第4話 「…ったく、寒いっつーの。」

 〇桐生院 聖


「…ったく、寒いっつーの。」


 最近、泉を見かけない。

 もうすぐクリスマスだっつーし。

 寂しく一人で迎えるのは可愛そうだよなーと思って、誘ってやろうとしたのに…

 このクソ寒い中、毎日公園の下を通ってみるものの。

 ぜんっぜん、出くわさない。

 テスト期間は終わってるはず。


 …素直に華月に聞きゃいいんだろうけど…

 どうもそれは。

 なぜかそれが。


「できねー…」


 泉の実家の前を自転車で通り過ぎて、ふと、考える。

 …陸兄か麗姉なら何か知ってんのかな?


 そんなわけで、俺は向きを変えてペダルをこぎ始めた。

 用もないがくに会う事にしよう。



 冷たい風に顔を痛めつけられながら、泉の事を考える。

 あいつ…誰か好きな奴いるのかな。

 昔から全然好きな奴の話とか聞いた事ないけど…

 まあ、自他とも認めるファザコンでブラコンだからなー。

 だいたい、あそこの親父とか兄貴とか、ちょっといい男過ぎだよな。

 そういうのをずっと見て育ってちゃ、確かに…


「望みはないか…」


 独り言を言いながら辿り着いた陸兄んち。

 いつ見てもデカい。

 うちは、華道の家ゆえに?超和風のお屋敷で。

 敷地も広いし、それなりに家もデカいけど…

 やっぱ、陸兄んちみたいな白い洋風の家もカッコいいよなあ…

 地下にはスタジオもあるし、確か風呂も馬鹿デカかった。


 ピンポーン


 シーン。

 …なんだ。

 誰もいないのか。


「…ん?」


 ガレージの入り口を見ると…これは…


「……」


 ピンポーンピンポンピンポン


『…はいっ、誰っ』


 やっぱ、紅美がいた。


「あ、俺、聖。」


『…聖くん?何?』


「学いる?」


『学?まだ帰ってない。』


「じゃ、陸兄は?」


『いないよ。』


「麗姉は?」


『本家行ってるから、帰ったら会えるよ。じゃあね』


「おーいおいおい…」


『何。』


「…沙都さといんだろ?」


『……』


「寒いから、入らせてくれよ。」


『……五分待って。』


 まったく。

 こいつら。


 紅美は俺より二つ年下のイトコ。

 同じ桜花に通ってるけど、学校で会う事はほとんどない。

 沙都は、桜花の中等部三年。

 じいさんも親父さんも兄貴もバンドマンで、沙都ももれなくバンドを始めた。


『大好きな紅美ちゃん』と一緒に。



 小さな頃から紅美の後をくっついて歩いてた沙都。

 気が付いたら、エロい目で紅美を見るようになってて…

 気が付いたら、あの二人は暇さえあれば寝るような関係になっている。

 いつだったか、興味本位でがくれつ沙都さととで初体験がいつだったか、暴露大会をしたら…


「…13…」


 沙都の告白に、俺たちは口を閉じた。

 それでも付き合ってるわけじゃないと言い張る二人。

 …どうなんだよ。

 …って、まあ…俺も初めての相手は、彼女じゃなかったけど…。



「…どうぞ。」


 紅美が『いい所だったのに』と言いたそうな顔でドアを開けた。


「昼間っから…沙都は?」


「風呂入ってる。」


 紅美は冷蔵庫からビールを取り出すと、ゴクゴクと音を立てて飲んで。


「ぷはーっ。」


 …おっさんかよ。

 濡れた髪の毛。

 …風呂でやってたのか。

 くそー…う…羨ましい。

 いや、別に紅美としたいわけじゃないけど…。



「何か用?」


「ああ…おまえ、クリスマス暇?」


「は?」


 ソファーに座ると、足元に沙都の制服。

 …おい。


「暇なわけないじゃん。大忙しだよ。」


「だよなあ。」


「何、何かあるの?」


 紅美は片手にビール、片手にマグカップを俺に見せる。


「別に何かあるわけじゃねーけど…空いてる女いねーかなと思って。コーヒー。」


「空いてる女って。誰でもいいのー?」


「誰でもいいってわけじゃねーけど…紅美、誰か友達で暇そうな奴いねー?」


「あたしの友達に手出すのやめてよね。って…そんなに友達いないけど。」


