28. 待たせたな 今が「後で」だ




「こ、校舎の外に出るよ!」


 合流するなりゴミさんは走り出して、昇降口に行く。

 二人は元から外履き。ボクも履き替えるわけもなくそのまま外に飛び出した。


 ゴミさんの足はまだ止まらず、意外な体力で全力疾走。

 校門を越えて、住宅地を走り抜け、何百メートル、小さな公園へ。

 そこに辿り着くと、三人で雪の踏み固められた地面に膝をつく。

 しばらく荒い呼吸音だけが辺りで聞こえる音になった。


「よ、よかった、間に合って」


 ボクとのユキの後で立ち上がったゴミさんはそう言いながら、周りを見回す。

 蛇達はいない……けど、空から何となく視られているような気はした。


「た、多分、話してることまではき、聞こえない。あ、は、しゃ、社会――人の数が多ければ多いほど強くなるもの、だと思う。ひ、人の数が減れば力も減る。さ、三人ならほとんどえ、影響は無いよ」


 と、ボクの不安を読み取ったのか、彼女は微笑んでそう言う。

 本当にそうだろうか……。

 考える暇もなく、ゴミさんはまた口を開く。


「そ、そう思い込んで。怪異は恐怖で人を縛るもの。た、退魔たいまの基本は、お、恐れないことだから」


「た、タイマ……? さっき蛇を何とかしたみたいな?」


「う、うん……わ、私、ちょっとだけち、知識があって」


 恥ずかしそうにボサボサの後ろ髪を掻くと、彼女は頭を下げた。


「ご、ごめんね、私、ど、鈍感だから、モロズミさん一人で頑張ってたのもわからなくて。最近がうろついてたりして、ぼ、ぼんやり『おかしいな』とは思ってたけど。せ、先週ユキちゃんから『フジモリ達が何か悪いことを企んでる』って話を聞くまで、ぜ、全然気付かなくて……一応はしてお、おいたけど、モ、モロズミさんにも考えがあるのかなって……聞きづらくて、ま、まさかこ、こんなことになるとも思ってなかったし……。へ、変に気を遣わせちゃったのも、ごめん」


「あ、謝るのはこっちの方だよ! ちゃんと話せばよかったのに、疑ってゴミさんに迷惑を掛けたし、凄く無駄なことしちゃった。ごめんなさい。それから助けてくれてありがとう」


 ボクも深く頭を下げる。

 ゴミさんが恐縮きょうしゅくしてワタワタし、ユキがそっと肩の力を抜くのを後頭部で感じてから、また身を起こした。


 慌てていたゴミさんはボクの顔を見ると、すぐに真面目な表情を取る。


「そ、それで、ア、アイツラはマ、マタイ塚の力を使ったんだよ……ね?」


 無言で頷いた。


「ま、前にモロズミさんとフジモリがあそこにいるのをみ、見てはいたけど、まさかをつ、使おうだなんて……」


「ゴミさんはあそこが何なのか、知っているの?」


「う、うーん、ぜ、全部はわからない。でも、超悪いところ。一昨年、誰か悪用しないか見張ってたけど、誰も来ないから安心してたのに。甘かったな」


 ゴミさんはその辺に落ちていた枝を拾うと、地べたの雪に何か図を書き出す。


 縦長の長方形と、グネグネの棒線、それから人の顔みたいなの。


 彼女は初めに長方形を枝で指し、線をビーッと引いて、折れ線と繋げる。


「アイツラは、マタイ塚の力を使う為に諏訪スワシンへの祭祀さいし――神が人を操作する為のシステムって考えればいいかな――を利用した。ただし、そのシステムは全て反転している。今回の場合は人が神のようなものを操作するわけだからね」


 普段と違って全然どもらないゴミさんは、またスッと線を引き、折れ線と顔を繋いだ。


「だからこそ、使役しえきされた塚の力は諏訪神の御姿みすがたであるはずの蛇の形を取り、フジモリはカエルみたく生贄イケニエとして塚に我が身を捧げることで、逆に塚を自分のものにしているわけ。本来ならの力は目に見えず直接的な影響も及ぼさないはずなのに、厳然たる恐怖として力を振るってるのも反転したから。アイツラ神職でもない癖に、こんなニワカ仕込みのやり方、普通ならうまく行くはずがない。でもマタイ塚にはそれを実現できるだけのがあって、この地にはそれを信じるに足るハナシが広まっていた……そう言うことだと思う」


 祭祀の反転……マナちゃんは自分の身を捧げた……。


「それから、時間があまりないんだ。この蛇達がいるのは今はこの土地だけだけど、影響力はハナシを介してどんどん広がっていって、その分だけ力も強くなる。放っておくと、多分最終的には世界中に広がっちゃう」


