第2話 「やあ。」

 〇王寺善隆


「やあ。」


 桜花の校門の前で、浅香 音に声をかける。


 …どうしても会いたくて仕方なくなった。

 …認めなくてはならない。

 俺も、他の男達と同じだと。

 浅香 音、おまえはいい女だ!!



「待ってたんだ。一緒に帰っていいかな。」


「えっ、あー…それは…」


「いいのー?音。」


 不意に、俺の右隣に朝霧好美がヒョッコリ現れた。


「あ…君は…」


「音の幼馴染。朝霧好美です。よろしくね王寺君。」


 ニッコリ。

 …うん…顔は…実はこっちの方が好みなんだよな…


「あ…あ、よろしく…」


 つい、どもってしまった。

 緊張すると、どもるクセ…

 王寺グループの跡継ぎとしては、一日も早く克服しなくてはならない難クセだ!!


「園ちゃん、迎えに来るんじゃないの?」


「ソノちゃん?」


「あー…そうだった…」


 この流れからして…浅香 音の彼氏か。

 …うん。

 会ってみたい。


「音ー。」


 キコキコキコキコキコキコ。


 変な音が聞こえて来て、それが自転車だと分かった時…

 そして、それに乗ってる変な恰好をした男が…浅香 音の彼氏だと知った時…

 俺の中で、妙な優越感が…!!


「コノちゃんの彼氏?」


 浅香 音の彼氏は、事もあろうか、俺を朝霧好美の彼氏と間違えやがった…!!


「うふ。そう見える?」


「!!」


 朝霧好美!!

 ななななっなぜ俺と腕を組む!!

 校門の周りから、罵声のような物が聞こえたが、朝霧好美はお構いなし。

 …うちの女子たちには、こんな太い神経はない。


「お…王寺善隆です…」


 何とか、酷くどもらずに言えた。

 落ち着け、落ち着け俺。

 腕を組まれているだけだ。

 しかも、なんとも思っていない相手だ。

 クールに…クールに…


 でも…この、腕に当たってるのは…

 あ…朝霧好美!!

 胸を押し付けるな!!胸を!!



 * * *


 〇朝霧好美


「早乙女さんは、何をされてる方なんですか?」


「僕?僕は絵描きなんだよ。」


 ふふっ。

 園ちゃん、、より、、の方が似合ってるわよ。


「絵…描き?」


「うん。」


「それって…」


 王寺君は園ちゃんの恰好を上から下まで眺めて。


「売れない画家…ってやつですか?」


 ズバリ、失礼な事を言った。


 あたしはそのやり取りを、王寺君と腕を組んだままの状態で聞いている。

 音はと言うと…

 王寺君のあまりの失礼さに、目が細〜くなってる。


 王寺君、いいの?

 音、怒ると怖いよ?


 時々、甘えた目で王寺君を見てみるも。

 王寺君は全然あたしの顔を見ない。

 何よ何よー。

 こんなに胸を押し付けて、腕組んでるのにー。


 まるで、心頭滅却すれば火もまた風の如し。みたいな顔。

 …あれ?火もまた氷、だっけ?

 ま、いっか。


「どんな絵を描いてるんですか?」


「色々だよ。風景も描くし、人も描く。」


「で…」


 園ちゃんを格下と思ったのか、王寺君は饒舌に話し始めた。


「この寒空に、彼女を自転車で迎えに来た…と。」


「寒いかなあ?二人乗りだとくっつくから温かいよ。」


 天然なのか、園ちゃんは嫌味にも気付かない。

 あたし、つい小さく笑ってしまう。


 それにしても、王寺君…音の事好きなんだなあ。

 こんなに、園ちゃんに闘争心メラメラなんて。


「なんなら、うちのホテルにあなたの絵を飾るように言ってあげてもいいですよ。」


「えー、ホテルの息子さん?すごいねえ。でも、僕の絵は独特だから、なかなか気に入ってもらうには難しいかも。」


「もしかして…抽象画ですか?」


「うん。」


 チュウショウガ。

 なんだ、それ。


 音を見ると、目が合った。


 音、チュウショウガって知ってる?