 コーヒーを入れる紅美の後姿を眺める。

 …ほんとこいつ、スタイルいいよな。

 背は高いし、ウエストくびれてるし、胸もいい感じに…


「はい。」


「お…おお、サンキュ。」


「で?本当は何が聞きたいの?」


「…は?」


「聖くん、何か探り入れに来たんでしょ。」


「なっ…」


 わ…忘れてた。

 こいつ…こいつには、人並み外れた洞察力があるんだった…

 落ち着け、落ち着け俺…


「…実は…」


「うん。」


「最近、華月の帰りが遅くてさ。」


「…華月ちゃん?」


「ああ。それで、ちょっと…姉ちゃんもだけど、詩生しおが気にしててさ…」


「詩生ちゃん以外に誰かいるんじゃないかって?」


「ああ。」


 詩生。

 すまん。


「あー、心配いらないっしょ。それ、泉ちゃんちじゃない?」


「は?二階堂の本家?」


「ううん。泉ちゃん、一人暮らし始めたんだよ。」


「……え?」


 泉が一人暮らし?

 あの、ファザコンでブラコンの泉が?


「……これが聞きたかったんじゃないのぉ?」


 ふいに紅美が目を細めて言った。


「なっなんでだよ。て言うか、俺、そんなにその子の事知らないし。」


「知らないから気になるんじゃない?」


「関係ないね。俺の好みはロングヘアーのおとなしい子だから。」


「ふうん。じゃ、泉ちゃんがショートカットでハツラツとした子だってのは知ってるんだ。」


「…〜…」


 く…くっそお…

 紅美め…


「大丈夫。誰にも言わないから。」


 紅美は少しドキッとするような笑顔を俺に近付けて。


「住所教えてあげるから、もう帰ってくれる?」


 早く風呂場に行かせてくれと言わんばかりに、そう言った。


 * * *


 〇早乙女 園


「はあ…」


 なぜか…

 公園で、泉さんに会わなくなった。

 携帯の番号を教えてもらったものの、僕はそれを使う事はなかった。

 暗記もしていると言うのに…!!


 デッサンも進まないし…

 寒いし…

 帰るか…

 と思ってると。


「ちょっと。」


 背中に来た、この声は…


「あ…」


 僕はきっと、嬉しそうな顔で振り向いてしまったと思う。

 だけど…

 そこにいた泉さんは、すごく不機嫌な顔。


「…な…なんでしょ…う。」


「どうして電話して来ないのよ。」


「………え?」


「番号渡したのに。」


「……いえ…あの、えーと…」


 え?え?

 電話しろって事だったんだ?

 いや、でも…


「その…僕、携帯持ってないんで…」


「家に電話ぐらいあるでしょ。」


「はあ…でも、なんて言うか…」


「……」


「……」


「もういい。」


「えっ!?」


 くるっと向きを変えて、歩き出す泉さん。

 僕は片付けかけてたイーゼルをそのままにして、泉さんの後を追う。


「もういいって、どっどういう…」


「あんたとは口きかない。」


「えっ…!?」


 どー…

 どうして!!


「なっ何か気に障るような事が…うわっ!!」


「ぎゃっ!!」


 追いかけてるうちに、僕は泉さんに近付きすぎた。

 右のサンダルがすっぽ抜けて躓いてしまって。

 泉さんと、もつれるように転んでしまった。


「い…いったいなあ!!もう!!」


「す…すみません…ほんと…」


 メガネ…あれ、メガネ…


「……」


「……」


 顔を上げると。

 至近距離に…泉さんの顔が…

 え…

 これって…


 バッ。


 唇が触れそうになって、僕は慌てて立ち上がった。

 足元にメガネがある事に気付いて、急いでそれをかける。


「すっ…すみませんでした!!お怪我は…ない…ようですね。僕、これで…失礼します!!」


「はあ?」


 急いで立ち去ろうとすると、すごく低い声が聞こえた。


「……」


「足が痛い。」


「えっ…」


 しゃがんで泉さんの足を見ると…


「ち…血が出てます…」


「見ればわかるわよ。」


「あっ…と、それじゃ…ちょっと失礼します。」


「…えっ。」


 怪我させてしまった!!