 彼女の話を脳内で何度も反芻はんすうしてから、聞く。


「ゴミさんは、どうすればいいと思う?」


 彼女が折れ線に引いたのはバッテン。


「システムを再反転して塚を封じる、これしかないかな。支配者の物理的なすきとなっている場所――塚本体に行くか、もしくは、フジモリを乗っ取った幽霊みたいなの――アズマだっけ――とエニシの深い……い、いや、やっぱりい、今の無し。塚に行こう」


 再びどもったのをボクは聞き逃さなかった。


「塚で何をするの?」


「難しくはないよ。さっきみたく私の夜爪ヨヅメジュツで、塚のを倒す……のは無理だろうけど、相手の制御を混乱させることはできる。その間に本物の諏訪神のお守りとか御札おふだとかを投げ込めば自ずとシステムは修正されるから、力が落ち着いたところで塚を封印フウインする。私、封印の仕方も心得こころえがあるから」


 なるほど、でも。


「そうすると……マナちゃん達はどうなるのかな?」


「え? そ、それは」


「マナラクって、ハルカちゃんが」


 首を傾げるゴミさんに、言葉を続ける。


「マナラクって言うんだって、この怪談は。今、塚の核になっているものは、マナちゃんでしょ。再反転した時、生贄になってるあの子やハルカちゃんはどうなるの?」


「ミハル」


 ユキが初めて口を開いた。


「もういいでしょ。アイツラのことまで気にしてる余裕はないよ」


「でも!」


 鋭く睨まれて黙る。


「だったら他にどうすればいいわけ? ミハルは何もわからないでしょ? さっきだって何もできないままフジモリにやられそうになってたじゃない。もうミハルにできることなんて一つも無い」


 にべもない口調だ。

 それはボクを心配しているからで、でも。


「誰かを生贄に、犠牲にするなんて、取り返しがつかないことだよ! どうにかして助ける方法を考えよう」


「その間にどんどん罪の無い人達が蛇に食われていく。それは取り返しがつくの?」


「それは、わからないけど……」


 くちごもるボクを見て、ユキは失望の吐息。


「フジモリを塚に残して封印すれば、確かにフジモリの家族や友達、ミハルにとっては取り返しのつかない犠牲だろうね。でも、今は誰だって犠牲を払ってる状況なの。トッコだってそう」


 彼女の目線はゴミさんの腕へ向かう。


「さっきトッコはどうやってミハルを助けたと思う? あの包帯の意味がわかる?」


 ボクが戸惑っていると、ゴミさんは気まずそうに喋った。


「あの術は……生爪なまづめを使うんだ……それも、自分で剥がしたやつをね……」


「そんな……」


 二の句を告げないボクにユキは溜め息を吐く。


「わかる? トッコは覚悟してる。自分も、他人も傷付けてでも何とかする覚悟を。ミハルは? できないんじゃないの、だって、ミハルは!」


「ユキちゃん、言い過ぎだよ」


 助け舟が入る、けど。

 ボクの幼馴染はその程度で止まるような子じゃない。


「ううん、言わないとわからないから。ミハルにはできないでしょ!? 普段はみんな仲良くとか言ってる癖に、いつも最後は我が身可愛さでダンマリなのに! 私のことは助けてくれなかった癖に、どうしてあいつのことはそんなに気にするの!?」


