百合が尊い…?

富士山

百合が尊い…?

 渡辺秀吉わたなべしゅうきちの最近の日課は一人の少女を視線で追いかけることだ。彼女の名は小倉梨々花おぐらりりか。今年の春からクラスメイトになった少女である。

 セミロングの黒髪は艶めき軽やかで、白い肌は日焼けなんて我知らぬと言わんばかりに目映く輝いている。小柄で華奢な身体は彼女の可憐な顔立ちにぴったりで、名字のイメージ通り、おしとやかという言葉がぴったりくるような少女だ。

「ヒデヨシー」

 授業が終わり、教師が教室を後にするころ、クラスは一斉にざわつき始める。幼なじみで、クラスメイトの美島了みしまりょうがこちらにやって来るのもいつも通りだ。高校デビューを果たした彼は、程よく着崩した制服に軽くセットされた髪も相まって見た目は爽やか系イケメンだ。

「…秀吉しゅうきちだ。なんだよ、了」

「いやだってシュウキチよりヒデヨシのが呼びやすいし。てか面白いし」

「本音やっぱりそれかよ」

「まあまあ。猿とかよりよっぽどマシだろ、それよりさ。お前小倉のことめっちゃ見てるな?」

「猿ておま…まあな、百合が尊いなって」

 そう言って秀吉の見つめる先では梨々花ともう一人、背の高い少女が談笑している。梨々花と同じ中学だったという少女――涼宮有希すずみやゆきは、クールな雰囲気と170センチはありそうな長身で、いわゆる王子系だ。そんな二人は四月当初からほぼずっと一緒にいて、妙に距離の近い美少女二人の図は、普段から百合アニメを嗜む秀吉にとって目の保養である。梨々花は本当に楽しそうな顔で笑っていて、有希と一緒にいるときの彼女は大概そんな風なので、見ていて飽きないのだ。今だって梨々花の笑顔はまるで花がほころぶようで、有希も保護者のような優しげな目をしていて、そんな二人をいつまでも見ていたくなる。

「お前またそれかよ……」

「何を言う。あの二人中学からずっと一緒だったらしくてさ、しかも女子校だろ?」

「へえ」

 どこか儚げな美少女とクールな王子系少女が女子校時代から一緒、しかも共学に二人揃って入学とは、なんという百合。ああ、アニメの世界じゃない、現実世界でここまでのものを拝めるとはなんと尊い。

「勉強を優先したくて中高一貫の女子校を辞めた小倉と、それを追うように同じ高校を選んだ涼宮。二人して同じ高校に進学するとかやっぱり百合だよな。クラスでもずっと一緒だし、二人とも帰宅部で放課後は毎日一緒に帰ってるし。他の女子ともまあ楽しそうにやってるけどやっぱり二人ともお互いが一番大事って感じするじゃん?こないだとかも…」

「その情報どこから仕入れたんだよ…てかこれ以上はやめとけ、ここ教室だろ」

「おっとスイッチ入っちまってた…。まあ全部観察や女子の会話からこう、な?」

「うわぁ…。でもよかったな、ヒデヨシ。隣の席になれてさ」

「あーうん、まあ、それは嬉しいかも」

 今日は金曜日で、キリがいいからと新しい座席になるのは来週からだ。来週から、すぐ横で彼女を観察できるのだ。至近距離で百合を存分に満喫できるのだから、嬉しくないはずがない。

「お、ヒデヨシが素直だ」

「うるせえ!てかうぜえ!」

「ははっ」

 ふと真顔になった了が、少し顔を秀吉の耳の近く近づけて囁く。

「でもさ、小倉とどうこうなりたいって気持ちはないわけ?」

「……ないよ」

「ふうん」

 了はつまらなそうに呟く。

 そう、梨々花のことはあくまで有希との百合を尊ぶだけである。二人の隙間に入り込む余地はないし、断じてそういう対象として見たことはないのだ。休み時間もあとわずか。秀吉は雑に積んでいた前の授業の教科書とノートを机にしまい、ロッカーに入れた次の授業の必需品を取りに立ち上がった。

 *

 中学からの親友である有希は、ときに梨々花自身よりも彼女のことを分かっているんじゃないかと思うぐらい察しがいい。一緒にいてすごく楽しくて、姉のような属性持ちの有希にはついつい甘えてしまっていると思う。そんな彼女が自分と同じ高校を受験すると知ったときはすごく驚いたけれど、同時に離ればなれにならずに済むかもしれないことをとても嬉しく思っていた。そんな彼女と同じクラスになれたことは、高校生活最初の幸運だったと梨々花は思っている。二つ目の幸運は――

