27. 説得力か読み易さか、両立はできないもんかな…




 うぐっ。



 


 午前五時四十五分。

 寝ぼけ眼のボクがベッドの横の机からスマホで確認した時刻。


 急いでご飯を作らないと!


 布団と毛布を跳ね除け部屋を飛び出し、パジャマのまま階段を駆け降る。


 リビングはストーブがガンガン効いて暖かい。また眠くなってくる。

 父さんは既にテーブルで新聞を読んでいた。


「今作るね」


「うん、コーヒーも頼む」


 ボクはすぐさまキッチンに向かい、パンや他の冷凍食品の準備を始める。

 これが結構難しい。慌しく食器を出したり、盛り付けたり、レンジの設定を弄ったり、温める順番にもコツがあって。

 チンするだけの朝食でも段取りというものがあるのだ。

 あ、あとコーヒーメーカーも動かさないと。


 用意が遅れるとみんなに迷惑が掛かってしまう。

 寝坊なんて普段はしないのに。


 準備中、ふと窓の外に目をやると、空は朝陽の届かぬどす黒さ。

 漂う群雲むらくもは荒々しい輪郭で、そのへりに目を凝らすと蠢く何かが見えてくるような……


 


 あれ?


 背中に手を回しカサブタの張った傷痕をなぞると、眠気が一気に吹き飛んだ。そう言えば、タナカに刺された後何の手当てもしていなかったっけ。


 あれ。


 そう言えばあの後、どうなったんだっけ?







 いつも通りの朝だった。

 お母さんは疲れ顔だし、ナツヤも低糖質の食事に不満をこぼす、いつも通り。

 ああいや、父さんが新聞に夢中でコーヒーを零し、テーブルの上の蛇に掛かって牙を剥かれていた。父さんが謝ったら落ち着いたけど、変わったことと言えばそのぐらい。


 めざましテレビのアナウンサーも『昨日マタイ塚が壊れて怨霊が世界中の人々に憑りつきました』なんて言わなかった。

 何事も無く身支度をし、今日使う教科書やノートを揃えて部屋を出る。

 玄関で靴を履き、ドアを開け、ボクの後を追う蛇が挟まらないよう外に出きってから閉めた。


 外はやはり黒い雲のせいで薄暗い。

 家族の目が気になるので、家が見えなくなるまで歩いてから立ち止まった。

 後ろの蛇がコツンと頭をボクのスニーカーにぶつける。


 このまま学校に行っていいのだろうか。

 足を止めて悩んでいると、マナーモードのはずのスマホがまた鳴る。



:おはようございます❗😎


:昨日は失礼しました、どうしても外せない用事で、、、、


:まだ途中なのですが、、、やっと時間を取れたんです😪😪


:あれからどうなりました❔



 ボクは一も二もなく昨日あったことを覚えている限り説明した。



:なるほど、、、😔😔😔


:オッチマさんが言う塚に刺さっていたのは、多分のこぎりじゃなくて薙鎌ナギガマ


諏訪スワ信仰シンコウにおける神器です


:それから吹きつける強風


:お諏訪さま、諏訪スワ明神ミョウジンは古来より風の神様として知られています


守矢神社モリヤジンジャ早苗サナエサンが風祝カゼホウリでしたネ⁉


:あれはまさに風の神をまつる役職なんですヨ🤗🤗


オッチマ:東方トウホウですか? すいません、あんまり詳しくなくて…


:失敬! ドヒューン


:まあそれは置いといて👀


:最後に塚から出てきた蛇


:諏訪明神は一説に蛇だと言われているんです、以上からわかるのは、、、


:オッチマさんのお友達はですね、おそらく塚に眠っていた何かを諏訪スワ明神ミョウジンへの信仰、その物語で上書きしたんです。自分の思い通りに改竄かいざんした上で。この土地に生き、御柱の後で諏訪信仰をふんわりとでも記憶に残している我々に。ハナシをあまねく行き渡らせて思い通りにする為に


:振り撒かれた怪談と“戦争”でらの実在を信じざるを得なくなっていた上、そもそも諏訪信仰自体が土着どちゃく洩矢神モリヤシンらから出雲イズモ神話シンワ建御名方神タケミナカタノカミに上書きされた経緯けいいがある以上、下地は整えられていた。よく考えられたものです😃😃


オッチマ:すいません、知識が無くて中々理解が追いつかないのですが…。マナちゃんの最後の怖い話が広がって、それで具体的にどうなったんだと思いますか?


:それはもう大変なことですヨ😅😅


:オッチマさんが覚えてないのに気付いたら家に戻っていつも通りの朝だということは、これまでの怪談とはケタが違うことが起きているんでしょう😨😨😨😨


:おそらく世の中をまるごと作り換えてしまうほどの‼😝


オッチマ:それは…どういう意味ですか?


