第11話 「…ダメだ…」

 〇早乙女 園


「…ダメだ…」


 キャンバスを前にしても、何も浮かばない。

 イライラして、どうにもならない。


 さすがに家族も俺の不調に気付いてはいるが…みんな遠巻きに傍観している。

 もしかしたら、反抗期にも似た感情なのだろうか。

 誰とも話したくない。

 そんな俺の気持ちがオーラとなって、誰も寄せ付けないのかもしれない。


「……」


 ベッドにうつ伏せになる。

 もう、絵も描けない…成功もしない…誰の役にも立てない…


『園、ちょっといい?』


 部屋の外から、母さんの声。


「…うん…」


「お邪魔しま…あら、何も描けてない。」


「…今そういうのは…」


 母さんの一言に、起き上ろうとしてた体を再び倒す。

 すると…


「うえっ!!」


「若いのに、弱いわねえ。」


「かっ…母さん…!?」


 いきなり、背中に母さんが乗って来た。


「うっううううう〜!!いっいいっ痛いっ!!」


「動かないからよ。園、ろくに体動かしてないから、体力も魅力もないわねえ。」


「う…」


 い…今、母さん…

 さらっと、キツイ事言ったような…


「卒業して、ほぼ無職だからって、炊事をしてくれるのはありがたい。でもねぇ、健康男子が体を動かさないってどうよ。」


「えっいっい…いーっ!!」


 母さんは容赦なく、俺の体を曲げたり伸ばしたり。

 その痛い事痛い事…


「ちょっと脱いでみて。」


「はっ…え…えっ?」


「ほら。上脱いで。」


 母さんがベッドのわきに降りて、ようやく痛みから解放される。


「……」


 言われるがまま、数日着たままだったTシャツを脱ぐと…


「なに〜?その体。情けないったら…」


 母さんは眉間にしわを寄せて…


「ここ。」


「くはっ!!」


 いきなり、脇を突いた。


「あと、ここと、ここと…」


「うわっ!!ひー!!かっ母さん!!やめっ止めてくれーっ!!」


「ひ弱過ぎる。全然これじゃモテない。」


「……」


 こ…今度は…

 胸が痛い…


「何があったかは知らないけど、絵が描けないって落ち込むより、描けないなら仕方ないって開き直って別な事にチャレンジしなさいよ。」


「……たとえば?」


「えっ、聞くの?母さんが決めていいって事?」


「あ…いや…」


「ギター始めるとか?」


「む…無理だ…興味ない…」


「じゃ、体鍛えなさい。」


「……」


 本当は、ちょっと億劫だと思った。

 だけど、母さんの言った『体力も魅力もない』が、ズーンと堪えてしまってて…


「…でも、女の子を抱えて走るぐらいはできるよ?」


 泉さんを抱えて走った事を思い出して、ちょっと…センチになりながらも威張った風に言ってみる。


「いつ。どこで。どこの女の子を?」


「が…学校に入った年…」


「…ばっかじゃないの?三年も前の話?あの頃は今より動いてたから、そりゃあ少しは体力もあったでしょうよ。でも今は、どう?毎日座りっぱなしで、運動と言ったら階段三往復すればいいぐらいじゃないの?」


「そ…それは…」


「あんた気付いてる?立ち上がる時に、よっこらしょって言ってるわよ。」


「えっ!!」


 がーん!!

