31. ミハルちゃんファイナルフォーム、完成です




 しばらく風すら吹かぬ静寂。

 呆気に取られていたユキが正気に返るまで十秒ぐらいかかった。


「そんなの関係無いでしょ! 塚の禍々しさが目の前にあって、世界はこんなにおかしくなってる。現にの力が猛威を振るってるのに、事実なんてどうでもいいよ!」


「そんなことない。恐ろしさに目を眩まされ跪いちゃダメなんだ。恐れないことが退魔の基本らしいけど……恐れたって屈しなければいい。でしょ、ゴミさん?」


「い!?」


 急に呼ばれて彼女は目を瞬かせながら答える。


「わ、私には、わ、わからない。で、でも……こんなやり方は、な、無いよ。ち、力があるのに存在を否定しても、な、何の意味もないし。で、でも塚の力は、明らかに弱まってる……ど、どうして……?」


 彼女の疑問には何となく微笑みで返した。

 ゴミさんはギョッとしてユキの背に隠れ、ユキはムッとボクを睨む。


「塚の力が弱まったとして、完全には無くなってない。この後どうするの、システムを再反転させる方法は!?」


「システムがどうとかも、もういいんだ。だってスワシンコウ……だっけ? 嘘なんだから、もう関係無いんだし。真実はわかったんだから、後はそれが広まれば終わりだよ」


「真実? どうやって? 誰が耳を貸すの、こんな状況で!?」


「ここにいるよ、たくさんね」



 ボクは二人を脇にしてその場をぐるっと見回し、塚に呑まれた人達――マナちゃんを買おうとして騙された男達――に向かって語りかける。



「真実はもう伝えた。ハナシが必要なら聞かせてあげる、何の意味もないハナシを!」


 言葉と共に手の中の黒いモノを放った。


「昔々、戦争が終わった後……」


 続けて彼らに向かって近づくと、彼らもまたボクににじり寄る。


「山奥のこの街にもアメリカ軍がやってきて、みんなの大事なモノを取り上げて回ると噂が流れた。それを聞いて、この辺りの人達は震え上がった。それでみんなで話し合って、大事なモノ、お金とかショーモンとかを麻袋あさぶくろに詰めて人気の無い墓地に埋めた」


 彼らはユキとゴミさんそっちのけ。

 ボクを取り巻くと、一様に手を伸ばし、ボクのシャツを掴んできた。

 ボクは彼らが力を込めるまま地べたに引き倒される。


「人々は『またいつか掘り返そうね』と言い合って別れ、いつまで経ってもアメリカ軍は来なかった」


 覆いかぶさる彼らにベタベタ触られ、思いのまま揉みくちゃにされる。

 恐ろしかった、知らない男の人に近付かれるだけで嫌なのに。

 でも、何をされても話すのは止めない。


「そのうち麻袋は中身と一緒にモロモロと土に還り、みんなはそれを知ると大笑いして麻袋の墓を立てた」


 冬休み前には知っていた塚の真実。

 知っていたのに。

 実際にある塚の脅威や後ろめたさを前にしたら、『間違ってたらどうしよう』と思ったら、誰にも言い出せなかった。


「だから、ここの本当の名は『麻袋またいつか』。お年寄ならみんな知ってる笑い話、それがいつからこんなにこじれてしまったのか」



 今も怖い。

 でも、間違ったことには間違っていると言い、本当のことで正す。

 そうしなければならない。

 テニス部の時、マナちゃんといた時、そうしなければ、ならなかったんだ。


 もう間違えない。

 だから、手も口も止まらなかった。


 それに男達の手は、どんどん力を失っていき。


「だから、みなさんがこの塚に捕らわれる必要なんて無いんです」


 やがてその動きはビクリと止まった。


 止まった後、男達の白い手はボクから離れていく。


 ボクは半身を起こして、そのうちの一つを掴んで話しかけた。


「今度は貴方のハナシも聞かせてください」


「……俺の……?」


「どうぞ」


「あれは……」



 彼は膝立ちのまま、ぼんやり話し始めた。




「あれは俺がまだ東京にいた頃、西武何とか線の電車に乗って大学に行こうとしていた時のことだ。

 最寄り駅に着いて、ホームに出ようとすると出口の方の様子がおかしいんだ。


 出口のど真ん中にヒョロい眼鏡のお兄さんが突っ立っててさ、吊り革を両手で掴んだまま離れないの。


 それで周りの人達はどうするかって、お兄さんのこと無視して出てくんだ。


 無いものみたいにぶつかってくんだよ。

 『いてっ、いてっ』ってお兄さんも、どかなくて。

 お兄さんは怒ってんだけど、びょんびょん吹っ飛ばされててさ。


 びょんびょん、びょんびょん。


 最初はおかしくてさ、笑ってたけど。


 だんだん恐ろしくなってきた。


 どうしてあの人を突き飛ばしていいんだ?

