第8話 「はあ…」

 〇二階堂 泉


「はあ…」


 大きく溜息。

 四月後半から…あたしの生活が激変した。

 まず…

 大学に入ったのに。


『泉、大学辞めてアメリカに行ってくれない?』


 いきなり、母さんからそんな電話があった。


 そんなわけで、あたしはあれよあれよと五月から三ヶ月間、アメリカで研修を受ける事に。

 まあ…いつかは来ると思ってたから、それが早まっただけと思えばいいんだけど。

 結局、あたしはそこで頭の良さとか必要とされる能力を大いに発揮してしまって、大学を辞める事になった。

 また、数ヶ月後にはアメリカで仕事をすることになりそうだ。



 アメリカに行っている間は…日本からの情報は何も入らなかった。

 身内に不幸があったとしても、知らされないというその研修。

 普通は色んな覚悟をしてから行くのだろうけど。

 あたしは、明日の事を今日。って感じで言われて。

 何の覚悟もないままに、向こうに行った。

 でもまあ…それが良かったのかもしれない。

 自分でも知らなかった自分の能力にも、気付けた気がする。



 帰って来て驚いた事があった。

 華月が…事故に遭って、入院してる。

 帰国してすぐ、なぜかあたしの部屋でくつろいでた聖に、それを聞かされて。

 すぐに見舞いに行こうとしたあたしの手を取って。


「今行ったら詩生しおが居るから、明日にしろよ。」


 そう言った。


 …詩生…早乙女の…兄。


「…行ったらマズイの?」


「今、もめてんだよ。あいつら。」


「…そっか…」


 早乙女の兄…華月の事、ちゃんと好きなのか…。

 華月は、自分の気持ちに気付いたのかな…

 よく考えたら、彼には何の罪もない。

 華月と上手くいくなら…少し複雑だけど…祝福したい。



 …早乙女はー…元気かな…

 公園を通ろうかなとも思ったけど、わざと遠回りして部屋に戻った。

 …もう、あそこに居るとは限らないのに。



「ダリア行って飯食わね?」


「聖、バイトは?」


「今夜は入れてねーよ。」


「なんで?」


「……」


 聖はチラッとあたしを見て。


「ダリアに行きたかったから。」


 そっけなく、そう言った。


「……」


 自分の部屋だと言うのに、玄関にしか入ってない。

 荷物は実家に送ったから、明日取りに行くとして…ちょっと、服を着替えたい。

 向こうでずっとスーツだったから、さすがに着慣れたけど…息苦しい。



「着替えるから待ってて。」


「ん。」


 部屋に上がって、クローゼットを開ける。

 適当に着替えて、カウンターの上に置いてる卓上カレンダーに目をやる。


『帰国』


「……」


 別に、聖に知ってほしくて書いたわけじゃないけど…そう受け取ったかな…

 て言うか…


「ねえ、どうやって部屋に入ったの?」


 玄関のカギをかけながら言うと。


「何を今さら…」


 聖は目を細めて低い声。


「くれたじゃん。」


 聖はあたしにカギを見せた。


「…え?そうだっけ?」


「俺が部屋の前で待ってたら迷惑だ、って。」


 そ…そう言われたら…そんな事があったっけ。

 あたし、すごく忙しい時期で…


「ったく…」


 …もしかして聖、誤解してるかな…

 あたし、深い意味で渡してないけど…

 これって良くないよね…



 …でも。

 あたし、聖にはそばにいて欲しいって思ってる。

 自分の気持ちが良く分からないって言ってた華月が、早乙女の兄を選んだように…

 あたしも…

 聖を選ぶ日が来るのかな…


 * * *


「や。調子はどうかね。」


 わっちゃんが働いてる、大学病院。

 ここに…華月が入院してる。


 あたしは、すぐにでもお見舞いに来たかったんだけど…

 聖とご飯を食べに行った翌日。

 疲れが出たのか…寝込んだ。

 幸い一週間は休みをもらってたからいいんだけど、実家に荷物も取りに行けなくて。

 …聖が、甲斐甲斐しく看病してくれた。



 で、やっと…今日。

 どんな顔して会えばいいんだろう…って…ちょっと悩んだけど。

 華月のお見舞いにやって来た。


