第10話 「あ〜いい湯。」

 〇二階堂 泉


「あ〜いい湯。」


 九月。

 二階堂仕切りの温泉旅行。

 二階堂仕切りとは言っても…まあ、メンツは近い者だけで貸し切りってだけなんだけど。



 春に、姉ちゃんの記憶が戻った。

 そして、その時に…姉ちゃんとわっちゃんがみんなに隠れて六年も付き合ってる事が発覚した。

 さらに、それからすぐ…結婚した!!

 何となく、姉ちゃんは結婚しない気がしてたから…あたしは、かなり驚いた!!

 だけど、綺麗だったな…姉ちゃんのドレス姿…


 それと、紅美も帰って来た。

 高校は留年したけど、楽しそうに…

 …ううん、学校は…楽しそうじゃないのかな…

 でも、バンドもしつつ…

 まあ、前みたいに頑張ってる。


 華月は、モデルの契約を一年更新して、まだアメリカ。

 …会いたいな。



「空ちゃん、肌スベスベ。」


「朝子だって、ツヤツヤじゃん。」


 朝子と姉ちゃんの会話を聞きながら、ボンヤリ…湯に浸かった。


 …あれから…

 聖にも、早乙女にも会わなかったけど…この温泉には…聖も来た。

 しかも…何となく、視線が冷たい。


 …何なのよ。

 二階堂の仕切りだって知ってるクセに。

 そしたら、あたしが居るって分かってるクセに。

 そんなに不機嫌そうにあたしを見るなら、来なきゃいいのに。



「ねーねー、姉ちゃん。わっちゃんのどこが良かったの?」


 風呂から上がって、部屋に戻った。

 あたしは、気分を盛り上げるためにも、姉ちゃんにそう切り出す。

 じゃないと…華月も沙都もいないせいか、何となく紅美が暗い。

 朝子はいつも通りだけど…いつも通りって事は、場を明るくしてくれるような明るさはないって事で…

 ああ、やっぱあたし、朝子に厳しいな。

 優しいし、いい子なのに。



「何よ今さら。」


「まだ結婚して四ヶ月じゃん。あたしら、付き合ってた六年なんて知らないもん。」


「あ、同感。あたしも聞きたい。」


 風呂ではあまり話に乗ってこなかった紅美が、これには食いついた。

 よしよし。

 って思ってると…


「俺も聞きたいなー。」


 浴衣姿のわっちゃんが登場した。


「俺のどこが良かった?」


「どこ?どこ?」


 みんなの冷やかしに似た声に、姉ちゃんは少しだけ目を細めて。


「…やっぱ、あれかな…」


 開き直ったように喋りはじめた。


「何?」


 いいぞ、姉ちゃん。


「キスが上手い。」


「…キス?」


「そうよ。キスが上手いの。やっぱ男はキスが上手くなくちゃね。紅美も思うでしょ?」


「えっ、あ…あー、うん。」


 いきなり話をふられた紅美は、苦笑いみたいな感じだけど…頷いた。


 …キスが上手い…


「キスが上手いってだけかよ…」


 わっちゃんが頭を抱える。


「何、内面の事を言って欲しい?約束はすっぽかすし、女には誰にでも優しいから変な誤解招くのに?」


「…根に持ってんのか?」


「ううん。注意してるだけ。」


 あたしの知らない六年の間に、わっちゃん…随分と姉ちゃんを泣かせたんだな?

 そう思わせるやりとり。



「ね、どうしてキスが上手いといいわけ?」


 とりあえず、隣にいる紅美に問いかけると。


「えっ…あたしに聞かれても…」


 紅美は困った顔をした。

 …珍しいな。

 紅美、こういうのはズケズケと返してくれるはずなのに。


 家出から帰って以降…沙都と一緒にいる所を見ない。

 紅美と沙都は、絶対的なペアだと思ってたから…今日みたいな日に沙都がいないのは、あたしも違和感。

 だから、紅美も調子が出ないのかな…



「泉、まだキスした事ないの?」


 姉ちゃんが真顔で言った。


「あっあるよ!!キスぐらい!!」


 ば…

 ばか…あたし…

 なんでこんなにムキになってんの…?