 そ…それは…

 母さんに言われた胸元やわき腹、二の腕を見下ろす。

 太ってないけど、筋肉もない。

 貧相なだけだ…


「園、あんたには恵まれた見た目があるの。」


 母さんは俺の髪の毛をささっと手ぐしでといて。


「お父さんに憧れてるなら、それに恥じないようなでいてちょうだい。」


 目を、じっと見て言った。


「…今の俺は恥ずかしい?」


「恥ずかしい。」


「…そんな、ストレートに言うかな…」


「しかも打たれ弱い。」


「母さん…もういいよ…」


「体を鍛えて、自信を持ちなさい。」


「…自信…?」


「そう。服を脱いでも惚れ惚れされるような男になって。」


「…母さん?」


「はい。これ。」


 もしかして…と疑いの目を向けてると、母さんが1枚の紙を目の前に差し出した。


『高額バイト・ヌードモデル』


「……ヌ…」


「勉強になるわよ。」


「…息子に、脱げって?」


「父さんの裸、鍛えられてて素敵なのよね。」


「聞けよ…」


「色々お金かかるんでしょ。後ろめたさも取り払いたいなら、一石二鳥よ。はい、走っておいで。」


「えっ、今から?」


「さっさと行く。」


「…はい…」


 Tシャツを着て、部屋を出る。

 走るったって…サンダルしか持ってないんだよな…


 玄関で靴箱をあさってると…


「ほら。」


 父さんが、目の前に靴下とランニングシューズを…

 そして…


「ほら。」


 服をめくって、自分の腹筋を見せた。


「…おっさんのクセに…」


「すごいだろ。いつまでもカッコいいって言われたいからな。」


 そう言えば、父さんは昔からスタイルが変わらない。

 そういう体質だと思ってたけど…鍛えてたのかな。


「描けるか描けないかは、おまえ次第だぞ。」


 そうして俺は…

 初日は倒れそうになるぐらい、ダメだったけど。

 少しずつ距離を伸ばして。

 部屋では腹筋や背筋、腕立て伏せもして。

 数週間、絵から離れた。



 あれだけ頭の隅っこで、見ないフリしてたのに自己主張してきてた泉さんの言葉。


『色恋なんて、成功してから言いなさいよね』


 …絶対、成功してやる。

 そして…

 絶対、泉さんから連絡させてやる…!!