:鍵となるのはお友達が言っていた、「怖いものになる」、でしょうネ⁉⁉


:彼女達にとっての恐怖とは何なのか、それがあ


:すいませ、また用事が



 それっきり、また彼からのメッセージは途絶える。


 恐怖とは何なのか。

 考えようとすると頭にもやが沸いたように考えがまとまらない。

 まあいいや、学校に行けばわかるか。

 せっかく教えられたヒントを持て余し、結局ボクは通学路を蛇と歩き始める。




 辿り着いた東中トーチューは、静かだった。

 校舎の外から、昇降口に近付いた時点でもうわかる、張り詰めた空気。

 中に入ると行き交う生徒達は口を閉じ、そそくさと追い立てられるように移動していた。

 いや、実際に彼ら彼女らは蛇に追われている。


 生徒一人に一匹、真っ黒い蛇が付いて回っていた。塚で見たのと同じの。

 それはもちろんボクの後ろにいるのとも同じ。


 二年四組の教室に着く。

 昨日散々荒れたはずの室内は何事も無かったように片付いていた。

 登校した生徒は全員自分の席について、何もせず黒板の方を見ている。

 イトウさんみたいな明るい子もヒラバヤシさんみたいな物静かな子も。

 蛇達は各生徒の机の上に陣取ってトグロを巻いている。


 ユキやゴミさんにマナちゃん、後はタナカも来なかった。

 だからその机の上の蛇もいない。

 ちょっとホッとする。


 ボクも同じようにして待っていると、チャイムが鳴って数学のトダ先生がやってきた。

 先生にも蛇がいて、教卓の上で先生より偉そうにふんぞりかえる。

 でも、誰も蛇のことを見ようとしない。


 世界中、どこもこんなんになっちゃったのかなあ。

 ボクはぼんやりそう思う。




 その一限の半ばのことだった。


「もういや!」


 と、叫んで立ち上がったのはヒラバヤシさん。


「何なのこれ!? 教室は元通りになってるし、この蛇! どうして誰も何も言わないの!?」


 彼女がわめきたてると教室のみんなが血相を変えるのがわかった。


 シュー、シュー。


 ヒラバヤシさんの机上の蛇が舌を出し入れして鳴く。

 すぐにそれは他の蛇達にも広まり、共鳴するように教室中に蛇のさえずりが広まった。


「いや、いや!」


 ヒラバヤシさんはパニックになり、机からスマホを取り出す。恐らくシバタの録音を再生しようとしたんだろうけど、ちょっと


 シュー、シュー。


 何か暗いなと思って日向ひなたの方を見ると、窓ガラス一杯に蛇達が貼りついている。


 びっしりと。真っ黒い腹をのたくらせて。


 それらはふとした瞬間窓を透かして教室に入り込み、ぼとぼと床に落ちる。


 ぼとぼと、ぼとぼと。


 何千、何万匹の彼らはヒラバヤシさんにまとわりついた。


 蛇は続々と窓から供給きょうきゅうされ、よく眺めると空から降り注いでいる。

 その時、あの空の黒い雲は蛇達なのだとピンときた。


 ヒラバヤシさんはすぐに引き倒され、もがきながらあえぐ。


「誰か、助けて……」


 誰も、応えない。

 誰も、彼女が蛇達に覆われて玉のようになり、どこかに引き摺られていなくなるまで、最後まで、何もしない。


 仕方ない、彼女はみんなの和を乱し、蛇達に文句を言ったのだもの。

 仕方ない、仕方ない。


 トダ先生は震える声で問題の解説をし続けたし、解答者のイトウさんはガタガタの文字を何とか黒板に書き切った。

 ボクも先生が配ったプリントの問題をひたすら解き続ける。


 十分程して、左に二つ隣の男子がパニックになって騒ぎ出した。

 確か爬虫はちゅうるい苦手な子。

 よく耐えた方だ、仕方ない。

 授業中騒いだざいで、彼も仕方なく蛇達に連れられて行く。


 他にも隣のクラスや上下の階からも誰かの悲鳴や、蛇達の大合唱が何度も聞こえたが、気にしない。


 そうしている内、ボクはだんだんマナちゃんやうーみんさんの言っていたことがわかってきた。



 恐怖とは、ルール。

 誰もが従う、逆らえば排除される、暗黙の決まり。

 法律や道徳じゃなくて、もっと偉大で根源的な支配者。


 だから、『怖いもの』になる為の練習をしていたマナちゃんは、なったんだ。

 世界で一番怖いものに。



 チャイムが鳴って授業が終わると、ボクは自然と立ち上がり、教室を出る。

 マナちゃん達のやったことがわかった今、彼女達に会わなければならないと思ったからだ。


 今ならどこに行けばいいかもわかる気がする。

 廊下の窓を見て、案の定だ。

 やっぱりにいるんだね。


 テニスコートの真ん中に、あの子はポツリと立っていた。







「マナちゃん……じゃないんだ」