 華月は、うちの事情を知ってるけど…こんな時にいなくて、悪かったな…



「…来るの、遅いんじゃない?」


「仕方ないじゃない。アメリカ行ってたんだから。」


「アメリカ?いつから?」


 あたしは椅子を出して座って。


「五月から。仕事がさ、ここに来て急展開。あたしなんかは大学出なきゃダメだって言われてたのに、あまりの忙しさに、泉の手も借りたいっ!って。」


 紙袋の中から、オレンジを出して剥き始める。


「じゃ…大学、辞めたの?」


「うん。入学金、もったいなかったなあって。」


「これからも、アメリカなの?」


「ううん。研修に行ってただけなんだ。これからは、こっちでバリバリ働く。ま、現場があれば向こうにも行くけどね。」


「かっこいいなあ〜…」


「何言ってんの。はい。」


 剥いたオレンジを、華月に。


「あ、ありがと。」


「…あたしがいない間に、何かあったらしいね。」


 あたしが低い声で言うと、華月はあからさまに動揺した。


「…え?あ…あれは…」


「早乙女くん…だっけ?かわいそうだよ。」


「…ごめん…」


「あたしも見たけどさ、あれじゃ、誰でも怒るね。」


「…え?」


「あのポスターよ。宇野くんて、いい男だけど、ちょっと華月には合わないんじゃない?」


「……」


 ダリアに行きながら、聖から聞いた。

 華月をめぐって、早乙女の兄と宇野くんてモデルがバトルしたって。

 確かにあの二人…小旅行でも、一触即発ぽかったもんな…


 その原因となったポスターが貼られてるのを見て、あたしも絶句した。

 全裸に近い二人が、抱き合ってる…!

 そりゃあ、何も聞かされずにこんなポスター撮ってたら…あたしだって怒る。



「ぷぷっ…」


 いきなり、華月が噴出した。


「何よ。何笑ってんのよ。」


「だって、そのことなら…」


「おーっす。」


 あたしと華月が話してるところに……早乙女の兄。


「…あれ?」


 あたし、二人を見比べる。


 …もしかして…

 聖…!!

 この二人、上手くいってるのに、騙したなーっ!?



「あ、確か聖の…」


「え?」


「この間、ダリアに一緒にいなかったっけ。」


 げっ。

 見られてた⁉︎


「…いたけど、別に何でもないわよ。」


「つきあってんの?聖と。」


 華月があたしの顔をのぞきこむ。


「つきあってるわけ、ないじゃないっ!」


 つい…両手を握りしめて、立ち上がってしまった。


「あたしの理想は高いのよっ!あんな、誰かれかまわず襲ってくるような男、つきあうわけないじゃないっ!」


「……」


 あたしの剣幕に、二人は顔を見合わせて。


「つまり…」


 同時に、言った。


「聖に、襲われたわけだ…」


「……」


「……」


「………はい、これ。」


 あたしは静かに紙袋を早乙女の兄に渡して。


「じゃ。」


 病室を出た。


 う…

 うわあああああああ!!

 あたし、墓穴掘った?

 掘ったよね!!

 やっちまった感を引きずって、そのまま実家に荷物を取りに戻ると。


「ああ、いいとこに戻って来た。パイ焼いたよ。食べるでしょ?」


 姉ちゃんが、安心する笑顔で言ってくれた。


 * * *


「あのさ…」


 仕事も順調。

 プライベートも…

 順調。

 と言いたい所だけど…

 あたしは、ずっとモヤモヤしてた。



 早乙女にもらった絵を、外した。

 外したのに…

 勝手にやって来る聖が、それをまた元通りにする。


「なんでこれ?」


「えー?いいじゃん。俺は見てて落ち着くんだけどな。」


「…なんか、目障りなんだよね…」


「そっか?おまえの好きな色だろ?」


「……」


 つい、聖を無言で見つめる。


「…なんだよ。」


「ううん。」


「…これ、なんていう作家が描いたやつ?」


 ソファーに座って、顔を上に向けて聖が言った。


「…知らない。無名の画家。」


「ふうん…感じいいけどな。高そうな絵だ。」


「まさか。」


「いくらだった?」


「え?」


「買ったんじゃないのか?これ。」


「……」


 ヤバい。

 あたし…顔に出てる?