 邪魔な場所にいるから?

 それでどうして突き飛ばして出てっていいことになるんだ?


 そういうルールだから?

 みんな知ってるのか、そんなルール?

 どこに書いてあるんだ?

 俺、知らないよ。


 その後、どうしたのかは覚えてない。

 でも、それから俺は大学にも、どこにも、行けなくなってしまったんだ……」




「それで終わり?」


 そう聞くと、ボクを見下ろす彼は首を横に振る。




「話してるうち、思い出した、あの後のこと。


 俺が何もできなくて立ち尽くしていると、女の子が一人、お兄さんを指差すんだ。

 髪を二つにくくって小さな痩せた子、俺の傍の座席に座っていて、言った。


 『コイやね』って。


 ああ、そうか。

 確かに似てるかもしれない。


 青々とした大瀑布だいばくふ

 激流に打たれても懸命にさかのぼろうとする鯉。

 その姿が心の中に浮かんで、気付くとお兄さんはいなくなっていた。


 あのお兄さんは滝を登り切ってりゅうになったんだ」




 それから彼は首をクイッと傾けた。




「きっとそうだよな?」





 そう尋ねるコイトさんの眼はもう真っ黒じゃない。

 少し血走って赤い白眼がたっぷりと潤んでいた。


 ボクは一つ頷くと、口を開く。


「貴方は彼に何もできなかったけど、彼を突き飛ばさなかった。それは貴方が優しいから」


 掴んでいた手を離すと、コイトさんはすぐに自分の顔を覆った。

 鼻をズビズビしながら、彼は消え入りそうな声で言う。


「そうかな、俺はまだ誰かに優しくできるのかな……」


「できます。貴方は恐怖に屈し、道を違い、誰かを虐げ、虐げられました。そんな弱くて愚かな貴方には、これからも誰にも何もできないかもしれないけど、できなかった分だけ優しくしてください。それだけが貴方の涙を止めるでしょう」


