物理的にも一発喰らわせる予定です
イートインスペースでは、すでに橋田恵美が参考書を開いて唸っていた。入ってきた3人に気づき「いらっしゃい」と声を掛ける。店内には小さくラジオが流れていた。
「好きなとこに座ってね。飲み物はその冷蔵庫の中、1本120円」
それぞれまちまちの場所にノートを広げた。
質問以外は口を慎めという硬めの空気も広がっている。
勉強に対する真剣さの表れか、隣同士に座ることはしない。わからないことがあれば霧江に訊けばOKという暗黙の了解があった。
「エアコン点けてるのなら、風も送ったほうがいいよね」
「あ、パン粉とか調味料とかあるから強い風はダメ」
桜花がコロコロブーンを取り出すやいなや、恵美は牽制を放った。外の惨劇を見ていたのではなく、桜花の発明品の数々を目にしてきた経験からの牽制である。桜花は手持ち無沙汰に、小さい歯車を小指にはめてくるくると回す。
店内に響くのはラジオのトーク番組だけになった。パーソナリティがゲストを紹介する声が聴こえる。
今日はスタジオに女優の紫輝子さんをお呼びしました
どうもどうも。ホホホホ。お暑いですわね。
桜花がラジオに手を伸ばした。
「恵美、違うのにしていい?」
「いいよ。あ、ごめんね」
「恵美があやまることじゃないじゃん」
オールウェイズの洋楽が流れ出し、桜花は皮肉っぽく笑った。
霧江が机から顔を上げ、桜花を見やる。無言で和明を指差し、口をパクパクするジェスチャーをした。恵美もうんうんと頷く。
桜花はあごに親指を当てしばし考え、小さな声で話しだした。
「小野君、勉強中ごめん。つまらない話していいかな」
「あ、うん、なんでも言って」
「あれ、私のお母さん。できれば他の人には言わないでね」
和明は黙り込んだ。あれ、とは誰か。流れからして紫輝子以外にあり得ないが。そういえば春先、ドラマに出てたとかでクラスの中で誰かが言ってたな。後ろ姿しか見ていないが、その時の桜花はなにやら首をガクガク言わせていたような気がする。
「そうなの?」
「そうなの」
「すごくない?」
「すごくない」
オウム返しされた桜花の言葉から、あまり話したい内容ではないという気配がはっきりと伝わってきた。ならば深くは聴くまい。思春期の娘からしてみれば、芸能人の親など疎ましいだけかも知れないと和明は思う。
桜花はとつとつと話しだした。
「うーん、小野君に、言う必要あるかな、話しても、大丈夫かなと思ってたんだけど、そのうち、協力してもらっちゃうこともあるかもしれない気がするから」
「ん? うん?」
「私、実はすごい貧乏なんだけど」
「知ってる。けど、お母さん、女優なんでしょ? じゃあお金に困ることなんてないんじゃ……」
「お母さん稼ぐけど、全部お父さんに持っていかれちゃうの。実は私のバイト代も、結構お父さんに持ってかれてる」
うん、と和明は言った。話の見当がつかない。
「そんなわけで、お父さん達をどうにかするために発明品を作ってるんだ」
「え? うん?」
「どうにかする、ってのは精神的なものなんだけど、実は物理的にも一発喰らわせたいの。最終的には、多分、男子の力が必要かなあって……」
桜花の話は一向に的を得ない。
「僕にできることがあったら何でもするけど……。人を殴るのはちょっと、さすがに」
「いや、小野君の意思で手を下して欲しいわけじゃないから、そこは大丈夫、法的には。説明が難しいから、近いうちに私の家に来てほしいな」
和明はビシッと屹立。
全力の妄想により、お義父さんお義母さんへの挨拶は瞬時に済ませた。自分と桜花の結婚式招待状が見える。カランコロンカランコロンと空き缶をとりつけたオープンカーで市内を疾走。新婚旅行の行き先は手堅く伊東か、それともグアムか。子供もガンガンできた。それはもうガンガン作った。
ところどころ雑な妄想は、和明の想像力の限界を示している。
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