「梨々花、気になる人とかいないの?」

「え、どしたの突然」

 帰り道、有希が切り出した突然の話題に梨々花は身構える。有希は至極楽しそうにニヤニヤしながら口を開く。

「席替えのとき梨々花やけにソワソワしてたじゃん」

「いや、それは脳内カプの観察がしやすい席になれたらいいなって――」

 きょとんとした顔をする有希の顔は、ボーイッシュな顔立ちの彼女には少し不似合いで、でもそれがいい。

「脳内カプ?」

 そういえば、まだこの話は有希にはしていなかった。何を隠そう、梨々花はホモが大好きなのである。

「渡辺くんと美島くんっていいよね。身長差あるの最高だし、美島くんがちょっと儚げな美少年で、対する渡辺くんはがっしりして男らしくて、一見ガサツなんだけど実は繊細ですごく美島くんのこと思ってて……」

「ああ、なるほど。梨々花の推しカプ大体そんな感じだよね」

 さすが有希。突然の告白に動じない彼女はやはり昔から根性が据わっている。

「そう!幼なじみなのもタイプ!!」

「へえ、あの二人幼なじみなんだ。詳しいね」

「だって推しカプに当てはめて萌えの材料にさせてもらってるからね!」

「ふうん。でもさ、渡辺くん、よく梨々花のこと見てるよね。もしかして梨々花のことが……」

「あーーー、待って!!」

 梨々花の顔が心なしか赤くなる。

「解釈違いだよ……そんなの」

「だって渡辺くんは美島くんのことが好きで、でも美島くんがモテるから心の中では嫉妬の炎を押さえてて…」

「始まったよ妄想乙」

「渡辺くんは見た目より繊細だからそのへんすっごく実は傷ついてて、でも笑顔で美島くんのこと支えようと影で努力するんだよ。美島くんはそんな渡辺くんの気持ちには全然気づかないんだけど、渡辺くんなしなんて考えられないっていう、そういう無自覚なところがあってね。そんな二人の関係が尊くて尊くて…私なんかとても入っていけないよ…」

 一息に語り終えた梨々花は、ほおっと息をついて遠くを眺める。

「でもさ。顔赤いよ、梨々花」

「っ……」

 少し蒸し暑い風が、二人のスカートを微かに揺らした。

 解釈違いのはずなのに、どうしてか梨々花は自分の心臓が高鳴るのを感じていた。

「渡辺くんと隣になれてよかったね!美島くんはまあ、ちょっと離れてたっけ?」

「だから、違うんだって!うう、隣同士になってる二人が見たかったのに…」

「ははっ。代わりに梨々花と渡辺くんを前の席から観察できて嬉しいよ、私」

「だからそんなんじゃ…もう、」

 そんな顔をしてとぼけても無駄なのに。本当に梨々花は昔から分かりやすいな。有希はふっと笑い、梨々花の髪にそっと触れた。

「有希?」

「…髪に花びらついてたよ」

「あー、ありがと!」

 細くて柔らかい髪は、触るとすごく気持ちよくて、けれど梨々花のもっと深いところまで触れるのは自分ではないのかも知れない。

 花びらを風に飛ばしながら、有希は微笑んだ。

 *

 月曜日の朝が来て、秀吉は新しい席に着きながら隣の空席に意識をやる。ここに梨々花が来るのだと、変な緊張をしている自分に気づく。金曜日に変なことを言った了が悪いのだ。考えてみれば、高校生活が始まって1ヶ月と少し、梨々花とまともな会話をしたことはほとんどなかったことに気づく。

 ふと前を向いたタイミングに、鞄を手にもった梨々花が現れた。

「おはよう」

 鞄を机に置きながら、彼女はにこっと笑った。間違いなくこちらを見ながら。梨々花の笑顔は、有希に向けているそれよりは幾分も控えめで、それでいて野に咲く花のように可憐で儚げで。秀吉は、心に小さな何かが生まれるのを感じた。

「お、おはよう」

 変にどもってしまった秀吉の返事にも、梨々花はにこやかで、秀吉は少し安心する。

「きょ、今日からよろしくね」

 心なしか、梨々花の声も少し強張っているが、秀吉にそのことに気がつく余裕はない。

「あ、ああ、よろしく」


(小倉とどうこうなりたいって気持ちはないわけ?)

 本日二回目、秀吉の脳裏に了の言葉が甦る。

 そんなつもりはなかった。そのはずなのに、有希ではなく自分に向けられたさりげない笑顔が嬉しくて。

「梨々花おはよ!」

 梨々花の前の席に、有希が現れた。梨々花が隣の席になっていた衝撃で秀吉の記憶から飛んでいたが、有希の新しい席はそういえばその場所だった。

「有希!おはよー」

 さりげなく、秀吉は梨々花の様子に全神経を向ける。相変わらず有希に向けられる梨々花の笑顔は大輪の花のようで、可愛い。秀吉は思わず顔が緩みそうになるのを必死にこらえた。そしてその目線の先にニヤつく了を見つける。

 ウインクする了を無視して秀吉は再び二人の少女に意識を向ける。

 ああ、百合は尊い――。



 fin.

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