僕の王子様

葵月詞菜

第1話 僕の王子様

 商店街の横筋を一つ入った所にひっそりと存在する、二階建てのこじんまりとした建物。下は古書店、上は隠れ家的なカフェになっている。

 僕は古書店のすぐ横にある階段を上り、カフェの木の扉の前に立った。装着済みのマスクを確認し、真鍮のノブを回す。

 カランという軽やかなベルの音と同時に奥から「いらっしゃいませ」という明るくも控えめな声が聞こえる。

 そして、奥のカウンターの中からこちらを見た彼女は「来やがったな」と遠慮なく眉を顰めた。


「お疲れ様、椿ちゃん」

「あんたはこの店の重役か何かか」


 お決まりの挨拶をしながら迷うことなくカウンターの前のスツールに腰掛け、「本日のケーキセットで」と注文する。椿ちゃんは平坦な口調で接客を始めた。


「お飲み物は健康緑茶でよろしいでしょうか。ちなみに本日のケーキはブラウニーです」

「ええー、他の選択肢はなし? しかもブラウニーに健康緑茶」

「ではお選び下さい。健康緑茶すっきりタイプ、健康緑茶濃いめタイプ、健康緑茶……」

「ねえ椿ちゃん。それやっぱり健康緑茶しか飲ます気ないよね?」

「何よ。あんたが他の選択肢とか言うから挙げてあげたんじゃない。ホントは水で十分だと思ってるほどよ」


 椿ちゃんは面倒くさそうに言いながら、「で、何にするの?」と改めて訊く。僕はホットのカフェオレを頼んだ。

 彼女が準備を始める前で、僕は店の中をぐるりと見渡した。夕方時、他に客の姿は見えなかった。このカフェは六時に閉店するので、もう少ししたら店仕舞いだ。


「今日おじいちゃんは下?」

「そう」


 僕は壁際の背の高い書棚に目を遣りながら訊ね、きっと彼女は背中で答えた。

 壁際の背の高い書棚には、古書を含む様々なジャンルの本が並んでいた。実はあちこちに書棚があって、古書店のように雑多に本が放り込まれている。席に持ち帰り好きに鑑賞して良いことになっているのだ。

 このカフェと下の古書店の店主は僕の祖父だった。椿ちゃんは主にカフェのバイトをしていて、たまに古書店の方も手伝ったりしている。


「はい、お待ちどうさま」


 目の前にケーキの皿とカフェオレが現れる。僕はマスクを外し、その次の瞬間小さなくしゃみを一回した。途端に椿ちゃんがまた眉を顰める。


みのり。あんたは……」

「ごめんごめん」


 片手で拝むように謝って、フォークをとる。しっとりとしたブラウニーにはほろ苦くておいしい。


「おいしいね」

「そう、それは良かったわね」


 彼女の反応は素っ気ない。いつものことだ。ずっと、小学生の頃から変わらない。

 だがそんな椿ちゃんが、僕は昔から気に入っている。どれだけ対応が素っ気なかろうが、彼女に声をかけずにはいられない。彼女を見るとどこかほっとするのだ。


「椿ちゃんって相変わらずカッコいいよね」


 何の脈絡もなく、いつものお約束の言葉を投げかける。するとお約束のように彼女も頬を引き攣らせた。


「そう言うあんたは相変わらずムカつくほど綺麗な顔してるわね。さすが学年一の美貌の持ち主」

「いやあ、椿ちゃんがそこまで褒めてくれるなんて光栄だなあ」

「褒めてないわよ。この脳みそ花畑」

「へへへ」

「顔が弛んでるわよ」

「でも椿ちゃん、綺麗な顔の男の子好きだよね?」

「それは二次元限定でね。あんたはかろうじて遠くの遠くからたまーに見るくらいでいい」


 容赦のないお言葉の連続だ。だがこれらのやり取りすら楽しいのだから僕は重症かもしれない。いや、好きな女の子との会話はたいてい何だって楽しいものだ。


「そういえば今日も大勢の取り巻きを引き連れて歩いてたわね」

「あれ、椿ちゃん見てたの?」

「目についたのよ。あんだけ大勢でぞろぞろ廊下歩いてたら何事だって思うでしょ」


 椿ちゃんは「迷惑な」という目でこちらを見る。


「いやあ、何かたまたま持ってた飴をそばにいた子にあげたら、私も私もってなっちゃって」

「阿保。あんた少しは自分の影響力を自覚しなさい」


 やれやれと肩を竦めて溜め息を吐く彼女に、でも椿ちゃんには僕の影響力なんて皆無じゃないの?と突っ込みそうになる。

 ふいに鼻がムズムズしてきた。小さなくしゃみが出る。

 それを見た椿ちゃんが空になったお皿を下げながら言う。


「そろそろ帰った方がいいんじゃないの?」

「ええー……まだもう少しいたいなあ」


 鼻をぐずぐずさせる僕に椿ちゃんはティッシュの箱を突き出す。ありがたくそれで鼻をかみ、再びマスクを装着した。また一回、くしゃみをする。


「稔」

「うう~」


 椿ちゃんがじとーっとした目でこちらを見てくる。僕は苦笑を返しながら、そろそろ限界か、と思った。

 その時、ドアベルの音と共に祖父がカフェに上がってきた。ふわりと舞い込んだ風が空気をかき乱し、僕はまたくしゃみをした。それから立て続けに五回程。全くマスクをしている意味がない。


