第12話 「えーっ!!」
〇早乙女千寿
「えーっ!!」
「……」
「それって…」
「…おまえの勝ち…」
「……」
「…喜んでいいよ。」
俺がそう言うと、
「やったー!!」
俺に飛びついて来た。
「うわっ。」
「ふふっ。長年の賭けに、ようやく決着がついたわね。」
俺の肩に手をかけたまま、世貴子は嬉しそうに言った。
浅香家の長女と、園の許嫁の話が出た時。
俺は、その時になったら、絶対本人同士は嫌がる。と言った。
だけど、どうしてもうちと親戚になりたいのか…聖子と京介さんは、意地でも結婚させる。と言った。
そして、世貴子は…
「園とおーちゃん、お似合いだなあ。」
まだ幼かった二人を並べて、そう言った。
そして…
俺と世貴子は、賭けをした。
賭けに勝った方が、欲しい物を買ってもいい。
お互いが紙に書いて、封筒に入れて封をして。
それは本家の金庫にしまってある。
たかが賭けだが、結構真剣だ。
俺は…
昔、親父がいつか弾いてみたいと言っていた、一千万円のギター。
インドで行方不明になってしまって、もう…望みはないかもしれないが。
その分、俺が弾きたい気持ちが強い。
園が約束通り結婚するかどうか。なんて、ノンキな賭けに何となく乗った勢いで紙に書いた。
でも、もし勝ったとしても…夫婦だから出所は同じ。
そんな高額な物を、何かを犠牲にしてまで買うわけにはいかない。
だから…
世貴子が勝って良かったのかも。
…とは言っても、園に『結婚する』と言われた時は、ちょっと食い下がってしまったが…
うん…
あのギター…
いいよな…
「おまえ、何が欲しいって書いた?」
俺に抱きついたままの世貴子に問いかける。
「今から本家に行く?」
「今から?」
「そのまま、買い物に行かない?」
「買って帰れる物なのか?」
「うーん…予約かな。」
「そっか…じゃ、行こうか。」
世貴子はゴキゲンな様子。
予約って事は…旅行かな?
そんな世貴子を見てると、ますます勝ったのが世貴子で良かったかも。と思えた。
園と千世子に出かける事を伝えて、本家に向かった。
あの金庫を開ける日が来るとは…
「いらっしゃい。」
あらかじめ、母さんに連絡をしておいた。
金庫の事を話すと、母さんは園の結婚の話?と笑った。
…そうか。
みんなに話したんだっけ。
そして俺と世貴子は金庫を開けて…
俺は、世貴子の書いた紙を開いて、呆然とした。
『千寿さんの欲しい物』
「……世貴子。」
「帰りに音楽屋に寄りましょ?」
「お…俺の欲しい物が何か分かってるのか?」
「分かってるわよ。ずっとカタログ見てたじゃない。」
「…一千万もするんだぞ?子供達にも、まだ金はかかるし…」
「頑張って働きましょ?」
「……」
「大丈夫よ。」
その、大丈夫よ。に。
胸を打たれた。
「…えっ?」
世貴子をギュッと抱きしめると。
「あっ…や、やだ。外から見えるってば…」
「おまえ、ズルい。」
「…え?」
「俺だって、おまえの事喜ばせたいのに…俺ばっかり喜ばされてる。」
「……」
「何か欲しい物ないのか?俺の欲しい物なんかじゃなくて、世貴子が欲しい物がいい。」
俺がそう言うと。
「…あなたの喜ぶ顔が、あたしの欲しい物だから…仕方ないでしょ?」
世貴子はそう言って、背中に手を回した。
* * *
〇早乙女 園
「自転車?」
音を迎えに学校の前に行くと、俺の自転車を見て音は眉間にしわを寄せた。
ふふ…あからさまだなあ。
「車じゃないの?」
「俺、免許持ってないもん。」
絵を描いてばっかな俺に、教習所に通うような暇はない。
「えー…車の免許ぐらいとってよー。ドライヴにも行かれないじゃない。」
「ドライヴ?」
「デートよ。」
「電車で充分だよ。渋滞がないし。」
「でも、ラッシュがあるわ。」
「俺が守るって。」
「……」
「さ、乗んなよ。」
「……」
音はすねたような顔をしてたけど、俺が荷台を軽く叩くと、仕方なさそうに横座りをした。
「しっかりつかまってなよ。」
少しだけ振り返って肩越しに言うと、音はギュッと俺の腰に抱き着いた。
…素直だなあ…
なんか…なんて言うか…
可愛いなあ…
そう思いながら、ゆっくりと自転車をこぎ始める。
「園ちゃん。」
「んー?」
「あたしの、どこがいいの?」
背中から聞こえる音の声…可愛いなあ…
…って、どこがいいのか聞かれた。
う…うーん…
「…うーん…一言じゃ語れないな。」
ごめん音。
