友情の花

元とろろ

*

「そろそろ桜の季節、五年前のあの日を思い出しますね……」


 大きく開け放された窓からの風に長い黒髪をなびかせて、富田林とんだばやしはなはそう言った。


「今はまだ杉の季節だから窓は閉めたままにしてくれ」

「はい」


 彼女は大人しく従って、ぎゅいっとクレセント錠までかけた。金具がうるさく軋むのは、そのような付属物も含めた建物全体が古いからである。

 歴史ある学校なのだ、ここは。

 もっとも俺も富田林花も普通の高校生二年生であり、その歴史に関わり始めたのは昨年度の初めからに過ぎない。


 富田林花が言っているのは小学生の時分に起きた出来事である。

 あの時、小学校の校庭の隅、満開の桜の木の下で、ある人がまたある人に、愛の告白ということをした。

 

 俺たちが今の関係になったのはその時からだ。


 具体的に言うと、富田林花が俺に告白をして振られた。


 他人事みたいな言い方になった。よくない。言い直す。


 俺は富田林花を一度振ったのだ。

 

 富田林花のことは嫌いではない。別にこの五年間でいいところを発見したとかそういうことではなく。告白される前から嫌いでは全然なかった。むしろ好きだった。

 過去形で言ってしまった。言い直す。今でも好きだ。変な奴だけど可愛いんだ本当に。昔から。


 しかし当時の俺は告白されて大いにテンパり、慌てて、うろたえ、付け加えるとクラスの男子内での「女子と仲いいやつはよくないぜ!」という風潮を恐れもして。


 結局口から出た言葉は「これからもずっとお友達でいましょう」というどっかで聞いたような独創性のないフレーズだった。いや、男子が言うのは珍しいのか? 知らんが。

 で、それを受けた富田林花の反応はというと。


「私たちが永遠の友情を誓い合ってから五年ですよ……」


 なんか言ってる。五年前から言ってた。そうはならんだろと思うのだけど。

 ともかく富田林花はそういう意味に受け取ったらしい。

 で、愛情ではなく友情で応えられたことは確かに悲しかったそうなのだけど。

 まあ一緒にいられるならいいや、と受け入れたらしい。


 本気で言ってるのかわからないが、少なくとも表面上の態度はそれで通し続けている。変わった奴だと思う。俺がきっかけでそうさせたのだが。


「それでこんなところに呼び出してどうしたんですか? 今日はホワイトデーですが」

「うん、それ。これ」


 話が早い。店でちょっといい感じに包んでもらった菓子を差し出す。


「先月はありがとう。先月というか、普段から、その、とにかくお礼なので」

「どういたしまして。私も気持ちは同じですよ。私と友達でいるのは大変でしょう?」

「いや、そんなことは」


 にっこりと、涼しげに笑いながらそんなことを言う。

 本当にそんなことはないのだ。ノリについていけないことはあるが、いつも一緒にいて楽しい。それを言葉にするべきなのだが。


「中身は何でしょう。開けてみてもいいですか?」

「どうぞ」


 言う機会を逸した。逸したと、俺は思う。

 本当は機会も何もない。富田林花はタイミングを外した発言を笑うような人ではない。

 俺の言うことはいつでも真剣に聞いてくれる。むしろ冗談が通じない。

 例えば俺が「クリスマスにサンタを見かけたよ」と言ったら「実在したのですね……」と真顔で返すだろう。


 だから、言う機会がない、というのは俺の言い訳に過ぎないのだ。


「あ、桜餅の香りですね」

「もうすぐ桜の季節だから」


 富田林花は嫌いな菓子が多い。

 具体的に言うと、飴とマシュマロとチョコレートとクッキーとギモーヴとマカロンとキャラメルとカステラとバウムクーヘンと最中が食えない。

 食えないと言ってもアレルギーがあるわけではなく、単純に嫌っているだけなのだがとにかく食わない。

 最中以外の和菓子は好んでいるのだがスーパーで売っているような安物は食わない。

 俺もあれは嫌いだ。特に餡子の質が悪い。人に贈るようなものではないと思う。


 で、いい感じの店に行っていい感じの桜餅を買ってきたわけだ。去年も一昨年もこの店の菓子は喜んでいたから大丈夫だと思う。


 で、今年の菓子はただ美味いだけではない。

 俺の気持ちがこもっている。それは例年こもっているのだが、今回はわかりやすく形にしてみた。お店の人には無理を言った。


 実を言うと、富田林花の前では、俺はどうもうまく話せない。

 後ろ姿に声をかけるだとか、他の友達がいる中での会話ならなんともないのだが、二人きりで向かい合って、となるとどうにも言葉に詰まる。ぞんざいな話し方になって不快に思わせていないかと心配になる。

