第13話 「……」

 〇二階堂 泉


「……」


 あたしは、新聞の片隅を見て…目を見開いた。

 そこには…


『新鋭作家・早乙女 園 絵画展』


 …早乙女…?


 記事には日時と会場、展示会場では即売会もある事が記してあって。

 小さく、絵の写真も載っていた。

 早乙女の顔写真はなく、新進気鋭の作家としての簡単な紹介があるだけ…

 でも…

 この会場、有名な場所だ。

 早乙女…本当に成功したんだ。


 あたしの胸は、踊る気持ちでいっぱいだった。

 いつかは成功する。

 絶対成功する。

 そう思ってたけど…

 まさか、こんなに早く?



 あたしはその記事の載った紙面を新聞から抜いて、部屋に持って入るとその部分だけを切り抜いた。

 …すごいな…個展だなんて。

 手帳を開いて、仕事のスケジュールを確認する。

 …うん。

 今のところ、この日なら行けるかも…。



 ♪♪♪


「もしもし。」


『おう。俺。』


「ああ…うん。」


 聖とは…あれからずっと、仲のいい友達だ。

 たまーに…度の過ぎたハグをされる事はあるが、それ以上の事はしてこない。

 超長期戦にすると言われて…本当は、聖に申し訳ない気持ちも強かった。

 だってあたしは、早乙女が好きだと気付いてからというもの…会いもしない早乙女の成功だけを信じて、仕事を頑張っていた。つもり。

 あたしにとっても、色恋なんて…早乙女の成功がなければない。

 そんな気でいた。


 早乙女が成功したら。

 兄ちゃんの父親が早乙女の父親であっても…

 あたしの中で、それは消化できる気がした。



『おまえ、来週の水曜ってこっちにいる?』


「え?あー…いるけど、その日はちょっと…」


『ちょっと?』


「うん…」


『なんだよ。』


「…早乙女の個展、観に行こうかなって…」


『………早乙女の個展?』


 聖は長い沈黙の後、かすれるような声で言った。


『って…園?何だよ、園のやつ、個展開くのか?連絡があったのか?』


「う…ううん…今日の新聞に載ってた…」


『えー!!俺も見てみよ!!』


 聖はそう言って、家の中を歩き回ったのか。

 バサバサと音を立てながら。


『どこだ?何面?』


「えっと…22面の…」


『22面…ん?どこに?』


「下の方。」


『………ちっさ。』


 聖の低い声に笑ったしまった。


『おまえ、こんなのよく見つけたな。』


「そっかな…」


『…毎日、チェックしてたのか?』


「た…たまたまだよ。」


 新聞を隅々までチェックするのは、あたしだけじゃない。

 二階堂の者なら、みんなそうする。

 だから…

 たぶん、兄ちゃんも知ってるはず。



『…行くのか?』


「……んー…そういう約束だったから…」


『約束?』


「早乙女が成功したと思ったら、連絡するって。」


『…そっか。』


 聖は小さく、本当に小さく…溜息のような物をついた。


『会えるといいな。』


「…ほんとに?」


『…そりゃあ…内心穏やかじゃねーけど…』


「……」


『…うまくいくなら、応援するしかねーよな…』


「…聖…」


 素直に…嬉しかった。

 あたしの中でも、これで何かがハッキリさせられる気がした。

 早乙女に会って、あたしは彼を好きだと感じるのか。

 それとも…

 やっぱり聖が大事だと気付くのか…。



 水曜日。

 あたしは、それを確かめに行く。



 * * *

 〇桐生院 聖


「……」


 俺はその記事を、複雑な思いで眺めていた。


 園が個展を開く。

 それは…とても喜ばしい事だ。


 園の兄貴である詩生しおとは仲が良かったがー…

 去年、華月のマネージャーを妊娠させて…別れた二人。

 華月の身内である俺としては…複雑だった。

 詩生を忘れて、一からやりなおすためにアメリカ事務所に移籍した華月。

 親父がよく車椅子の華月を、アメリカに行かせたなと思うけど…

 日本に居辛かった華月の事を思えば、当然だったのかな。


 あれから、自然と俺も詩生と疎遠になった。

 気が付いたら、家も出てるみたいで。

 俺は事務所に用事もないし…どこかでバッタリ会うなんて事もない。

 だから…