「園ちゃん、あの約束の時から、ずっとあたしだけを好きだったの?」
…ギクッ。
「…ああ。」
前を向いてる時に聞かれて良かった。
たぶん今の俺は、目が泳いでる。
音、ごめん。
「お、久しぶりじゃんか、園。」
音を浅香家まで送って行くと、すごく久しぶりに
「寄ってけよ。」
「じゃ、ちょっとお邪魔しようかな。」
自転車を庭先に置かせてもらって、大きな木の一枚扉のドアを開ける。
…いい色だなあ…この扉。
玄関に入ると、これまた…シックな色合いの内装。
思わず口を開けて見上げてしまった。
吹き抜けの天井から下がってる照明も、すごくオシャレだ。
浅香家のお母さんの実家は、デザイナーや建築家が揃ってるから…
家も庭も、とてもセンスがいい。
「
彰が言うと。
「もう、自分でやんなよ。」
音は制服の上着を脱ぎながら、嫌そうな顔をした。
「おまえ、自分の結婚相手に。」
彰の言葉に、音はあからさまに面倒くさい顔をしたままキッチンへ向かった。
「園、ちょっと。」
「?」
彰に言われて、階段を上がる。
「入れよ。」
彰の部屋は…ベッドしかなかった。
あ…そうか。
うちの兄貴が一人暮らしを始めて少しして、彰も同じとこに入ったって聞いた。
…一人暮らしかあ…
俺は憧れないけど。
「いいのかよ、音と結婚なんて。」
座ってすぐ、彰が言った。
「約束だったし。」
「そんなの、ガキの頃の約束だろ?」
「でも、音のこと好きだし。」
て事に…しておく。
「ハッキリ言って、音はそうじゃないと思う。」
眉間にしわを寄せる彰。
…うーん…やっぱバンドマンはみんなカッコいいんだなあ。
「うちの親はかなりその気んなってるけどさ。」
「うちの親もだぜ?」
「本気かよー…」
「何、彰は反対?」
「俺は、おまえに悪いと思ってさ。」
「悪い?どうして。」
「音の奴、おまえが思ってるような女じゃないぜ?」
「俺が思ってる…?」
「男とはバンバン遊ぶし、恋人作っちゃあ貢がせて捨てるし。きっと今回の結婚についてもさ、スリルがあるからとか、そんな感覚なんだぜ?」
「……」
そうか…
音は、俺とは全然違う人生だったんだなあ…
結婚についてスリルを求めてるとして…安定を求めてる俺と、スリルなんてないと思うけど…
でも、音のそれが悪いとは思わない。
だって…
俺なんて、絵を描くための…って感じだし。
俺の方が、音に対して失礼だ。
「今時の女子校生じゃないか。」
笑いながらそう言うと。
「それでいいのかよ。」
彰は呆れたような声で言った。
「音は音だから。」
そうだ。
俺の知ってる音は…
…俺の知ってる…って…
子供の頃だけど…
真っ直ぐで…
……今から知っていこう。
「おまえこそ、甲斐甲斐しい許嫁がいるらしいじゃん。」
音の事を調べているうちに、彰の許嫁の話も聞いた。
島沢さんちの佳苗ちゃん。
音とも仲がいい。
毎日のように、彰に弁当を届けてると聞いた。
「…ああ、あいつな。」
「毎日弁当持ってきてるって、兄貴がうらやましそうに言ってた。」
「ふん。」
「そんな、照れんなよ。」
毎日弁当かー…
素直に羨ましい。
そんな経験、一度もないし。
「入るよー。」
部屋の外から声がして、音が入って来た。
「ありがと。」
音の手から、トレイを受け取る。
美味そうカステラが、不揃いに切られてて…ちょっと笑った。
* * *
『好きな色・ピンク』
「……」
キャンバスを前に、俺は少しだけ唸った。
音の事を色々知るために、音のお母さんにリサーチした音データ。
好きな色…ピンクか…
…ちょっとだけ、泉さんを思い出す。
だけど泉さんは薄桃色だった。
音はー…どっちかと言うと、和色ではなくて…マゼンダピンク。
インパクトのある、カラー。
「……」
色恋なんて、成功してから言いなさいよね。
…今も、泉さんのあの言葉が…時々胸を締め付ける。
俺の才能なんて…信じられないよな…
断り文句としては、最適だったかも。
もう一年以上前の事じゃないか…
吹っ切れたはずなのに。
あの人の何が、そんなに俺を引きつけたんだろう。
自分でも…よく分からない。
人を近付けないオーラがあって…なぜか、冷たい視線。
なのに、初めて話した時は…夢を見ているようだった。
…俺、マゾなのかな。
キャンバスに色を塗り重ねて行く。
「……」
ダメだ。
これじゃ、泉さんと同じになる。
泉さんと音は全く違うのに…
俺の気持ちが…まだ泉さんにあるのか…?