 なんて事!!

 僕は泉さんを抱えると。


「少し揺れますが、我慢してください。」


「ちょ…ちょっと!!これ何!!おろしてよ!!」


「すぐですから!!」


 全速力で、家に帰った。



 * * *


 〇二階堂 泉


「……」


 馬鹿じゃないの…こいつ。


 あたしはなぜか、早乙女家のリビングにいる。

 そして早乙女は…転んで擦りむいた、あたしの膝を消毒して。


「大は小を兼ねると言いますから。」


 嫌がるあたしに、そう言って。

 やたらデカいバンソーコーを貼った。

 て言うか…

 やだな。

 早く帰りたい。

 …気持ちが、ざわざわする。



 ここは、兄ちゃんの実の父の家。

 兄ちゃんとこいつは…血の繋がった、腹違いの兄弟。

 …ああ、考えるだけでムカつくのに、こんな奴に抱きかかえられてしまった。


 それにしても…顔が近付いた時…あたし、何しようとしたんだろ。

 間近で見た顔が、すごく整ってるな…って。

 ちょっと見とれてしま…



 いやー!!なしなしなしなしなし!!

 そんなの絶対ない!!


 …それより…


 ムカつく。

 こいつ…あたしの顔が近付いた時、すごい勢いで立ち上がりやがった。

 何よ。

 あたしとキスしたくないの?

 あたしの事、好きなクセに。

 …って、もしかして、違うのかな…

 だいたい、あたしって恋愛経験ないんだから…そういうのに詳しくない。


 …でも!!


 あたしを前にすると、狼狽えてるもん。

 …好きだよね?



「…痛みますか?」


 早乙女が何やら豪勢なトレイに、立派な湯呑や茶菓子を載せて来た。


「…痛い。」


「本当、すいません。」


 カチャン。

 食器がぶつかる音を、キレイだなんて思った事なかった。

 …きれいな手してるな。

 髪の毛も…艶々。

 まつ毛…ながっ。


「…あ…あの…」


「は?」


「な…何か…聞きたい事でも…?」


「あ?なんで。」


「その…ずっと…見てらっしゃるので…」


「…何自惚れてんの?別にあんたを見てるわけじゃないし。」


「す…すいません…」


 ふっ。

 おもしろい。

 ガッカリすればいいのよ。

 あんたがどんなにガッカリしても…きっと、あたしのこの心の傷とはくらべものにならないわ。



「…お茶、どうぞ。」


「……」


 内心、うわ…って思った。

 湯呑み!

 高そう!

 ゴツゴツした形で、すごく深い緑…

 確か…こいつの父親の実家って、茶道の家って話だ…

 て事は、湯呑みもお茶も、すっごい高いやつとかなのかな…


 なんで、こんなの出すのよ!

 緊張するじゃない!


 喉は渇いてるから、お茶は飲みたい。

 だけど緊張のあまり、何だか余計喉が渇く気がする。



「…あの…」


「何。」


「…いえ、いいです。」


「そういうの、気持ち悪い。」


「あ、すみません。」


「何よ。」


 あたしが目を細くして言うと。

 早乙女は少し照れ臭そうに。


「好きな色は、何ですか?」


 って言った。


「…は?」


「好きな色。」


 なんでそんな事聞くんだ。

 そう思いながらも…


「…ピンク。」


 小さな声で答える。

 らしくないって言われそうだけど、あたしは薄いピンク色が好き。

 …それより、さっさと帰ろう。


「…やっぱり。」


「…は?」


 あたしがゴクゴクお茶を飲んでると、早乙女が言った。


「泉さんに、ピッタリです。薄桃色。」


「……」


 ただ、ピンクって言っただけなのに。


 …本当…


 何なの、こいつ。


 * * *


 〇早乙女 園


「はー………」


 ベッドの上、伸びるようにうつ伏せになる。

 泉さんは、家の人が帰るまでにお暇します。って帰って行った。

 …もうちょっと…一緒に居たかったな…


 特に何かを話すわけじゃなかったけど…

 僕の入れたお茶を、ゆっくり飲んでる泉さん…

 可愛かったな…

 しかも…

 僕が家族旅行先で作ったお湯呑み。

 すごく大切そうに、包み込むようにして、飲んでた…。



「……」


 ふと、泉さんを抱きかかえた事を思い出して…


「うわー!!」


 赤面する。

 僕、すごい事しちゃったよ!!