「ユキちゃん!」


 ゴミさんが叫ぶと、ちょうどユキのまなじりに溜まった涙がはつりと落ちる。


 ボクも叫びたかった。駆け寄って慰めたかった。


 でも、現実にそれをしたのはゴミさんで、する権利があるのもゴミさんだけ。


「違うと言うならミハルも何か言ってよ! トッコの案よりいいのがあるなら言って! それを実現できる根拠も併せて言って!」


「あの、ちょっと待って、ネ、ネットの知り合いに相談してからでいい?」


「ダメ、自分で考えなさい!」


 スマホを取り出すこともできず、熟考じゅっこうの末ボクは答えを絞り出す。



「あの……さ、三年のウシヤマって先輩、妖怪ハンターらしいよ……」



 沈黙が場を支配し、やがてヒューと寒い風が吹いた。



「いるわけ無いでしょ、そんな人」


 ユキの言葉は絶対零度。

 怒りに火を注いだようで、呆れ返ってもいた。


「ミハルは、一生そうなんだ。一生そのままなんだね」


「うん、そうみたい。ははは……ごめん」


「もういいよ、ミハルには何も期待してないから。何もしないで。何もできないだろうけど」


 そして、ユキは公園の外に歩き出す。


「行こ、トッコ」


「ええっ!?」


 ゴミさんは困惑した様子でユキとボクを交互に見ていた。

 申し訳ないので、ボクが目で行くよう促すと渋々ユキについていく。


 連れ立って歩く二人は気力に満ちて、眩しく見えた。


「後はよろしく」


 もう、いいんだね。

 ボクがいなくても、ユキは、大丈夫。


 ボクも踵を返し、行き先へ。




 本当はゴミさんの話を聞いたときに、もう思いついていた。

 マナちゃんを犠牲にせず、システムを再反転させる方法を。










 東中に戻ると、もう授業が始まっていた。

 誰もいない昇降口から、誰もいない廊下を進む。


 蛇は最初、おずおずと、遠巻きに近付いてきた。

 階段に辿り着き、二階、三階と上るにつれ次第に蛇は数を増やしていく。

 しかし、何もしてこない。

 ゴミさんの術を警戒しているのだろう。


 三階の廊下に差し掛かると、スマホが鳴った。

 もう、だからマナーモードだってのに。



:やあやあ失礼しました🙏🙏


:どんな感じですか❔



 足を止めて、返信を考える。蛇達も律儀りちぎに止まった。

 詳しく説明している暇はもう無い。



オッチマ:今、東中です。この間違った状況を終わらせます


:、、、オッチマさん❔


:何か、思い切ったことをしようとしてマセン、、、⁉⁉⁉


:実はワタシも用事が済んだので、今そちらに行こうとしてるんデス‼‼💨


:夜には着くので、力を合わせて解決しましょう😥😥


オッチマ:いえ


オッチマ:折角ですが、これはボク一人でやらなければならないことなので


オッチマ:もう大丈夫です


 そこでスマホを閉じて、後のメッセージは無視する。



 ボク一人でやらなければならない。

 元から、全部、そうだったのだ。



 また歩き始める。


 蛇達はボクの背後の廊下にひしめき合っていた。

 ボクの歩みと共に濁流だくりゅうのように廊下を埋め尽くして行く。



 こうなってしまったのは、本当はマナちゃんのせいじゃない。

 元を辿れば、ソコツネさんがされていることに目をつぶってきたボク達のせいで、ボクのせいだ。



 シバタ先生が笑い者になって腕が壊されるのを見過ごしたのもボク。

 コイトさんを塚に放り込んで亡者もうじゃみたいにしたのもボク。

 ハラダを呪い返しして消しちゃったのもボク。

 ソコツネクラスタのみんな巻き込んで喧嘩させたのもボク。

 ゴミさんに迷惑を掛けたのもボク。

 ユキを何度も何度も傷付けたのもボク。



 全部ボクが状況に流されるまま、恐怖に屈するままにやってきたことだ。



 マナちゃんが怖いものになろうとしたのも――



 そうだ、あれは。



 音楽室に入る間際、窓から目に入る。

 テニスコートの端の、一年の教室のテラスが。










 ポタ。



 頭の中でそういう擬音ぎおんを当てる。


 テラスの白っちいコンクリに水滴が一つ落ちて染みたのだ。

 それはフジモリさんが顎下をジャージの袖で拭った時にしたたった汗の一粒。


 七月下旬、お日さまはカンカン照りで。

 中庭から見える四角い空は嫌になるぐらい青くて、風はちっとも吹き込まない。



「あーしんど」


 と、彼女が愚痴る横で、わたしはテラスにへたり込み、さっきの染みを眺めている。


「運動部なんて入るんじゃなかったー基礎練キソレンだっるー」


 全く同感だったけど、今は同調する元気すら温存したい。

 できるだけこの休憩中に体力を回復させる腹積もりだ。

 だが、彼女は存外余裕だったらしい。


「何見てんの?」


 わたしの目の前ににゅっと体を伸ばし、好奇心こうきしん旺盛おうせいに瞳を輝かせる。

 その勢いで、彼女の結わえた長い髪の先がわたしの鼻に掛かった。