「おう、稔、来てたのか」

「もうそろそろご退場のようですよ」


 祖父が嬉しそうに笑って稔に手を掲げるのとは対照的に、椿ちゃんは無表情で扉の方を手で示し「どうぞお帰り下さい」と言わんばかりだ。


「何だお前、また鼻をぐずぐずやってるのか」


 断続的にくしゃみを繰り返す孫に祖父が軽く眉を顰める。


「おじいちゃんが上がって来たから余計にひどくなったんじゃん」


 僕は少し恨めし気に祖父を見返した。

 これは嘘でも冗談でもない。僕はここの埃――特に古書店の埃にアレルギー反応が出る体質らしい。今も、古書店にずっといただろう祖父が上がってきた途端、くしゃみが止まらなくなった。

 そのため、このカフェにさえ長時間居座ることは難しい。

 本当は椿ちゃんと一緒にバイトができたらいいのに。

 椿ちゃんはそれをとっくに承知で、そろそろ限界だろうから早く帰れと言っているのである。


「閉店まであとちょっとだし、椿ちゃんも今日はもう上がって良いよ」

「え」


 祖父の言葉に椿ちゃんはきょとんとする。

 僕はここぞとばかりに口を開いた。


「なら椿ちゃん、途中まで一緒に帰ろうよ」

「はあ? それは御遠慮したい」

「何で!」

「万が一あんたと一緒に歩いてるとこを同じ学校の、それもあんたの取り巻き女子に見られたら、私がどうなると思ってるの!」

「……そういうとこちゃっかりしてるよね」


 これも彼女らしいのだが、それを跳ねのけてまで自分と帰ろうとは思ってくれないんだな、と内心で少ししょげる。


「大丈夫! マスクしてるから、僕だってバレないバレない」

「あんたが大丈夫って言って大丈夫だったことってある?」

「そんな、ひどい」


 僕たちの応酬を聞きながら、祖父は愉快気に笑っている。こっちは結構本気で口説いているところなのに。


「だったら椿ちゃんが帰るまで僕もここにいる」


 いつになくムキになってカウンターに頬杖をついた僕に、椿ちゃんがあからさまに怪訝な顔をする。


「あんたは小学生か」

「気持ちは小学生の頃から変わってないから」

「意味が分からない」


 暫くお互い睨みあっていたが、僕がまたくしゃみをしたのを見て椿ちゃんが溜め息を吐いた。


「……分かったわよ。ここでずっとくしゃみをされても迷惑だわ」

「うん!」


 にっこり笑った僕に椿ちゃんは複雑な表情で着用していたエプロンを外した。


「荷物取って来るから、先外出てて」

「はーい」


 僕はご機嫌な声で小学生のように返事をする。その様子に祖父がまた笑った。


「お前はだいたいどこでもちやほやされる子だが、椿ちゃんは違うんだなあ」

「ホント、椿ちゃんだけはなぜか他と違うんだよね」


 だからこそ、余計に彼女に惹かれるのかもしれない。

 僕は祖父に「じゃあお先に」と手を振って店を出た。階段の前でわくわくしながら椿ちゃんを待つ。

 彼女は仕事中は後ろで一つにまとめている長い髪を背中に流しながら階段を降りて来た。僕の姿を見て小さく舌打ちする。


「先に帰ってても良かったのに」

「ふふ」


 辛辣な言葉ももう慣れっこなので気にしない。

 何だかんだと言いながらも椿ちゃんは僕の話の相手をしてくれる。どうでもいいようなことを喋りながら商店街を歩く。僕の家はこの商店街の奥の方にある和菓子屋だ。

 精肉店の前を通った時、「あ、椿ちゃんだ!」と高い声がした。

 見ると、こちらも幼馴染の精肉店の娘のかよちゃんがこちらに手を振っていた。キラキラした目を向けているのは僕にではなく、椿ちゃんにだ。かよちゃんもまた昔から椿ちゃんがお気に入りでべったりだった。


「あれ、隣にいるのもしかして稔?」


 一転して僕には冷めた視線を送って来る。


「マスクまでしてどうしたの。あんたの顔だけは目の保養なのに」


 相変わらずかよちゃんも手厳しいことを言ってくれる。きっと多かれ少なかれ椿ちゃんの影響を受けているに違いない。


「ねえ、椿ちゃん。稔は顔だけは良いもんね」

「……そうね」


 かよちゃんに同意を求められた椿ちゃんが曖昧に頷く。


「え、そうなの椿ちゃん。じゃあマスク外――」

「さなくていい。外した瞬間私は走って帰る」

「……」


 椿ちゃんのにこやかな牽制に僕は黙ってマスクにかけていた手を離した。横でかよちゃんがケラケラと笑っている。そして、ふと思い出したように椿ちゃんに言う。


「そういえば椿ちゃん、今日から新しいアニメ始まるね」

「あ! そうだった!」


 途端、椿ちゃんがはっとした表情になる。


「忘れないように帰ったらすぐ録画予約しとかなきゃ。ありがと、かよちゃん」

「どういたしましてー。また感想会しようね」


 目の前で女子二人の和やかな握手が行われる。僕はそれを黙って見つめていた。


「――じゃ、私はここで」

「え?」


 椿ちゃんがくるりと踵を返す。僕が呼び止める間もなく、彼女は走り出していた。


「かよちゃん、ホントありがとー! またねー!」

「うん! またねー!」


 結局、彼女は走って行ってしまった。

 ポツンとその場に取り残された僕に、かよちゃんが相変わらずケラケラと笑う。


「ごめん、稔。邪魔しちゃったね」

「……ホントそれだよ」


 僕はマスクを外し、やれやれと溜め息を吐いた。

 椿ちゃんと、次はいつ一緒に帰れるだろうか。道は険しい。




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