 ボクは立ち上がり、周りの同じく目に涙を溜めた大人達の姿を見た。


「貴方達も」


「すまない……俺は……君を……」


 コイトさんはその謝罪を最後に、地面に崩れ落ちてわんわん泣き出す。

 周りの人達もそれに続いた。


 怖い時間は終わり、今は反省の時間。


 元に戻ったのは人々だけでは無かった。


 もうここに禍々しい力なんて満ちていない。

 蛇もいない。

 ボクの手も元通り。

 塚の穴も塞がってカチコチの凍土とうどに帰った。



「う、嘘……マタイ塚をほ、本当に無力化した……」



 ユキもゴミさんも信じられないと言う顔で呆然としている。

 二人がフリーズしているその内にやることがあった。


 ボクは地面に散らばったコートとブレザーを拾って身に着ける。

 それから泣き叫んでいる大人達を見回し、一人居心地悪そうにするを探した。


「いたいた、おーい、タナカ君」


「うわっ」


 彼はボクに気付くと思いっきり逃げたそうにしたけど、体が上手く動かないらしい。すぐに観念して、忌々し気にボクを睨んだ。


「……何だよ」


「ごめんね、ちょっとその包丁貸して欲しいんだ」


 と、言い彼の右手から目当てのモノを奪い取る。

 これから必要になるモノだ。


「お、おい……」


「大丈夫、大丈夫! なるべく早く返すから」


 安心させるつもりで胸を張ったけど、彼は不気味そうに右目をすがめる。


「お前、何なんだよ……ずっとヤバいと思ってたけど、今は特に……。クソッ、ハラダは何でお前なんか……のことだってそうだ……」


 タナカは独り言のように呻いた。

 返事は求められていないだろう。

 黙って包丁をどこに収めようか悩んでいると、ユキ達がそろそろと寄ってくる。


「ミハル、次は何する気なの?」


 ゴミさんの持つお札の光に近く、幼馴染の様子はよく見えた。

 身を強張らせ、彼女もまた注意深くこちらを観察している。


東中トーチューにいるマナちゃんを助けに行くよ。ハルカちゃんに憑りつかれちゃってるんだ」


 その凛々りりしい眉が一瞬吊り上がって、戻った。

 一呼吸あってから、またユキは口を開く。


「塚本体は閉じられたけど、空の蛇達は残ったまま。真実が明らかになって尚、アイツらはまだ力を全部は失ってない。そうでしょ、トッコ?」


「う、うん。 ……だって塚の力はそもそも」


「そういうこと。のこのこ行ったら今度こそ死んじゃう」


 ゴミさんは何か言い掛けたが、ユキは食って言葉を続けた。


「無茶苦茶するのはもう止めて」


「でも、ボク急いでるから」


「どうして?」


「マナちゃんに早く会いたいんだ」



 怒気。



「ミハル!!」


 幼馴染はボクの名を鋭く叫ぶ。


「ユキ」


 ボクはそうっと呼び返した。


 張り詰めた夜気がピリピリ頬を突く。


 先手を取るのはユキ。

 いつもそうだった。


「罪悪感なの? あの時、テニス部で何もできなかったから、私の代わりにアイツを助けようとしているの?」


「それだけじゃないよ。あの子のことが大事なんだ」


「なら、小狡こずるいアイツに自分を重ね合わせて庇うのに必死なの?」


「それだけじゃないよ。あの子の優しさを守ってあげたいこの気持ちは、そんなに後ろ向きなものじゃないはず」


 ストレートな問いにはストレートな返答を。

 ユキの体にはまだ冷め切った激怒がみなぎっている。


「アイツの心配ばかりして、自分がどれだけ心配されているかわからないの? ミハルがいなくなったら私達がどう思うと思うの?」


「わかるつもりだよ。けどね、ボクも決めたんだ……を」


「気安く言わないで。いつも大事なところで逃げてきたミハルにできるわけがない!」


「もう逃げないよ」


 ボクは包丁をしまうことを諦め、抜き身でげることにした。

 その刃の鈍い光を目にして、幼馴染は一歩退く。


「ユキ」


 ボクはもう一度彼女の名を呼び、頭を下げた。


「謝らないといけない、たくさんのことを。怖くて、テニス部で助けられなくて。それからも本当のことから目を背け、君の思いを聞こうとせず、一人で突っ走って。無理解と我が身可愛さを振りかざし、たくさん傷付けて、君を怯えさせた。今もそうだね」


 頭を下げたまま、少し横を向く。


「ゴミさんも、本当にごめん」


「え、え?」


 ゴミさんは予想通りわけのわからない様子だ。


「ずっと嫉妬しっとしてた。ユキを助けられなかった後、どこか壁のできたボクらの間に入り込み、ユキの心を癒した君のことをねたんでた。ユキが危ない時にちゃんと体が動く君がうらやましかった。ユキの一番の友達じゃなくなるのが怖かった。マナちゃん達の仲間じゃないかと疑ったのも本当は『そうだったらいいな』と思っていたからなんだ」


「そ、そんな……」


 頭を上げたボクは、最大限の誠実さで二人を見つめる。


「許して欲しいとは思ってない。ボク達の間に空いてしまった穴は、埋められるかもしれないけど、もう元には戻らないと思う。それだけのことをボクはしてしまった」


「そんなこと……」


 珍しくユキが言葉を濁す。

 これまで誤魔化して、触れてこなかったことをボクが言葉にしてしまったから。

 でも、仕方ない。は曖昧にしていてはいけないことだったのだから。


つぐなえることがあるなら何でもしたい。でも、マナちゃんのところには行かせて欲しい。ユキを救えたのがゴミさんだったように、彼女を救ってあげられるのはボクなんだ」


 そう告げると彼女は堅い表情のまま、いきなりポロリと涙を零した。


「そんなに大事なの、アイツが……」


 かすれた声に動揺を隠しつつ頷く。


「もう友達じゃないと思ってもらってもいい。ごめんね、ユキも大事な幼馴染なのに」


「わ」


 ユキは口を開くとしゃくりあげてしまう。

 ぽっ、ぽっと出る息の熱っぽさが寒気かんきを越え、こちらまで届くようだ。


「わ、わたしだって……」


 俯いて泣き出した彼女に、ゴミさんが寄り添う。

 ゴミさんはこちらをチラリと見てきたので、頷き返した。




 うん。

 もう、大丈夫。




 ボクは安心して歩き出す。

 四つん這いで泣きじゃくる男達の元に向かい、声を掛けた。


「コイトさん」


「う、うう……」


「コイトさん、お願いがあります」


「え、な、何?」


 彼は、恐る恐るといった表情でこちらを見上げる。


「車、出してもらえませんか?」


 ぐしゃぐしゃに泣き崩れた顔の、真っ赤な目がしばたいた。




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