第15話 「確か、約束したのって十日ぐらい前よね。」
〇二階堂 泉
「確か、約束したのって十日ぐらい前よね。」
ちっがーう!!
こんな事言いたいんじゃないのに!!
突然、早乙女から電話があった。
初めての電話に…あたしの声は、うわずった。
だけど平静を装って、待ち合わせのカナールに来た。
「あの時は…すっぽかして、すみません。」
目の前の早乙女は…なんて言うか…最後に会った時より、随分男らしくなってる気がした。
顔付もそうだけど…体の線が、以前より頼もしく感じる。
…やだな。
あたし、早乙女の事…やっぱ好きかも。
いや…
好きだ。
「あの時だけじゃないよね。電話にも出なかった。」
だーかーらー!!
あたし!!
なんで、そんな憎まれ口!?
早く…早く、おめでとうって…
「あー…実は…」
「何。」
「…彼女が、嫌がって。」
……彼女が、嫌がって。
「はあ?」
「俺、バカ正直に…前好きだった人に会いに行くって言っちゃったもんで…」
「……」
あたしの顔は、きっと…とんでもなくマヌケだ。
早乙女…
あんた…
あんたさあ…
女、作ったの?
「俺が告白した時…色恋なんて、成功してから言えって。」
思考回路が、ちゃんと作動してないや。
早乙女…何言ってんだろ…。
「ああ、言ったね。」
「あれで、奮い立つ事ができました。」
「……」
「色んなプレッシャーから、何も描けなくなっていた時期だったんです。別に、泉さんにどうこうしてもらいたくての告白じゃなかったんですけど…無性に気持ちが伝えたくなって…」
「で、告白したのはいいけど、ピシャリと断られたから、すぐ次に行ったって事だよね?」
「…まあ、そうなりますよね…」
膨れ上がってた気持ちが、どんどん萎んでいく。
あたしが早乙女の成功を信じて待ってた間…こいつは、さっさと他に女を作ってたって事か…
…ふっ。
馬鹿みたい。
「あたしさ。」
「…はい。」
「あなたが、あたしをずっと見てたの、知ってた。」
「…え?」
「知ってた。だけど、名前聞いて…」
「はあ…」
「無理だなって思ったの。」
「…無理だな?」
あの公園の木のそばで。
いつも絵を描いてた早乙女。
最初は、雰囲気のある男がいるなあ…って。
それだけだった。
だけど…何かを見てる、あの真剣な目が。
あたしを見てるって気付いた時…
たぶん、あたしはもう…あの時から、早乙女が好きだった。
恋に免疫がなさ過ぎて、それにさえ気付かないなんて。
自分の事なのに、分からない事だらけ。
…バカだな、あたし。
だけど、もし。
神様があたしに魔法を使わせてくれるのなら…
…あの日に、戻りたい…。
そして、早乙女に…素直になりたい。
「…あたし、家族の事、大好きなんだよね。」
「…はあ…」
「特に、兄ちゃん。」
「お兄さん…ですか。」
「うん。ブラコンなの。」
「…はあ…」
はあ、しか言わない早乙女。
頭悪そうだ。
「……だから、なんか無理だって思った。あなた、何となくお兄ちゃんに似てるから。」
「……」
早乙女は、とうとう『はあ』も言わなくなった。
ははっ。当然か。
わけわかんないよね…こんなの。
「彼女って、どんな子?」
「あー…浅香さんとこの娘さんです。」
こんな言い方って、やっぱSHE'S-HE'Sの親族は全員知り合いって思ってるな?
…まあ、調べたから知ってるけど。
「え?じゃあ、お母さんは聖子さん?」
「はい。」
姉ちゃんの結婚式の時、アジアンビューティーみたいな人がいるなと思った。
SHE'S-HE'Sのベーシスト。
わっちゃんの幼馴染でもあって、姉のようなものだって紹介された。
「あはは…もしかして、親が決めた許嫁制度?」
「まさにその通りです。」
…そっか。
許嫁か…。
早乙女にもいたのか…。
「…それでいいんだ?」
つい、真剣な声で言ってしまった。
「…昔の約束だと思ってましたが、打ちひしがれた時に再会して…」
「ちょうど良かったってわけか…」
「て言うか…うーん…彼女、すごく俺にないものばかり持ってて…楽しいんです。」
「……」
悪かったね。
さぞかし、あたしにはない物ばかりなんだろうね。
「実は俺…パリに留学する事になってて。」
「えっ。」
驚いて、カップをソーサーにぶつけてしまった。
「あっ、ああ…ごめん。」
「大丈夫ですか?」
「うん……彼女、平気なの?」
「…勝手に決めちゃったんで…泣かれました。」
「勝手に決めた?そりゃ泣くよ。」
「その辺…俺、まだまだ女心が分かってないですね…」
「……あなたには、一生分からないと思う。」
「え?」
…一生、分からないよ…
ひねくれてたあたしが悪いんだけどさ…
だけど、あんなに片想いしてくれてたなら…ついでに、もう少し粘ってくれたら良かったのに。
あたしの事…成功して迎えに来る、ぐらい思ってて欲しかったのに。
「ううん。ま、上手くやれば。絵描きなんて不安定な職業。結婚してくれるって女の子は貴重よ。」
「そうですね…」
「じゃあね。」
伝票を持って立ち上がる。
それと…紙袋も。
「あ、俺が払います。」
「餞別よ。安上がりで済んでいいから。」
「…ありがとうございます。」
お金払って外に出る。
早く、そこを離れたかった。
早歩きで…そして、小走りに。
…バカだ。
あたし、バカだ。
考えもしなかった。
早乙女が、他の誰かと、なんて。
早乙女…すごくいい男になってた。
きっと、今の彼女に愛されて…
「っ……」
気が付いたら、泣いてた。
我慢すると、唇が震えた。
ポケットから携帯を取り出して…
『おー、泉。なんだー?』
「…聖…」
『…泉?どした?…泣いてんのか?』
「聖…」
その場にうずくまってしまった。
こんな事…初めてだ。
苦しい…
早乙女も…聖も…
ずっと、こんな想い、してたの…?