 ううん、知らない。


 そんな、アイコンタクト。



「それは…ますます成功するには難しいですね。いつまで画家を続けるつもりですか?」


「いつまでって、一生だよ。僕はもうそれを職業にしてるわけだから。」


「でも一枚も売れてないんでしょ?」


「うーん。やっぱり金額設定が高かったかなあ…先生に言われるがままにつけちゃったんだけど。」


「一枚、おいくらですか?」


 王寺君の問いかけに、園ちゃんは肩をすくめて。


「これぐらいのサイズのが、300万。」


 園ちゃんが手で作った『サイズ』とやらを眺める。

 それからゆっくり頭の中に金額が入って来た。

 …300万…


「300万!?」


「うん。来月は個展開くから、一枚でも売れるといいなって思ってる。」


 ニコニコの園ちゃん。

 さ…300万…


「売れたら、音のために…」


「あ…あたしのために?」


「荷台にクッションつけるから。」


 ガクッ。


「あははっ。園ちゃん、優しい。」


 あたしが王寺君の腕を抱きしめるようにして言うと。


「離れろー!!ブスー!!」


 後ろから、地鳴りのような怒号が。


「あはっ。あたし、嫌われちゃってるっ。」


 後を見ながら、王寺君に抱きついてみる。

 だって、嫌なら突き放せばいいのに。

 この男…ずっと硬直したままなんだもん。


 …あそこは大丈夫かな?