 実際、今も上手く話せていないだろう。


 そこで今回の秘策である。お店の人には無理を言った。

 この桜餅の見た目で気持ちが伝わらなくとも構わない。富田林花の視線が桜餅に向いている間なら、俺自身の言葉で俺の気持ちを話せるはずだ。


 そう、俺の気持ちだ。俺は今日、五年前の過ちを清算する。いや、友達として過ごした五年間は非常に楽しかったので一概に過ちとは言えないのだけど。

 それでも俺の本当の気持ちを伝えられていなかった。それを伝える。


 つまり、俺は富田林花のことが好きなのだと。


「まあ、これは珍しい形……」


 そうだ。この桜餅は道明寺でも長命寺でもない。もち米由来の原料で成形しているので分類するなら道明寺亜種。

 しかしその形は。


「桂の葉の形ですね」

「それもその形だけども」


 ハート形だ。確かにカツラ科カツラ属の植物もこのような形の葉をつけるが普通ハート形と認識すると思う。富田林花の感性はあまり普通ではなかった。それは知ってた。

 

 しかし桜餅はピンク色だしハート以外に認識するのは難しい部類なのではないか。

 いや、桜餅は桜の葉で巻かれている。表面上見える色はピンクと緑が五分五分だった。おそらくはこの葉のイメージに引きずられたのであろう。


「桜の葉の色にこの形をかけているのではないですか? 深い友情を感じますね……」


 やはり五分五分の賭けに敗けていたらしい。


「友情ってどの辺が」

「桂の花言葉は不変でしょう。私たちの間で不変と言えば友情の他にありません」

「なるほど」


 確かに富田林花ならそう解釈するだろうという感じだ。


「しかしそれが」

「それが?」


 ふう、息を吐く。大丈夫、言える。言おう。


「しかしそれが、桂の葉形の桜餅ではなく、ハート形の桜餅だとしたら……?」

「それは……」


 富田林花の瞳が一瞬揺らいだ。珍しい反応だ。瞼を閉じ、少しの間を置いて、目を見開いた。

 もういつも通りの富田林花だった。


「それは友情ですね」

「なんでかな?」


 本当にいつも通りだった。


「私がバレンタインデーに渡したチョコレートがどんな形か覚えていますか?」

「ああ。大きく友情と書かれていたが形はハート形だった」


 かなりドキドキしたのだが、友情の文字がとにかく大きかったので最終的には深い意味はないはずだと判断した。


「あれは友情を意味するモチーフです」

「そうなの?」


 初めて聞いたが、そうなのか?


「走れメロスの一節からとったのですよ。真紅の心臓をお目にかけたい、という」

「それ諦めかけてるシーンじゃなかった?」


 友情を感じさせる場面ではなかったような。それとあのチョコレートも赤くなかった。茶色だった。


「いい話ですよね、走れメロス」

「それはそうだけど」

「私はあの話好きですよ」

「うん、まあ、俺も」


 好き、と言いかけて、止まる。言えない。妙に意識し始めて、その言葉は口から出なかった。

 これは、もう、今日は駄目だ。


「それじゃあ、用事はそれだから」


 それだけ言って帰ろうとした。


「それじゃあ帰りましょうか」


 富田林花は当然のようにそう言った。

 時間が合うときはいつも一緒に帰っている。お互いの家が近いのだ。

部活動もない今日は、俺の用事が終われば富田林花の用事も終わる。

 今日も一緒に帰るのは確かに当然と言えよう。


「帰ろうか」


 横に並んだ富田林花を見ず、前だけ向いてそう言った。

 次こそは、気持ちを伝えよう。来年というつもりはない。

 来月でも、明日でも。いや、呼吸さえ整えば、今日帰る途中にだって。


「信じて待つのって素敵ですよね」


 富田林花はそう言った。多分セリヌンティウスの話だと思う。

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友情の花 元とろろ @mototororo

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