 以前は詩生から早乙女家の事を聞いたりもしていたが、今は…全く分からない。


 園が…個展…

 それを成功と呼ぶのかどうか分からないが、泉の中では成功だったようだ。

 …会いに行く…のか…



 泉に対して、超長期戦で挑むと告白して…ずっと、そばにいた。

 友達でもいい。

 そばにいれるなら。

 そう思った。

 だけど…

 誰かのものになってしまうのだとしたら…それは、辛い。


 園…まだ泉の事、好きなのかな…って…仕方ねーな、俺。

 泉の幸せを祈ってやらなきゃいけないのに…

 …嫌だな…



「聖、何してるの?」


 俺がテーブルに頬杖ついてると、事務所から帰って来た姉ちゃんがソファーに荷物を置きながら言った。


「眉間にしわ寄ってるわよ?」


「……」


「ん?」


 俺が姉ちゃんを見上げると、姉ちゃんは俺の隣に座った。

 そして、開いてる新聞に目を落として…


「…え?園ちゃん、個展開くの?」


「…そういう情報は、交換しないんだ?」


 姉ちゃんがボーカルをしてるバンド、SHE'S-HE'Sは、めちゃくちゃ仲がいい。

 何でも知ってるのかと思った。


「聞いてないなあ。いつ?お花贈らなきゃね。」


 姉ちゃんは会場と日時を確認して、早速花屋に出かけた。



 そっか…

 やっぱすげー事だもんな。

 …俺はあいつの絵を見ても、成功するとは思えなかった。

 泉だけが…信じてたもんな…

 身内である詩生だって、もっとちゃんとした絵を描けばいいのにと言ってた気がする。

 抽象画って理解されにくいって言うか…

 何が、どこがいいんだろうって思われがちだもんな…


「はー……」


 声に出して溜息をつく。


 いよいよ…

 諦める時が来たのかな…。


 * * *


 〇二階堂 泉


「いらっしゃいませ。どうぞ中へ。」


「あ…どうも…」


 思ったよりも…大きなギャラリーだった。

 入り口の近くには、立派な花がいくつも飾られてる。

 …ああ、これって…個展おめでとうございますってやつか。

 あたしも…何か買ってくれば良かったのかな…

 なんて思いながら、あたしは中に入る。



 真っ白い壁に、いくつもの絵が飾られてる。

 そのほとんどが…ぶっちゃけ『何を描いてるのか分からない』だと思う。

 だけどあたしは勝手に解釈しながら。

 一枚ずつ、絵を楽しんだ。


 …ふふ。

 これ、『家族』って。

 何だか微笑ましい。

 早乙女って、優しい奴なんだな…

 改めて、そう感じた。



「……」


 壁にかけてある絵を見て、それから…振り返って…目が止まった。


『恋』


 これ…

 あたしにくれたのと…似てる。

 これ…

 いくらするんだろう。



 その絵を見た途端、あたしの胸のドキドキが止まらなくなった。

 恋。

 あたしのこれも…恋なんだろうか…。



「あの…」


 スタッフらしき人に声をかけて。


「あの絵は…売り物ではないのですか?」


『恋』を指差して言うと。


「ああ…あれだけ、非売品なんですよ。」


「えっ…そうなんですか…」


 残念…


「ですが、あの奥に『初恋』という絵があります。あちらは…」


 女性スタッフがそう説明をしてくれていると。

 違う男性スタッフが…何か耳打ちした。


「あっ…えー…そうなの…うん。分かった。」


 女性スタッフはあたしに向き直ると。


「今話した『初恋』は、もう売れたそうです。」


「あ…そうなんですか…」


「ただ、個展がある間は飾られていますので、是非ご覧になって下さい。」


「ありがとうございます。」


 あたしはスタッフに頭を下げて、再度絵を眺めた。


 …結構、繊細そうだな…

 早乙女、神経質っぽいよな。

 ふふっ…

 小さく笑いながら、奥のコーナーに行くと…その『初恋』は飾ってあった。

 そして…それは。



 あたしにくれた、あの絵と同じものだった…。


『売約済み』の貼り札が。


 なんというか…


 とても、寂しい気持ちになった。



 * * *


『…もしもし。』


 個展では…早乙女に会う事はなかった。

 最終日にもう一度行ってみたが、その時には…絵は全て売約済みになっていた。

 …早乙女、すごいじゃん。