 まさかの、俺を奮い立たせる言葉となった。


 * * *


 〇二階堂 泉


「…よ。」


「……」


 現場からクタクタになって家に帰ると…

 リビングに、なぜか聖がいた。


「……」


 あたしは無言でリビングの向こうにあるキッチンを見渡す。


「出かけるから留守番してくれって言われた。」


「何それ。て言うか…なんで居るの。」


 バッグから携帯を取り出して、母さんに電話を…


「泉。」


「えっ…」


 突然、聖が…

 あたしに、土下座した。


「……何の真似よ。」


「悪かった。」


「…何が。」


「色々。」


「色々って何。」


「色々だよ。」


「色々じゃわかんない。」


「……」


 聖は顔を上げて。


「俺、超長期戦にするわ。」


 って…


「………はっ?」


「おまえの事、やっぱ好きだ。だから、おまえの都合のいい男になってもいい。」


「な…何言ってんの?」


「気付いたんだよ。離れてる間にさ…色んな女の子と付き合ってはみたものの…こう…テンポよく会話ができなかったり、憎まれ口の言い合いなんかも全然…」


「……」


「望みがなくてもいい。今は。でも、俺、おまえを振り向かせてみせる。」


 そう言った聖は…温泉での冷たい目じゃなくて。

 高校生の頃、あたしのお尻を叩いて自転車で去って行ってた頃の…聖の目。


「…なんで、そんなに自信満々?」


「おまえ、俺とキスしてた時、エロい声出してたから。」


「ばっ…!!」


 聖はニヤニヤ。


「バッカじゃないの!?ああああれは…!!」


「まあまあ。とにかく、俺は超長期戦でおまえを落としてみせる。」


 そう言って、聖はゆっくり立ち上がると。


「…何よ…」


 あたしに近付いて…


「…泉…」


 あたし、後ずさりをして、壁際まで追い込まれて…


「な…何、ちょ…」


 聖は壁に手をついて…

 …やだ。

 あたし。

 ちょっと嬉しい。

 だけど…これじゃ、本当に聖を都合のいい男にしちゃう…


 聖はゆっくり顔を近付けて…


「…飯、食わねー?」


 あたしの耳元で、そう言った。


「………ぇ?」


 すごく小さな声で聞き返すと。


「それとも、キスがいいか?」


 額をゴン、と、ぶつけた。


「キ…」


「キ?」


「キス…なわけないだろバカヤロー!!」


 そう言ったあたしの両手は、聖の背中に回されてて。


「…華月もいないし…寂しかったよな。」


 聖は、そんなあたしを、ゆっくりと抱きしめて。


「30秒ほどハグして、飯にしようぜ。」


 耳元で、楽しそうにそう言った。


 * * *


 〇早乙女 園


「うん。いいじゃない。」


 母さんが、俺の二の腕を見て言った。


「頑張って結果が出ると嬉しいでしょ。」


「うん。」


 母さんに体を鍛えろと言われて。

 毎日、走って腹筋して背筋して、腕立て伏せをして…

 見られる事も重要なのかも。と、モデルのバイトもした。

 …ただ、ヌードはヌードでも…セミで。

 最初は画家個人のモデルをしたけど、今はいくつか絵画教室でも脱いでいる。

 …脱いでいるって言うと…ちょっと、あれだけど…



 しばらく封印していた絵筆も取り出した。

 久しぶりにキャンバスを前にすると、新鮮な気持ちになれた。


 …うん。

 休んで良かったかも。



 そして、自信。

 自分の体に自信をつけるなんて、思いもよらなかったけど…

 その方法は、成功だったのかもしれない。

 母さんに感謝。



「ノイ先生の所へは、いつ行くの?」


「新しいのが描けたら、顔出そうかな。」


「そ。描けるといいわね。」


「うん。」


 美術学校は、本当なら二年で卒業だったけど、俺はノイ先生の元で修業すべく、もう一年残った。

 そして卒業した今も、週に二日程度通っていたが…

 酷いスランプに見舞われて…ノイ先生にはしばらく休むとしか言えなかった。



『すまない…俺には許嫁がいるんだ…』


『親の決めた結婚なんて…それでいいの!?』


『…親が決めたのなら…間違いはないと思うし…』


『あなた…それで…幸せになれるの?』


『親の期待に応えられるだけで…俺は、もういいんだ…』



 リビングに降りると、珍しく本家のばあ様が来てて。


「いらっしゃい…」


 一応声をかけるも…


「ああ、ああ、園、こんにちは。」


 ばあ様は、テレビに夢中…

 隣で父さんが首をすくめて俺を見た。


「…何、この番組。」


 小声で問いかけると。


「ハマりまくってるドラマらしい。展示会を見に行ってたんだけど、家に帰ると間に合わないからって、うちに来た。」


「へえ…」


 ばあ様でも、こういうの見るんだ。

 何となく…俗物っぽいのは嫌いかなと思ってたけど。


「そう言えば、俺にも許嫁みたいな人がいたよな。」


 父さんが頬杖をついて、思い出したように言った。


「えっ、そうなの?」


 驚いた声を出したのは、母さんだった。


「初耳よ?誰?どんな人?」


 母さんは父さんの隣にずずいと座り込むと。


「可愛かった?歳は?」


 父さんにぐいぐいと詰め寄る。


「え…」


 父さんは余計な事を言った。みたいな顔をして、ばあ様に助け舟を求める視線を…

 送ったけど、ばあ様はテレビに夢中。


「あ…あー、もう昔の話だからなあ…」


「でも、結婚の話があったって事よね?」


「まあ、そうだけど…勘当された時に消えたし。」


「相手の人は?納得したの?」


「納得って…俺は会った事もないから知らないよ。」


「会った事ない人だったの?」


「ああ…イギリスに留学中とかで。」


「…セレブの匂いがするんだけど…」


「…当時の桜花の理事長の孫娘だったかな…」


「えっ…あたしが桜花で働いてた頃、王寺グループの御曹司と結婚された方かな。」


 なぜか母さんは、昔桜花で美術教師をしていた。

 なぜ美術教師に?と思ってしまうほど、絵は上手くない。



「へえ…じゃ、そっちの方がその人には良かったよな。」


「まあね…王寺グループと言えば今や…」


 父さんと母さんの会話を右から左に流しながら。

 …許嫁…

 俺は、ある事を思い出していた。



「…俺って、許嫁いるよね。」


 小さくつぶやくと。


「あ。」


 二人は同時に俺を見て。


「…いやいや、好きな子がいるなら、別にそれは…」


 って父さんは言ったけど。


「…ちょっと、確認してくる。」


 確か…子供の頃に書いた誓約書みたいな物を、俺は大事に取っていた気がする。


 部屋のクローゼットを開けて、中からガキの頃の宝物を詰め込んだ箱を取り出す。

 母さんが使ったハンドクリームの空き缶とか。(模様が綺麗だったんだ)

 兄貴が使ってた櫛とか。(兄貴が使うとサマになってカッコ良く見えたんだ)

 父さんからもらったピックとか。(特に、濃紺のやつはお気に入り)

 チョコが三歳の時に描いてくれた俺の似顔絵とか。(父さんじゃないのかという説もあるが)

 それらに紛れて…その誓約書はあった。


「…おとの17歳の誕生日がきたら…結婚します。」


 カレンダーを見る。

 もうすぐじゃないか。



 何となく、霧が晴れたような気持になった。

 俺の許嫁、浅香 音。


『親の期待に応えられるだけで…俺は、もういいんだ…』


 ドラマのセリフが脳内でリピートする。



 最近は見かける事もなかった。

 いきなり結婚するんだよな。なんて言ったら引かれるかもしれない。

 だけど…

 俺には、それが希望の光に思えて仕方なかった。



 * * *


「……」


 勢いで学校まで来てみたけど…最後に音に会ったのって、何年前だっけ。

 父さんのバンドの集まりで…ちょっと小洒落た店を貸し切って飯食った時…が、最後かな?


