから?」


「うん。もし、泉ちゃんと園が付き合うような事があったとしても、反対しないで欲しいって。」


「……」


「反対なんかしないよ。って答えたけど…たぶん、泉ちゃんには気持ちを抑えさせてしまったね…」


 そう言った早乙女さんの視線は…リビングの壁にあった。

 そこには…早乙女が、あたしに描いてくれた『初恋』

 …個展で、売約済みになってた…あの絵。

 あたしがもらった物は、あたしの部屋にある。

 個展の情報を聞きつけて、行ったついでに買ってきた。と、父さんが飾った時は…驚いて声も出なかった。

 早乙女の初恋であり…早乙女の父の初恋でもあるような気がして。


 あたしは、リビングにそれは…って、ちょっと思ったけど。

 父さんは、時々それを腕組みして眺めては、優しい顔をする。

 …ちなみに、父さんの初恋は、施設にいた頃の年上の同所者だそうだ。

 もう、顔も覚えていないらしいが…。



「…彼、元気ですか?」


「ああ。毎日絵描いてる。」


「彼女とも仲良くしてますか?」


「目も当てられない。」


「ふふっ。」


「…泉ちゃんも、幸せ?」


 ドキッとした。

 早乙女さんて…本当…そっくりだな…


「幸せですよ。彼氏も…まあ、ケンカよくするけど…優しいし。」


「そっか。良かった。」


 そう言って、早乙女さんは…柔らかく笑う。



 …早乙女が雰囲気のある人間に見えてたのは…この人の血、なんだな…

 なんて優しく笑うんだろ。

 …こんなに素敵な人を、恨んでしまってたなんて…



「…あたし、ファザコンでブラコンなんです。」


「そうだろうね。君のお父さんとお兄さんは、男の俺から見てもカッコいい。」


「ほんとに?そう思います?」


「ああ。」


 あたしは、たぶん…すごく笑顔になったんだと思う。

 そんなあたしの顔を見た早乙女さんは…どこかで見た事があるような笑顔で。


「こんなに可愛い子を独り占めできる彼氏は、本当、幸せ者だね。」


 そう言って、焼きあがった肉を、あたしのお皿に入れてくれた。



 * * *


 〇早乙女 園



「ミシュリーの筆、売れたんですか?」


 行きつけの画材屋。

 絵も売れたし…パリに行く前にあの筆を買ってしまおうか…いやいや、まだ俺には早い。

 ノイ先生に見つかったら、調子に乗ってるんじゃないかと言われそうだ。

 でも…今使ってる筆が、もう随分傷んでしまったし…

 なんて葛藤しながらも、視線を向けたそこに…

 絵描きなら誰もが憧れる、その高級絵筆セットはなかった。


「…ない…」


 愕然としながら、店長に問いかけた。



「ああ…いつだったかなあ。若い女の子が、お祝いにって。」


「お祝いに?あの高級絵筆を?」


「そう。しかも、全く絵の事は知らない子。」


「ちょ…ちょっと、軽くショックなんですけど…」


 絵に無知な人間が、お祝いにあれを買うなんて…


「色々話してるうちに、これにします!!って値段も見ずに…ちょっと笑ったね。」


「…値段見てびっくりしてたんじゃ?」


「うーん…でも、お祝いしたい気持ちはそれより高いって、いい笑顔だったなあ。」


「へえ…プレゼントされる人が羨ましいな…どんな絵を描く人なんだろう…」


「優しい絵を描く人だって言ってたよ。」


「優しい絵…ですか。漠然とし過ぎてて分かりませんね。」


 ちょっと笑ってしまった。

 優しい絵って。

 本当に、絵には無知な子が買ったんだな。


「そ。こっちは画風を聞いたんだけど、迷わずそう答えられてね…可愛い子だったなあ。一生懸命質問して、選んで…」


「大事な人への贈り物なんでしょうね…」


「間違いないね。選んでる時、悩んでたけど幸せそうだったから。」


「…そっか…幸せな絵描きだなあ…」


「まったくだ。二時間も悩んで、第一印象の物に決めたみたいだけど…ま、絵描きなら間違いない代物だね。」


「あ〜…羨ましいな…その絵描き…」



 まさか、その翌日…

 聖くんに会って、お祝いだ、とそれを俺がもらう羽目になるとは…。



 すぐに、泉さんだと気付いた。

 どうして?

 泉さんは、俺をフったのに?

 頭の中、??だらけだったけど…

 急に、俺の中のしっかり者の泉さんが、不器用な女の子と分かって…

 俺の初恋、間違いなかったな…って思った。


 聖くんもまた…不器用だなと思った。

 何もこうやって…恋敵の応援なんてしなくていいのに。

 だけど、なんて素敵な人なんだろうとも思った。

 大切な人の幸せを願えるなんて…。



 そして…

 俺も思った。

 音と泉さんの間でフラフラしてるような男より…

 聖くんみたいな、一途で思いやりのある男に…

 泉さんを幸せにして欲しい…と。



 うん。


 それがいいんだ。





 それから歳月が経ち、俺は音と結婚して子供も生まれた。

 画家としても名を上げて、親孝行も出来た。

 幸せ以外の何ものでもない。


 泉さんとは会う事も、噂を聞く事もない。


 だけど…今も愛しく思う。

 あの夜、俺の腕の中で肩を震わせて泣いた泉さんを。

 俺の背中に『園』と叫んでくれた泉さんを。


 今でも、あの夜が俺に絵を描かせる。

 それは驚くほど、尽きることなく。



 父さんは、初恋を思い出に出来たと言った。

 俺のそれも、きっと思い出として愛しい物だと思う。

 その証拠に、俺の中の泉さんは、あの夜のままだ。



 今、どこでどうしてるか分からない泉さん。

 でも…きっと幸せだと思う。



 不器用で、可愛い泉さん。




 どうか、幸せでいて。





 それが、俺以上の幸せなら…




 俺も幸せだ。




 23rd 完

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いつか出逢ったあなた 24th ヒカリ @gogohikari

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