 女の子を…女の子を抱えるとか!!

 …軽かった。

 触れてしまってた足とか…スベスベだった…

 髪の毛から…いい匂いもした…


「ぎゃー!!」


 ベッドの上で、枕を抱きしめて二転三転。

 ああ、本当…ヤバい…


「…何やってんだ?おまえ…」


 気が付くと、少しだけ空いた部屋のドアの隙間から、兄貴が顔を覗かしてる。


「なっ何でもないよ…」


 ベッドの上に正座すると。


「楽しそうだな。彼女でもできたのか?」


 珍しく…部屋に入って来た。



 僕と兄貴は二つ違い。

 知り合いの兄弟は、名前で呼び合ったりしてるけど…

 僕はずっと『兄貴』と呼ぶ。

 うーん…なんて言うか…

 見た目は僕の方が上に見えるんだけど…

 我が家は昔から、年功序列って言うか、上下関係って言うと会社や部活みたいに聞こえるけど、そういうのが徹底してる。


 最年長は母さんだけど、家長である父さんを必ず立ててるし。

 古いかもしれないけど、家族がそろう時は、父さんがいただきますって言うまで誰も食べ始めない。

 お風呂だって、父さんが一番風呂だ。

 だから、兄貴に『お兄ちゃんだから我慢しなさい』なんて事もなかったし…

 ただ、挨拶はきちんとしろ。と、それだけはうるさく言われたかな…



「兄貴は?華月さんとどうなってんの?」


 正座したままで問いかける。


「あー…どうなってんだろうなあ。俺が聞きたいよ。」


「なんだ。連れて帰ったから、いよいよ付き合ってるのかと思ったのに。」


「うーん…あいつ、鈍いからな…」


 そうやって唇を尖らせる兄貴の顔を見て。

 そんな顔をしてもカッコいいなんて、反則だなあ。なんて思った。

 僕が同じようにしたら、ひょっとこだよ。



「そう言えば、クリスマスはどうする?」


 兄貴が頭の後で手を組んで言った。


「はっ…そう言えば、そんなイベントが…」


 我が家ではパーティーみたいな催し物をしないが…純和風のリビングに若干不釣り合いなツリーが飾られて、そこにそれぞれプレゼントを置いておく。

 という…何となくアメリカにかぶれたような事を、昔からやっている。

 そこには、数年前まで、伝説の爺さんと呼ばれる人からのプレゼントもあった。

 父さんの実の父親。

 父さんは若い頃、アメリカで伝説の爺さんと暮らした事があるって言うから…もしかしたら、その時の名残でもあるのかな?



「俺、今年は仕事が入るかもしんないから、プレゼントだけは先に買っとくよ。」


「うん。分かった。」


「チョコが友達とクリスマス会するとか…」


「…聞いてないなあ…」


「そっか。去年は事務所のクリスマス会に連れて行ったけど、何かリクエストあるか聞いておくよ。」


「うん。買い物がいいって言ったら僕が付き合う。」


「OK、よろしく。じゃあな。」


 兄貴はそう言って部屋を出て行った。


 …クリスマスかあ…

 泉さんは、どんなクリスマスを過ごすんだろう…

 誘ってみたいけど…



「あっ。」


 そこで突然、ある事を思い出す。

 公園にイーゼル忘れた。


 慌ててガレージから自転車を出して…

 ああ、最近乗ってなかったからか、変な音がする。


 キコキコキコ…


 公園にたどり着くと、そこには誰もいなくて。

 だけど、僕のイーゼルと折りたたみの椅子が、木のほとりに立て掛けてあった。

 …誰だろう…

 僕はそれらを、荷台にくくりつけて。

 変な音のする自転車で、家に帰った。

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