 さりげなく王寺君の下半身に目を落とすけど…

 王寺君は、いつの間にか肩から下げてたスポーツバッグで、下半身を隠してた。


 ちぇっ。



 * * *


 〇早乙女 園


『早乙女さんは、何をされてる方なんですか?』


 王寺君とやらの言葉が、頭の中でぐるぐる回る。


『売れない画家…ってやつですか?』


『この寒空に、彼女を自転車で迎えに来た…と』


『なんなら、うちのホテルにあなたの絵を飾るように言ってあげてもいいですよ』


『もしかして…抽象画ですか?』


『それは…ますます成功するには難しいですね。いつまで画家を続けるつもりですか?』


『でも一枚も売れてないんでしょ?』


「……」


 頭を抱えてうなだれると。


「えーっ!!」


 一斉に、悲鳴が上がった。


 はっ。

 そ…そうだった。

 今日はモデルのバイトだ。

 上半身は裸で…下半身は、白い布を腰回りに巻いてる。

 …さすがに、全裸は勘弁してもらった。


「す…すみません…」


「頼むよもう…」


「ああ…布の位置が…」


「信じられない…」


「モデル失格。」


「……ほんと、すみません。」



 音は…俺に不満かな。

 自転車で迎えに行くのや、職業が画家…

 自称、画家。

 …自慢の彼氏では…なさそうだよなあ。


 あれから帰って検索してみたら…王寺君の家は、かなりの資産家だった。

 王寺グループかあ…

 音は派手な事が好きだって彰が言ってたし…彼みたいな男の方が好みかもしれないな…


「モデルー!!顔!!」


 はっ。

 しまった。

 眉間にしわが…


「…すみません…」


 まだ一枚も売れてない絵。

 来月は個展も開くし…何とか一枚でも売れるといいんだけど。


 俺の才能を信じて、無職と言っていいような状況なのに文句も言わない両親。

 たぶん見ても何か分かってないであろう兄貴も、『いい色じゃん』って褒めてくれる。

 妹のチョコも…『優しい色使いで、あたしは好きよ』って。


 …はあ…

 家族のためにも、まずはスタート地点に立ちたい。

 それに…音のためにも。


 …許嫁なんて、小さい頃の親の勝手な約束。

 俺だって忘れてた。


 ずっと片想いしてたあの人に、やっと告白して…


『色恋なんて、成功してからにしなさいよ」


 そう、冷たく突き放された。

 …ショックだったな…

 俺、嫌われてるのかな。


 …でも、そのおかげで奮い立ったのもあるし…

 音との事、ちゃんと考えようって思えたのも…あの人のおかげだ。

 …あの約束をしたあの日から、ずっと音を好きだった。なんて…ちょっと嘘ついちゃったけど。

 その分も、音を幸せにしたいな…



「……」


 ハッと周りを見渡す。

 みんなの鉛筆を持つ手が止まってる。


「あっ…俺、また何か…」


「いや…」


「なんか今、いい顔してたから。」


「…え?」


「ま、もう後はイメージって言うか、残像で描くからいいや。」


「モデル君、いつも無表情なのに、優しい顔できるのね。」


 口々にそんな事を言われて、恐縮してしまう。

 …音の事考える俺って…いい顔になるのか。

 そっか。

 やっぱ俺…音の事、好きなんだな。

 …うん。

 もっと好きになれる。



 * * *


 〇朝霧好美


「……」


 隣で音が口を開けてる。

 あたしは…笑いを我慢してみたものの…


「ぷっ…」


 つい、吹き出してしまった…!!


 だって!!

 園ちゃんの絵!!

 笑えるし!!


「ちょ…ちょっと、コノ、笑うのやめてよ。」


「だっ…だって、音だって…ほら、これ…」


「……」


「……」


 ぷぷーっ!!


 二人で吹き出す。

 あー!!もう!!

 素敵な彼氏じゃない!!

 ふと、園ちゃんの絵の中にある『銀』ってタイトルを見て、王寺君を思い出した。

 そう言えば、最近来なくなったなあ。


「最近王寺君来なくなったわね。」


「ああ、そう言えばそうね。」


「園ちゃんに会って、自信喪失とか?」


 それはないよなって思いながら言うと。


「それはないよね。思い切り、見下したような顔してたし。」


 音は、園ちゃんに対する王寺君の態度を思い出したのか…目を細めて言った。


 …音、なんだかんだ言っても、園ちゃんに惚れてるよねえ。

 いいな…

 あたしも、誰かと恋したいなあ。


「こんにちは。」


 声をかけられて振り向くと、まさに…噂の王寺君。


「やっだ、今噂してたのよ?」


 一歩、王寺君に近付く。

 なんだか、王寺君って面白いんだよね。


「本当?光栄だな。」


 今日の王寺君は制服じゃなくてスーツ。

 社会人みたい。


「今日はどうして?」


「うん…いずれ俺が任せてもらうホテルに合う絵を、見繕いに。」


「えーっ!!何百万もするのに買うの!?」


 あれを!?

 あの絵を!?


「うちは一流ホテルだから。もっと高い絵も飾ってあるよ。」


 王寺君は真顔。

 あたしは、あの絵がホテルのロビーに飾られたら…って考えて。

 また笑いが止まらなくなりそうだった。



「…浅香さん。」


 突然、王寺君が音に距離を縮めて言った。


「もし、今日…俺以外の人が彼の絵を買わなかったら…俺と付き合ってもらえないかな。」


「……」


 あたしには分かる。

 今の音の顔は。

 こいつ、何言ってんだ?

 って顔だ。



「…バカにしないで。」


「…え?」


「売れるに決まってるじゃない。園ちゃんの絵のセンス、絶対みんな感動してるもの。」


 ええー!!音、本気でそう思うの!?