 そう思いながら、あたしはやっとの思いで早乙女の自宅に電話をした。

 父親が出ると…嫌だな…なんて、少しは思ったけど。

 出たのは…たぶん、本人だ。


「…二階堂です。」


『…え?』


「二階堂、泉です。」


『……』


「成功したと思ったら、連絡するって言ったから…」


『ああ…いえ…それは…』


 早乙女は、なんだか煮え切らない声。

 だけど…あたしの覚えてる姿を思い浮かべて…その声を合わせる。


「明日…会えないかな。」


『…分かりました。』


「じゃ、三時に清見町のカナールってお店でいい?少し離れてるけど…レンガ色のマンションの近くにあるの。」


『はい。』


「…じゃあ…明日。」


 電話を切って…


「はああああああああああ……」


 大きく溜息をついた。


 すごく…

 すごく緊張した!!

 もう、ドキドキが止まらない!!

 叫びだしたい気持ちだったけど、近くに薫平くんぺいがいたから飲み込んだ。


 …まだ仕事中だ。

 しっかりしろ、あたし。



 そして翌日。

 あたしは約束の時間より少し早く、カナールに行った。

 ダリアなら…近いんだけど。

 あそこは、知った顔が多すぎる。

 だから、あえてのカナール。

 姉ちゃんが、わっちゃんが帰るのを待つために使ってたお店だ。

 と、結婚してすぐの頃、連れて行ってくれた。

 雰囲気のいい、お店。



 …早乙女が来たら…まず、なんて切り出そう。

 おめでとう…?

 それとも、やったわね?

 それとも…

 あたし、信じてた。


 …んー…

 あの状況で、あたしがそう思って言ったとは思われてないだろうな…

 色恋なんて、成功してから言いなさいよね。

 …んん。

 我ながら、冷たい言い方だったし。


 …はっ。

 もしかして、あたし…

 嫌われてないかな!!


 今更のように、あの時の状況を思い出す。

 思い出そうとするんだけど…告白されて、若干舞い上がってた自分と。

 なんであんたは早乙女なの?って、テンパってた自分と。

 まるで自分達の状況がロミオとジュリエットのようだと、悲劇ぶって胸が苦しくてー…


 …どうしてあの時、素直に嬉しいって言えなかったんだろう。

 そりゃあ、兄ちゃんと同じ血があるって…

 あたしが早乙女と付き合ったりしたら、父さんと母さんが複雑だって…

 色々考えたりしてたけど。

 あたしの考え方次第で、どうにでもできたはずなのに。


 こういうのって、その時には分からないもんなんだろうな…

 時間が経って、自分を客観的に見て。

 ああだった、こうだった、って。



「……」


 バッグの横に置いてる紙袋に目を落とす。


 画材道具なんて、よく分からなかったけど…

 生まれて初めて、画材屋に行って、早乙女に贈ろうと思う物を買った。

 絵に関しては、超ど素人なあたし。

 お店の人に相談し始めると、まさかの長居になってしまった。

 どんな絵を描く人なのかと聞かれて…

 優しい絵を描く人だ。と答えて、少し笑われた。

 言い方間違えたかな。と困ってると、とても親切に絵筆を勧められた。

 正直、筆がこんなに種類があって、さらには値段もピンキリだなんて思いもしなかった。


 金額はさておき、その作家によって好みもあると言われたけど…あたしは、何となく最初に目に留まった絵筆のセットを買う事にした。

 値段を見ずに『これにします』と言うと、『これ、高いよ?』と笑われたけど…もう、この気持ちは金額じゃないんだよなあ…なんて。

 薄い桃色の包装紙で、ラッピングしてもらった。


 早乙女…引くかなあ…。

 でも、あたしとしては、お祝い…の気持ちだし。

 もし嫌がっても、これだけは引き取ってもらおう。



 あたしは久しぶりに、コーヒーじゃなくて紅茶を飲んだ。

 元々紅茶派なのに、兄ちゃんの父親が違うと知った頃から、コーヒーを飲み始めた。

 なんてささやかな意地。


 紅茶を飲みながら、窓の外を眺めて。

 早乙女の顔を見たら、なんて言おう。と。

 あたしは、そればかりを考えいた。


 だけど…



 早乙女は、来なかった。

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