「…実家に…あったのを持ってきた。」


 嘘…

 ごめん、聖…


「へえ…」


「……」


「…泉。」


 ふいに聖に手を取られて…引っ張られた。

 無条件に、あたしの体はソファーにいる聖の膝の上に。


「もっ…もー!!何すんのよ!!」


「…まだ、はっきりしねーの?」


「…え?」


「前に…好きな奴がいる…かもしれないって言ってたろ?」


「……」


「まだ、俺じゃダメか?」


「……」


「…そっか。分かった。」


「え…?」


 聖はあたしを膝から降ろすと。


「…なんか、悪かったな。俺…しつこくて。」


 前髪かきあげながら…立ち上がった。


「…聖…」


「…俺、やっぱおまえの事好きだから…こういうどっちつかずみたいなの…」


「……」


「最初はそれでもいいって思ったけど…やっぱ無理だわ。」


 聖はそう言うと、ポケットから合鍵を出して…テーブルに置いた。


「聖…」


「…んじゃな。」


「待って…」


 聖の腕を取る。


「そんな…なんで?今のままじゃ…ダメなの?」


「…今のままって…」


「…あたし…聖に…すごく助けられたって思う。感謝してる。だから、これからもそばにいたいよ。」


「…おまえのそれって、好きとは違うんだよな?」


「え…えっと…」


「……」


 聖は小さく笑って。


「…俺に、都合のいい男でいろって事?」


 下を向いたまま…そう言った。

 …都合のいい男…


「そっそうじゃないよ!!あたしは…聖の事…」


「いいよもう。無理すんなって。」


「無理って…」


「…なんか、頑張ってたら…いつかは振り向いてくれんのかなってさ…勝手に思い込んでただけだから。」


「聖…」


「…ま…お互い、何もなかった…って事で。」


 聖はゆっくりとあたしの手を離して。


「仕事、頑張れよ。」


 低い声でそう言って…部屋を出て行った。


「…聖…」


 体の力が抜けて…あたしはその場に座り込む。

 あたし…あたし、聖に甘え過ぎてた…

 結局、傷付けてたんだ…

 ああ、もう…


 あたし…

 恋愛なんて、無理だ。


 * * *


「…こんにちは。」


 聖から合鍵を返されて。

 あれ以来…あたしは、仕事に没頭した。

 公園にも行かなかった。

 おかげで、早乙女の事も随分消化できて来たように思う。

 そう…感じてたのに…


「……どうも。」


 目の前に、早乙女。

 ここは、公園じゃないのに。

 あたしの、部屋の前なのに。

 なんで?

 なんでここにいるわけ?

 …一瞬、あたし…

 嬉しいって思った…?



「部屋には入れないわよ。」


 低い声で言う。


「あ…そんなつもりで来たんじゃないので…」


「何か用?」


 気のせいか…

 早乙女は少しやつれてるようにも思えた。


「泉さん…今、付き合ってる人いますか?」


「…は?」


 思いがけない事を聞かれて、あたしは口を開けたままになった。


「…聖くんと付き合ってるって…聞いた事があって…」


「付き合ってないよ。」


「……」


 早乙女は少しだけ…思いつめたような顔になって。


「…俺…」


 低い声で言った。

 …俺?

 こいつ…ずっと『僕』って言ってたのに…?


「俺、泉さんの事が好きです。」


「……」


「あの公園で…初めて見た時から…ずっと好きでした。」


「……」


「俺と…付き合って下さい。」


「……」


 何も…言葉が出なかった。

 あたしは今…すごく感激してる…自分と…

 ほら、チャンスよ。って…好きにさせて、こっぴどくふってやると誓った…あの決心を叶える時が来た…って思う自分とで…


「……あたし…」


 早乙女とは…本当に長い間会わなかった。

 たまに…遠くから見かけるぐらいはあっても。

 想いが膨らむのが怖くて…近付けなかった。

 なのに…早乙女は、ずっとあたしを好きだったの?

 そしてあたしも…抑えて消化したはずの気持ちが…まだ残ってるの?


