第3話 「コノ、何ボンヤリしてんの?」

 〇朝霧好美


「コノ、何ボンヤリしてんの?」


 お昼休み。

 窓辺にもたれて外を眺めてると、ふいに、音が隣に座った。

 クリスマスを控えて、教室のいたるところで手編み物をしてる女子の姿。

 なんだか、気忙しい。


「…あたしだって、考え事ぐらいするんだけど…」


 あたしは、頬杖ついたまま、目線だけ音に向ける。


「そういう音こそ、今日元気ないじゃない。」


「…わかった?」


「何。」


 音は大きくため息をつくと。


「あいつさ、パリに行くんだって。」


 って、あたしと同じように頬杖をついて言った。


「あいつって…園ちゃん?」


「そう。」


「修行に行くの?」


「何かさ、見込まれたんだって。その筋の人に。」


「すごいじゃん。」


「…すごいんだけどね…」


 パリか…

 確かに、すごいけど遠い。

 女子高生が恋愛するには、超遠すぎる。


「で?コノは何でため息ついてたの?」


 音が、あたしの前髪を人差指ではねる。


「…今までさあ…」


 あたしは、気の抜けたような声で話始める。


「うん?」


「今まで、何とも思ってなかった人を、急に好きになるってこと…ある?」


 あたしの言葉に、音は一瞬キョトンとして。


「あたしは、そうなった人だけど?」


 真顔で答えた。


「あー…そっか。そうだよね…」


「何。誰を好きになったのよ。」


「……」


「この間まで拓人拓人って言ってたのに。」


「それは音もじゃない。」


「で、誰?」


「……」


 音の目をじっと見て。


「…秘密。」


 あたしは笑ってみせる。


「何それ。ま、彼氏が出来たら紹介してよ。」


「ふふっ。そうね。楽しみにしてて。」


 ああ…

 クリスマスまでに彼氏が欲しい。

 あたしの今一番の悩みは、コレ。


 好きになってるのは華音かのん君だけど、クリスマスまでに彼氏になってもらうには…無理っぽい。

 だったら、クリスマス用に…適当に相手を見繕うしかないか…


「う〜ん…」


 窓の外を眺めては、唸ってしまう。

 そんなあたしを見た音は。


「午後の授業サボって、うちでテレビでも見ない?」


 楽しい提案をしてくれた。



 * * *


 〇浅香 音


「へええええ…音、園ちゃんと最後までいっちゃったんだ。」


 コノは、想像以上に驚いた。


「…うん。だから余計…なんて言うか…やり逃げされる感じで嫌なのよ。」


「…上手かった?」


 二人きりだと言うのに、コノは小さな声。


「…ビックリするぐらい。」


「ええーっ!!園ちゃん、どこで鍛えてたんだろ。」


 …初めてだった。なんて…言えない。

 本当に初めてだったかなんて、分かんないし。


 あんなに上手いなんて、絶対どこかで誰かに相手してもらってたに決まってる。って思うあたしと。

 あたしの事を想って優しくしてると、そうなったって言う園ちゃんの気持ちを信じたいあたしとが…


 超、葛藤。



「なんか、絵ばっかり描いて、女には興味なさそうだったのにね。園ちゃん、今まで彼女とかいたのかな。」


「…どうだろ。」


 好きな人がいた。

 あの言葉を思い出すと、チクチクしちゃう。


 こないだの個展で、絵がバカ売れして。

 園ちゃん…なんだかすごく自信がついたのか…男っぽさに磨きがかかった。

 相変わらず、変わった服着てるけど。

 それも、個性と言うか…

 そういうセンスが好きな人には、たまらなくオシャレに見えるらしい。


 まあ、身長もあるし、あの黒い長髪に丸いメガネ…

 あたしだって、気付いたら園ちゃんにメロメロになってて。

 あれから…何度か園ちゃんの部屋でセックスしたけど…

 もう、離れたくなくて…会うたびに、あたしが園ちゃんを欲しくてたまらない。


 だけど園ちゃん…

 そんなあたしを置いて、パリ行きを勝手に決めるなんて…


「……」


「えっ、ど…どうしたの!?」


 コノが慌ててる。

 あたしが急に…泣き始めたから。


「…だって…園ちゃん…」


「…うんうん…そうだよね…勝手に決めちゃうなんて…ひどいよね…」


「あたし…今年のクリスマスは…園ちゃんと二人で居られるって思ってたのに…」


「えっ、クリスマス前にパリに行っちゃうの?」


「うん…」


「ひっどーい!!」


 コノはそう言ったかと思うと。


「あたしの大事な音に、そんな仕打ち…許せない!!」


 立ち上がって、あたしの部屋を出ると階段を駆け下りた。


「…コ…コノ?」


 ティッシュで涙を拭きながら、階段の下を気にしてると…

 続いて、けたたましく階段を上がって来て。


「あたし、今から話しつけてくるから!!」


 そう言って、自分のバッグを持って部屋を出た。


「えっ、話をつけるって…えっ?コノ!?」


 あたしの声も聞かず、コノはうちを出て行ってしまった。

 え?え?話をつけるって…どういう事!?