* * *
〇桐生院 聖
「おう、園。」
俺が手を上げると、園は俺を見つけて。
「聖くん、久しぶり。」
変わらない笑顔でやって来た。
待ち合わせたダリア。
園はパリ行を控えて、忙しそうだ。
「悪かったな。忙しいのに。」
「いや、もう落ち着いてるよ。急な話だから、気分は焦ったけどね。」
座ってすぐ、俺は…切り出す。
「これ、お祝い。」
「え?」
紙袋を差し出すと、園はそれを手にして。
「開けていい?」
嬉しそうな顔をした。
「ああ。」
…泉から電話をもらって駆け付けると…
泉は寒空の下、泣きながら俺を待ってた。
…それだけで、何かがあったのは分かった。
園にすっぽかされた日に持ってた紙袋…持ってたし…
「…どした?」
肩を抱き寄せるようにして声をかけると。
「…早乙女、彼女ができてた…」
泉は、泣き笑いしながらそう言った。
「許嫁…なんだって…」
「…おまえ、好きって言わなかったのか?」
「…言えないよ…あたしがふったから…頑張れたって言われたし…」
「……」
胸が痛かった。
園の気持ちも分からなくもない。
だけど…泉の性格を知ってるだけに…冷たい言い方をしてしまう泉の不器用さを、不憫に思った。
「…渡さなかったのか?」
足元に置いてある紙袋を見て言うと。
「…うん…」
「俺が渡してやるよ。」
「えっ…いいよ…」
「一生懸命選んだんだろ?」
「…あたしからだって言わないで…」
「なんで。」
「…あたしからの贈り物なんて…きっと要らないよ…」
「…分かった。俺からって言う。」
泉は俺の肩で泣いた。
好きな女の失恋を…俺は複雑な気持ちで慰めた。
「えっ…これって…」
目の前で、園が驚いた顔をした。
「いいだろ。」
「…うん……これ…聖くんが?」
「ああ。悩んだなー。」
「…いいの?これ、すごく高い物だけど…」
「お祝いだから。」
園は信じられないって顔をして、ずっとその絵筆のセットを眺めてる。
…俺には、全然その良さが分からないけど…
泉、かなり勉強して買ったんだろうな…
「園、彼女できたって本当か?」
「えっ…だ…」
「みんなが言ってるよ。」
「あー…はは…そうだよね…結構ベッタリだもんな…」
そんなにベッタリなのか。
調べとけば良かった…
「…泉は、いいのか?」
「…聖くんこそ、泉さんの事…いいの?」
「え?」
「俺に告白しろって言ったけどさ…聖くんこそ、ずっと泉さんの事好きだっただろ?」
園は絵筆を大事そうに持ったまま、俺の顔を見る。
「…泉は…不器用な奴なんだ。」
「……」
「本当は好きなのに、好きって言えなかったり。」
「……」
園が少しだけ、首を傾げた。
「わざと、冷たい物の言い方したりさ…」
「…わざと…?」
「…あー…」
俺は大きく伸びをすると。
「やっぱ、黙ってらんね。」
背筋を正す。
「園。」
「え?」
「その絵筆、泉からだ。」
「……」
「あいつ、ずっとおまえの事信じてた。おまえが成功するって信じてたから、色恋なんて…って、言ったんだ。」
園は真剣な顔で、俺を見ている。
「俺、おまえのあの絵が成功するとは思ってなかった。そしたら泉は『聖は知り合いなのに信じてないの?』ってさ。」
「…泉さんが…」
園の視線が、俺から絵筆に降りた。
そして、優しくそれを触る。
「泉は…いつからか分かんねーけどさ…おまえの事、好きだったんだ。」
「……」
「おまえの事、成功するって信じて、ずっと待ってたんだ。」
「……」
「…頼む。パリに行く前に、会ってやってくれ。」
「聖くん…」
俺は園に頭を下げる。
「ちょ…聖くん。」
「頼む。あいつが泣いてるの…マジで辛かった。」
「……」
「彼女がいるのに、こんなの困ると思う。だけど…頼む。泉に会って…もし、おまえがまだ泉の事…本当は泉の事吹っ切れてないのに、そのために彼女を作ったんだとしたら…」
「……」
「泉と、付き合ってくれ。」
「…聖くん…」
園は茫然とした声。
そりゃあ…そうか。
彼女を捨ててくれなんてさ。
確かにおかしい願い出だ。
でも。
それほど…
泣いてる泉がかわいそうでたまらなかった。
俺には、何もできない。
出来るとしたら…
園を、泉に会わせる事ぐらいだ…。
「…分かった。会うよ。」
園の言葉に、やっと顔を上げる。
「でも、行く前は予定が空けられないから…クリスマスでもいいかな。」
「クリスマス?」
「うん。一度行って、クリスマスに帰って来るから。」
…よりによって、そんなロマンチックな日に…か。
もしかしたら、奇跡が起きるかもしれない。
…泉、頑張れよ。
「…悪いな。こんな頼み…」
「ううん…実は…俺も色々気になってたから…」
園はそういうと。
「聖くん、ありがとう。」
少しスッキリした顔で…立ち上がった。
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