「でも…上手いとか、そんなの分かんないじゃん。何が基準でそうなの?」


 とりあえず、冷静を保とうとして、そんな事を誰にともなく問いかける。

 すると…


「おまえら、声筒抜けだぞ。」


 笑い声と共に、兄ちゃんと聖、がくがやって来て。

 朝子が赤くなった。


「キスが上手い下手なんて、好きな相手となら何でも良く思えるって。」


 そう言う兄ちゃんの後で…聖が、相変わらず冷たい目であたしを見てる。

 それを見て、つい…


「好きじゃない奴としかキスした事ないから、分かんないや。」


 すねたような口調で言ってしまった…。





「おい。」


 姉ちゃんがわっちゃんとどこかに消えて…

 朝子と紅美が売店に行って…

 あたしは一人で、近くを散策でもしようと出かけた。

 そこへ…

 聖。


「…何。」


 聖は浴衣の袖に手を突っ込んで、ゆっくり歩いてくると。


「…悪かったな。好きじゃない奴とのキスが上手くなくて。」


 低い声で、そう言った。


「…別に聖の事だなんて言ってないじゃん。」


「じゃ、他にキスした奴いんのか?」


「……」


「ほら。」


「…なんなのよ…朝からずっと、あたしの事睨むような目で…」


「……」


「あたしが気に入らないなら、来なきゃ良かったでしょ。」


 聖に背中を向けて歩き出そうとすると…


「っ…」


 いきなり、腕を取られて振り向かされて。

 そばにあった大きな木に、押し付けられた。


「いっ…痛い…」


 背中はゴツゴツしてるし…

 掴まれた右手首も…痛い。


「おまえ…」


「……」


「園の事、酷い振り方したんだな。」


「……え?」


 聖の口から、とんでもない言葉が出てきた気がした。

 園…って…

 早乙女だよね…?