 オロオロしながら、どうしようと思ってると…


 キコキコキコキコキコキコ


 …この音…


「音!!」


 バーン。

 インターホンも鳴らさず。

 コノが出て行って鍵が開いたままになってた玄関から、園ちゃんが入って来た。


「…え?」


「音、平気?大丈夫?」


「え?え…何?」


「コノちゃんから電話があったんだ。音が具合が悪くて死にそうって…」


「…死にそう…」


「……」


「……」


 死にそうにしては…あたし…立ってるし…

 園ちゃんは乱れた髪の毛をかきあげながら、息を整えて。


「…嘘?」


 あたしに、聞いた。


「…死にそうだよ…」


「え?」


「…クリスマス…一緒に居られると思ったのに…」


「…音…」


「園ちゃん、本当にあたしの事好きなの?」


「なっ何今さら…」


「だって、パリの話だって…あたしに何の相談もなく決めちゃって…」


「それは…俺の仕事の話だからと思って。」


 カチン。


「…あたし、許嫁だよね。」


「…うん。」


「結婚するんだよね?あたし達。」


「うん。」


「だったら、園ちゃんの仕事はあたしにも関係あるよね。」


「…うん…」


「なのに、俺の仕事の話だから、って。勝手に決めちゃって良かったわけ?」


 もう、止まらない。


「…じゃあ、俺が相談したとして、音は賛成してくれてた?」


「なっ…そんなの、してくれなきゃ分からない!!」


「今の様子だと、丸っきり反対してるよね。」


「それは、話してくれなかったのが悲しいからよ!!」


「…それは、ごめん。」


「……」


「でも、俺の夢でもあるから…」


「…もう、いい。勝手に行けば。」


「音。」


「…何なのよ…」


「音…」


 涙が、止まらない。

 分かってる。

 ううん、分かってない。

 園ちゃんの夢。

 うん…大事だよ…

 でも、あたしは、まだ高校生で…そんな、大人になれない…



「なんなのよ…こんなに好きにさせておいて…勝手に…勝手に遠くへ行くとか…」


「音…」


 園ちゃんが、あたしを抱きしめる。


「…そう言ってくれて…嬉しいよ…」


 嬉しい…!?

 こいつ今、嬉しいって言った⁉︎

 あたしが…

 あたしが、こんなに悲しんでるのに⁉︎


「俺、頑張るから…」


「ば…」


 あたし、園ちゃんの胸に腕をついて突き飛ばすと。


「バッカじゃないの!?」


 怒鳴った。


「…え?」


「あたしを悲しませてるのに、嬉しいとか…あり得ない!」


「で…でも、いつかは帰って来るし…」


「ああ、あああああ。行けば。園ちゃんが帰ってくる頃には、いい男と結婚してるかもしれないけどね。」


「ど…どうしてそうなるんだよ。」


 あたしの剣幕に、園ちゃんは狼狽えながらも…言葉を出して来る。


 …今までの彼氏は…

 ケンカして、あたしがまくしたてるように怒ると、みんな言葉を無くしたり。

 呆然として、何言ってんのか、分かんなくなったり。

 ただひたすら謝るっていう、腰抜けばかりだった。


 …ほら、園ちゃんて…

 やっぱ、あたしが求めてた人なんだよ…



「何言ってんの!?あたしの誕生日が来たら、結婚するって約束はどうなったのよ!」


「それは…やっぱり音が卒業してからの方がって…親同士が…」


「何それ!そんなの、あたし知らないもん!いつプロポーズしてくれるんだろうって待ってたのに、全然だし!どうしてそこで、今すぐあたしをパリにつれて行きたいからって言ってくれないのよ!」


「そんな無理強いできないよ。」


「もう!嫌い!園ちゃんなんか嫌い!出てって!」


「音。」


「何よもう!園ちゃんなん…」


 強引に腕を取られて、キスされた。

 も…もう!ずるい!この男!

 キスすれば、あたしが言う事聞くって…


「…ごめん…」


 園ちゃんはあたしをギュッとして。


「俺だって…寂しいよ。」


「…嘘。」


「嘘なもんか。」


「どうせ、園ちゃんは…」


「どうせ?」


「あたしより…前に好きだった人の事、まだ好きなんでしょ。」


「どうして、そんな事?そんなに俺の事、信用できない?」


「…できない。」


 あたし、ゆっくりと園ちゃんから離れる。


「…もう、疲れた。」


 ゆっくりと二階に上がる。


「音。」


「もう無理。さよなら。」


「…お土産、楽しみにしてて。じゃ。」


 え。


 ちょ…ちょちょちょ…

 ちょっと待ってよ!


 パタン。


 玄関のドアが閉まる音。

 振り向いてスリッパ投げてやろうとしたのに。

 園ちゃんは、さっさと帰って行ってしまった。


 …なんなのよ!

 もう、ほんとにあたし…好きな男作るから!