 あたし、早乙女のこと…やっぱり好きなんだ。

 だって今あたし…聖の時には感じなかったぐらい、ドキドキして、泣きたいぐらい…


 だけど…


 ダメだよ。



「…初めて会った時から…三年経つわね…」


「…そうですね。」


「……」


 早乙女は…ずっとあたしを見てる。

 黒い髪の毛…白い肌…

 あたし…

 本当は、それに触れたい…



 あたしは…両手をギュッと握って。

 息を吸って言った。


「…色恋なんて、成功してから言いなさいよね。」


「………え…?」


 早乙女は…ポカンとした顔。


「成功したら、連絡して。」


「……」


「ああ、成功したと思ったら、あたしから連絡するわ。」


「……」


「…そこ、どいて。」


 あたしがそう言うと、早乙女はすごくうなだれた感じで足を動かした。


「…この場所、誰に聞いて来たの。」


「……」


「…まあ、いいわ…さよなら。」


 背中を向けたままの早乙女にそう言って、部屋に入る。

 カギを閉めて…そのまま玄関に崩れ落ちた。



 …好きって…

 あたしも、好きって…言いたかった。

 早乙女の胸に、飛び込みたかった。

 長く会ってないのに、それでもあたしの事好きって…泣きたいほど、嬉しかった。

 あたし…ずっとあいつに恋してたなんて…

 なんで…?



 なんで、早乙女なの…?


 なんで…




 兄ちゃんと…同じ血なの…



 * * *


 〇早乙女 園


「……」


 フラれた。

 泉さんに…フラれた。



 ここんとこずっと…調子が出なかった。

 何を描いても、先生に評価されなくて…

 スランプ。

 それも…深くて重い…



 ノイ先生に、恋をしろと言われた。


「ソノ、君ハ、恋ヲシテ、ソレヲ表現スルベキダ!!」



 …ずっと恋してたのに…

 しばらく会ってなかったせいか、だんだんと調子が悪くなった。

 描いてても…楽しくなくて…


 ノイ先生の言う通り、俺は…

 …俺、か。


 なんか…最近、気持ちまで荒れてる気がする。

 まあ、言いたいように言えばいいんだけど…



「はあ…」


 泉さん…

 成功してから言えって…最もな意見だけど…

 それって、拒絶するには体のいい断り文句だよな…

 俺の才能なんて…信じてないだろうし…



「…何やってんだよ俺…」


 下を向いてると、泣きたくなった。

 かと言って、フラれてすぐに上を向くほどのガッツはない。

 もう…明日から公園にも行かない。

 俺の恋は終わった。


 泉さん…

 本当に…

 本当に、あなたの事が…


 好きで好きで、たまらなかったのに…。


 もしかしたら…なんて。

 少しいい気になってしまってたのかもしれない。



 先週、聖くんが兄貴と一緒に帰って来た。

 話の延長で、どんな絵を描いてるか見せてくれと言われて…見せた。

 聖くんは、一枚の絵を前に…しばらく口を開けていた。

 そして…


「…泉の事、好きなのか?」


 兄貴が飲み物を取りに行っている間に…小さな声で聞かれた。


「え…えっ?」


「それと同じ絵が、泉の部屋に飾られてる。」


「え……」


「おまえがプレゼントしたんだ?」


「……はい。」


「……」


「…付き合ってるんですか?」


「え?俺と泉?」


「はい…」


「付き合ってねーよ。」


「…ほんとに?」


「ほんとに。おまえ…告ってみたら?脈あると思うぜ?」


「えっええ…え…っ?」


「いや、マジで。あいつ…」


「…?」


「…いや、うん。たぶん、おまえみたいなのタイプだから。」


「……」


「頑張れよ。」



 そんなエールを…真に受けた。

 俺…バカだ。

 泉さんと仲のいい聖くんが言うなら…って、そう思ったのかも…

 泉さんの部屋に、俺の描いた絵が飾ってあったと言われて…

 調子に乗った。



 今思えば…

 聖くんも、泉さんを好きなんだろうな…

 あの絵を見付けた時…

 かなり、衝撃を受けた顔してた。



 …泉さん…

 俺からもらった…って、言ってなかったんだ…




 あー…俺…



 明日から、何を励みにしたらいい?



 勝手に好きになって、勝手に想い続けて。

 勝手に調子に乗って、勝手に告白した。

 俺にどんな想いがあっても、泉さんには、そうでしかない。



 …忘れるしかない…

 そうだよ。

 この悔しさと悲しみを糧に、頑張ればいいんだ。

 …恋なんかしてなくったって…



 …描けるさ…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る