 階段を降りてテニスコートに入った途端、そう直感する。


 マナちゃんはを見せて、ボクに微笑みかけた。

 マスクはしていない。


 二人だと広大に思えるテニスコートは最低限の雪かきしかしていなくて、校舎に囲まれていることもありスノードームの底を連想れんそうした。

 そのせいか、とても、息苦しい。


「ハルカちゃん、マナちゃんはどこ?」


 彼女の悪戯っぽい笑顔はやっぱりあの子そのもの。

 答える気はないのか、ニヤニヤ嘲け笑うだけ。


「ハルカちゃん、どうしてあんな姿になったの?」


 ニヤニヤ。


「どうしてマナちゃんに憑りついたの?」


 笑うだけ。


「今までのことは全部ハルカちゃんの計画通り?」


 ニヤニヤ。


「みんな困ってるんだ、全部元に戻してくれないかな?」


 笑うだけ。


「どうして、こんなことしようと思ったの?」


「面白いから」


 彼女の口から出たのはハルカちゃんの声だ。

 可愛くて、悪口しか言わないのにいつまでも聞いていたくなる不思議な声。


「面白いからに決まってんじゃん。戻すわけないじゃん、それは面白くないから」


「どこが? 全然面白くないよ。みんな怯えて、逆らうと消されちゃう。ただ怖いだけだ」


 彼女は少し俯いて、左手で鼻を掻きながら笑う。


「ふふ、ミハルちゃんはいつもうわつらのことばっか。怖いのは、面白いんだよ? でなきゃ怪談はこんなにみんなにウケないし、みんなもこんなに夢中になったりしない!」


 そう言って、芝居っぽく両手を広げる。

 その手の指し示す方には、校舎の窓からボクを見つめる生徒や教師達がいた。

 青ざめた彼ら彼女らの表情。

 その奥に、確かに隠し切れない興奮や熱狂がある。


「ハルカが悪口を言った時、言われた子は白くなって赤くなって震え上がって、みんなはそれを見てニコニコしてたしょ? 言われた子も他の子が悪く言われてる時はニコニコ楽しんでた。みんな『次は自分がハルカにバカにされるかも』ってビビってる癖して逃げたりもしない。ミハルちゃんだってそうだったじゃない?」


 ……。


「だからってこれはやり過ぎだよ!」


「ふふ」


 論点をずらしたボクを彼女はやっぱりせせら笑った。


「そんなことないよ。みんな面白いのが好きなんだから、ハルカはもっともっと面白くしてあげただけ。それに、みんなが怯えれば怯えるほど、面白がれば面白がるほど、恐怖は強くなり、面白さは増していく――愛奈落マナラクはそういうシステムなの。止めたら損でしょ?」


「マナラク……? それがこの怪談の名前? マナちゃんはになっちゃったの?」


「まあね、そういうこと」


 ハルカちゃんは何でもないように言って、ボクは目の前が真っ暗になる。


「じゃあ、ミハルちゃんにはマナを助けてもらったり色々お世話になったけど、そろそろウザいからバイバイしようかな」


 彼女が手をすっと下ろすと空から雨のように蛇が降り注いだ。

 ボクの周囲にドスドス落ちてくるそれらは、落下のダメージなんてゼロで、元気にのたくってボクを取り囲む。



 これをどうにかする方法は……思いつかない……。

 周りを見回しても誰も助けには来なかった。

 来るわけない、ボクがヒラバヤシさんを助けなかったのと同じ。

 誰かがひどい目に遭うのは怖いけど、面白いから。

 

 心はもうくじけ切っている。

 ボクは、なんだか場違いに友達や家族、これまでの日々をふわっと考えていて、最後に思い浮かんだのはマナちゃん。

 あの子を何とかしてあげたかった。

 でも、もう終わり。



「じゃーね」


 その一声と共に蛇達がボクに飛び掛かる――








「――“夜切る爪は鷹の爪”!」


 ボ。


 そんな音がして、ボクの頭上をが通り過ぎた。

 風がゴオッと髪を逆撫さかなでる。

 その何かが象牙ぞうげいろで、翼を広げた猛禽もうきんるいのような形に見えた次の瞬間、ボクの周囲一杯、空中の蛇が全て弾け飛んだ。

 何かは消え失せ、爆発したように蛇達は砕け散り、破片になると溶けて消える。


「えっ!?」


 声の方――入口のガラス戸の方を振り向くと、コートを着込んだ二人の女の子。

 ユキと、包帯を巻いた指先を鋭くこちらに向けるゴミさんが立っていた。


 ボクも、ハルカちゃんも呆然としていると、ゴミさんが慌てて叫ぶ。


「モ、モロズミさん、に、逃げよう!」


 それで体が動き出し、ボクは気勢をそがれた蛇達を踏みしめながら二人の方に向かった。




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