 * * *


 〇早乙女 園


「…確か、約束したのって十日ぐらい前よね。」


 目の前で…低い声を出されてしまった。


 音に、もういいって言われて、すごくショックだったけど。

 あたしより前に好きだった人の事、まだ好きなんでしょ。

 そう言われて…確かめるために、会う事にした。


 …あんなに好きだったのに…

 目の前にいても、ときめかない。



「あの時は…すっぽかして、すみません。」


「あの時だけじゃないよね。電話にも出なかった。」


「あー…実は…」


「何。」


「…彼女が、嫌がって。」


「はあ?」


「俺、バカ正直に…前好きだった人に会いに行くって言っちゃったもんで…」


「……」


 目の前の泉さんは、口を開けて俺を見た。


 二階堂 泉さん。

 俺が…ずっと片想いしていた人。



 昔、公園で絵を描いてて…時々見かけていた女性。

 名前も知らない。

 だけど…恋をした。


 勝手に恋をして、秘めていた気持ち。

 それがある日、思わぬところから名前を知ることとなった。

 兄の彼女である華月さんが、その女性と一緒にいた。



 泉さん。

 ピッタリの名前だと思った。

 快活でサバサバしていて、少し男っぽい所もあるけど、とても優しいんだよ。と、華月さんが自慢の友達だと話してくれた。


 だけど俺は…見つめる事しかできなかった。

 どこか人を寄せ付けないオーラを感じたからだ。



 しかし知れば知るほど、泉さんが意外に近い存在である事が分かった。

 親父がギターをしているバンドSHE'S-HE'Sのもう一人のギタリスト、二階堂 陸さんの姪っ子だったなんて。

 もしかしたら、どこかで接点はあったかもしれない。



 初めて声をかけた時…

 名乗った俺に対して、泉さんは眉間にしわを寄せて。


「ああ、いつもあそこで絵を描いてる人ね。」


 なぜ?と思うような、冷たい顔をした。

 だけど…なぜか携帯の番号は教えてくれた。

 まあ、俺から連絡するなんて…あり得なかったけど。



「俺が告白した時…色恋なんて、成功してから言えって。」


「ああ、言ったね。」


「あれで、奮い立つ事ができました。」


「……」


「色んなプレッシャーから、何も描けなくなっていた時期だったんです。別に、泉さんにどうこうしてもらいたくての告白じゃなかったんですけど…無性に気持ちが伝えたくなって…」


「で、告白したのはいいけど、ピシャリと断られたから、すぐ次に行ったって事だよね?」


 泉さんはコーヒーを飲みながら冷たい声。


「…まあ、そうなりますよね…」


「あたしさ。」


「…はい。」


「あなたが、あたしをずっと見てたの、知ってた。」


「…え?」


 思いがけない言葉。


「知ってた。だけど、名前聞いて…」


「はあ…」


「無理だなって思ったの。」


「…無理だな?」


 意味が分からなくて、泉さんの言葉を繰り返すだけ。


「…あたし、家族の事、大好きなんだよね。」


「…はあ…」


「特に、お兄ちゃん。」


「お兄さん…ですか。」


「うん。ブラコンなの。」


「…はあ…」


「……だから、なんか無理だって思った。あなた、何となくお兄ちゃんに似てるから。」


「……」


 良く分からないけど…

 兄に似てるから、って、選ばれなかったわけだ…。



「彼女って、どんな子?」


「あー…浅香さんとこの娘さんです。」


「え?じゃあ、お母さんは聖子さん?」


「はい。」


「あはは…もしかして、親が決めた許嫁制度?」


「まさにその通りです。」


「…それでいいんだ?」


 ドキッとした。

 泉さん…なぜか、真剣な目…


「…昔の約束だと思ってましたが、打ちひしがれた時に再会して…」


「ちょうど良かったってわけか…」


「て言うか…うーん…彼女、すごく俺にないものばかり持ってて…楽しいんです。」


「……」


「実は俺…パリに留学する事になってて。」


「えっ。」


 泉さんは、驚いた声と共に…カップをソーサーにぶつけた。


「あっ、ああ…ごめん。」


「大丈夫ですか?」


「うん……彼女、平気なの?」


「…勝手に決めちゃったんで…泣かれました。」


「勝手に決めた?そりゃ泣くよ。」


「…その辺…俺、まだまだ女心が分かってないですね…」


「…あなたには、一生分からないと思う。」


「え?」


「ううん。ま、上手くやれば。絵描きなんて不安定な職業。結婚してくれるって女の子は貴重よ。」


「そうですね…」



 もう、いい。って言われた。

 音の声を思い出すと、胸が痛い。



「じゃあね。」


 泉さんは立ち上がると、伝票を持った。


「あ、俺が払います。」


「餞別よ。安上がりで済んでいいから。」


「…ありがとうございます。」


 そのまま、泉さんの背中を見送った。

 あんなに…恋い焦がれた人なのに…

 今、音に会いたい。



 …音に会いたい。

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