ふと、ベッドのわきに置いてある写真を見る。
この前学校帰りのコノちゃんが、『プレゼント』ってくれた…音の写真。
大口開けて笑ってる…たぶん本人が見たら、嫌がりそうな一枚。らしい。
俺は、その写真をすごく気に入っている。
すました顔の音は、すごく美人だ。
モデルのように思える。
身長も高いし、スタイルもいい。
だけど…
屈託のない笑顔。
それに…俺は癒された。
「…よし。」
音の笑顔を見つめながら、俺は筆を動かした。
今の俺を動かすのは…
音の笑顔。
音の声。
音、そのもの。
それと…
色恋なんて、成功してから言いなさいよね。
泉さんの、あの、一言…だ。
* * *
〇早乙女 園
「…えーと…」
ノイ先生を前に、俺はまん丸い目をした。
だってさ…
ノイ先生は今、俺に…
個展を開かないか。って言ったんだ。
「…個展…」
美術学校在学中は、俺よりも長く絵を描いてる人達が、複数人でグループ展を開いたりしていた。
そこでイラストの即売会をしたり、ちょっとした喫茶コーナーもあって、そこでの弾き語りなんかもあって…
まるで文化祭みたいで、とても楽しそうだ。と思った記憶がある。
だけど俺はそこに入れてもらう事はなかった。
グループ展をする人たちと、なぜか馬が合わなかったのと、画風が違うからねー。とハッキリ断られ続けてしまったからだ。
人からの評価を得るには、なるべく人の目に触れなくてはならない。
どこかに飾ってもらうのが一番だと思うけど、なぜか、俺の絵は誰からも好かれる事なく…ノイ先生のみが、評価し続けてくれていた。
そして、つい最近になってようやく…ノイ先生の知り合いのギャラリーに飾ってもらえ始めたのだが…
売れる気配はない。
先生がつけてくれた俺の絵の金額は…どれもが高額だ。
いきなりそんな金額で売れるわけないって思いと、先生の目を信じたい思いと。
…自分の才能を信じたい思いと。
そんな状態で個展とか…大丈夫なのかな。
俺、思い切り無名なのに。
「ソノ、キミノ絵ハ、ゼッタイ売レル。自分ヲ信ジテ、描キ続ケナサイ。」
…確かにそうだ。
自分を信じなくてどうする。
俺を発掘して育ててくれたノイ先生のためにも、頑張らないと。
「分かりました。描きます。」
そうだ。
描くしかない。
この前、音を迎えに行った時…
王寺グループの御曹司とやらに出会った。
本当なら、ああいったお金持ちの爽やか好青年が好きであろう音。
だけど…なぜか俺を選んでくれている。
その、音の期待に応えるためにも…
成功しなくちゃいけない。
「恋トイウ作品ハ、トテモイイ。」
ノイ先生が、一枚の絵を前に言われた。
…音のために、描いた絵だ。
「トテモイイガ、前ニ描イテイタ、初恋トイウ作品モ、ワタシハ好キダヨ。」
「……あ…ありがとうございます…」
…初恋…
泉さんに、プレゼントした絵…
本当は…今もあれが自分の中での最高傑作だ。
なかなか、あれを超える物を描けない。
音の事は好きだし…大事だ。
どうやったら、俺に夢中になってくれるかな。なんて考えるほどになったし…
何より…
いちいち大げさに物事をとらえる所が…可愛くて仕方ない。
俺の中で目覚めてない感情を、引き出してくれる。
それが…音だ。
音といると、知らない自分に出会える気がして、いつもワクワクする。
「ソノ、イイ顔付ニナッタ。」
ノイ先生が俺の絵を前に、笑った。
いい顔付か…
ま、一年ぐらい酷い状態だったからな…
たかが失恋で。と笑われそうだけど。
心が育っていなかったんだな…と、自分でも恥ずかしくなるけど。
泉さん…
あなたには、とても感謝しています。
俺をフってくれて、ありがとう。
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