「ブワックシ!! うぐ……え、な、何? 何も見てないけど?」


 素直に言うのは何だか気恥ずかしくて取り繕おうとする。

 けど、その必要は別になかった。

 フジモリさんはケラケラ大笑いしている。


「ひひ、い、今の顔、すご、ひひひ!!」


 腹を抱えて大爆笑する彼女を見るのは初めて。

 それはわたしにとって、とても意外なことだった。


「フジモリさん、大声でも笑うんだね。いつもは……その、おしとやかな感じなのに」


「モロズミさんも……意外。くしゃみするとそんなになるなんて」


 目の涙を指先で拭いながら、彼女はやっと笑い止む。

 普段の笑い方と違って、それはとても穏やかで自然な動作。


 四月の入部式での顔合わせ以来、初めて彼女と仲良くできるチャンスが来たと感じる。


「ミハルでいいよ、モロズミって学年に何人もいるし」


「なら私もマナで良いよ、ミハルちゃん」


 それはどうも向こうも同じらしかった。

 二人で何となく微笑みあう。

 その時。



「何でそんなこともわからないの!?」


 テニスコートの方でアズマさんが怒鳴る。

 相手は見るまでもない……ユキだ。


「知らないけど。ていうかわかる必要ある?」


 まごうことなき喧嘩腰の返事。

 アズマさんの歯ぎしりがこちらに聞こえてくるようだ。



「ふあーあ、また始まったよ」


 マナちゃんは欠伸混じりに言う。

 その言いざまがあんまりうんざりした様子なのでわたしは吹き出してしまった。


「いいの、止めに行かなくて」


「ミハルちゃんこそ」


 ユキとアズマさんの仲の悪さは入部以来ずっとのこと。

 ユキにはわたしが、アズマさんにはマナちゃんが仲裁に入るのももうずっとのこと。

 マナちゃんはアズマさんと一緒に色んな人の悪口を言う。けど、よく観察すればアズマさんがやりすぎた時のフォローや気配りを欠かさない。だから元から親近感を覚えてはいた。


 お互いの微笑みはすぐに苦笑に変わる。


「私にとってのハルカはミハルちゃんにとってのヤマダ。一番の親友だけど……最近は、正直何考えてんのかわかんなくてちょっと怖いし」


「わたしもそう。ちょっと怖いし、ちょっと、ウザいかな」


 わたしが言葉を継ぐと、我が意を得たりと彼女は頷く。


「うん、わかる」


「ウザいね」


「ウザい、ちょっと疲れたわ。今日ぐらい、黙ってよっか」


「いいんじゃない? うん、いいよ」


 七月下旬、お日さまはカンカン照りで。


 周りの部員がオロオロ狼狽える中、わたし達はどんどん険悪になっていくユキとアズマさんをぼんやり見過ごす。







 誰もいない音楽室には、寒い空気が満ちていた。

 窓が開いているのだ、




 マナラクを実際に制御しているのはマナちゃんじゃなくて、ハルカちゃんだ。

 塚を支配するマナちゃんを支配することで、この世界を支配している。

 でも、支配することによって彼女もまた塚のシステムに組み込まれた。


 だから、彼女が飛び降りたこの窓は、システムに開けられた穴になる。

 幽霊あれになった彼女と分かち難く結びついた、干渉できる隙。


 その窓から再びが飛び降りればどうなるか。

 ゴミさんが言葉を濁したのは、そのやり方に気付いていたからだ。




 窓に向かう。

 蛇達は並んだ机や椅子、楽器をなぎ倒して進み、ガシャゴシャ大きな音を立てた。

 スマホからもピロピロ音がし続けている。

 そんなことは全部どうでもいい。




 あの窓から再び誰かが飛び降りればどうなるか。


 それは生贄イケニエだ。

 カエルではないが、ただしく神なるものに捧げられシステムを再反転させる。元の間違った生贄は帰されるだろう、そもそも死んでないのだから、代わりが来たのだから。


 それは天丼テンドンだ。

 誰かが飛び降りて以来おかしくなっていた中学で、もう一度誰かが飛び降りる。以上、一件落着。そういうハナシで以て全てが丸く収まる。別にソコツネさんである必要はない。誰もが面白がる、誰もが待ち望んだオチだ。




 窓の桟に足を掛ける。

 スラックスを挟んでもてつくアルミサッシの感触。


 窓の下。

 地べたのブルーシートは取り払われ、そこにあるのは黒い深い穴。

 あった。


 わがままで、人の悪口ばっかり言っていたハルカちゃんの跡。

 本当はいつも何かに悩み苦しんでいて、最後は校舎の隅の隅に追い詰められて飛び降りた、ハルカちゃんの跡。


 誰も見たくなくて、隠されていた。


 今なら見える、しっかり見える。




 桟から手を離し、重力が掛かって体がグラリと傾いていった。

 目を閉じて、物体が落ちていく直前の浮遊感にゆったりと包まれる。




 今ならわかる、どうしてこんなことになってしまったのか。

 どうしてみんな傷付いたのか、あの窓を開けたのは。






「あの窓を開けたのは、わたし」











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