「あいつが勇気を振り絞って告ったのに、成功してから言え?もっと違う断り方なかったのかよ。」


「……」


 聖は、今まで聞いた事のないような口調で、あたしにそう言った。


「部屋に飾ってた絵…あれも、園にもらったらしいな。」


「あれは…」


「何が実家から持って来た、だ。おまえ、ほんと…」


「……」


「最悪な女だな。」


 最悪な女。

 聖にそう言われた事もショックだったけど…

 それ以上に、引っ掛かったのは…


「…分かんないじゃん…」


「…あ?」


「あいつが…早乙女が成功しないって、聖は思ってんの?」


「…は?」


「あたしは…こっぴどく振ったつもりなんてない。あいつには…才能があるって…あたしは信じてる。」


「……」


「だけど…どう考えても…あたしの方が無理じゃん…」


「…何がだよ。」


「あたしがあいつと付き合ったりしたら…父さんと母さん、絶対複雑な気持ちになるじゃん。」


「……」


「…離してよ。」


「……」


 聖はゆっくりあたしから離れると。


「…おまえ、園の絵が成功するって、本当に思ってんのか?」


 確認するみたいに、言った。


「するよ。」


 あたしは、断言する。


「…他の絵、見た事あんのか?」


「ないけど…分かる。」


「なんで。」


「なんで?」


 あたしは聖の目をじっと見て、言った。


「あんたは知り合いなのに信じないの?あいつの才能。」


「……」


 聖はバツが悪いのか、あたしから目を逸らした。


「…部屋帰る。」


 聖をその場に残して、あたしは駆け出した。



 ああ…もう。

 何だか泣きたくなってしまって。

 あたしは部屋には戻らず、そのまま風呂に向かった。

 浴衣を脱ぐと、背中に木のくずらしき物がたくさんついてて。

 フロントに電話して、替えの浴衣を持ってきてもらった。



 風呂には誰もいなくて。

 貸切状態。

 そこであたしは…


 早乙女を想って泣いた…。


 * * *


 〇二階堂 海


「…聖。」


 しゃがみこんでる聖に声をかけると。


「あ…」


 聖は『しまった』みたいな顔をして、立ち上がった。


「…もしかして…」


「悪い。聞いた。」


「……」


 外の空気を吸いに出たら、泉と聖がいた。

 盗み聞きをするつもりはなかったが、あまりの険悪なムードに、いつ間に割って入ろうかなどと考えている間に…


 …結局、盗み聞きか。



「…ちょっと、話せるか?」


 俺が庭園にあるベンチを指差すと。


「…はい…」


 聖はうつむいたまま、歩き始めた。



 …泉が、俺の父親が違う事を知った。

 というのは…何となく分かってた。

 あからさまに家族を避け始めて、一人暮らしをするって言った頃、何かあったんだろうな、と。

 だけど…


「泉から、相談されてたのか?」


 ベンチに座って問いかけると。


「相談って言うか…」


 聖は池の中に目を向けたまま、答えた。


「…俺の本当の父親が誰かって事も…知ってるみたいだな。」


「……」


「で、泉は…園…くんを好き…と。」


「……」


「…ま…確かに、どっちの親も気を使うだろうな。」


「…ですよね…」


 両手をベンチについて、空を見上げる。


「俺の…かすかな記憶では、空が産まれた頃って、俺、親父の事、名前で呼んでたんだ。」


「…え?」


たまき、ってさ。親父、おふくろの護衛してたから…俺も当たり前みたいに、二階堂の人間は呼び捨てしてたみたいで。」


「……」


「泉が産まれた時は…親父もおふくろも、空もいて。もう、ちゃんとした家族だった。小さくて可愛いなって、みんなで囲んでさ。」


「あいつ…小さかったんですか?」


「ははっ。意外とな。」


 本当に小さかった。

 空の時は、まだ自分が構ってほしいばかりで。

 突然やって来た得体の知れない赤ん坊に、少し戸惑ったのを覚えている。

 だけど泉の時は、生まれてきた妹に対する愛しさのような物があったのは確かだ。

 七つ違い。

 俺が成長したからこそ、そう思えたのかもしれないが…



「高校二年の時だったかな…親父と道場で稽古して、正座してる時に…さらっと言われた。」


「…稽古の最中?」


 聖が呆れたような声で言った。


「そんな大事な事、稽古の最中に?」


「あはは。確かに…今思うと、そうだな。」


 他には誰もいなかった。

 親父と二人で、打ち込みをして。

 他にも色々…仕事の話や進路について話したと思う。

 だけど、正座した瞬間…


「おまえの本当の父親は、早乙女千寿さんだよ。」


 親父が、さらっとそんな事を言った。


「……」


 無言で親父を見つめると。


「気付いてたんだろ?」


 親父は…穏やかに笑いながら言った。


「…そっか。やっぱり…」


 俺が小さくつぶやくと。


「出来た父親が二人もいて、贅沢者だな。」


 これまた…親父はさらっとそう言った。


「…それって、本当は俺が言わなくちゃいけないんじゃ?」


「おっ、言うつもりだったか?」


「いや…どうだろ。」


 早乙女さんとは、ほぼ会う事はなかったけど…全然なかったわけじゃあ、ない。

 でも、二人きりになるような事はなかったから、変に意識もしかった。