 あの時、音は希世の妹のコノちゃんと、二人でぶーたれた顔してた。

 あまり、こういう会に出たくないんだ、って。

 何となくその気持ちは分からなくもなくて…俺も二人と一緒に店の外のベンチで、ボンヤリしたのを覚えてる。

 だけど、二人ともデザートにはつられたんだっけな。

 うん…まだ小学校六年とかだった気がするし…。


 何て言うか…

 たぶん、音も思ってるだろうけど。

 親絡みの知り合いはみんな、親戚みたいな感覚に近いと思う。

 それほど、あのバンドはよく集まるし…家族ぐるみで付き合う。

 そう言えば、父さんが写真の整理をよくしてるけど…寄り合いのアルバムだけで、何冊あるだろう。

 その中に、どこそこの息子娘も写ってるし、自然と、誰もが近況を知ってたりする。



「…園ちゃん?」


 終わる時間が分からなくて校門のそばにしゃがみこんでると、声をかけられた。

 顔を上げると…


「……」


「どうしたの?」


 音…?

 しばらく見ない間に、すごくきれいになった。

 驚いたな…



 俺は髪の毛をかきあげながら立ち上がって。


「いや、来月誕生日だなと思って。」


 音の顔を見ながら言った。


「…そうだけど…覚えてくれてたの?」


 え?


 覚えてくれてたの?

 音…嬉しそうだ…

 もしかして…


「音こそ…覚えてたんだ?」


 つい、笑顔になる。

 そっか…

 じゃ、俺たちは結婚…するわけだ。



「それが確認したかっただけ。じゃ、またな。」


 俺がそう言うと、音は「もう帰るの?」みたいな顔をしたけど。

 この、久しぶりのドキドキ感を描きたくて。

 俺は家に急いだ。

 そして、まず。



「父さん、俺、音と結婚するから。」


 父さんに報告。

 音楽室と呼んでいる、ギター部屋でギターの手入れをしている父さんにそう言うと。


「…いつ?」


 父さんはポカンとしたまま言った。


「来月、音の誕生日が来たら結婚する約束だったし。」


「…えーと…それは、いつの約束?」


「許嫁だろ?」


「いや、あれは…浅香家が盛り上がって決めた事だし…」


 何でだろう。

 父さんは、しどろもどろ。


「でも、音も覚えてくれてたから。」


「……園。」


「ん?」


「泉ちゃんは、いいのか?」


「……」


 突然、懐かしい名前を言われたような気がした。

 泉さん…


「おまえのスランプの時に、何かあったんだろうなとは思うけど…いいのか?」


 父さんは静かにそう言った。


 …確かに…

 音と結婚する事で、自分を盛り上げようとしてるのかもしれない。

 人生の船出を失恋キッカケで決めるなんて…あり得ないのかもしれない。

 だけど思った。

 俺は母さんが言った通り、打たれ弱い。

 泉さんを密かに想い続けた片想いの頃は…まだ良かった。

 見ているだけで幸せだった。

 だけど…片想いでも、いずれ欲が出る事に気付いた。

 自分のものにしたい。

 不確かなままじゃ、不安定なままじゃ、俺は絵が描けない…


 安定が欲しいのだと思う。

 まだ19だと言うのに。

 結婚という、約束に守られたいのかもしれない。



「泉さんには…フラれたんだ。」


「……」


「だから、切り替える事にした…って、これは内緒だよ?」


「…そっか。分かった。でも…結婚はどうかなあ…」


 相変わらず、なぜか渋る父さん。

 これでまたバンド内に親戚が増えるって喜ぶのかと思ったのに。


「反対?」


「おまえがいいなら…いいよ。」


「ありがとう。」


 なぜかうなだれた風の父さんを残して、俺は部屋に上がる。

 そして、キャンバスを前に筆を持った。

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