「……」


 王寺君は辺りを見渡して。


「…お客さん、少ないけどね。」


 少し笑った。


「ま…まあまあ…」


 このままだと、音がマジでキレちゃうと思ったあたしは。


「王寺君、あっちでちょっと…あたしと話でもしない?」


 王寺君の腕に抱きついた。


「え?あ、ああ…」


 ふふっ。

 あたし、音とは身長もスタイルも似たりよったりだけど。

 胸だけは、少しだけ大きい。

 王寺君、ちょっとは何か感じてくれてるかしら。


「ねえ、王寺君て本当に音の事好きなの?」


 ロビーの片隅にあるお茶コーナー。

 普通、紙コップじゃないの?って思いながら、並んだきれいな湯呑を手にする。

 …さすが、茶道名家の孫。


「…どうして?そう見えない?」


「うーん…あんな押し方じゃ、嫌われちゃうよ?」


「……」


「もしかして王寺君、押し方が分からない?」


「えっ…?」


 あら、図星か。

 お茶を入れようとしたけど、あたしはそのまま王寺君の手を引いて外に出る。


「ねえ、どこかでお茶でもしない?」


「でも…」


 王寺君は音の方を振り返ったけど、そこには園ちゃんもいて…

 なんだか、外人のオジサン達が二人を囲んで写真を撮ってた。


「…あの二人、たぶん上手くいくよ。」


「え…」


「何か悩んでるんじゃないの?あたしで良ければ聞くよ?」


 あたしがそう言うと、王寺君は一瞬言葉を飲んだけど。


「…じゃあ…」


 小さくうなだれながら、あたしに続いた。



 * * *


 〇王寺善隆


「…へえ。」


 目の前の朝霧好美は、大した事ないじゃない。って顔をして、コーヒーを飲んだ。


「そんなので悩んでたの?」


「そんなのでって…」


「ああ、ごめん。本人には大問題だよね。悩むぐらいだから。」


「……」


 俺は…なんだって、こいつに打ち明けてしまったんだ…!!

 俺の長年の悩み…

 まだ、一度も女と付き合ったことがない。

 つまり…童貞だと!!


「佐竹君の敵討ちと題して、音に初めての相手になってもらおうとしてたって事ね。」


「……」


 しまったな…なんで…本当に俺…話したんだろう。

 …あまりにも、腕に胸を押し付けられて…何となく、いい気分になってしまった。

 もしかして、俺に気があるんじゃないか…なんて。

 だけど、目の前の朝霧好美は…なぜか窓の外に集中している気がする。


「…何かあるの?」


 俺が朝霧好美の視線に割り込むようにして言うと。


「あっ!!…って、ううん、何もない何もない。うん、ごめんね。」


 朝霧好美は目を白黒させたり…謝ったり。

 …笑うと可愛いんだよな。


「…このこと、絶対…」


「言わないわよ。あたし、こう見えても口固いから安心して。」


 そう言いながら、やっぱり視線は窓の外。


「……」


 その視線を追ってみると。

 ギターかベースか…何か楽器を肩に担いだ男。


「…知り合い?」


 声をかけると。


「えっ、何?」


「あの人。ずっと見てるけど…」


「あー!!やだ、見てた?」


「あれだけ見てたら分かるって…もしかして、朝霧さんの好きな人?」


「あははっ…あ、朝霧さん、なんて固いよっ。コノでいいって。」


「え…」


 実は…女の子を下の名前で呼んだことは…一度もない。

 小学生のころにはあった気がするが、それで女の子同士がケンカになって以来…全員を苗字で呼ぶことにした。


「こ…」


 ゴクン。

 緊張してしまった。

 でも、目の前の朝霧好美は…外にいる男が好きで…

 別に、俺を追っかけてる女じゃない。


「…コノちゃん。」


 俺がそう呼ぶと。


「ん?なあに?王寺君。」


 …コノちゃん。

 可愛いな。


「…友達に…」


「あっ!!王寺君、ごめん!!また今度ね!!」


 なってくれるかな…

 そう言おうとして、言葉を遮られた。

 コノちゃんは財布から小銭を取り出すと。


「バイバーイ!!」


 けたたましく外に出て行った。


「……」


 一人残された俺は、通りの向こうのギャラリーから。

 浅香 音が無名画家の彼氏と、仲睦まじく出てくる姿を目の当たりにして。

 さらには、コノちゃんがギターを担いだ男の後を、尾行してるのを見て。

 とても、とても寂しい気持ちになった。

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