 だが、早乙女さんの奥さんとは、稽古でしょっちゅう一緒になって…むしろ、そっちの方が意識してしまった。

 俺の事、嫌じゃないのかな…なんて。



「早乙女さんの事を父親として意識した事はないけど、何となく…見守られてる感って言うかさ。そういうのはあって。」


「……」


「それまで特に知ろうとはしなかったけど、父親だと聞かされてから…早乙女さんの事を色々調べた。あ、いや、調べたって言うと聞こえが悪いな…まあ、調べたんだけどな。」


 俺が小さく笑うと、聖もさっきまでの固さをとってくれたように見えた。


「カッコいいっすよね…早乙女さん。」


「ああ…陸兄にライヴ映像借りて観たりもしたけどさ…普段からのギャップが凄いっつーか…」


「あ、分かる。普段は着物が似合いそうな感じなのに、ギター持つと動きがロックになるんすよね。」


「そうそう。これまた白いシャツに黒のベストと、レスポールが似合うんだよなあ…」


「あーっ!!もしかして、ビートランドの周年パーティーの映像っすか!?」


「おっ、観た?」


「観ましたよ!!ギター持つと存在感半端ないっすよね!!」


「そそ。腰落として構えてるだけなのに、なんか派手なんだよなあ…陸兄が言うには、普段は口数少ないから存在感消してるのかって思うぐらいだっつってた。」


「あの映像が世に出ないのがもったいないっすよねー…絶対男女問わず、メロメロにされちゃうはずなんだけどなあ。」


「あー、そうだなあ…確かに。」


 ビートランド所属のバンドの中で、SHE'S-HE'Sだけはメディアに登場しない。

 その昔、デビューしたての頃はアメリカでライブハウスに出たり、大きなロックフェスティバルに出演したと聞いた。

 帰国後も、PVで顔出し…なんて企画も持ち上がったらしいが、結局彼らは一度も顔を出していない。

 それについて…どんな理由があるんだろうとは思ってたけど。

 陸兄曰く。


「プライベートで騒がれるのが嫌なんだよなー。それで、みんなで話し合って決めた。ま、聖子なんかはチヤホヤされたいのにー!って愚痴ってたけどさ。」


 だそうだ。


 確かに…

 色々探られると…陸兄の実家…うちは、表向きヤクザだし。

 早乙女家と桐生院家の事を思っても、あまり騒がれるのは本意ではないかもしれない。


 アメリカでの功績も、ほぼ映像や写真は使われておらず、ある物に関しては会長である高原さんが回収したそうだ。

 だから、名前と音源だけは相当知られていても…全員のプライベートは守られているまま。


 仲のいいバンドメンバーは、活動休止中でも全員で集まっては。

 近況報告や世間話で笑い合い、新作に向けての意欲を高め合う…と。

 たまに陸兄が来ては、自分のバンドがどんなに素晴らしいかを語る。

 幼馴染みたいで、クラスメイトみたいで、家族みたいで、最高の仲間だ。

 彼らの事を話す時の陸兄は…

 誰も持ってない宝物を自慢する子供みたいな顔になる。



「陸兄とはタイプの違うギタリストですよね。」


「そうだな。陰と陽、静と動って感じかな…」


「あっ、まさにそれ!でもどっちもインパクト強いし、不思議とバランスがいいんすよね。」


 陸兄は、普段からムードメーカーでもあるし、ステージングも派手だ。

 まさに、陽。

 そして、動。

 強い光を放つタイプ。


 だけど早乙女さんは…自分はあくまでも、陸兄の影。

 そんな立ち位置を自ら強調する。

 陰で、静。

 それでも確立された存在感。

 立っているだけで、その雰囲気は人目を引く。

 穏やかな光を、そこから放つ。


「ははっ…なんか…」


「…え?」


「こんな風に、あの人の事を話すのって、初めてだ。」


「…そう…なんですか…?」


「んー…やっぱ、なかなか表立ってはな…。」


 親父の事を、尊敬している。

 仕事が出来て、家族や仲間を大事にして…俺自身、親父のようになりたいと思う。

 だが…

 早乙女さんには…

 憧れる。

 違う世界にいるあの人と、血が繋がっていると思うと…言いようのない気持ちになる事がある。

 …同じ血を引いた、詩生、園、千世子ちゃんに対しても…。



 背伸びをして立ち上がる。


「親父の事、すげー尊敬してるんだ。」


「…分かりますよ。泉、めっちゃ自慢してますもん。」


「そっか。」


「もー…ファザコンでブラコンで…敷居高い高い…」


「あはは。」


 聖は頭をブンブンと振って。


「…俺、泉の事…傷付けたかもです。」


 小さな声で言った。


「園と上手くいけばいいのにって思う反面、泉が園を振ったって聞いた時は少し嬉しかったし…なのに、なんで振ったんだって責めたり…」


「ま、恋愛はそんなもんだろ。」


「え。そんなもんでいいんですか?」


「悩め悩め。」


「よくも妹を!!とかは?」


「そんなに酷い事したのか?」


「う…いえ…」


「大丈夫。信じてるよ。泉も、聖も。傷付いたり傷付けたりしながら、仲良くしてくれればいいさ。」


「……」


「さ、そろそろ部屋戻るか。」


 夕暮れが迫って来て。

 俺と聖は部屋に戻る。

 そこでは、一人残されていたらしい学が大の字で爆睡中で。


「……」


 二人で、学の顔に落書きをした。

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